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冬の試験当日。
何故かフレーゼは閉じ込められていた。
落ち着かなくては。冷静でいないと事態が悪化するかもしれない。
フレーゼはその場に腰を下ろし、膝を抱え顔を伏せる。
一体何が起こったのだろう。
試験会場に向かう途中、廊下の先からこちらに歩くエリーと遭遇した。
正直不快だったが、丁寧にお辞儀をして何か言われる前に早々に立ち去ろうと思った。
けれど、気がついたらここにいた。
透明な壁が湾曲し、向こう側の景色が歪んでいる。まるで魚眼レンズのようだ。
辺りの異常に気がついた時、フレーゼは大きく叫んでみたが、どこからも反応は返ってこなかった。
動き回るのは危険な気がして、その場を離れられない。
どこにいるのか分からない上に、周囲を眺めているだけで酔いそうになる。陰鬱な気持ちが胸に広がり苦しい。
冬の試験はパートナー無しで受験する。
王子二人はともかく、友人がフレーゼの姿が見えないことに気を留めないはずがない。
きっと彼らの耳にも入り、また助けてくれる。確信に近い気持ちを抱いていることに、フレーゼは自分に驚いた。
こんなにも人を信じることが出来るなんて。
同時に、またしても迷惑をかけてしまう事実に嫌気が差す。助けられているばかりで、彼らに何かを返せているのだろうか。何か役に立てているのだろうか。
「はあ……」
この場所から、いつ出られるのだろう。
この場所で、どのくらい生きていられるのだろう。
そろそろ捜してくれているだろうか。意識がある分、恐怖が大きい。
前回神殿で危険な目に遭った時のように、気を失っていた方がまだ気楽だったかもしれない。
フレーゼは悶々とする思考を止められず、頭を抱えた。
冬の試験のため、広間に集まっていた生徒たちはざわついていた。
王家の庇護を受け、王子二人のお気に入りである女生徒が姿を消した。
教師たちは生徒たちに、順次、試験扉に入るよう伝えつつ、彼女のことについて口にすることを禁止した。そして、内々に王子二人に伝えられる。
すぐにロアとリージは、教師たちと共に学園内を走り捜したが一向に見つからない。
二人は教師たちと分かれ、広い庭園を捜しながら、ふと寮へ続く小道で足を止める。
「あとは女子寮だけだな……」
リージは渋面を浮かべ、女子寮を見上げる。
さすがにここは捜しづらい。貴族令嬢も暮らす寮だ。無意識のうちに後回しにしてしまった。
「殿下。女性教師やフレーゼの友人たちに、一緒に捜してくれるよう頼もう」
リージの提案にロアは首肯を返し、女子寮を見つめる。
「でも……ここにはいない気がする。実は学園の何処からも、フレーゼの気配がしないんだ」
「どういうことだ?」
リージは焦りからか言葉遣いが荒くなっている。
いつも素で話してくれたらいいのに。ロアはそう思いながら言葉を続ける。
「何処か別の空間にいるのかもしれない。先生の魔法の部屋のような……」
ロアが思案していると、一人の教師が走り寄ってきた。
「殿下、そちらはどうでしたか!」
「見つかりません。残りは女子寮だけなので、女性の教師と、あと入寮の許可を下さい」
「は、はい」
「そうだ。フレーゼの友人二人を知りませんか? 彼女たちもフレーゼを捜しているのですか?」
「それが……。彼女たちもフレーゼ嬢のことは聞いていると思うのですが、二人揃って姿が見えなくて」
教師は額の汗を拭いながら呻く。
「と、とにかく女子寮に入る準備をしてまいります!」
彼はお辞儀をし踵を返した。その背中を見つめながら、リージは眉を寄せる。
「どういうことだ? 義姉さんは馬鹿だけど、人を見る目はあると思う」
「リージ、けなしてるのか褒めてるのかどっち」
ロアは再び女子寮を見上げる。
「アカデミー全体に結界が張られているから、空間移動みたいな大きな魔法は使えないはずなんだ。もし別の空間にいるとしたら、そんな魔力を操れる人物は限られる」
「誰なら可能なんだ?」
そう問うリージにロアは視線を向ける。
「アカデミー内だけで? それともこの国で?」
「あの女は?」
リージは質問を直接的なものにしたようだ。誰のことを言っているのか伝わったが、ロアは首を横に振った。
何故彼女が、あからさまな悪意をフレーゼに向けるのか理解できない。
平民が王家の庇護を受けていること自体が、気に入らないのかもしれない。けれど侯爵令嬢である彼女は、ロアの婚約者候補筆頭だ。
彼女自身、魔力持ちであり、婚約者としては彼女以外に相応しい女性もいない。アカデミー卒業後、正式に彼女が婚約者として選ばれることは明らかだ。
だからこそ、フレーゼの命を脅かす攻撃をしかける意味がない。
「ずっと考えていたんだ。フレーゼは攫われた時に、エリー嬢を目撃したと言っていた。でも僕たちは屋敷で彼女と挨拶を交わしている」
リージは頷き返す。
あの日、エリー嬢と同じ空間にいた頃、火の手が上がる瞬間を侯爵領の屋敷で共に見ていた。
「もし侯爵家とフレーゼの実家、両方に存在することが出来るなら、それは魔法でしかない。でもそれ程の魔力を彼女は持っていない」
「あ」
リージがロアの後方を見て声を出した。ロアが振り返ると、フレーゼの友人二人が女子寮からこちらに駆けてくる。
「二人とも探していたんだ! 義姉さんを知らないか!」
「殿下! お話があります!」
ユファーは王子二人の前で足を止め、隣に立つステラの背を押した。
「ほら、大丈夫だから」
「……殿下! ご、ごめんなさい!」
ステラはボロボロと涙を零し、胸の前で組む手を震わせる。
「エリー様に、フレーゼの部屋に瓶を置くよう言われたんです。い、意味が分からなくて! でも瓶を置いてから、フレーゼがいなくなってしまって……! フレーゼの部屋を確認したのですが、瓶はそのまま置いてあって、あの」
リージは意味が分からず困惑した表情を浮かべ、ロアと視線を合わせた。ロアは眉を寄せながら、ステラに問い返す。
「中身は?」
「か、空でした。でも何か、仕掛けがあったのかもしれなくて……ああ、どうしよう」
「何故それに君は従ったの?」
ロアの声音が冷たくなった。ステラは身を震わせるが、ユファーが庇うように間に立つ。
「彼女は貴族の令息と婚約が決まっています。下位の者が高位の者に脅され従うしかないこと、為政者ならばお分かりになりませんか?」
ユファーは怯むこともなく、ロアを真っ直ぐ見つめた。
「破談を恐れたってこと?」
「彼女達は愛し合って婚約しています。愛する相手の家門と友人を天秤にかけられ、悩まなかったはずがありません」
ユファーがひたすらに友人を庇う姿に、ロアは苛立った。けれど、その言い分も理解できるが故に、言葉に詰まってしまう。
そもそもフレーゼは平民だ。目をかけすぎると非難が生じるのは当然だ。
睨み合う二人の間に、リージが言葉を挟む。
「そんなことよりも、義姉さんの部屋にその瓶を確認しに行こう。何か分かるかもしれない」
リージがそんなことと言いのける姿に、ロアとユファーは目を剥いた。彼にとっては、フレーゼさえ見つかれば他はどうでもいいのだろうが、言い方が直情的だ。
ロアは呆れつつ、彼女たちに視線を向けた。
「案内してくれる? 男二人じゃ女子寮に入れなくて、困っていたんだ」
「はい!」
皆で女子寮の廊下を駆けていく。建物の作りは男子寮と全く同じだ。生徒たちは冬の試験に行っているので、人の気配は無い。
フレーゼの部屋の扉を開くと、机の上に一つ瓶が置いてあった。
綺麗に片付いた室内に入り、ロアとリージは真っ先に机の上の瓶を覗き込む。蓋は無く、中は空だ。
ロアは試しに指を入れてみたが、当然、何も無い。
「もしかしたら、その中にいるのかと思ったのですが……」
ユファーの言葉は魔法の可能性を示唆していた。
リージは瓶を手に取ってみるが、ただの瓶にしか見えず、瓶をロアに手渡した。
彼は眇めるような瞳で瓶を見つめ、小さく溜息をつく。
「僅かに魔力の残滓が残っている……けど、僕はまだ魔力で個人を判断できないんだ。もしこれが何かしらの魔法がかかっているとして、僕に確認できないレベルの魔法ということだね」
リージは少し前に交わした、ロアとの会話を思い出した。
別の空間にいるかもしれない。けれどそれは大きな魔力を必要とし、それが可能な人間はこのアカデミーに殆どいない。
「本当に、エリー嬢からこれを置くよう頼まれたんだよね?」
ロアがステラを見やると、彼女は怯えながら頷く。
「隠す気もないのは、責められても言い逃れができると確信しているからだろうね。彼女の魔力では成し得ないことだから」
ロアを見つめながら、リージは思いついたことを口にした。
「共犯がいるのでは?」
「誰が、何のために? フレーゼを排除したい人間ってこと?」
王子二人は疑問を疑問で返し、揃って首を傾げてしまう。
考えれば考える程、意味が分からないのだ。
「排除しようとしていないのかも」
ユファーは感情の読み取れない、凪いだ赤い瞳を王子二人に向ける。
「強い魔力を持つと、色々屈折しやすいですから」
リージはその言葉に身を固くした。
同じような会話を、ずっと以前に聞いた気がする。
「とりあえずエリー嬢に確認しよう。試験の扉に入られたら聞けなくなる!」
リージは動揺する思考を振り払うように、踵を返し部屋から出ようと動く。ロアたちもそれに続いた。




