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「というわけで、王太子殿下に竜花を召し上がって頂きました」
フレーゼは丁寧な口調でそう告げる。
陽の光が眩しく差し込む厨房。窓の外はいつも快晴で、風は涼しく気持ちいい。
綺麗に整えられた厨房は、沢山の香辛料が並ぶ。皿やカップは必要最低限の枚数しかないが、食材は沢山保存され、傷まぬように魔法がかけられている。
そんな魔法を、呼吸するように使えてしまう魔法使い。
フレムの返事がないので、フレーゼはパン生地を捏ねる手を止め、厨房から顔を出した。
彼は窓際で頬杖をつき外を眺めている。窓は開け放たれ、カーテンがそよそよと風に揺れている。
「先生、話を聞いていましたか?」
「聞こえてる~」
どんな返答だ。聞こえてはいるが、聞いてはいないようだ。フレムがあの日のことを報告しろと言ったのに。
フレーゼは厨房に戻り、生地を捏ねる手を再び動かし始めた。
今日、ロアとリージは揃って乗馬訓練で城から出ている。その隙を狙ってフレムの魔法の部屋を訪れていた。
「君はそれでよかったの? 竜花が無いと、きっと魔力が足りないよ」
「また取りに行くチャンスが……、ないですかね?」
「どうだろうね」
実は少し落ち込んでいる。
竜花をアイルに与えたこと自体は後悔していない。けれど、このまま前世の記憶を取り戻し続けるのは気が重い。
前世と現世の区別がつかなくなってしまう気がして、不安が胸を占めるのだ。
「アイル殿下が死にそうになっている姿を見て、どう思った?」
なんて質問を投げるのか。訝しく思い、フレーゼは再び厨房から顔を出す。フレムは変わらない姿勢で窓の外を見ている。
「助かって欲しいと思いました」
「ふうん」
「先生もあの場にいたらそう思いますよね?」
「さあ、どうだろう」
フレムは片手を上げて、分からないといったポーズを取る。予想外の言葉に驚き彼を見つめると、天邪鬼な魔法使いは苦笑する。
「僕があの場にいても、彼を救う方法は禁忌とされているものしか思いつかない。本当に助けるならそれを選ぶしかないけど、僕にはそこまでする義理がないんだよね」
「王太子殿下も先生の教え子ですよね?」
「僕は全ての教え子に情を抱いているわけじゃないよ」
普段の揶揄い口調ではなく、静かに淡々とした声音で告げられる。その姿に背筋が寒くなってしまう。
リージが彼に関わるなと言っていた。こういう一面に気付いていたのだろうか。
「僕を冷たいと思った?」
「……はい」
「フレーゼは助けたい以外に何か思わなかったの?」
「え?」
ますます質問の意図が分からない。フレーゼは困惑しながら返事をする。
「王太子殿下はロア殿下を残して逝くことを思うと辛かっただろうと思います。仲のいいご兄弟ですし……」
「へえ〜、死ぬ側の気持ちも分かるんだ?」
「そ、想像です!」
フレムの言葉を聞きながら、以前、魔法使いと交わした会話を思い出した。
この人は前世で死んだ時の記憶がないと言っていた。けれど実は覚えているのかもしれない。
そう思いつつも、そんなこと聞くわけにはいかないけれど。
「でも、本当にお元気になられて良かったと思います。リージも身内の死に立ち会うのが二度目になるところだったので」
リージは九歳で母を亡くしている。当時を思い出すと胸が痛む。
「そうやって残された側の気持ちも慮れるんだねぇ」
「さっきから私を馬鹿にしていますか?」
「ん? ううん、全く」
全く話が見えてこない。このまま話していても苛々しそうだ。
フレーゼは厨房に戻り、机に置かれた木箱に視線を向けた。箱の中には異国の果物が幾つも入っている。この世界で一番メロンに似ている味の果物らしい。
王太子が意識を失い倒れた日、フレムはこれを買いに行っていたそうだ。碌でもない理由だが、碌でもないとは口が裂けても言えない。
フレーゼは心の中で嘆息し作業に戻った。パン生地を一通り捏ねて濡れ布巾をかける。次の作業工程を考えながら、メロン?の箱に目を向ける。
そして耳を澄ます。フレムがいるはずの部屋からは何の音も聞こえてこない。妙に落ち着かない心地になり、また彼を見やった。
彼はまだ窓の外を見ている。フレーゼはつかつかと歩き近寄った。
「先生、今日はどうされたんですか? おかしいですよ」
「僕はいつもおかしいって言われるよ~」
「そうじゃなくて……」
フレムはこてんと首を傾げる。魔法使いの赤い瞳は、妙な色気があり動揺してしまう。
「僕の心配をしているの?」
「……今日は元気がないように見えます」
「うーん、そうかもね。なんか調子でないや」
「何かありましたか?」
フレムは返事をせずに窓の外に視線を向けた。
いつも飄々としている魔法使いだ。こんな掴み所のない男のことなど、考えてもきっと理解出来ない。
でもなんとなく寂しそうにも見えて、心が落ちつかなくなる。
フレーゼは手を伸ばし、フレムの頭を撫でた。彼はぎょっとした表情を浮かべる。
「なに? 僕を弟にでもしてくれるの?」
「先生って面倒くさい性格ですね」
「そうかな?」
「そうですよ」
フレーゼは一頻りフレムの頭を撫でると、何度目か分からない厨房へ戻る。メロン? の皮を剥き果汁を絞る。果汁クリーム入りのメロンパンを作ろう。
せっかくフレムが見つけたメロンもどきだ。フレーゼがメロンパンの話をしていたから、わざわざ手に入れてくれたのかもしれない。
(優しいのか、冷たいのか、よく分からない人……)
雲のように掴めない性格の青年。でも放っておけないのだ。
きっとメロンパンは彼を喜ばせるだろう。
パン生地の発酵具合を待ちながら、再び書斎へ視線を向ける。
フレムは先程と変わらない場所で寝息を立てていた。
涼しい風が吹き込む室内の空気は澄んでいて、陽射しの暖かさに眠気を誘われたのかもしれない。
フレーゼは手を洗って厨房から出た。そろりそろりと静かにフレムの隣まで歩き、覗き込むように横から寝顔を見る。
驚くほどに端正な横顔だ。橙色の髪は太陽の光を含んで眩しく輝いている。横顔だけでこの破壊力だ。口さえ開かなかったら文句なしの美丈夫なのだ。
風邪をひかないようにと、フレムの肩にかけるための上着を手にする。
ふうわりと風が舞い、上着がひるがえる。
両腕で抱えるように抑えると、フレムの掠れた小さな声が耳に届いた。
「……なん……で」
フレーゼは思わず動きを止めてしまう。
(寝言……?)
食い入るようにフレムを見つめていると、彼の頬を一筋の涙が伝った。
フレーゼはそっとフレムの肩に上着をかけ、そして離れた場所に置かれた椅子に腰かける。
早鐘を打つ胸を抑えながら深呼吸を繰り返す。
見てはいけないものを見てしまった心地だ。
なんとなく心が落ち着かず、部屋の中をぐるりと見回した。
本が多い。
フレムは見た目だけなら悪くはないし、態度は飄々としていて人を小馬鹿にしているところもあるけれど、とても博識だ。様々な分野に精通しており、その知識をかみ砕いて他者に教えることも上手である。
(沢山勉強しているんだろうな……)
彼の自信は、彼が努力して身に着けた結果だろう。
揶揄い混じりの態度は癇に障ることも多いが、それらを超える程の実力がある。
いつも自信たっぷりでも、悩みくらいはあるだろう。
誰にも知られたくない感情があって、上手に隠しているのかもしれない。
フレムの涙を思い出し、フレーゼは両手で顔を覆った。




