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 □ □ □  □ □ □


「あなたを産んでよかった。ずっと覚えていてね。あなたが大好き、愛してる」


 幼い私は、腕の中で温もりに微睡んでいた。

 覚えているよ。

 ずっとあなたの言葉を信じてる。


「あんたなんかいらない! 死ねばいいのに!」


 どうして、こんなことになったのだろう。

 瞼に焼き付いたかのように、そう叫ぶ貴女が忘れられない。

 そうだね。なぜ私は生きているのだろう。


 何度ぶたれても、何度酷い言葉を投げつけられても、ただ覚えていた。ずっと信じていた。


 あなたが私を好きだって言ってくれたこと。



 □ □ □  □ □ □



 ごぼごぼと口から息が漏れていく。

 フレーゼは慌てて口を両手で抑えた。


 意識が飛んでいたせいで、口から空気が出てしまった。

 必死に目を開き、フック穴を探し視界に捉える。掌に、何度も練習した光を発現させた。

 今なら伸ばせる。

 フレーゼは流れに逆らいながら、手を伸ばした。光の縄がくねくねと伸び水中を進んで行く。そしてフック穴に巻き付いた。

 光の縄を強く握り、縄を伸縮させる。フレーゼの体は伸縮の勢いで水面に飛んだ。そのまま柵が上がった部屋の床に、弧を描くように叩き落とされた。


「はあ、はあ、はあ……げほっ」

 フレーゼは全身を強く打った痛みに呻いた。

 息も絶え絶えで、水を飲んだせいで咳が止まらない。肺が痛い。

 ずぶ濡れの体を丸め、その場で短い呼吸を繰り返す。


 竜花を採りに行った時も、こんな風に全身を強くぶった。

 こんな経験、二度もしたくない。

 痛い。

 痛いのは体なのか、前世の記憶なのか。


「フレーゼ!」


 ロアが駆け寄り、フレーゼの体をそっと抱き起こした。

 二階のレバーを固定して一階に来たのだろう。さすがだ。


「何があった! どこが痛む?」

「大丈夫です。そんなことより箱を」


 フレーゼは部屋の中央で青く光る箱を指差す。腕を上げることが辛く、顔を顰めてしまう。

 ロアは指差した先を見ることもなく、険しい表情を浮かべた。


「そんな物どうでもいい! 今は怪我がないか聞いているんだ!」

「…………っ!」


「なんでいつも君はそうなんだ! 大丈夫じゃない時に、大丈夫って答えるな!」


 ロアは苛立ちを隠さない。彼の黒い双眸は、様々な感情を宿し揺れている。


「どうして殿下は、いつも私を助けてくれるんですか? 頭では理解しているんです。殿下は私を友人だと思ってくれていて、それで助けてくれるんだって」


「フレーゼ……?」


「でも、分からないんです。信じられないんです……」


 フレーゼは涙が溢れて止まらなくなる。ぼろぼろと嗚咽まじりに泣いてしまう。


「私なんて助けないで下さい。親にも嫌われていたのに、信じられない。どうして私なんか」


 全て過去であり、前世。今の自分とは関係ない。

 それなのに、胸奥に澱のように溜まる記憶が、辛くてやりきれない。


「……フレーゼ、少し待っていて」


 ロアはおもむろに立ち上がり、青の箱に近づいた。箱を開けると、紐の巻かれた羊皮紙が出てくる。

 そして青い光が舞った。


 光が傷ついた体に触れ、次第に痛みが抜けていく。

 フレーゼは驚きで涙が止まった。

 髪や制服も全く濡れておらず、綺麗になっていた。

 怪我もない。

「これは幻を相手にしている試験だから、負った傷もこうすれば治る。もっと早く気付けばよかった。僕も冷静じゃなかったね」

 ロアは苦笑した。そして膝をつき、フレーゼと視線を合わせる。


「フレーゼ。君が不安に思うなら、何度でも言葉にして伝えるよ。僕は君を信じている。だから君を助けたいし、君を守りたい」

「殿下……」

「だから僕を頼ってほしいな?」

 ロアの言葉に、フレーゼの頬が赤く染まる。

「で、殿下、なんか、あの」

「うん? どうしたの?」


 ロアはいつもの甘い笑みで、フレーゼを見つめた。彼は跪いているせいで、ますます童話の王子様のようだ。


 彼は指の背でフレーゼの頬を撫でる。

「また、辛いことを思い出したの?」

 フレーゼが首肯できずにいると、ロアは寂しそうに笑む。


「……前世の私は、幼い頃から、母の酷い折檻を受けて育ちました。たまに愛してると言ってくれて、その言葉だけを信じていて……それで」

 フレーゼは喉が塞がったように言葉が出なくなった。

 深く息を吸い、吐く。

「思い出したくなかった。こんな記憶、忘れたい」


「記憶があるから、僕が好きな疑り深いフレーゼも、怖がりなフレーゼも存在するんじゃないかな?」


「でも前世の私なんか忘れたい。思い出すほど、今の私が、おかしくなっている気がして、……怖い」


「……できれば、前世の君を否定しないであげて欲しいな」


 ロアは言葉を選びながら、真っ直ぐな眼差しで告げた。


「君が想いを寄せてあげないと、前世の君は否定された子で終わってしまうよ。今の君が幸せなら、そうできないかな?」

「……幸せです。みんな大好き。人も世界も、みんな」


 前世を思い出すたびに、心が()と結びついて、現世の幸福が消えそうな気がしていた。

 頭では分かっていた。

 過去には戻らない。戻れない。だから、怖がることも不安に思う必要もないのだ。


「あ! 箱を開けたから、魔法が解ける! フレーゼ、急いで部屋を出よう」


 ロアは消え始めた天井を振り仰ぎ、手を差し出した。フレーゼは一瞬躊躇してしまったが、そっと手を重ねる。

 彼は眉尻を下げ、笑んだ。


 なんて嬉しそうに笑うのだろう。


「ロア様、嫌な態度をとってごめんなさい。いつも、ありがとうございます」

「……!」

 ぱっとロアの頬が紅潮した。素早く顔を背けられる。

「君は、たまに本当に憎らしいね……」


 ロアが扉を開くと、背後で光が爆ぜた。今まで存在していた空間が全て白に戻ってしまう。

 扉の外で待機していた教師に羊皮紙を渡し、広場で待ってくれていた友人の元に戻る。


「フレーゼ、目が腫れているわよ。なに、泣いたの? そんなに大変だったの? みんな試験内容が違うって聞いたけど、殿下と一緒だから難易度が上がったのかしら」

 ユファーはフレーゼの頬を両手で挟み、目元を凝視している。

「フレーゼ、寮に戻って目を冷やそう?」

 ステラが心配そうに、こちらを見やった。

「うん、二人とも待っていてくれて、ありがとう」

「何言ってるのよ。逆の立場だったら、貴女も待ってるでしょう?」

 フレーゼは目を丸くし、相好を崩した。

「うん、そうだね」


 友人たちと寮に戻ろうと思ったが、ふと立ち止まり振り返る。

 ロアが離れた場所からこちらを見ていた。ぺこりとお辞儀をすると、彼は表情を和らげ笑みを返す。


「フレーゼ、行こう」

 ユファーに促され、フレーゼは寮へ走った。


 記憶を取り戻したばかりなのに、こんなにも暖かい気持ちになるなんて。

 前世で一人泣いていた幼い自分が、ロアに肯定され抱きしめられたような心地がした。


 改めて、今を生きているこの世界が好きだと思う。


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