17
メロンパンが焼けた頃、フレムは匂いに反応したのか目を覚ました。
部屋の外は今、何時だろう。この魔法の部屋にいると時間の感覚がなくなる。
フレム用にメロンパンを半分取り分け、もう半分を皿に載せた。
皿を持ち魔法の部屋を出ると、丁度こちらに歩いてくるリージと遭遇した。彼はフレーゼの隣にいるフレムを見て眉を寄せる。そしてメロンパンを載せた皿を一瞥して渋面を浮かべた。
「あははは、リージ、顔がすごいよ」
「先生のせいですよ」
リージの反応が愉快だったのか、フレムは笑みを深める。
「義姉さん、ドレスの採寸が出来ないって、侍女たちが捜している。早く行くぞ」
「え! もうそんな時間?」
リージはフレーゼの腕を自分の方に引いた。
「リージ、食べ物と女の子は大事に扱いなよ~」
「食べ物を先に言うのはどうかと思います。でもご心配いりません」
リージはふんと鼻を鳴らし、フレーゼを引っ張りながらフレムに背を向け歩き始める。
「ちょっと、リージ。先生にその態度は失礼だよ」
「別にいい。あの人には気を遣わない」
「そんなわけには……」
廊下の先からハンナが駆け寄ってくる。
「フレム先生に誘拐されていたようです」
リージの言葉を聞いてハンナの表情が険しくなる。
「またあの魔法使い……」
そう声に出ていたが、ハンナは咳ばらいをして姿勢を正す。
「お嬢様、仕立て屋がお待ちです。お急ぎください」
フレーゼが手にしていた皿を、リージはひょいと持ち上げた。
「これは俺が食べるから」
「え、全部? すぐに戻るから、一つくらいは残しておいてよ」
「戻らなくていいよ、もう」
「ええええ」
狼狽えているとハンナに急かされる。名残惜しいがフレーゼはメロンパンの誘惑を振り払い、急いで部屋に戻った。
「これなんていうパンなのかな?」
クッキー生地をのせた丸いパンを見ながらロアは尋ねた。
リージはフレーゼの作ったパンを持ち、ロアのサロンに来ていた。早朝の乗馬訓練でも行動を共にしていたが、一人でこのパンを食べるような気分ではなかった。
気がついたらここに足が向いていた。
「分かりません」
「リージの機嫌が悪いのは先生が原因かな?」
ロアがくすくすと笑うと、リージは苦々しく答える。
「先生は、義姉さんを気軽に部屋へ招きすぎです」
「え、部屋って? もしかして先生の魔法の部屋?」
リージが頷くとロアは驚いた表情で言う。
「いいなぁ、僕も入ったことないのに」
「そう問題じゃありません」
リージがぴしゃりと告げるとロアは苦笑する。
「でも先生は子供に手をだす趣味はないと思うな」
「逆は想像したことありますか?」
「逆?」
ロアはフレーゼが迫っている姿を想像して吹き出してしまう。リージが不機嫌な顔を向けると益々笑いを深めた。
「楽しそうだね」
ロアのサロンに姿を現したのは王太子アイルだった。
彼は立ち上がろうとする二人を片手で制し、机の上のパンを見やる。
「それなんだい? パン?」
「はい。フレーゼが作ったものです。兄上もいかがですか?」
「へえ。頂こうかな」
アイルはロアの隣に腰かけると、パンに手を伸ばした。
「ところで今日はフレーゼ嬢いないの?」
「お茶会のドレスの採寸です。参加したくないと散々ごねていましたが、魔力も得てアカデミーに入学する以上、貴族の集まる場での顔出しは必要かと」
「ふうん」
ロアの説明にアイルは思案顔になる。
「本人に伝えるか迷ったのだけど……」
アイルはそこまで言って言葉を切った。ロアとリージは続く言葉を待つ。
「フレーゼ嬢が魔力を得た経緯は聞いたよ。以前、ロアと一緒に僕の部屋を尋ねてきた時、彼女に魔力が見えたから変だと思っていたんだ」
「……あの時には、もう食べていたのか」
ロアは驚きの表情を浮かべるが、リージは話が見えなくて怪訝の色を隠せない。
「その時に気付いたのだけど、彼女の魔力は最大まで使えないように封印されているよ」
アイルはパンをちぎって口に入れた。あっけにとられている弟二人の前で、これ美味しいねと舌鼓を打つ。
「兄上、それはどういう意味ですか?」
「ロアは魔力を見て誰のものか、識別できないのだっけ?」
「はい。色や匂い、気配は見えますが個人の識別は出来ません」
「彼女の魔力を封印したのは、フレム先生だよ」
またそこでフレムの名が出て、ロアとリージは顔を見合わせる。
「封印されているのを見た時は、理由が分からなくて黙っていたけれど、竜の肉を食べさせたなら封印した理由は想像がつく。フレーゼ嬢の肉体が耐えられないから、彼女の為に魔力を制限したのだろうね」
アイルの言葉に、リージが困惑しながら口を開く。
「え、待ってください……。ということは、先生は義姉さんの為に行動していると言うことですか?」
「そういうことだと思うよ」
アイルはそう言って紅茶を一口飲んだ。ソーサーにカップを置き、リージを見る。
「理由は分からないけれど、竜花を得るように仕向けたのも、結果的にはフレーゼ嬢の為じゃないかな」
ロアは理由に心当たりがあったが、あえて口を噤む。
「彼は知識も深く、高い魔力を持つ魔法使いだ。あんな態度だから誤解されやすいけれど、優しい人だと思う。でも少し気を付けた方がいいかもね」
アイルは黒い瞳を細め、何処か達観したように嘆息した。
「力のある者の屈折した愛情がどういう事態をもたらすか、経験あるだろう?」
王族は女神に愛されているから魔力を持っている。一方的な恋慕は避けようとして避けられるものではない。
二人は溢れる魔力で命を落としかけた兄を無言で見つめた。形は違えど、もし過剰な想いをフレーゼが受け取っているとしたら。
リージは得体のしれない魔法使いを、初めて怖いと思った。




