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 リージが戻ってきたのは夜も更けた頃だった。フレーゼは義弟を見て驚く。

 彼は顔に疲れを滲ませ、そして眉間の皺が深い。


「だ、大丈夫?」


 思わず気遣ってしまう程に顔色が悪い。


「別になんでもない」


 態度の悪さにむっとしたが、ここはお姉様らしく黙っておこう。

 リージが上着を脱ぐと、すかさず侍女が受け取り部屋を出て行く。小さく嘆息したリージは口を開いた。


「俺の魔力が想定より強そうだから、その関係の話を陛下としてきた」

「へえ! あの人の言う通りだったんだね」


 あの人とは突然現れたあの不審な魔法使いのことである。


「私、リージと長く一緒にいたと思ったけど、魔法が使えるなんて気づかなかったな」

「魔力があることと、魔法が使えることは別の話なんだ」

「へ〜。じゃあ、お父さんと沢山話が出来たんだね」


 わざと父という単語を使うと、リージの顔に不快感がにじみ出てきた。


「義姉さんはこんな時間まで起きてて平気なのかよ。お子ちゃまだからいつもならとっくに寝てるだろ」

「お子ちゃまって言うな!」

「事実だろ」


 リージが何回目か分からない溜息をつくと、侍女が入浴の準備が出来たと伝えに来た。彼はそれ以上何も言わず部屋を出て行った。

 確かに眠い。フレーゼは目をこすりながら、寝室に続く扉を開いた。

 天蓋付きのベッドが部屋の端に左右一つずつ置かれている。大人ではないが、そこまで子供という年齢でもない。実家でもリージと同室だったが、そろそろ部屋を分けようと言われていた。

 それがなぜ部屋数に困っていないだろう王宮で、奴と同室になってしまうのか。

 そこまでお姉様を慕っている義弟だっただろうか。

 不思議だったが、眠るときくらい家族の気配を感じていたいのかもしれない。そう思うことにした。

 そんなタイプには全く見えないけれど。


「……今日は疲れた……」


 いそいそとベッドに潜り込むと、頭の中が重たくなっていく。あ、寝る。そう思ったのは一瞬で、フレーゼはすぐに深い眠りに落ちた。




□ □ □   □ □ □


「クリームパンがいい」


 そう告げる私の言葉に誰かが笑った。


「いつも同じものばかりで飽きるだろ。たまには違うのにしろよ」


 たまたま目の前にあったクロワッサンを誰かが指差す。確かにクロワッサンは美味しいけれどそれの気分ではない。

 私は指差す誰かに聞き返した。


「●●は、何のパンが好き? 私は……メロンパンにしようかな」

「俺? うーん、そうだなあ……」


 誰かが私の隣で首を傾げ、上の段に並ぶパンを見つめトングを伸ばした。


「これだな。林檎パン」


 相手の顔がはっきりと見えない。

 けれど楽しそうに笑っていることは伝わり、つられて笑ってしまう。


「かわいいね~。お子ちゃまみたい」


 そう笑う私に誰かが恥ずかしそうに言い返している。

 どうしても顔が見えない。

 あなたは誰?


□ □ □  □ □ □



「義姉さん、おい、義姉さん!」


 聞き慣れた声が呼んでいる。

 フレーゼが重たい瞼を持ち上げると、こちらを見下ろしている人物と目が合う。


「……リージ」

「起きたか? 寝言ひどすぎるぞ」


 ベッドの端に腰かけて覗き込まれていたようだ。

 窓から明るい陽射しが差し込んでいる。


「先に行ってる」


 リージは着ていた服の襟を直しながら、部屋を出て行った。食事は隣の居間でとることになっている。

 もっと微睡んでいたかったが、フレーゼは手早く顔を洗い、タオルで拭きながら窓の外に視線を向けた。

 広い庭園が見え、生い茂る緑がきらきらと輝いている。

 その光景を覆う様に大きな青空が一面に広がり、広大な敷地にいることがよく分かった。


 昨日のようなドレスを着るわけではない。それでも実家で着ていた服よりも上質で装飾の少ない服を黙々と着ていく。

 この年齢でも貴族は着替えを侍女に手伝ってもらうらしい。

 城に来たばかりの頃、リージの着替えを手伝うために侍従が何人も配置されていた。それら全てが煩わしかった彼は、侍従を一人にしてくれるように頼んでいた。


 平民であるフレーゼにも侍女がついたが、そもそも王宮の侍女といえど、下級の貴族出身者が多い。平民のお世話などまっぴらなのだろう。あたりが強く、正直心が傷ついた。それならば侍女などつけてほしくない。そう思っていたところ、リージが察してくれて自らの侍従に話したようだった。

 すぐに侍女が代わり、いかにもベテランといった年嵩のいった女性に変わった。

 嫌がらせをされるわけではないが、何も感情を感じさせない淡々とした対応をとられるので、それはそれで緊張する。


 スカートのリボンを後ろにまわし腰裏で結ぶ。鏡で確認してみるが、どうやっても縦になってしまう。

 ドレス程ではないが、足を膨らんだスカートで隠すワンピースだ。可愛いが実用的ではない。

 フレーゼは家業を手伝っていた普通の平民である。動きやすい服の方が好きだ。眉間に皺を寄せてリボンと格闘していると、部屋の扉がノックされた。


「失礼いたします。お嬢様、ご準備は」


 そこまで告げて侍女が言葉を切った。フレーゼが鏡の前で何と格闘していたか気付いたようだ。

 彼女はさっさとリボンと結びなおし、お食事ですと告げて部屋を出て行く。


(こわい……)


 自分がリージ、つまり第三王子のおまけでここにいることくらい分かっている。

 下級といえども貴族の方々にお世話される立場ではないのだ。分かっているから、なるべく自分のことは一人でこなしたい。普段だったら出来る。

 この城はまるで異世界だ。全く知らないことばかり。


 食事の席につくと、リージはもう食べ終わっていた。食後の紅茶を飲んでいる。

 この男はどこにいても馴染んで生活できるのだな。ある意味尊敬してしまう。

 我が家に引き取られて数年、我が両親は本当の息子のように彼を愛している。それが親のない子を義理の両親として引き取った責任といえばそれまでだが。

 家族として馴染んでいるリージを見るのは何年経っても違和感がある。ずっと一人っ子として可愛がられてきた自分としては正直おもしろくない。

 近所に住む友人が家族になったのだ。

 いや、友人ではなかった。近所でリージと顔を合わせると、話をしているうちにいつも喧嘩になっていた。


(今と大して変わらないな……)


 乾いた笑いが漏れてしまう。自分はまだ子供だ。どんなに背伸びをしても年齢云々ではなく精神が幼い。

 フレーゼは丸いパンを手に取り口に運ぶ。

 もすもすと咀嚼しながら口内で呻いた。美味しいけれどこれじゃない。


 実家はパン屋だ。

 王都からは大分離れるが、高位の侯爵家の領地で、田舎だが平和な村だ。両親の手伝いをしながら自分もパン作りの練習をしてきた。

 両親のパンはとても美味しい。珍しい味のパンを新商品として出して色々な客層を確保してきた。

 新商品の相談には自分も参加してきた。大人としてではなく、個としてフレーゼの意見を尊重し聞いてくれる両親が誇りであり、とても好きだ。

 けれど王宮のパンはどれも一辺倒な味ばかりで面白くない。

 そもそも夢にまでパンが出てくる程の好物なのだ。食べ物も合わない。人とも合わない。

 これから先やっていけるのだろうか。急に胸に広がった不安に押し潰されそうだ。

 フレーゼは目に力を入れて、一心にパンを口に運ぶ。


(メロンパン食べたい……)


 はたりと思考が止まる。

 メロンパンってなに?

 夢に出てきた知らないパンの名前にフレーゼは首を傾げる。

 謎な夢を見るのは初めてではない。小さいころから度々見ているが、ここ数か月はそれが顕著である。


 両親に新商品の提案をするときも、実は夢で見ていたパンだったりする。

 知らない景色に知らない服。知らない人。

 何処かで経験したことなのか、そもそも想像の産物が夢になったのか。


「義姉さん」


 リージに呼ばれて意識が遠くから引き戻された。


「早く食べろよ。今日からロア殿下のサロンで勉強だろ」


 ああ、あの変な魔法使いから授業を受けるのだった。

 嫌ではないが性格に癖がありそうだった。あまり関わりたくない、そんなタイプだ。

 そうも言っていられないので、朝食を早々に済ませ、荷物を用意してロア専用のサロンに向かった。

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