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 瞼を開くと、そこはフレムの魔法の部屋だった。

 窓から暖かい陽光が差し込んでいる。

 立て続けに二度も魔法で移動したせいで、フレーゼは足元が覚束ない。フレムが長椅子にフレーゼを促し、座らせる。


「傷、治すよ」

 フレムはフレーゼの隣に腰かけ、彼女の手首の鎖を外した。そして手首に触れる。血が滲んでいた手首から痛みが消えていく。

「こっち、向いて」

 フレーゼは言われるがまま、フレムに顔を向けた。彼は眉尻を下げ、フレーゼの右頬に触れる。

「痛かったね……」

 優しく労わるような声音にフレーゼは目を瞠った。


 フレムの掌から熱が伝わってくる。彼の魔法は熱い。

 いや、熱くなっているのは自分の身体かもしれない。

 フレーゼは胸奥がざわつく気配を誤魔化すように、息を詰める。

 

「先生なら、手をひと振りするだけで、全身の傷を治せるんじゃないですか?」

「ふふ、ばれたか」

 フレムは愉快そうに笑う。フレーゼは竜花を採りに行った際にも怪我を治療されている。その時は一瞬で治った。

 けれど今のフレムは、一つ一つを確認するように触れてくる。その優しい触り方が不思議と嫌ではなかった。


「セクハラですよ」

「あ、またそういうこと言う?」

 フレーゼが、前世で使っていた言葉を口にすると、フレムは笑みを深める。


「この世界でこの言葉を使ったのは初めてです。まさか先生、前世でも、そう言われたことがあるんですか?」

「なになに? 気になっちゃう、俺のこと」

 フレムの一人称が変わった。フレーゼがフレムの顔を見やると赤い瞳と視線が絡んだ。

 魔法使いの、試すような含みのある感情を感じて、フレーゼは怯む。


「もう、痛むところはないよね」

 フレムの手が不意に離れた。フレーゼは頷き、思い出したことを恐る恐る聞く。

「あ、あの、私意識を失っている時に、もしかしたら……」

 フレーゼは乱れた胸元を隠すように、羽織る上着を握りしめる。唇を噛みしめながら口にすると、フレムは驚いた顔を向けてくる。

「え、それ俺に聞く? まさか股でも開いて確認させる気?」

「……そ、そんなつもりは!」

 フレーゼは顔を赤くして頭を振る。

 何故こんなことをフレムに言ってしまったのか。城の女性侍医に伝えるべきだった。

 いつもフレムが助けてくれるせいで、つい頼ってしまったのだろうか。


「俺は構わないけど、どうする?」

 フレムの言葉にフレーゼの顔が真っ赤になる。

 前世では今より年上の年齢まで生きていた。それなりの経験もしていた。思い出せるのは夢で見た年齢の記憶だけだが、社会人の頃の記憶には、そういった記憶もうっすらと残っている。


「ごめん、冗談。フレーゼが気にしていることは無かったよ」

「え……?」

「だって、あの場で君を助けたのは俺だから」


 フレーゼは言葉に詰まってしまう。

 眼前の魔法使いは、顔色一つ変えずに、世間話のように告げた。


「君が気を失った直後、あの男たちを焼いたのは俺。君はあれ以上の辱めは受けていない」

「……ど、どうして、先生があそこに?」

「フレーゼが考えているよりも、俺はフレーゼを気にかけているよ」


 甘い言葉のようにも聞こえるが、あの男たちの成れの果てを思い出し吐き気がこみ上げる。


「確かに少しやりすぎたかもね。フレーゼは俺が怖い?」

 フレーゼは首を横に振るが、何とも言えない心地がするのは事実だ。

「わ、私……」

「フレーゼ、お風呂入って体を洗っておいでよ。服は用意しておくから」

「と、とんでもない! 先生の家のお風呂をお借りするなんて!」

 必死の形相で断るフレーゼの姿を見て、フレムは声を立てて笑う。


「きっと、気に入ると思うけどなあ」

 フレムは立ち上がり、浴室へ続く扉を開けて手招きをする。フレーゼはつい素直に従ってしまい、誘われるまま浴室を覗いた。


「ふわあああああ!」

 フレーゼは感嘆の声を上げた。

 浴室を囲む二面の壁はガラス貼りで、窓の外は満天の星空だ。

「こ、こんな……ええ、嘘でしょ……」

「フレーゼが好きそうだなぁ、と思ったけど、嫌なら無理強いしないよ」

「入りたいです! ぜひ!」

 女の子としてどうかと思うが、欲求が勝ってしまう。

 フレムは笑いを深め、そう思ったと告げて浴室から出て行った。


 信じられないくらい美しい光景が、浴室に広がっている。

 窓の外の星空に合わせたのか、浴室の天井にも夜空が広がり暗い。しかし、小さな銀光の粒が舞っていて、入浴に困るほどの暗さではない。

 魔法使いが万能すぎてやばい。

 フレーゼは何度も口内で呟き、服を脱いで浴室に入る。


 眩く光る星空に見惚れながら、身体の汚れを洗い流し、湯の張られた湯船に身を委ねた。

 湯船も大きめだ。温かいお湯に浸かると、体の中の汚いものがどっと流れていく心地がする。

 フレーゼは膝を抱え、湯の中に潜る。水の中を髪が漂う。その感覚が心地良くて、目を閉じ微睡(まどろ)んだ。


 先生はどうして自分を守ってくれるのだろう。


 確かにあの悲惨な光景はやりすぎだと思うが、正直当然の報いだとも思った。

 前世でも、他者に虐げられることは多かった。どんなに呪詛を唱えても報復が叶うわけではなく、ただ耐えるしかなかった。

 けれど、圧倒的な力で蹂躙された姿を見て、心が晴れる気もした。

 

 最低だが、本心だ。

 そんなフレーゼの歪みに、きっとフレムは気がついている。だから彼はフレーゼを救ったことを隠さない。自分を否定されないと確信しているのだ。

 

 実家で夕飯準備をしている時、間違いなくあの侯爵令嬢を見た。彼女が大きな魔法陣を顕現させた姿も、この目で見た。

 それらを伝えた時の、王子二人の表情が思い浮かんだ。

 リージはともかく、ロアは信じると言ってくれたのに。


 フレーゼは、ぶくぶくとあぶくを口から出しながら、湧き上がる苛立ちを抑え込む。

 自分だってそう簡単に人なんか信じない。だから信じていたわけじゃない。

 そう自分に言い聞かせる。

 そうしないと心がいつか壊れてしまう。


(……誰の心が?)


 フレーゼの思考が止まった。


 いつからそんな風に考えるようになった?

 小さい頃からそうだった?


 温かい両親のもとで育った幼少期が霞みのようで、すぐに思い出せなくなる。己の心のはずなのに、心の奥にずっと潜んでいた感情を見つけてしまった心地だ。


(これは……前世の私?)


 泣き出しそうな感情に驚き、水の中で目を開く。

 瞬間、ぐいっと腕を引き上げられた。ざぱっと湯船から体を引き起こされる。

「ん、あれ?」

 声の主はフレーゼと目が合うと、驚いた表情を浮かべる。

「びっくりした、沈んでいるのかと思った」

 フレムが茫然とそう言った。


 フレーゼは腕を掴まれたまま、湯船に立ち尽くす。

 ぽたりと前髪から落ちた雫が睫毛にあたり、我に返った。

「セ、セクハラです‼」

 大声で叫ぶと、フレムが慌てて体の向きを変えた。

「ごめん! いや、見てない! 何も見てない! 着替えをそこに置いたんだけど、返事がなかったから!」

「それは謝ります! でも……でも」

「分かる! 言いたいこと分かる! ごめん!」


 フレムは慌てて浴室から出て行った。フレーゼは膝を抱えて湯船の中で体を丸める。

 強く掴まれた腕が痛い。きっと驚いて力の加減が出来なかったのだ。今夜、あんな恐ろしい目に遭ったばかりだ。フレムが心配するのも分かる。

 分かるけど。

 恥ずかしい。

 とにかく恥ずかしい。


 用意された服に着替え部屋に戻ると、気まずそうなフレムがこちらを見た。

「ご、ごめんね、フレーゼ」

「もういいです、気にしてません……」 

 叱られた犬みたいに、しゅんと落ち込まれると許すしかない気持ちになる。

 そもそも誤解させたフレーゼのせいでもある。


「夕飯食べてないよね? これどうぞ」

 机に用意されたものにフレーゼは息を飲んだ。ふんわりしたパンケーキと暖かい紅茶が並べられている。

「ふわわわ……」

 フレーゼが目を輝かせ変な声を漏らすと、フレムは小さく笑む。

「前にさ、自分でパンケーキを焼くって話したよね。結構自信あるんだ。さあ、どうぞ」


 フレムが慣れた手つきで椅子をひいた。優雅な所作で作法も完璧だ。

 素直に腰かけると、甘い匂いがフレーゼの鼻腔をくすぐる。


「これ、メープルシロップですか……」

「そう! あたり! これはね、北の国で見つけたのだけど」

 フレムはそのまま勢いよくシロップを発見した話を語り始める。


 前世で慣れ親しんだ味は、この世界で探すのは色々大変なようだ。見た目が異なるのは勿論、調理法も違っていたりして、偶然見つけることもあるが、大体は調べて足を運んで探しているらしい。

 フレムはそういう物を見つけては手に入れて、この部屋で保存している。


「先生、もしかして寂しかったんですか?」

「は?」

 フレーゼが脈絡のない質問をしたせいでフレムが固まった。


「あ、失礼だったら謝ります。でも先生、こうやって世界中を巡り前世の味を探しているから、前世が懐かしくて恋しくて探してしまうのかと思って」


「ああ、そういう意味か……」

 フレムは困ったように眉尻を下げる。そしてフレーゼの隣に椅子を引き、腰かけた。


「そう言われてみるとそうかもね」

 フレムは太ももの上で手を組み、指を弄びながら苦笑する。普段、見られないような表情だ。


「誰に話しても、前世なんて信じてくれない。ずっと過ごしてきた今の世界が、突然知らない過去の世界に支配される感覚がしてた」


 それはフレーゼも同じだ。時折、頭の中がごちゃごちゃになる。そういう状態が続くと、前世を思い出すのが、酷く怖くなるのだ。

「……先生」

 フレーゼは二の句が継げず、フレムを見つめる。


「でも、あらかた思い出してしまうと、それも自分なんだって思えた。俺は前世も男だし、考え方もあまり変わっていない。そこらにいた一般人が、魔法使いに転職したようなもので、ただ俺の経験が増えているだけなんだ」


 フレーゼは目を瞠った。確かにその通りだ。


「俺は、長い一つの人生を、異なる二つの世界で生きていると思うようにしてるんだ」


 フレムは赤い瞳にフレーゼだけを映している。

 紅玉の中に浮かぶ縦長の虹彩が、彼の雰囲気をより神秘的にしていた。


「先生はどうして私によくしてくれるのですか? 同じ転生者だから?」


 フレムはフレーゼの問いには答えず、小さく笑む。


「まだ、フレーゼは前世を忘れたい?」

「私が思い出す記憶は、あまりいい記憶じゃなくて」

「嫌なことばかり思い出す? いいことは?」

「……あまりないですね。人って嫌なことばかりを、覚えているものだなって思います」

「それはそうかもね。どの記憶も覚えておきたくない程なの?」

「うーん。前世でも優秀ではなかったですし、役立ちそうな記憶もなさそうです」

 フレーゼはふざけた口調で笑うが、フレムは逆に表情を曇らせた。

「先生?」

「同じ転生者同士だから、ちゃんと協力してあげるよ。この世界では僕の方が年上だしね~」


 わざと目を逸らされた。

 フレーゼはそう思い、強引にフレムと視線を合わせる。彼はいつもの微笑みを向けてくれた。


「なに? 僕の顔に何かついてる?」

「い、いえ……」

 

 フレムの一人称が元に戻っている。

 彼自身、気づいているのかどうか分からないけれど、どちらかが素なんじゃないだろうか。

 きっと今のフレムが仮面をつけているフレム。


(気づかなければよかった……)

 彼の静かな微笑みに突き放された気がした。


「さあさ! 冷めちゃうよ! パンケーキ、食べて食べて!」

 フレムに促され、フレーゼはパンケーキを一切れ口に入れる。

 甘くて美味しいはずなのに、胸に苦々しい気持ちが広がっていった。


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