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 冬の試験会場である広間に着くと、そこにはもう誰もいなかった。

 一人を除いて。


 彼女は試験扉の前で、数人の教師と何か相談をしているように見える。

「エリー嬢」

 彼女は名を呼ばれると、眩い金髪を靡かせて振り返った。

 空色の瞳にロアとリージの姿を捉え、礼をとる。

「何をしているの?」

「扉が開かないのです。先生方が確認してくださっているのですが」

「へえ……」

 ロアは扉を一瞥し、教師たちに視線を移した。

「先生、学園長先生はいらっしゃいますか? 試験扉の件を伝えてみては?」

 教師たちは顔を見合わせた。対応に苦慮しているようだ。

「今日はいらっしゃるのでしょう?」

 ロアは再度尋ねた。僅かに語気を強めたのが伝わったようだ。彼らはピクリと身を震わせ、一人の教師が口を開く。

「試験後の成績をつけるため、部屋にいらっしゃるはずです」

「それでは、僕が拝謁の許可を求めていることを伝えてください」

「で、ですが、王族の方といえど在学中は……」

「ええ。ですから、正式に」

 ロアの圧に困惑しつつ、教師たちは上司の指示を仰ぐため、お辞儀をして去っていった。

 彼らが離れたのを確認して、ロアはエリーに向き直る。


「エリー嬢。何故この瓶をフレーゼの部屋に置かせたのですか?」


 彼女はロアが差し出す瓶と、彼らの影に隠れるように立つステラを交互に見やる。

 当然、気まずい状況であるはずなのに、彼女の表情は全く変わらない。普段ロアに向けられている、作り物の微笑みだ。

 この場で、それを崩すことのない彼女こそ、王子である自分の婚約者として最も相応しいのだろう。

 改めてそう思いながらも、それももう無理だと思った。


「要らないからですわ」

「フレーゼは何処ですか?」

「どうしてそれを、私にお聞きになるのですか?」

「侯爵領での火事を引き起こしましたか?」

「その件は何度も調査に応じ、否定したはずです」

「承知しております」

 二人は淡々と会話を続けながらも、表情は穏やかなままだ。

 ロアの声は少しずつ低くなっていく。


「それらを可能にする魔力は、私に備わっておりません」

「誰か協力者がいるのではありませんか?」

「まあ、それほどのことを誰が協力してくれるのかしら」

「……エリー嬢。何故、フレーゼに構うのですか。貴女の約束された地位を脅かすとお思いなら、それは違います」

「私の約束された地位、ですか。ふふ」

 エリーはくすくすと笑い手で口元を隠した。その表情の小さな変化に、ロアは目を瞬く。


「私はロア殿下の婚約者候補筆頭であり、順当にいけば、()()殿()()()私を選ぶという意味でしょうか?」

「おわかりですよね」

「ええ、理解しております。私は貴族令嬢の中で、地位も魔力も王家の嫁に相応しいですから」

「僕もそのあたりは理解しています。だから貴女が懸念するようなことは」

「でも、()()()私を選ばないでしょう?」

「……え?」

「随分と雰囲気がお変わりになりましたね。幼い頃より何度もお会いしていますが、面影がないほどですわ」

「どういう意味ですか?」

 エリーは溜息し、そして笑みを消した。突き刺さるような眼差しでロアを見つめる。


「幾度、貴方と接しようとも、素をお見せになることはなく、ずっと作り物のままでしたね。そんな御方と共に在らねばならぬと決められつつあることが、私にとってどれほど苦痛だったか、お分かりになりますか?」


 ロアは驚きに言葉を失った。

 いつも華やかな笑みを浮かべ、冷静に対応している令嬢。時に周囲を牽制するような毒を吐くが、貴族令嬢である以上、そういう事もあるだろうと思っていた。

 けれど眼前にいる彼女は、全く見たことのない知らない姿だった。


「親しくなれば情がわくかもしれないと思い、私なりに努力をして参りました。けれど、突然現れた者に貴方は興味を示し素の姿を見せている。この屈辱も貴方はお分かりにならないでしょう。私は貴方が嫌いです。今までも、これからも」


「ロア殿下!」

 学園長室へ向かった教師がこちらに戻ってきた。

 エリーの表情を見てぎょっとしたようだが、すぐに彼女から視線を外す。

「学園長がお会いになるそうです。……あとエリー嬢」

 彼は躊躇いがちに、エリーに話かける。普段と違う様子の令嬢に、声をかけていいか迷ったようだ。

「試験扉ですが、後日改めて試験を行います。それでもよろしいですか?」

 エリーが首肯を返したのを確認し、教師は開かない扉を片付けて去っていった。

 

「君も一緒に学園長室に行こう」

 ロアはエリーに片手を差し出すが、エリーは無言のままロアの手を一瞥し、体の向きを変え廊下を目指し歩き始めた。


 場の雰囲気が予想外の方向に向いている。

 リージは気まずく感じながら、共に付いて来ていたフレーゼの友人二人に向き直った。

「君たちは寮に戻っていてくれないか? もしかしたら義姉さんが戻るかもしれないし、瓶のことや他のことは、俺たちが対処するから」

 ユファーは頷き、ステラは涙目でリージを見上げる。

「リージ殿下、ごめんなさい……」

「それ義姉さんに言ってあげて」

 ステラは無言で頷く。リージはステラの行動が理解できた。その相手がフレーゼだったから、許せない気持ちがあるだけで、きっと逆の立場だったら権力にひれ伏していただろう。

 リージは二人と別れ、ロアとエリーの後を追った。



 廊下に出て、距離を取りながら先を歩くエリーの背を、リージは見るともなしに見つめる。

 細い肩。

 大きな魔力に耐えられる肉体とは、体つきで判断されるものではない。けれど、彼女の繊細な体躯は、大きな魔法を操れる肉体には見えない。


 ふと、エリーは左腕を抑え撫でた。制服の袖口から覗く手首に赤黒い何かが伝う。

「エリー嬢!」

 リージは驚き、声を発した。気安く腕を掴む訳にもいかず、小走りでエリーの前に立つ。

 彼女は困惑した表情でリージを見上げる。

「左腕を怪我しているのですか?」

 血が伝ったように見えたが、違うかもしれない。

「……っ!」

 エリーは目を瞠り、袖口を右手で覆う。

「ご心配には及びませんわ、リージ殿下」

「でも……不躾だとは思いますが、俺は回復魔法が得意です。念の為、見せてください」

「結構です」

 エリーはリージから逃れるように、一歩後ずさる。

「見せてください」

「女性の腕を見ようだなんて失礼ですわよ」

「失礼でも何でもいいです。どうせ、俺は平民の時期が長いので」


 リージはエリーとの距離をつめるべく、一歩踏み出した。逃れるようにエリーも後退し、そして彼女の背がロアにぶつかった。


「……エリー嬢は(かたく)なだね」

 ロアは苛立つ声音を取り繕うこともなく、エリーの左手首を掴み上げる。

「痛い!」

 とても令嬢にするような行動ではない。リージは仰天し、ロアを制止した。

 すぐ彼は手を放したが、エリーの制服の袖が捲れ、手首が露わになってしまう。

 エリーの手首は、赤黒く変色した皮膚がところどころ(ただ)れ、血が滲んでいた。


「……っ!」

 リージの橙色の瞳は困惑と心配の色を浮かべ、エリーを見やる。

「エリー嬢、見せてください!」

 再度告げられたリージの言葉に懇願が含まれていることに気づき、エリーは苦笑した。

「これは回復魔法では治りません。心配してくださり嬉しいですわ」

 彼女は小さく笑んでみせる。


 その様子を見ていたロアは動揺を隠せず、声を震わせた。

「まさか……君は」

 その反応に驚いたのはリージだ。何に気がついたのか分からないが、これほど敏感に反応している姿は今まで見たことがない。

「お気になさらず」

 エリーはロアに対しては言葉が冷たく、全く視線を合わせようとしない。

「気になるに決まっているだろう。君はなんてことを!」

 ロアは声を荒げた。しかしエリーは怯むこともなく、ようやくその瞳にロアを映した。


「全て、貴方が嫌いだからです。この選択を後悔などしておりません」

「それほど僕が嫌だったのなら、そう言えばよかったじゃないか!」

「……貴方は私の話を聞こうとしたことがありますか? ただの一度も、私の言葉が貴方の心に残ることもなかったでしょうに」


 ロアは愕然とした。

 ずっと、どの令嬢も同じ思惑で近づいてくると思っていた。そういうものだと割り切って接していた。

 次第に思い込みは強固なものに変わり、特に婚約者候補の令嬢たちに対しては、ありきたりの返事をして定型文のような会話を繰り返してきた。

 

 エリーが発する言葉が定型文であったとしても、彼女にはそのつもりがなく、ただ純粋に会話を楽しみたいだけだとしたら。

 その話題が、本当に話したい内容だったとしたら。

 彼女が発する言葉は相手に伝わることはなく、芝居の原稿を読み上げているような会話を、ずっと続けられていたとしたら。


 幼い頃から何年も繰り返され、その相手が婚約者になり、将来を共にしなければならない相手だとしたら。


「悪意はフレーゼに向けられたものではなく、全て僕に向けられていたのか……」

 ロアの気付きは、誰の耳にも届かなかった。


 エリーは再び先を歩み始め、リージはそれを心配そうに追いつつも、歩みを止めたロアを気にして何度も振り返る。

 こちらを振り返ることのないエリーの後姿。

 既に見限られていたのだと、ようやくロアは気づいた。

 

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