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鎖がじゃらりと音を立てた。
フレーゼは霞む意識の中、手首を拘束している鎖を引く。頭の中に靄がかかっているみたいだ。
ここはどこだろう。
石壁に、床も石だ。はめ殺しの窓が一つあるが、他には何もない。
眼前にはどう見ても善人には見えない、屈強で人相の悪い男が二人、嫌な笑みでフレーゼを見ていた。
(なんでこんなことに……)
王子二人を見送り、夕飯の準備をしていた時だ。廊下でどすんと音がした。驚いて廊下に出ると、見知らぬ男が二人いた。
両親は掃除の際に外に出した棚を、店内に入れる作業をしていたはずだ。そもそもこの家の周りには護衛の騎士がいるはずなのに、どうやってここに現れたのだろう。
一瞬のうちに様々な考えが巡るが、答えなど出ない。
「あら、そのような服装も似合うわね」
男たちの間から、見覚えのある人物がこちらを見ている。
「エリー様……、何故ここに? あ、あの、今夜は晩餐会があるって」
喉が塞がれたように、言葉が上手く出せない。
「ええ。そろそろ彼らが来る頃ね」
「あ、あの、なんで私の家に?」
パニックになるフレーゼに彼女は顔を顰める。そして彼女は手を優雅に振った。
赤い小さな魔法陣が天井に顕現する。
「時間は五分しかないわよ。早くこの女を」
そう告げて、彼女は光と共に姿を消した。
意味が分からず混乱していた。とっさに逃げ出すこともできず、フレーゼは男たちに捕まってしまった。
そして手首に拘束具をつけられ、この場所に連れて来られたのだ。
妙な物を飲まされてから、頭もふわふわして思考がまとまらない。歯の根が合わなくなり、震えが止まらなくなる。
「おいおい、そう怖がるなよ」
一人が面白そうに笑い、フレーゼはその場に押し倒された。
覆い被さるようにのしかかられて、体中が粟だつ感覚に吐き気が湧く。
「お嬢ちゃんに恨みはないけど、これが仕事なんでな」
びりっとブラウスの前を裂かれてしまう。
「やめて!」
「少し黙ってな。すぐに終わるから」
口に破いたブラウスの布が押し込められる。悔しさと恐怖で涙が溢れてきた。体を捻るが、圧倒的な体格差にどうしようも出来ない。
頭をかすめたのは前世の記憶だ。前世でも同じような怖い思いをしたことがある。あの時は逃げ出し難を逃れた。
何故こんな目に二度も合うのか。
違う。なまじ前世の記憶があるから、二度もと思うのだ。
涙のせいか、視界が白んできた。
「許さない」
怨嗟の声が口から漏れるが、同時に誰かの声と重なった気がした。しかし、確認することはできず、フレーゼはそのまま意識を手放した。
「義姉さん! 義姉さん! しっかりしろ」
リージの声が耳に響く。口の中に入っていたものが取りだされ、フレーゼは咳込んだ。重たい瞼を持ち上げると、リージの泣き出しそうな瞳と視線が合う。
「り…じ?」
喉が痛くて声が出せない。
フレーゼは体を起こそうと動く。ロアが羽織っていた上着をフレーゼの肩にかけた。
「義姉さん、大丈夫か?」
「……え、何が……」
何が起こったのか分からず、フレーゼは辺りを見回そうと顔を持ち上げた。
リージとロアが慌てて視界の先を遮ろうとしたが、遅かった。
石の天井に何かぶら下がっている。
黒い、何か。
「あれは……人?」
言葉にして、込み上げる悪寒に吐きそうになった。フレーゼはすぐに視線を逸らす。
黒く焼け爛れた人間らしき存在が二人、天井からぶら下がっていたのだ。
何? どういうこと?
「フレーゼ、何があったのか覚えている?」
ロアは膝をついて、フレーゼの顔を覗き込む。フレーゼの顔は真っ青になり、頬には赤黒い殴られた跡がある。ロアは痛々しい姿に顔を顰めた。
「わ、分からない。ここに連れて来られて、襲われそうになって……え、私」
フレーゼは恐る恐る上着の中を覗く。胸元がはだけ、スカートも乱れている。
「何にも思い出せない……。わ、私、まさか」
「フレーゼ! 大丈夫。何もされていない!」
「そんなこと分からないじゃない! い、家にエリー様がいたの。あ、父さんと母さんは? ねえ!」
「エリー嬢?」
「あの人、魔法陣を出して……」
「本当にエリー嬢だったの?」
「間違いないわ! 二人が家を出て、それから、夕飯の準備をして……えっと」
「……僕らはその時間帯、ビコア家でエリー嬢に会っているよ?」
「本当よ! 嘘なんてついていない!」
パニックになるフレーゼの肩をリージが抑えた。
「分かった! 分かったから、落ち着け! 義父さんも義母さんも無事だから!」
「リージ、私本当に……!」
涙がぼろぼろと零れる。悔しい。絶対に信じていない。二人の王子を睨みつけると、彼らは困惑の表情を浮かべてしまう。
「義姉さん。一旦、城に帰ろう」
「……お城?」
「もう、ここにはいられない」
涙が止まらない。
分かっている。
ロアがいる。リージがいる。
この場に王子が二人いること自体が、もう駄目なのだ。
「……分かった。戻る」
フレーゼは俯き、泣き続けた。
まだこの村にいるはずだった。両親ともっと会話をしたかった。話したいことが沢山あったのに。
ロアが護衛に指示を出している。二人に付き添われ建物の外に出ると、やっとここが何処なのか分かった。果樹園を抜けた、森の奥。朽ちて古くなった女神の神殿だ。
存在は知っていたが、中に入ったのは初めてだった。
フレーゼに寄り添っていたリージがそっと身を離す。
「殿下、お願いします」
「うん。フレーゼ、馬車はここまで入れないから、僕と城へ転移するよ」
「はい、でも」
リージが距離を置いたことが気になり、そちらを見やる。
「フレーゼ、僕はここに来る前、大きく魔力を消費している。三人一緒には転移出来ない。城に一番早く事態を伝えられるのも僕だけだ。入れ違いで先生に来てもらうから心配しないで」
「…………はい」
どうしよう。また涙が溢れてきた。
ロアが差し出した手を取ると、優しく握り返される。
「じゃあ、リージ。気を付けて」
「はい。殿下、義姉さんを頼みます」
ロアは頷き返すと、光の粒を散らして姿を消した。
彼は城の何処に飛ぼうかと悩み、とりあえずいつものサロンに決めた。けれど、次に姿を現した場所は、謁見の間だった。
眼前に、国王夫妻と王太子が硬い顔で立っている。
「あ、あれ?」
転移先を間違えるはずがない。しかし、間違えたのかもしれない。
ロアは混乱しつつあたりを見やる。王と謁見するための広間には、フレムや数人の魔法使いたちも控えていた。そして騎士も隊列を組んで並んでいる。
「殿下……」
フレーゼがぎゅっとロアの袖を握る。
先程まであの状況だったのだ。この状況が恐ろしく感じるのは、無理もない。
「ロア。フレム様から聞いて全て承知している。今からここにいる魔法使いと騎士を、あの村に派遣する」
「え……? あ、は、はい!」
父王の言葉にロアは狼狽えつつ、フレムに視線を向ける。彼は見慣れた笑顔を浮かべていた。
どうして彼はこんなにも早く事態を把握していたのだろう。フレーゼの動向が心配で、何かしらの魔法を使い知ったのだろうか。
彼のことだからそれすらあり得る。フレーゼをそこまで気に留めている理由が分からず、ロアの背に冷たい汗が伝う。ロアも作り笑顔は得意だが、フレムのそれは恐怖すら感じさせる。
「じゃあ、飛ばすよ」
フレムは魔法使いと騎士を広間の中央に寄せ、ひらりと手を振る。大きな光に包まれて、皆が一瞬で姿を消した。
「す、すごい……」
フレーゼがロアの背中に隠れつつ、眼前の光景に目を瞬かせている。
その意見には同感だが。
ロアはちらりとフレムを見た。
普段と雰囲気が違いすぎる。
フレムはくるりとこちらを振り向いた。つかつかと歩み寄り、ロアににっこりと微笑む。そしてロアの頭を撫でる。
「ロア殿下、魔法の制御がお上手になりましたね。素晴らしいです」
くしゃくしゃと髪を撫でられ、ロアは何とも言えない表情を浮かべてしまう。
そのままフレムは、フレーゼに視線を移した。
「フレーゼ、傷を治してあげるよ」
彼が差し出した手を、フレーゼは悩むこともなく握った。フレムは口の端を持ち上げて笑む。
あ、やばい。
この場にいた者全てが、反射的にそう思った。
しかし、時すでに遅し。フレムはフレーゼと共に姿を消してしまった。
ロアは慌てて家族を振り返る。
渋面を作った父王がそこにはいた。




