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轟々と疾風が頬をかすめた。
フレーゼが固く閉じた瞼を持ち上げると、リージの琥珀色の瞳と目が合った。彼はフレーゼを庇い、魔物に背を向けている。
「リージ……」
魔物の瞳の周りに赤い光が揺らめいている。閃光を出したせいか魔物は動きを止めている。
(まさか、私を庇って攻撃を受けたの……?)
フレーゼは震えが湧き上がり、リージから目を逸らせない。
「痛い!」
彼は苛立ったように、持っていた剣を停止している魔物に投げつけた。
剣はリージの魔力を纏い、まるで意思を持つかのように動き、大きな瞳に切っ先を突き立てる。
花火のように光が爆ぜ、魔物は姿を消した。
そして光の粒と共に、青い箱が天井から落ちてきた。この箱を開ければ、試験で負った傷が治る。
フレーゼは走り、箱を開けた。
前回同様、青い光が室内に飛び散り、箱の中は巻かれた羊皮紙のみになった。
光が体に触れ、痛みを消し去っていく。
リージは床に座り込んだまま、深く息を吐いた。
「だ、大丈夫、リージ!」
フレーゼが慌ててリージの背中を確認するが、怪我や服の損傷、全てが元に戻っていた。
無かったことになると知っていても、肝が冷える。
「……疲れた」
リージはゆるゆると立ち上がり、剣を鞘に戻した。そして離れた場所に落ちていたフレーゼの剣を拾う。
「義姉さん」
フレーゼは剣を受け取り、鞘に戻しながらリージを見た。
子供の頃よりもぐんと大人びた横顔は、綺麗だけれどどこか憂いを帯びている。
どうして忘れていたのだろう。
小さい頃よく見ていた表情だ。感情を押し殺し、絶対にこちらを見ようとしない、この横顔を。
彼はよく一人で泣いていた。
たった一人の母親を亡くし、さほど交流があった訳じゃない近所の家庭に引き取られ、そんな環境の変化に戸惑っていたのは彼も同じだった。
愛情をかけようとするフレーゼの両親のことも、他人がどうしてこんなにも親切にしてくれるのかと、信じられなくて不安だったはずだ。
前世で、自分がいつも感じていた感情を、同じように彼も抱いていただろうに、どうして気付かなかったのだろう。
どうしてリージを少しも理解しようとせず、疎んでいたのだろう。
生まれ変わり、両親に愛される喜びを知った。
けれどリージが現れ、ずっと独り占めしていた愛情を横取りされた気がした。
だって、ずっと注がれていないと安心できない。ずっと自分だけを見てくれないと不安になる。
自分を愛してくれているなんて、信じられない。
「リージ。庇ってくれて、ありがとう。私、何も出来なかったね」
フレーゼは申し訳なくて、自分の頬を掻きながら詫びる。
リージは尚もこちらを見ようとしない。
「別に期待していなかった」
なんて失礼な言い草だ。ついムッとしたが、フレーゼは表情に出さないよう心の中で深呼吸をする。
「ねえ、リージ。私なんでリージのことが嫌いなのか分かったわ」
「はあ?」
「ずっと、リージに嫉妬していたの。両親の愛情を取られた気がして、嫉妬していた。リージは要領もよくて賢いし、だから嫉妬していたの」
「何回、嫉妬していたって言うんだよ」
リージは心底不愉快そうに眉を寄せる。その姿がおかしくて、フレーゼは口を抑え小さく笑う。
「本当だ。言いすぎね」
互いの視線が絡み揃って吹き出し笑ってしまう。
「知ってるよ。昔も今も、義姉さんが俺に嫉妬していることくらい」
「なんか、色々ごめんね」
「うわ。気持ち悪っ」
「……返事おかしくない?」
「いや、おかしいのは義姉さんだろ。なに素直に謝ってんだよ。さっき頭打ったのが治ってないのか?」
「治りました! そもそも頭は打ってないから!」
フレーゼは憮然としながら、ぶつぶつと口内で文句を言う。
そんなフレーゼの姿に、リージは苦笑し手を伸ばした。優しくフレーゼの頬に触れる。
「家族なんだから、嫉妬して喧嘩もするだろ」
リージの蜂蜜色に濡れた瞳がフレーゼだけを映す。
この瞳に見つめられるのは初めてじゃない。瞳の奥に孕む色をフレーゼは知っている。
でも気付かないふりをした。
そしてリージもそれを望んでいる気がした。
夏の試験が終わり、数日後。
フレーゼは中庭のベンチに腰かけ、夏の陽射しを遮る木陰で寛いでいた。
腕を空に伸ばし伸びをする。
試験は二つ終了した。残すところ、あと一つだ。
全てが終わったら学園長に会うことが出来る。
ずっと望んでいた日が近づき、フレーゼは胸の高鳴りを抑えられない。
竜花は手元にない。手に入れないで嘆願したら、無理だと断られるかもしれない。
しかし、あれほど消したかった記憶だが、最近はそこまで消したいと思わなくなっていた。
自分の心境の変化に驚くが、それでも前世の記憶に、ざらりとした痛みを感じるのは確かだ。
こんな気持ちを誰かに相談したい。そう思い、すぐに眼裏に浮かんだのは、フレムの姿だった。
城にいれば、あの飄々とした魔法使いに相談が出来るのに。
以前アカデミーで会ったような偶然がないだろうか。
いや、また噂になっても困る。
(あ、寮の部屋に、ポンッと魔法の扉を出してもらえばいい!)
ふと思いついた考えだったが、すぐに無理だと思い直し首を振る。
この学園には特別な結界が成されている。きっと大きな魔法は使えない。
それならフレムに手紙を書こう。もしかしたら、機会を作って会ってくれるかもしれない。
一刻も早く、積もりに積もった話を聞いて欲しい。
フレーゼは決意をかため、寮に戻るべく立ち上がった。
「待った! もう行くの?」
ベンチから腰を浮かせたところで、小走りでロアがやってくる。
「え、殿下?」
「フレーゼがいるのが窓から見えたんだ」
そんな慌てて駆けてきましたという姿を見たら、立ち去りづらい。
「何か悩んでいたの? 表情がころころ変わっていたよ」
「そ、そんなところ見てないでください!」
フレーゼは恥ずかしくなり頬を抑え、再びベンチに腰掛ける。ロアはその隣に腰かけた。
「あの、殿下」
「二人の時は名前で呼んで」
「う」
わざと甘い声音で言わなくてもいいじゃないか。フレーゼが言い淀んでいると、クスクスと笑われてしまう。
「転移の魔法って難しいですよね?」
「そうだね。このアカデミーだと魔法使いである教師二人と、僕しか使えないと思うよ」
「ですよね……」
「もしかして、何処かに行きたい?」
「……お城に」
「ん?」
ロアは首を傾げ、すぐに思い当たったようだ。ああ、と声をもらす。
「お会いするのはどうかと思うな」
「そう、ですよね」
「僕たちはアカデミーに在籍しているし、アカデミー外の魔法使いに会うなんて、教師に不満があると受け止められてしまうよ?」
「はい……」
「それに君は彼と噂にもなっているし、控えた方がいいと思う」
それを言われると何も言えなくなる。
色々噂され、その度、ロア含め友人たちに庇われてきたのだ。
「何か相談があった? 僕が相談相手じゃ頼りない?」
「いえ! とんでもない! ただ」
「ただ?」
「そう堂々と話す内容でもないので……」
「ああ、もしかして」
何について考えているのか、共犯として画策した王子は気がついたようだ。
「もう要らないかなって、思い始めてるんです」
フレーゼの言葉にロアは目を丸くした。意外だったようだ。
「迷っている?」
「……はい」
ロアは、フレーゼが深く話そうとしない様子から、きっと前世で色々あったのだろうと思っていた。
例えそれが前世であっても、体験し悲しんでいたのは同じ人間であり、彼女自身だ。
「前世を遠い過去だと、俯瞰して考えられるようになってきた気がします。まだ……少しずつですが」
「それは、今が満たされているからかな?」
ロアが優しい微笑みを浮かべ、こちらを見つめている。フレーゼは頷き返す。
「そっか。僕もフレーゼの心を支える一助になれていたら嬉しいな」
「もちろん! 殿下も……!」
「名前で呼んで」
「う、ロ、ロア様も、私を家族のように慕ってくれている気がして……嬉しいです」
「うん。気がするんじゃなくて、その通りだよ」
美少年の微笑みが、また耐性の低い一般人を殺しに来る。笑顔が眩しい。
フレーゼは目がくらんだ気がして額に触れる。
そして、第二試験でリージに言われた言葉を思い出した。
「リージも私を家族だと言ってくれて、少し距離が近づいた気がします。私、リージとはすぐに喧嘩になっちゃうから……」
フレーゼの言葉に、ロアは目を丸くした。そして内心でリージに同情してしまう。
「そっか。よかったね、フレーゼ」
「はい!」
よかったのかな?
ロアは首を傾げたくなったけれど、深く考えるのを放棄した。




