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 この魔法の部屋はいつも昼間だ。だから時間の感覚がおかしくなる。

 パンケーキを食べ始めて暫く過ぎた頃、頭がずんと重たくなってきた。

「そういえば、私、何か飲まされたんです。あれ……なんだったんだろう」

「フレーゼ、顔見せて」

 彼はフレーゼの喉に手をあてた。フレーゼは身を強張らせるがフレムはすぐに手を離した。


「鎮静剤の一種だね。酩酊状態になるような。でも効果はとっくに切れてるよ」

「よかった。確かに、飲まされたことを忘れていた位だから、効果も切れてますよね……」


 頭がぐらんぐらんと揺れ、支えるのが辛い。

 飲まされた薬のせいじゃないなら、これは間違いなく睡魔だ。

 眠い。

 ごちんと机に額を置く。

「えええ……フレーゼ、君……」

 驚いているフレムの声が遠い。


 もうだめだ。すごく疲れた。

 フレーゼはこの部屋にいる間は、安全だと確信している。

 戸惑うこともなく、フレーゼは眠りに落ちた。



 □ □ □  □ □ □


「あいつさ、要領悪すぎない?」

「わかる。一生懸命やってるんだけどね~」

「何やってもうまくいかないタイプって感じ」


 私の名前を出して嘲笑する同級生の声を聞いてしまい、教室に入りづらい。

 踵を返し廊下を進むと、階段横の壁に設えられた姿見が視界に入る。

 懐かしい。高校の時の制服。

 そうだ。私はこんな顔をしていた。


 陰気で卑屈な私。

 楽しそうな集団が後ろを通り過ぎていく。

 彼女たち以外にも友人はいるし、ああは言われるけれど、勉強だって中くらいで、可もなく不可もないはずだ。


 特段秀でていることはないけれど、何も出来ないわけじゃない。

 私は普通だ。

 それなのに、何故こんなにも、自分が嫌いなんだろう。


「おい。そんな真剣に鏡見て、どうした?」

 階段下から上ってくる人物に私は眉をひそめた。

「目にゴミが」

「ふーん」

 彼は大きな袋を下げている。中身がガサガサと音を立てる。

「買いすぎじゃない?」

「成長期だから腹が減るんだよ」

 彼は袋の中を探り、パンを一つ差し出した。

「購買で二個だけ残ってた」

 私は差し出されたクリームパンの袋を受け取る。

「くれるんだよね?」

「受け取ってから聞くなよ」

 おかしそうに笑う彼の姿に胸がざわついた。


 ああ、どうして彼の顔が見えないのだろう。

 笑っている顔が好きだったはずなのに。顔が思い出せない。


 □ □ □  □ □ □



 朝起きると見知らぬ天井だった。自分がまだフレムの魔法の部屋にいることに気付き、慌てて寝台から身を起こす。

 どうやら、寝室を借りてしまったようだ。

 一晩をフレムの魔法の部屋で過ごしただなんて、城ではどういう事態になっているだろう。


 いや、ああ見えて、フレムは大人だ。きっと陛下たちに話はしている。

 そう思ったのに、書斎の長椅子に転がり、本を読んでいたフレムは「何も話してないよ」と言いのけた。


 フレーゼは急いで身支度を整える。何故かフレムが髪を結ってくれた。普段は茶色の髪をおろし背に流していたが、髪を束ね、後頭部におだんごを作られる。

 どこから出てきたのか、リボンも巻かれて完璧だ。


「先生って何でも出来るんですね……」

 短時間で結われた髪を鏡で確認しながら、しみじみと感心してしまう。

「久しぶりにやったからあまり綺麗じゃないかも」


 フレムの何気なく言った言葉に、フレーゼは小さく胸が痛んだ。

 彼は何歳も歳上だ。女性の長い髪を結うような過去があってもおかしくない。

 フレムは露わになったフレーゼのうなじに触れる。

 びくりと肩が跳ねるが、彼はクスクス笑い、指で後れ毛を整えてくれた。


 

 魔法使いは部屋の壁に、城に続く扉を出現させる。魔法の部屋を出るとそこは見慣れた廊下だった。

 廊下には人の気配がない。誰もいない廊下を早足で進む。


「フレーゼさあ、そんなに急いでも一緒だよ~」

「一緒じゃありません!」

 面倒そうなフレムがあくびをする。フレムはフレーゼに寝台を明け渡し、長椅子で寝ていた。

 そのあたりの分別はあるようだ。いや、ないと困る。


 自室まで、残りあと少しというところで、ロアと遭遇した。

「フレーゼ! 今戻ったの?」

 何故だか気まずくて、フレーゼはいびつな笑みを浮かべてしまう。後方から、眠たそうなフレムが合流した。

「先生! 皆、フレーゼの安否を心配したのですよ!」

「だってフレーゼがご飯食べたら寝ちゃったんだ。起こすのも可哀想だから、そのままにしておいたんだよ」

「え」

 ロアがぎょっとしてフレーゼを見やる。気まずい。


「フレーゼ、君ね……」 

 ロアはフレーゼの肩を強く掴む。

「もう僕らは、幼い子供という年齢ではないんだ。分かるよね。大人でもないけれど、片足突っ込んでるくらいには、大人に近くなっていること」

「ご、ごめんなさい」

「とにかく、本当に気を付けて。こんなでも先生は大人の男性だよ」

「殿下~、さりげに僕をけなすのやめようね」

 フレムはからから笑いながらその場を去ってしまった。ロアはフレムの後姿を見つめ、嘆息する。


「はあ……。もう、あの方は」

「殿下。ご心配をおかけしてごめんなさい」

 フレーゼがお辞儀をすると、ロアは片眉を持ち上げた。

「名前で呼んでと言ったよね?」

「え、でも……」

 ロアは、ふとフレーゼの髪を見て、動きを止めてしまう。

「え、何かついてますか?」

 フレーゼは髪に触れようとして咎められた。

「僕が取るから、動かないで」

 ロアが手を伸ばそうと動いた瞬間、アイルが姿を見せた。


「王太子殿下、おはようございます」

 フレーゼが恭しく礼をすると、アイルは柔らかく笑む。

「怪我はどう? 怖い思いをしたね」

「先生が怪我を治してくださったので、すっかり元気です。気持ちも大分落ち着いてきました」

 へへへ、と無理やり笑みを作ったのがバレたのか、アイルは困ったように眉を下げてしまう。

「あれ、フレーゼ嬢……」

「え?」

 アイルがまじまじとフレーゼの髪を見つめている。

 まただ。

「や、やっぱり何かついてますか!?」

 ロアを見やると、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

「兄上、何もついていないですよ。気のせいです」

 弟の怒気を孕む口調に、アイルは目を瞠り苦笑した。


「ねえ、フレーゼ嬢。陛下がお呼びだけど、今行けるかな? ちょうど君を呼びに行こうとしてたところだったんだ」

「は、はい!」

 国王陛下に、昨夜の説明をしなくてはならない。

 幸い、フレムの魔法の部屋にいたことで、精神的にも大分安定している。きっと、きちんと事実を伝えることができるはずだ。

「ロアも一緒に来なさい」

 アイルの言葉に首肯を返したロアは、いまだ渋面を顔に貼り付けていた。


 三人は共に陛下の応接室に向かう。

 途中アイルが歩みを止め、ハンカチを取り出す。

「フレーゼ嬢、失礼」

「え……?」

 アイルは髪についていた何かを、ハンカチで包むような動作をした。

「や、やっぱり何かついてたんですね!」

 恥ずかしいやら、畏れ多いやら。

 アイルは微笑んだまま、頷いた。


「申し訳ありません! 王太子殿下に取って頂くなんて……なんて失礼なことを」

 ぶつぶつと呟くフレーゼに、アイルは耳元で囁くように告げる。

「フレム先生の髪がついてたんだ。彼の髪は目立つからね」

 告げられた内容にフレーゼは赤面してしまう。

 言葉が喉で詰まって、出てこない。

「さ、行こうか」

 アイルは気を取り直すように、先を歩き始めた。


 

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