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肌がべとつく夏がやってきた。いよいよ、夏の試験当日だ。
フレーゼの試験パートナーはロアだ。
試験は魔法の扉の中にある。フレムの魔法の部屋のような扉が1ペアにつき1つ用意されており、その中に各々に適した試験がある。
共通項は、室内に置かれた青い箱から、羊皮紙の巻物を取り出すと試験が終了となることだ。
学園の中央広場に扉がずらりと並んでいる。生徒が扉を開け中へ入ると、扉が消える。
決められた受験番号順に並び順番を待つ。そして二人の名が呼ばれた。
扉の重々しい雰囲気に緊張してしまう。
「フレーゼ、大丈夫?」
ロアが気づかわしげに言葉をかけてくれるが、視線を合わせられない。
あの日以来、どうしてもロアの顔をまともに見られない。話しかけられても、脱兎のごとく逃げ出してしまう。
リージに対しても同様だ。
義弟はフレーゼに気を遣わないので、フレーゼが逃げると追いかけてくるが、追うことのできない女子特有の場所に逃れ難を逃れている。
フレーゼはロアに頷きを返し扉を開く。二人が室内に入ると、扉が霞のように消えた。
眼前に広がる真っ白な世界は、生徒が入室すると色づき始める。
そこは天井の高い、吹き抜けの回廊だった。
フレーゼは驚きに目を見開く。いい加減、慣れたと思っていたが、魔法とは本当に色々なことができるのだ。
中央に円柱の何かが天井高く伸びていて、壁に沿う螺旋階段と通路を渡し繋がっている。
円柱に柵の下りた扉が見える。もしかしたら各階に部屋があるのかもしれない。
フレーゼはまず初めに、一階エリアをぐるりと見渡した。
円柱一階部分、柵の下りた入り口を凝視する。
目を凝らすと柵の先に広い部屋があり、その奥に青い箱が置かれていた。
しかし柵の下りた入り口の前を、深い溝がぐるりと囲んでいた。城を守る堀のような溝だ。
フレーゼは溝の近くまで寄り、左右を見やる。
溝の端に格子の柵がはめられた、給排水の大きな穴がある。ここから水が流れてくるのかもしれない。
「フレーゼ、上も見てみよう」
フレーゼは床に張り付くように水のない水路を眺めていたが、突然話しかけられたことに驚き、顔を上げた。
ロアとばちりと目が合った。
顔が強張った気がしたが、首肯を返し、ロアの後ろに続き階段を上る。
しばし階段を上っていくと、最初の通路が現れる。中央の塔と繋がっているが、先に扉はない。
もう一つ上の階まで上がる。二番目の通路と繋がっている通路の先には、一階と似た部屋があった。
ここは柵が下りていない。
部屋の中央に、怪しいレバーが設えられている。室内に入り部屋を見回すが、レバー以外何もない。
「これを引けばいいのかな」
ロアは試しにレバーを引いてみた。ぐっと力を入れるがびくともしない。
彼は眉間に皺を寄せ、あたりを見回す。
何度見ても他に何もない。ロアは嘆息した。
「このレバー、魔力を込めて引けば動くかもしれない」
「……どちらがやりますか?」
「もちろん僕が引くよ」
わざわざ聞く必要なんてなかった。
魔力の絶対量がフレーゼとロアでは違うのだ。この優しい王子は自分がやると言うに決まっていた。
それを分かっていたのに、わざわざ確認するように聞いて、自分はなんて卑怯なのだろう。
ロアの手に魔法の光が集まる。彼がレバーを引くと、階下でゴゴンと重たい音が響いた。フレーゼは通路に出て階下を見下ろす。
一階の柵が上がり、入り口が開いている。
直後、また別の場所から重たい音が響いた。フレーゼが音のした方を見やると、入り口前の溝に水が流れ始めていた。
ロアは魔力を込めた手を離した。レバーを覆っていた魔力が霧散し、レバーは元の位置に戻っていく。
一階の柵が再び下りた。同時に水の流れが止まり、水路の底にあった排水溝から水が抜けていく。
「また入り口の柵が下りた?」
ロアがフレーゼに尋ねる。フレーゼは一階を視認して、頷いた。
「どうしようかな……」
ロアは長い指でレバーを撫でた。何か思うところがあるらしい。
「これさ、フレーゼでは引けないと思う」
「……固いですか?」
「固いというか、結構魔力を込めないと動かない仕組みのようなんだ。その上、このレバーを引いたまま固定するとなると、重ねて魔法を使わないといけない」
「じゃあ私は一階で待機して、柵が上がったら、すぐ部屋に入ってみますね」
「うん、それはそうなんだけど。一階も何の仕掛けがあるか分からないよ。とりあえずこれを固定したいな」
ロアはぶつぶつ言いながら熟考している。
(どうしよう。なんか凄く落ち着かない……)
ロアは何も悪くない。むしろ親切に接してくれているのに、汚い気持ちばかりが胸の中に広がっていく。
綺麗な存在を前に逃げ出したくなる。
「大丈夫です。とりあえず私は一階に行きます。殿下、レバーお願いします!」
フレーゼは言うだけ言って、ロアに背中を向け駆けだそうとする。
「待って!」
慌てたロアがフレーゼの腕を掴んだ。
「もう少し考えた方がいい。何があるか分からない」
「……でも」
フレーゼはロアから顔を逸らし、腕を掴む手をそっと外そうとする。しかし、ぐっと力を込められてしまう。
「そんなに僕といるのが嫌なの? 目も合わせたくないくらい?」
「殿下、腕が痛いです」
「……好きにしたらいいよ」
そっと、腕を掴んでいた手が離れた。
「下に行きますね」
フレーゼは階下に走った。
一階に着き、フレーゼは柵の下りた入り口を見つめる。その入り口を守るように深い溝が囲んでいる。
レバーを引き水が流れる前に、この溝を渡ればいいのでは?
フレーゼは溝に足を伸ばしてみる。
バチリと靴のつま先に光が爆ぜた。
「いたっ!」
ビリリとした! ビリリと電気が走った。
フレーゼは狼狽えながら、水路の溝を隅々まで見つめる。
「あ、もしかして」
溝の上部に手を伸ばすと、虚空がフレーゼの指を弾いた。
フレーゼは痛みに顔を顰める。
水面にあたる高さに何かがある。水が流れるとそれらが流され、水路を渡れる仕組みだろうか。
ならば、やはり水が流れている状態の溝を泳いで渡るしか方法がない。
ふとフレーゼは入り口の柵の下に、何かがあることに気がついた。
溝の壁に輪になったフック穴が取り付けられている。
あのフック穴に縄をひっかけ、手繰り寄せながら水路を渡れば、水が流れてきても移動ができそうだ。
再び周囲を見回し縄を探すが、そんな物はない。
「あ、そうか……」
魔法で縄を作ればいい。
これは魔法の試験だ。捻りなどなく、ただ魔法を工夫して使い、箱を開ければいいだけなのだ。
ガコンと大きな音が鳴った。
ロアがレバーを引いたようだ。柵が上がり、溝に水が溢れ始める。
瞬く間に溝が水で満たされるが、水の勢いが止まらない。右から左に流れ続け、ドドドドと聞こえる程だ。
「この流れを渡るの……?」
正気?
水面に指を入れると、次は弾かれなかった。やはり水で流される仕組みのようだ。
フレーゼは意を決し、足を水路に入れた。冷たい水に震える。両足を入れ、足裏がぎりぎり底に付くと思ったが甘かった。
予想以上に流れが速い。体が藁人形のように力無く揺らめき、流されてしまう。
(息が……!)
フレーゼの口からゴボゴボと空気が抜けていく。
そもそも、フレーゼは水が苦手だ。それをロアに伝えることは憚られた。
自分一人でも何とかできると、半ば意地になって水に飛び込んでいた。瞬く間に、目視できていたフック穴を通り越し流されていく。
とにかくフック穴に縄さえかければ、後はどうとでもなるはずだ。フレーゼは、魔法の縄を顕現させようと、体の奥に意識を向ける。
刹那、水の流れが強くなり、視界が泡と共に白く染まった。




