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最近眠るのが少し怖い。夢をみたくない。
夢なのに匂いや感情までも現実のように鮮明だ。
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「これ、今嵌ってる乙女ゲームなんだけど、このキャラがやばいんだよ」
私は小さい光る箱を片手に持ちニヤつき告げる。眼前にいた誰かは、その箱を覗き込んで嘆息した。
「あんた本当にこういうの好きだね。二次元じゃなくて三次元に目を向けなよ」
そう言われ、私は箱を見ながら返事をする。
「三次元も見てますよ~。でもよく分からないんだよね」
「は? どういうこと?」
「こうやってイケメンキャラに愛を囁かれると、キュンとかドキドキとかするけど、現実だと愛されている実感とか湧かないんだ」
「は? 現実逃避し過ぎでしょ。あんた彼氏いるのに愛されてる実感が湧かないってどんなよ。今日、彼氏は仕事?」
「うん。最近忙しいみたい」
「好きだから付き合ってるんでしょ? 一緒にいればそれなりにドキドキするんじゃないの?」
「ドキドキというか……。まあ、楽しいよ」
「うわ、どんな反応なのそれ!」
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ああ、そうだ。このやりとり覚えてる。
仕事が休みの日に、友人とランチした時の会話だ。
イケメンが愛を囁いてくれる乙女ゲームが好きで、色々やっていた。そうだ、あの小さい箱はスマホだ。
なんで忘れてたんだろう。
明日も仕事があって、夕方から彼氏と食事の約束をしている。
何を着て行こうか……。
ぱちりと瞼が持ち上がった。
窓を覆う布に月の光が内包している。雲がないのか室内がとても明るい。
白んだ部屋に窓枠の影が見える。
天井から輝くクリスタルで飾られた照明が下がっている。
(お城の天井……)
さすがに見慣れた豪華な天井を見つめ、フレーゼは寝台から体を起こす。
淡いピンク色の寝間着姿で手も小さい。そっと髪に手を触れると肩までの長さだ。
(ああ、まだ夢をみてるのかな)
フレーゼは月明かりを頼りに歩き、部屋に設えられた衣裳部屋の扉を静かに開ける。
何着ものドレスが並び、奥の壁側に鏡が飾られている。
鏡に映った幼い自分を見て息が漏れた。
あれは夢だ。
誰かと会う約束をしていたと思ったけれど、あれは夢。
ううん、夢が現実だった。こちらが夢?
フレーゼは混乱してきて頭を振る。
これはあれだ。
乙女ゲームに嵌っていた頃に流行っていた異世界転生と同じ状況だ。小説の世界に転生しましたとか、乙女ゲームの世界に転生しましたとか、ああいうの好きだった。
それだ。間違いない。
フレーゼは鏡に映る自分の姿を凝視する。
死んでこの世界に転生した。そして突然記憶を取り戻したっていうありがちなやつだ。
(記憶ある……?)
夢ではなく現実だったという自覚はあるが、思い出せる記憶が乏しい。先程みた夢は就職して二年目くらいの記憶だ。
それ以前のことを思い出そうとしても、靄がかかってはっきりと思い出せない。
色々なゲームに手を出し、転生ものの漫画や小説も網羅したと思っていたけれど。
(ここは全く知らない世界だ……)
前世の自分のことははっきりと思い出せないのに、不思議と前世で暮らした世界はどんな所だったのか、そこに存在していた情報はどんなものだったのか。そういったものは思い出せる。
どういうこと?
フレーゼは呻きながら頭を抱えた。
これはお話の世界に転生したとかじゃなく、ただ単に前世の記憶を持って生まれ変わっただけなのでは。前世でもそういう話を聞いたことがある。
体の中に人格が二人いるようで吐き気がこみ上げてきた。
フレーゼは湧き立つ不快感に、一人でも着やすい服に着替え、そっと衣裳部屋を出た。
リージは眠っている。起こさないようそっと居間に出る扉を開く。侍女や侍従が控えているはずの椅子に誰もいない。
不思議に思ったがそのまま廊下に出る扉を開いた。
ここにも警備がいない。
仮にも王子様のお部屋だぞ。リージに何かあったらどうするのだ。
フレーゼは僅かに憤ったが、あいつの場合何があっても助かりそうだと根拠のない自信が湧いた。
そのまま廊下を歩くが、ふと自分がどこに向かっているのか、何をしたいのか分からなくなった。
脳裏に両親の顔が浮かぶ。もちろんこの世界の両親だ。前世にも両親はいただろうに、全く思い出せない。
村に帰りたい。そう思いながらも、今は無理だと理解している。
フレーゼは広い廊下をとぼとぼと歩き、ふと思いついて感覚で走る。
パンを作ろう。厨房を借りて焼こう。
冷静になればそんなことが無理であると分かるけれど、何故かそう思った。
「フレーゼ、どうした?」
思いがけず、名を呼ばれた。
びくっと肩が跳ねあがり、ゆっくり振り返ると、フレムが不思議そうにこちらを見ていた。
背の高い青年は膝をつきフレーゼと目線を合わせてくれる。廊下の明かりが少ないせいで、彼の赤い瞳に影が落ちていた。魔法使いの神秘的な雰囲気に僅かな恐怖も湧いてしまう。
「……厨房に行きたいと思いまして……」
「つまみ食い? お腹すいたの?」
「ち、違います! パンを作りたくて」
「パン?」
フレムはきょとんとした表情でこちらを見ている。
こんな時間に? とか色々聞きたいことがあっただろうに、何故か彼はにっこり微笑んだ。
「そっか。お腹すいたんだね」
「え」
そう結論付けて納得したのだろう。うんうんと頷き、フレムは片手を廊下の先に翳してひらりと一振りした。
そこに今までなかった扉が現れる。扉の向こうは廊下が続き扉だけがそこに建っている状態だ。
フレーゼが目を白黒させていると、フレムが一歩足を踏み出した。
「どうぞ。別にとって食べたりしないから大丈夫」
そのセリフが逆に怖い。
そもそもこの時間に男性と二人でいることもだめだ。
フレムがフレーゼの気配を察してか、ニコニコと笑んだまま両開きの扉を開いた。
扉を開いた先は部屋だった。背の高い本棚や執務机、長椅子に天井まで届く窓。窓の外には青空が見える。
フレーゼがぎょっとしていると、フレムが入り口で手招きしている。
「こっちに厨房があるんだよ。小さいけれどパンを作るくらいなら使える」
恐る恐る入り口から中を覗くと、ぽんと背中を押された。
体が部屋の中に入ってしまい「あ」と声が出る。同時に背後の扉が閉まり消えた。




