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「ビコア侯爵、お久しぶりです。本日はお招き頂き、ありがとうございます」
フレーゼとリージが育った村は、ビコア侯爵家の領地である。普段、当主である侯爵自身は王都の邸宅に住んでいるが、今日はロアたちのために歓迎の場を設けた形だ。
ロアは形式通りの挨拶をし、リージを紹介した。リージはそつなく挨拶をする。
「エリー」
侯爵は隣にいた娘に声をかけた。静かに三人のやりとりを見つめていた姿は、立ち姿も気配の消し方も全てが令嬢の手本のようだ。
ロアは感心しつつも、その完璧さが苦手でもあった。彼女は若草色のドレスを纏っている。結われている金の巻毛によく似合っていると思う。
「お久しぶりです、エリー嬢」
「ロア殿下、先日はお話できて楽しかったですわ。今夜もお楽しみいただけると嬉しいです」
挨拶を交わし、エリーは手を差し出した。ロアはその甲に唇を落とす。
この令嬢は、こういう挨拶をすると機嫌がよくなるんだよな。ロアはいつもそう思いながら、儀式のように手の甲に口づけていた。
エリーはロアの動きを見ながら、美麗な笑みを崩さない。
いつも通りだと思った。
けれどエリーの笑みがロアの肌をざわりと撫でる。
今まで感じたことのない違和感に、つい彼女を見つめてしまう。重ねたままだった手を、エリーはゆったりとした所作で離した。
「こちらですわ」
晩餐会の準備がされた広間に案内される。室内はとても豪華に設えられている。普段は使用人に任せている領地の館だ。こんな小さな村に建てたものにしては手がこんでいる。
ロアは微笑みを顔に張り付けたまま、案内された椅子に腰かけた。そしてその隣にリージも続こうとしたが、彼は見るともなしに視線を窓の外に向けた。
「え……」
リージの体がびくりと強張り驚きに身を固めている。
「どうしたの?」
ロアはリージの視線の先を見やる。そして義弟の驚きに気付いた。
窓の外、木々の向こうに地平線が見える。その先の空が赤く染まっていた。
「なっ!」
ロアはがたんと立ち上がり、侯爵を振り返る。彼も外の異常に気づいたようだ。侍女が素早く庭への窓を開ける。夜の闇に煙が上っている。
ビコア侯爵は、素早く使用人たちに指示を出し始めた。
ロアがそのやり取りを見つめていると、強い力で腕を掴まれる。驚いて振り返ると、リージが必死の形相を浮かべ言った。
「実家のある方角だ……」
「まさか!」
リージは急いで部屋を出て行き、それにロアが続く。
屋敷玄関の重厚な二枚扉が開かれる。
広間で見たよりも濃い赤色が、空に広がっていた。
「殿下! 危険ですから屋敷に残ってください!」
慌てた様子のビコア侯爵が駆け付けるが、ロアは侯爵を振り返り叫んだ。
「あの規模だと放水する人間が足りないかもしれない! 僕は水と氷の魔法が得意です!」
「殿下にそのようなことはさせられません!」
侯爵家の騎士たちが、遮るようにロアとリージの前に出た。
「村の人たちだけで放水できる?」
ロアの質問を受けリージが顔を顰めてしまう。
ぼんっと大きな音を立てて、空に漆黒の何かが弾け飛んでいる。燃え盛る炎が竜巻のように空に昇っていった。
「あの炎……おかしい」
ロアは目を眇め空を睨みつける。そしてリージの腕を掴み、前触れなく二人は姿を消した。
転移した先はフレーゼの実家の庭先だ。
たくさんの火の粉が舞い、肌が熱くなる。
村人たちが手桶に汲んだ水をかけているが、全く効果がない。それどころか火の勢いが強くなっている。
ロアは辺りを見まわし眉根を寄せた。フレーゼの実家を警備しているはずの護衛が一人もいない。
ぎゃあぎゃあと騒いでいる人だかりが見えて、リージは駆け出した。
「義父さん!」
義父は近所の村人たちに抑え込まれている。義母も同様だ。リージの姿に気付いた義父は、ぐしゃりと顔を歪めた。
「フレーゼがいないんだ! きっとまだ中に!」
「なっ!」
リージは眼前で崩れ落ちる家を見上げた。
まさか、この炎の中に?
「行かせてくれ!」
「だめだ! 今行ったら、あんたが危ない!」
暴れる義父を男たちが必死に止めている。その間にもバキバキと家の柱が折れ崩れ落ちていく。
「……これは」
ロアは燃え盛る炎に手を伸ばした。
「殿下!」
リージがぎょっとして、慌ててロアの体を引こうと動くが、ロアはそれを手で制した。
「みんな少し下がって!」
ロアの固い声と眼差しに、リージは反射的に後ろに退く。村人たちはどうすべきか狼狽えていた。
「巻き添えになるよ」
ロアの足から光線が左右に伸びる。家を取り囲むように大地を這う金の光に、消火作業をしていた村人は驚いてその場を退いた。
王都から離れた村に住む人間にとって、魔法を間近で見る機会など皆無だ。瞳に怯えを宿している者もいる。
ロアから溢れる光は、ぐんと空高く伸びて、空に大きな円を描き家を光で包む。
刹那、屋根の上に赤い魔法陣が浮かび上がった。
「爆ぜろ」
小さく告げた言葉に反応し、赤い魔法陣が霧散した。あれだけの猛々しい炎が一瞬で消え失せてしまう。
煙の中現れたのは、焼け落ちた家屋だった。
その場にいた全ての者たちが呆然としていると、東の方角に雷が落ちたような音が鳴り響く。木々の向こうで光が膨らみ、そして消えた。
「……今のはなんだ……」
誰かがそう呟くが、それに答える者はいない。
我に返ったリージが焼け落ちた家に向き直り、急いで中に入る。
「義姉さん! 義姉さん!」
最悪な予感しかしない。リージは唇を噛みながら、倒れる柱をどかし周囲を見渡す。
ロアは浅い呼吸を繰り返し、焼け落ちた家屋を見つめながら言った。
「……ここにはいない」
「え?」
ロアの言葉に皆が動きを止めてしまう。
馬が駆けてくる音が響いた。侯爵やロアが置き去りにしてきた侍従と護衛たちだ。
護衛は惨状を目の当たりにして息を飲み、ロアの前で跪く。
「フレーゼがいない。おそらくあそこだ」
光が見えた先を指さし、ロアは大きく嘆息した。
魔力を消費しすぎた。大きな魔法を連続で使うには、ロアの肉体はまだ未熟だ。侍従レイスがロアを支えるように隣に立つ。
「殿下、ご無事ですか」
「この炎は魔法だった。ねえ、ビコア侯爵。理由に検討がつきますか?」
侯爵は慌てて馬から下り、疲れの色を見せるロアを見て全てを察した。彼の言う魔法の炎をこの幼い王子が消したのだ。
この国は魔法の使用については厳格だ。侯爵の背筋に冷たい汗が伝う。ロアの黒い瞳が射抜くように彼を見つめる。
「け、見当もつきません! ですが全力で調査をさせていただきます!」
「……あそこ、何がありますか?」
ロアは光の方角を指さす。侯爵はその方角を見て、暫し逡巡した。
「あのあたりには……古くなってしまった、女神の神殿跡がございます」
「殿下! 義姉さんはあそこに?」
リージが慌てた様子で二人の間に出た。ロアは頷き返す。
「急ごう」
ロアとリージは護衛に馬を用意させ、最小限の人数を連れて光が消えた地を目指した。




