一万円の疑問とアルバイトの動機
一万円持って一日の内に使い切るとしたら、僕はどう使うのだろう。
今までお金のかからない趣味をしてきた。
友達の要らない趣味をしてきた。
そんな僕がお金を使うならどんなことに費やすのか少し興味がある。
自分のことなのに自分自身でも分からない。
何でこんなことを思いついたかと言えば、大学生になってアルバイトというのが身近なお金稼ぎの方法として家族や友人から聞くようになったから。
そろそろやってみなければ社会に奉仕できないな。
なんてそれっぽいことを考えながら実際のところソレをする動機がない。
お金の消費先がなければ一体僕はなんのために働くのだろう。
生きるため、っていうのはそうだけど生活に必要なものにお金を費やすことだけが生きるために働くことなのだろうか。
生きることと働くこと。
ショーウィンドウを眺めるくらい身近で、自分自身のことのようには考えられなかった二つの問題がいっぺんに僕の中に現れた。
勉強とか、努力とか、運動とか、社交とか。
そういったものは人並みにやって人並みにできたりできなかったりしたものだ。
その積み重ねの先に仕事とか働くこととか労働とかっていうものがあるのだろうけど働くモチベーションについては教えてもらったことがなかった。
お金が欲しいかと言われればそんな気もする。
お金は泉のように湧いてくるものじゃないというのもなんとなくわかっているしサラリーマンの従事する理由って結局金稼ぎなはずだ。
そうじゃなかったらボランティアだ。奉仕精神だ。滅私奉公だ。
お金。
何に費やす?
久々に机の中からここ数年開けることなかったお年玉やらなんやらで集まった封筒各種を見比べる。測るっていうのは中に入った金銭を見比べて親戚を測ろうなんていう無礼極まりないことじゃない。
その一枚をどう費やすべきかを考えた。
それで。
それで。
それで、なにも思いつかなかった。
その一万円を使ってできる特別でかけがえないことなんて思いつきもしなかった。
アミューズメントパークに行くのも、美味いものを食うのも、新しいゲームソフトを買うのも、流行のファッションアイテムを買うのも。
どれもこの一万円ほどの価値があるのか分からなかった。
やっぱり一万円は一万円なのだ。
ここで手元で大事に持って何ができるかを考えている方がよっぽど幸せに思えてきた。
ふと、思った。
金を稼ぐっていうのは手元にもってるお金を増やして素敵な夢を見るためのものなんだろう。
一万円より十万円の夢。
十万円より百万円の夢。
百万円より一千万円の夢。
お金稼ぎは夢を見る趣味でもあったんだ。
だから枕元に一万円置いている人がいたんだ。
そんなのは詭弁というか方便だけど。
生きるためには必要なのだ。
でもただ生きるためだけに働くのは辛い。
夢を見ながら働くぐらいじゃないと人間生きていけないのだろう。
お金で描いた夢も叶ってしまえば泡となって消えていく。
だから次の夢を描いていく。
描いて。
描いて。
描いて。
稼いで。
描いて。
稼いで。
稼いで。
稼いで。
稼いで。
稼いで。
それで。
稼ぐことが夢になる。
金は夢に、夢は仕事に、仕事は金に。
この一度出発したメリーゴーランドは終わるまで止まらない。
自分がしたいことを考えたら立ち止まってしまうから。
今本当にしたいこと。
それをまた考える。
一万円持って一日の内に使い切るとしたら、僕はどう使うのだろう。
結論が出ないから、僕はそっとショーウィンドウから目を反らした。