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王子にはそれぞれ専用の庭園とサロンが用意されている。王子たち個人に与えられる場所で、立ち入るには持ち主の許可がいる。
リージにも設える予定らしいが、今は年齢が同じロアと勉学に励みながら交流をはかる為、ロアのサロンや庭園への出入りを許されていた。
既にサロンにいたロアに形式的な挨拶をすると、朝の子供とは思えないような爽やかな笑みが返ってきた。
「そんな堅い挨拶は必要ないよ。特にリージは兄弟だからね」
にこにこと微笑むロアだったが、表情を崩さないリージは首を横に振った。
「無理です」
「うーん、頑固だなぁ」
母親の地位が重要視される環境だ。リージの母は侍女だった女性で、彼らの母は高位貴族から嫁いだ方だ。リージがロアに対しての態度を崩す気がないのは理解が出来る。
ばたんと音を立ててサロンの扉が開いた。
そんな失礼な音を立てて入室するのは誰だろうと思ったが、張本人を見て納得してしまう。
「おはようございます、先生」
「おはよう、ロア殿下! そしてリージ殿下にフレーゼ!」
背の高い魔法使いは、手に沢山の本や紙を抱え机にどさりと置いた。
「ロア殿下に教えるようなことは、リージ殿下とフレーゼにはレベルが高すぎるからね」
彼はさっと机に持ってきた物を仕分け並べていく。王子の後ろに控えていた侍従が慣れた手つきで手伝いに入った。
「さあ、こっちがロア殿下でこっちがリージ殿下。こっちがフレーゼね」
用意された席につくと、机を挟んだ目の前がロアだったことに驚いてしまう。顔に出ていたのか、ロアは綺麗な唇を持ち上げ笑う。
「フレーゼ嬢、ご実家では学校に通っていたのかな?」
「はい。熱心に学んでいたわけではないですが」
なんだか恥ずかしくて声が尻すぼみになっていく。
「そうなんだ。リージも?」
フレーゼの隣に腰かけていたリージが頷くと、フレムがぱんと掌を重ね鳴らした。
「では、始めます」
急に部屋の空気がぴりっと凍り付いた気がした。緊張が走るとはこういう感じかもしれない。
ふざけたような態度だったフレムの表情が一変した。口は笑みの形だが赤い瞳が真剣なものに変わっていた。
ロアは王子として生まれ、元々賢い少年だ。
帝王学をはじめ、学問も同年代より一つも二つも十も飛び越えている。どうしてもリージとフレーゼに授業の時間をとられてしまうため、ロアは自習が主になってしまう。申し訳ない気持ちが湧くが、ロアは気にした様子もなく用意された教本や資料に目を通していた。
とにかくやることが多い。今まで学ぶ必要のなかったことまで増えている。それに加えリージは今までとは違う視点の勉学も学ばなくてはいけない。貴族のマナー、それ以外に領地や経営学なども。
フレーゼにとっては場違い感が拭えないが、とにかく足を引っ張ってはいけないと気合を入れた。
それから二か月、同じような日々が淡々と過ぎていった。
フレーゼは毎日をこなすことに必死だ。
そんなある日のサロン。
授業の合間に紅茶を楽しんでいる時、フレムが唐突に言った。
「フレーゼも剣術やる?」
「「は?」」
驚きの声を発したのはフレーゼではない。リージとロアだ。
フレムは何故そんな反応になるのか分からない、といった表情で話を続ける。
「リージ殿下も剣術を習い始めたし、フレーゼ、その時間暇だよね?」
「先生、暇だと言ってもレディですよ」
ロアはことあるごとにフレーゼをレディ扱いする。王子とはそういうものなのか。貴族は皆そういうものなのか。
「先生。義姉さんは、力はありますが根気がありません。剣術を学ぶのは向いていないと思います」
「力はあるんだ」
フレムは笑みを深めた。庇っているのか貶しているのか分からない発言に、ロアは眉を顰める。
「フレーゼはどう?」
「……興味はあります」
「じゃあ決まり!」
フレムが指をパチンと鳴らす。
不服そうなのは王子二人だ。
そもそもリージに関しては、反対しているのか後押ししているのか分からない返事だった。何故そんな反応になるのか。
リージの剣術練習に興味があったのは本当だ。何故かフレーゼはリージに対抗意識が湧くので、面白くないと感じていた。
「フレーゼ嬢、本当にそれでいいの?」
ロアが気遣う言葉をかけてくる。困ったような表情が優しくて、本当に気遣ってくれていることが伝わる。
「はい、精一杯頑張ります。それに本当に力は強いんですよ。実家では粉の袋も運んでいましたし」
「粉? ああ、確かパンを作っていたのだっけ」
「そうです。意外かもしれないですが、結構体力いるんですよ? こねる時に力を籠めるし」
手首を曲げてこねる真似をすると、ロアが不思議そうに首を傾げた。
「フレーゼ嬢も作るの?」
「はい、もちろん! 私、両親の店を継ぐのが夢なので!」
楽しそうに答えると、ふっとロアの目が細くなり穏やかな笑みを返される。
「でもパンを作ることに剣術は必要ないよ?」
そう言われると返事に困る。フレーゼは一拍置いた後、思いついたことを口にしてみた。
「でも泥棒が入ったら戦えます! 売上金とか盗まれたら困るので」
「……え、切るの? パン屋に入った泥棒を」
「必要があれば切りましょう」
「ぷっ」
ロアは顔を反らして笑いを堪えるような息を漏らした。
何故だろう。呆れた表情のリージがフレーゼを見ている。
「な、なに、そんな変なこと言ってない……」
リージの視線に耐えられなくて応戦するが溜息を返されてしまう。
「いいねえ。もう、ばっさばっさ切り倒せるように訓練しようね」
にこにことフレムが笑った。
彼は肩書きは魔法使いだが、剣術にも優れているという、何でもこなせてしまう人物だった。
王子の剣術を見ているのもフレムだ。リージは最近始めたばかりだから、スタートはフレーゼと大して変わらない。
それに気づき俄然やる気が湧いてくる。
「リージ。私、負けないわよ」
「へえ、いいんだ? そんな宣言しちゃって」
「あんたこそ、そんなこと言って大丈夫? まだ剣術習い始めて一週間じゃない? すぐに追いつかれるわよ」
「うわあ、大きくでたねえ。義姉さん」
鷹揚に微笑むリージの姿に苛立つ。でも負けじと笑みを返した。
「二人は仲良しだね」
楽しそうに二人の様子を見ていたロアがこともなげに言う。
「どこがですか。すぐに突っかかってくる義姉にうんざりしていますよ」
「同じセリフを私もお返しします」
フレーゼとリージが睨み合い、見えない火花が爆ぜている。
「いいなあ。僕も……」
ロアがそこまで言って言葉を切った。口元に指をあて何か考えているようだ。
「リージは何故フレーゼ嬢を義姉さんと呼ぶのかな。同じ年齢なんだよね?」
「こいつが……義姉さんが強要するので」
言い直した。
むっとしたが無視していると、リージが話を続ける。
「義姉さんの方が四か月早く産まれているんです。母が亡くなってジュール家に引き取られた時に、私の方がお姉さんなんだからそう呼べと」
確かにそう言ったけれど、まさかそれをこの国の王子に暴露されるとは夢にも思わなかった。
恥ずかしい。その一言に尽きる。
「じゃあリージは僕のこと兄と呼んでよ」
「はい?」
リージがぎょっとした顔で驚きを漏らす。ロアが楽しそうに提案を続けた。
「だって、君は十二月生まれで僕は六月だ。リージが第三王子に数えられることは決まっているし、順番で行くと僕が兄だよ?」
「……い、いえ、それは無理です」
「なんで?」
「理屈はそうでも、無理です」
「ずるいじゃないか、僕とも兄弟なのに、フレーゼ嬢だけそう呼ぶなんて」
「ず、ずるい……?」
突然のむちゃぶりにリージが困惑している。
普段、リージの困っている姿を見ることがないので、これはこれで面白い。
見かねたフレムが口を挟んだ。
「ロア殿下。まだ王宮に上がって間もないんですから無理ですよ。もっと仲を深めてからそう呼んでもらえばいいじゃないですか」
「それもそうだけれど……」
「その理屈だとアイル殿下のことも兄上と呼んでもらうことになりますよ」
ロアは何か思うところがあったのか口を噤んだ。僅かに頬が赤くなっているが、誤魔化すようにいつもの笑顔を顔に張り付けている。
「もう、ロア殿下はお兄ちゃん子なんだから〜」
くだけた調子でフレムがロアの頭をぐりぐり撫でた。控えていたロア付きの侍従がぎょっとした様子だったが、止めには来ない。
「先生、からかうのはやめてください」
ぐりぐり撫でる手から逃れながら、ロアが小さくため息をついている。
アイルは顔合わせの日以来会っていないが、優しそうな人だった。その姿を思い浮かべながらフレーゼは自然と笑む。
「ロア殿下は王太子殿下と仲がいいんですね」
そうフレーゼが問うと、照れくさそうにロアが笑みを深める。
「年が離れていることもあるけれど、兄上は優しくていつも僕の味方でいてくれる。立場上このままの関係でいられなくなることがあるかもしれないけれど」
長い睫毛を伏せ、ロアが小さく呟く。
「ずっと兄上の味方でいたいと思っている」
ロアは感情を読み取れないタイプの少年だ。けれど僅かだけ見せた子供らしい雰囲気に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「素敵ですね。私も殿下みたいな弟が欲しいです」
「え」
フレーゼは何ともなしに言いつつ、横に座る義弟と火花を散らした。
驚きを顔に張り付けたままのロアが二人を交互に見て笑いだす。
「僕は兄がいいな」
ころころと鈴を転がすように笑うロアの姿に、フレーゼは嬉しくなった。三人でいる時の雰囲気も少しずつ変わってきた気がする。
ロアにとって、突然現れた兄弟に正の感情だけではなかっただろう。それでも一国の王子としての品位を保ちつつ、リージだけでなくフレーゼにも平等に接してくれる。
素直に優しい少年だと思う。王子としても尊敬できる。
毎日こうやって同じ時を共有し、他愛のない会話を続けてきた。
僅かでも距離を縮めることが出来たのなら、きっとリージにとってもいいだろう。
そう思いながらフレーゼは笑った。




