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長い廊下を進み続けていくと、大きく開けた場所に出た。その場所だけが床石の素材が異なる。
まるで城だ。王の間のみ、壁や床の装飾が豪奢になる様と同じである。
学園長室の両開きの扉が勝手に開いた。部屋の主が魔法で入場を許した証だ。
室内に入ると、大きな背もたれのついた皮張りの椅子が、こちらに背を向けている。椅子に腰かけている者の長い脚が見え、そして彼はおもむろに立ち上がった。
「あーあ、もう台無しだよ」
リージは馴染みのある声に目を剥く。
「どうしてロア殿下ではなく、フレーゼに意識が向いちゃうかなぁ」
「フレム先生……?」
リージの声が掠れた。驚きでうまく言葉が出ない。
フレムは手をひらりと翳す。見えない空圧がリージの横を通り過ぎた。
咄嗟にロアはエリーを庇いそれを魔法で弾いたが、勢いを消せず二人は壁に叩きつけられてしまう。
「ロア殿下ぁ。殿下の優しいところは好きだけど、今は助けるところじゃないよ~」
いつもの調子で笑う声。リージの胸が早鐘を打ち始めた。
「何故、先生がここに? 先生が学園長なんですか?」
リージは声を絞り出した。フレムはそんなリージの姿に笑みを深めるが、その笑みが逆に怖い。
「そうだよ。言ってなかった?」
「言ってません!」
ぱちんとフレムが指を鳴らした。
いつの間にか、リージの頭上に瓶が浮かんでいて、バリンッと音を立てて割れる。
「うわ!」
リージは悲鳴を上げた。破片と共にリージの上に落ちてきたのは、フレーゼだ。
「ね、義姉さん、重い……痛い」
フレーゼは目を白黒させながら、辺りを見回している。
「重いは禁句だよ~。一応、フレーゼは女の子だからね」
フレムはふざけた口調で笑いフレーゼの元に歩み寄った。
「先生……?」
状況が分からない。
フレーゼは突然ここに弾き出されたのだ。
一体ここは何処だろう、とか。何故フレムが目の前に立っているのだろう、とか。
疑問ばかりが頭に浮かぶ。
リージはフレーゼの下敷きになり痛みに呻き、壁際ではエリーが怪我をしたようで、ロアが支えている。
「あの、先生……状況が」
戸惑うフレーゼに、フレムは恭しく礼をした。
「僕はフレム=ガデシアス。このアカデミーの学園長も兼任しているよ」
「は……?」
にっこりと微笑み告げられた台詞に、フレーゼは剣呑な反応を返す。彼はフレーゼを優しく立たせ、真紅の瞳を細める。
「え、あの、フレム先生が、アカデミーの学園長に会うといいと……」
「君が記憶を取り戻すまでの、時間が欲しかったんだ。二、三年くらいかければ、全ての記憶を取り戻すだろうと検討がついていたから」
「先生、何を仰っているのか……」
フレーゼは膝が震え、立っているのがやっとだ。フレムはエリーを見やる。
「僕がフレーゼに抱く感情と同じものを、エリー嬢もロア殿下に持っていたよ。可哀想にね」
フレムの冷たい視線からエリーを隠すように、ロアは壁に手をつき立ち上がる。
「おかしいと思っていました。エリー嬢がこんな難しい魔法を使えるなんて。彼女に、先生の肉を食べさせましたね?」
フレーゼとリージはぎょっとし、エリーを見やる。彼女は視線を伏せた。
「彼は今代の火竜王だ。ガデシアス種の火竜で、現存している火竜の中で最も強い魔力と広い知識をお持ちの……竜だ」
フレーゼは腹の中にある魔力の塊が熱を持つ気がして落ち着かない。
もうフレムは笑んでなどいなかった。
あんな冷たい瞳で、教え子を見ていたことなどなかったのに。
フレムは短く息を吐く。
「エリー嬢は僕の抱く感情に呼応してしまい、対象がロア殿下からフレーゼに向いてしまったんだね。彼女が記憶を取り戻す刺激になるかと思っていたけど、僕の邪魔をしては駄目だよ」
突然、エリーの体が赤い炎に包まれた。絶叫が響く。
ロアとリージが駆け寄り魔力を発しようとして、大きく跳ね返される。
「なんで、先生……」
「フレーゼ。君は、冬の試験で全ての記憶を思い出すはずだった」
フレムは心底残念そうに告げ、立ち昇る炎を消した。ひらひらと手を振りエリーに遠隔から回復魔法をかける。
「僕が君の望みを叶えていたのは、全てその為だったのにな」
フレーゼは眼前の青年が知らない人に見えた。
赤い瞳に浮かぶ黒い縦長の瞳孔は、彼の人ならざる雰囲気を強めている。
「……あなたは、誰?」
フレムは一瞬悲しげに眉をひそめたが、すぐに怒りを含んだ鋭い眼差しをこちらに向けた。
「君はいつも勝手だね」
フレムはフレーゼの頬に触れる。そのまま二人は転移し姿を消した。
王子たちの叫びは、二人には届かなかった。




