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人生は思い通りにならない。誰かがそう言っていた。
その言葉を痛いほどに噛み締める。
(なんでこんなことに……)
フレーゼは通された部屋で完全に固まっていた。室内に置かれている調度品は高級感が漂い、自分の存在は場違いであると思い知る。
重厚な執務机の上に手を組み、こちらを見ている男性。
笑みを浮かべているが、その黒い瞳からは感情の片鱗が全く読み取れない。
彼の眼前に立ち、フレーゼは俯き視線を彷徨わせる。背に冷たい汗が流れたような気がする。
彼に挨拶をしお辞儀をした。練習したから完璧な挨拶が出来たはずだ。しかし緊張で顔が上げられない。
「そう怖がらなくてもいい。顔を上げなさい、フレーゼ」
フレーゼは恐る恐る顔を持ち上げる。窓から差し込む光を後光のように背負い、眼前の男性は目尻を下げて笑んでいる。
彼の肩に触れる長さの黒髪がさらりと流れた。
(……なんて綺麗な人……)
大きな黒い瞳は光の粒を内包しているのか、輝いているようだ。初めて見る彫刻のように美しい男性をまじまじと見つめてしまう。
「そのように陛下を見つめることは無礼ですよ」
脇に控えていた彼の側近が注意される。フレーゼは慌てて俯いたが、からからと笑う声が響く。
「まだ子供じゃないか。見たいものを見て何が悪い。なあ」
言葉をかけられフレーゼの隣に並び立つ義弟が身じろいだ。
フレーゼが再び顔を持ち上げると、眼前の男性は笑んだままリージを愛し気に見ている。
この美しい男はこの国の王だ。フレーゼの義弟リージは彼の息子らしい。らしいというのは、最近聞いたばかりのことで全く実感がない所為だ。
父である国王と面立ちは似ているかもしれない。
しかし、リージは銀髪で太陽のような橙色の瞳を持っている。見た目の特徴だけではとても身内だと思えないだろう。
ちらりと隣に立つ義弟に視線を向ける。
同じように些か緊張気味のリージと視線が合った。リージはついと視線を横に逸らす。
(こいつ……! リージの所為でこんなことになってるのに!)
フレーゼはいつものように憎まれ口を叩きそうになったがグッと堪える。
我々二人は国王の執務室で挨拶をしたばかりである。
まだこの先が長い。せめてこの部屋を出てから文句を言おう。
「では、二人に私の家族を紹介しよう」
国王は美しい所作で執務椅子から立ち上がり、隣に控えていた女性の傍に並ぶ。
淡い赤のドレスを纏った綺麗な女性だ。
「彼女は私の妻シェイナだ」
国王と同じく黒く長い髪を背に垂らしている。白く陶器のような肌をしていて、その美しさに暫し見惚れてしまう。
目の前の夫婦はまるでおとぎ話の登場人物のように美しく眩しい。王妃は形のいい唇で優しく笑んでいる。その姿は国王よりも柔和な印象だ。
見惚れていると、トンと腕を小さく叩かれる。リージが目線で合図をしていた。
フレーゼは慌てて頭を下げる。先に口を開いたのはリージだ。
「初めまして、王妃陛下。リージです」
「フレーゼ=ジュールです」
ふふと鈴を転がすような笑い声が聞こえる。
「いいのよ、畏まらなくて。顔をあげて」
リージに続いて顔を上げると、口元に手をあて王妃がクスクスと笑っていた。
「本当に陛下によく似ておいでだわ。よくもまあ、こんな年齢まで放っておいたものね」
王妃が隣に立つ国王に冷たい一瞥をくれる。びくりと身を震わせた国王は気まずげに視線を逸らした。
「国王が妃以外の女性に目をかけることはおかしいことじゃないのに。何故この年齢まで放っておかれたのか、本当に理解できませんわ」
嫌味だ。最大限の嫌味を夫に向けている。
「し、仕方ないだろう。彼女が行方をくらませてしまったんだから」
そのやりとりに落ち着かない心地になり、隣のリージを見ると無表情で二人を見ている。
彼はフレーゼの義弟だ。フレーゼと同じ年齢の十三歳。
近所に住んでいた女性が四年前に亡くなり、両親が彼を引き取ったのだ。
共に暮らし始めた数年後、突然王宮から使いがやってきて、リージは国王の庶子なので彼を引き取ると告げられた。
両親は困惑を隠せず、リージは拒絶した。何度か話し合いが持たれリージは王宮で生活することになったのだ。
(そして、何故かわたしまで……)
フレーゼはため息が出そうになるのを必死で堪えた。
「陛下、王子たちの紹介も」
ぎゃいぎゃいと痴話喧嘩を始めた国のリーダーである男女を、控えていた側近が止めた。
はたりと動きを止めた国王はコホンと咳ばらいをして、王妃とは反対に控えていた二人の少年の隣に立った。
そして彼らに視線で動きを促す。
父の合図を待っていたのだろう。二人の少年のうち背の高い少年が一歩前に出た。
「アイルです。ようこそ、リージ、フレーゼ嬢。家族になれて嬉しいよ」
本当に?
思わずそう思ってしまったが、王妃に似た優しい笑みで彼は微笑んでいる。
「こちらが弟です。君たちと同じ年齢だから色々相談にも乗れると思う」
兄の挨拶が終わったことを確認して、その隣に控えていた少年が半歩前に出る。
「ロアです。これから共に過ごす時間が増えるだろうけど、仲良くしてくれたら嬉しいな」
母と兄に似た笑顔だが、幼さからか無邪気さもまだ残っている。この家族は皆美しい黒髪と黒い瞳を持っている。
この姿は王族だけのものだ。
世界で信仰される唯一神と同じ見た目を許された一族とも呼ばれ、容姿端麗な者が多いのもそれらの理由らしい。
王妃も同じ特徴を持っているから、王家に近い血族から嫁いだ方なのかもしれない。
リージが再びお辞儀をした。遅れて頭を下げようとして、ロアと視線が合ってしまう。
「……っ!」
作り物のようにも見える綺麗な笑みを浮かべた少年にフレーゼの肩が跳ねた。
幼くても王族である。所作の全てが平民とは違う。
見た目だけの意味なら、フレーゼはこの国に多い茶髪と茶色の瞳を持っている。全く目立つ要素がない。顔の美醜は平均だと信じている。行儀も悪い方ではないと思うが、貴族のそれとは全てが違う。
フレーゼは喉の奥で呻いた。早くこの場から逃げ出したい。
「ところで一つ確認をしたいのだが」
国王がおもむろに口を開いた。
「フレーゼはいつまで傍に置いておきたいのかな?」
唐突に自分の話題がぶっこまれて思わず背筋が伸びる。
「リージ、君が王宮に上がる条件がフレーゼも共にということだった。今までと同じ立場という訳にいかないことは分かるよね? 家族として置くならば血の繋がりはないのだし、婚約者にするかい?」
国王がこともなげに言いのけた言葉に目を剥く。
彼らにはおかしいことではないのだろう。王族も貴族も殆どが政略結婚だ。その上で恋愛感情が芽生えれば尚良しなものだろう。
リージを見遣ると彼の表情が消えている。義弟は憎らしいほどに冷静な男である。きっと今頭の中でどう断りの返事をするか考えている。
そもそもフレーゼはリージが一人では寂しい! 義姉も一緒なら王宮に行くとごねたせいでここにいる。
二人はあまり仲の良い姉弟ではない。些細な喧嘩から大きな喧嘩まで日常茶飯事だ。
「まあ、陛下ったら気が早いわね。フレーゼが困惑しているわよ」
「え、そうなのか?」
国王夫妻の視線がこちらを向き、顔に熱が集まる。恥ずかしい。
「ああ、そうか。貴族はこの年齢で婚約が決まることは珍しくないんだ。リージが望むなら君をどこかの養女にして婚約をと思っていたんだが」
どうしてそんな話に?
冗談じゃない。
「陛下、気持ちは嬉しいのですが、僕は慣れない場所で暮らすことに不安が大きく、共に暮らしていた義姉が傍にいてくれたら寂しくないと思ったのです」
リージは不安そうに視線を伏せた。
(誰だよ、おまえ)
つい心の中で突っ込みを入れてしまう。
「そうか、そうだよな。このような場所に連れて来られただけでも不安が大きいだろう」
国王は何やら合点がいったようだ。
「リージ、フレーゼ、何も心配はいらないよ。不自由なく生活ができるよう整えるし、何か心配事があったら何でも相談するといい。私も妻も、兄弟たちも君たちを助けるから」
その言葉にちらりと王子二人を見遣ると、綺麗な笑顔を張り付けたまま笑んでいる。
まったく感情が読めない。
「ありがとうございます、国王陛下」
感激したようにリージが感謝を述べると、国王は満足そうに笑んでいる。
「フレーゼ、君も実家に戻れないのは不安かもしれないし、平民の君には荷の重いこともあるかもしれないけれど、これも経験だと思って学んでいってほしい」
フレーゼは返事の仕方が分からず、頷いてお辞儀をした。
「それに、もし何かいい縁談があれば協力するからね」
どうしてもそちらに話がいくのか。張りきった様子の国王の圧が怖い。




