26
この魔法の部屋はいつも昼間だ。だから時間の感覚がおかしくなる。
パンケーキを食べ始めて暫く過ぎた頃、頭がずんと重たくなってきた。
「そういえば、私、何か飲まされたんです。あれ……なんだったんだろう」
「フレーゼ、顔見せて」
彼はフレーゼの喉に手をあてた。フレーゼは身を強張らせるがフレムはすぐに手を離した。
「鎮静剤の一種だね。酩酊状態になるような。でも効果はとっくに切れてるよ」
「よかった。確かに、飲まされたことを忘れていた位だから、効果も切れてますよね……」
頭がぐらんぐらんと揺れ、支えるのが辛い。
飲まされた薬のせいじゃないなら、これは間違いなく睡魔だ。
眠い。
ごちんと机に額を置く。
「えええ……フレーゼ、君……」
驚いているフレムの声が遠い。
もうだめだ。すごく疲れた。
フレーゼはこの部屋にいる間は、安全だと確信している。
戸惑うこともなく、フレーゼは眠りに落ちた。
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「あいつさ、要領悪すぎない?」
「わかる。一生懸命やってるんだけどね~」
「何やってもうまくいかないタイプって感じ」
私の名前を出して嘲笑する同級生の声を聞いてしまい、教室に入りづらい。
踵を返し廊下を進むと、階段横の壁に設えられた姿見が視界に入る。
懐かしい。高校の時の制服。
そうだ。私はこんな顔をしていた。
陰気で卑屈な私。
楽しそうな集団が後ろを通り過ぎていく。
彼女たち以外にも友人はいるし、ああは言われるけれど、勉強だって中くらいで、可もなく不可もないはずだ。
特段秀でていることはないけれど、何も出来ないわけじゃない。
私は普通だ。
それなのに、何故こんなにも、自分が嫌いなんだろう。
「おい。そんな真剣に鏡見て、どうした?」
階段下から上ってくる人物に私は眉をひそめた。
「目にゴミが」
「ふーん」
彼は大きな袋を下げている。中身がガサガサと音を立てる。
「買いすぎじゃない?」
「成長期だから腹が減るんだよ」
彼は袋の中を探り、パンを一つ差し出した。
「購買で二個だけ残ってた」
私は差し出されたクリームパンの袋を受け取る。
「くれるんだよね?」
「受け取ってから聞くなよ」
おかしそうに笑う彼の姿に胸がざわついた。
ああ、どうして彼の顔が見えないのだろう。
笑っている顔が好きだったはずなのに。顔が思い出せない。
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朝起きると見知らぬ天井だった。自分がまだフレムの魔法の部屋にいることに気付き、慌てて寝台から身を起こす。
どうやら、寝室を借りてしまったようだ。
一晩をフレムの魔法の部屋で過ごしただなんて、城ではどういう事態になっているだろう。
いや、ああ見えて、フレムは大人だ。きっと陛下たちに話はしている。
そう思ったのに、書斎の長椅子に転がり、本を読んでいたフレムは「何も話してないよ」と言いのけた。
フレーゼは急いで身支度を整える。何故かフレムが髪を結ってくれた。普段は茶色の髪をおろし背に流していたが、髪を束ね、後頭部におだんごを作られる。
どこから出てきたのか、リボンも巻かれて完璧だ。
「先生って何でも出来るんですね……」
短時間で結われた髪を鏡で確認しながら、しみじみと感心してしまう。
「久しぶりにやったからあまり綺麗じゃないかも」
フレムの何気なく言った言葉に、フレーゼは小さく胸が痛んだ。
彼は何歳も歳上だ。女性の長い髪を結うような過去があってもおかしくない。
フレムは露わになったフレーゼのうなじに触れる。
びくりと肩が跳ねるが、彼はクスクス笑い、指で後れ毛を整えてくれた。
魔法使いは部屋の壁に、城に続く扉を出現させる。魔法の部屋を出るとそこは見慣れた廊下だった。
廊下には人の気配がない。誰もいない廊下を早足で進む。
「フレーゼさあ、そんなに急いでも一緒だよ~」
「一緒じゃありません!」
面倒そうなフレムがあくびをする。フレムはフレーゼに寝台を明け渡し、長椅子で寝ていた。
そのあたりの分別はあるようだ。いや、ないと困る。
自室まで、残りあと少しというところで、ロアと遭遇した。
「フレーゼ! 今戻ったの?」
何故だか気まずくて、フレーゼはいびつな笑みを浮かべてしまう。後方から、眠たそうなフレムが合流した。
「先生! 皆、フレーゼの安否を心配したのですよ!」
「だってフレーゼがご飯食べたら寝ちゃったんだ。起こすのも可哀想だから、そのままにしておいたんだよ」
「え」
ロアがぎょっとしてフレーゼを見やる。気まずい。
「フレーゼ、君ね……」
ロアはフレーゼの肩を強く掴む。
「もう僕らは、幼い子供という年齢ではないんだ。分かるよね。大人でもないけれど、片足突っ込んでるくらいには、大人に近くなっていること」
「ご、ごめんなさい」
「とにかく、本当に気を付けて。こんなでも先生は大人の男性だよ」
「殿下~、さりげに僕をけなすのやめようね」
フレムはからから笑いながらその場を去ってしまった。ロアはフレムの後姿を見つめ、嘆息する。
「はあ……。もう、あの方は」
「殿下。ご心配をおかけしてごめんなさい」
フレーゼがお辞儀をすると、ロアは片眉を持ち上げた。
「名前で呼んでと言ったよね?」
「え、でも……」
ロアは、ふとフレーゼの髪を見て、動きを止めてしまう。
「え、何かついてますか?」
フレーゼは髪に触れようとして咎められた。
「僕が取るから、動かないで」
ロアが手を伸ばそうと動いた瞬間、アイルが姿を見せた。
「王太子殿下、おはようございます」
フレーゼが恭しく礼をすると、アイルは柔らかく笑む。
「怪我はどう? 怖い思いをしたね」
「先生が怪我を治してくださったので、すっかり元気です。気持ちも大分落ち着いてきました」
へへへ、と無理やり笑みを作ったのがバレたのか、アイルは困ったように眉を下げてしまう。
「あれ、フレーゼ嬢……」
「え?」
アイルがまじまじとフレーゼの髪を見つめている。
まただ。
「や、やっぱり何かついてますか!?」
ロアを見やると、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「兄上、何もついていないですよ。気のせいです」
弟の怒気を孕む口調に、アイルは目を瞠り苦笑した。
「ねえ、フレーゼ嬢。陛下がお呼びだけど、今行けるかな? ちょうど君を呼びに行こうとしてたところだったんだ」
「は、はい!」
国王陛下に、昨夜の説明をしなくてはならない。
幸い、フレムの魔法の部屋にいたことで、精神的にも大分安定している。きっと、きちんと事実を伝えることができるはずだ。
「ロアも一緒に来なさい」
アイルの言葉に首肯を返したロアは、いまだ渋面を顔に貼り付けていた。
三人は共に陛下の応接室に向かう。
途中アイルが歩みを止め、ハンカチを取り出す。
「フレーゼ嬢、失礼」
「え……?」
アイルは髪についていた何かを、ハンカチで包むような動作をした。
「や、やっぱり何かついてたんですね!」
恥ずかしいやら、畏れ多いやら。
アイルは微笑んだまま、頷いた。
「申し訳ありません! 王太子殿下に取って頂くなんて……なんて失礼なことを」
ぶつぶつと呟くフレーゼに、アイルは耳元で囁くように告げる。
「フレム先生の髪がついてたんだ。彼の髪は目立つからね」
告げられた内容にフレーゼは赤面してしまう。
言葉が喉で詰まって、出てこない。
「さ、行こうか」
アイルは気を取り直すように、先を歩き始めた。




