変化とは、常に勇気を必要とするもの。――3
夕食を終え、俺は自分の部屋に戻ってきた。
パタン、とドアを閉めた俺は、ドアに寄りかかって天を仰いだ。
今日何度目かもわからない溜息が出る。母さんと優衣の前では平静を装っていたが、本当は見通しのない未来が不安でしかたなかったのだ。
「なんとか……なんとかしないと……」
焦りが加速する。それなのに解決法は思いつかない。歯がゆくて、情けなくて、無力な自分が嫌になる。
ガリガリと頭を掻きむしり、「くそっ」と俺は自分自身に毒づいた。
悔しさに歯噛みしていると、ドアの向かい側にある棚に目がとまった。棚には、いくつものトロフィーが並び、写真立てがひとつ、置かれている。
写真のなかでは、黒い髪と黒い目を持つ、中性的な顔立ちの少年が、満面の笑みを浮かべていた。中学一年生だった頃の俺だ。
写真のなかの俺は、いま棚に並んでいる、トロフィーのうちのひとつを手にしている。
あの写真は、カードゲームの世界大会で優勝したときのもの。俺は、世界的な人気を誇っていた、とあるカードゲームのプロだったのだ。
俺がプロを目指したきっかけは、五年前に母さんが倒れ、虚弱体質になったことだった。
それまで母さんの優しさに甘えていた俺は、苦労をかけていたことを悔やみ、これからは自分が家族を養っていこうと決めた。
では、どうやってお金を稼ぐのか? その方法が、カードゲームの世界大会で優勝すること――つまり、プロのカードゲーマーになることだった。
世界大会の優勝賞金は一〇〇〇万円を超える。コンスタントに入賞できるようになれば、母さんと優衣を養っていくに足るお金が手に入る。
もともとカードゲームが好きで、小さな大会で何度も優勝するほどの実力者だった俺は、家族を養うと決意してから、より一層カードゲームに打ち込んだ。戦術を研究し、確率計算を繰り返し、カードリストとにらめっこして、本気で強くなろうと努力した。
結果、見事世界大会で優勝し、それからもたくさんのタイトルを獲得した。
俺はようやく一息つけた。これで家族を養っていけると。満足な暮らしを送らせてあげられると。
そんな矢先、ダンジョンが出現したのだ。
ダンジョンが出現してから、世界は一変した。
ダンジョンはどこに出現するかわからない。加えて、出現したダンジョンからは、モンスターがこちら側にやってくる。
モンスターに回線が切断されるため、ネットやスマホといった通信手段は失われ、ダンジョンで手に入る『通信石版』が取って代わることになった。
ダンジョンからやってきたモンスターが、海や空に生息している危険性があるため、海外への渡航や貿易もできなくなった。
それらの変化が俺には致命的だった。
俺がやっていたカードゲームは外国の会社が製作していたのだが、貿易や通信がストップしたことで、その会社の日本事業部が閉鎖されてしまったのだ。
ネットも使えなくなったので、オンラインプレイをすることもできない。
そんな状況で大会が開かれるはずもなく、俺はプロを引退する羽目になった。
もう、カードゲームで稼ぐことはできないのだ。
「どうして、こうもうまくいかないんだ……」
写真のなかで満面の笑みを浮かべる当時の俺を、現在の俺は泣きそうな顔で見ていた。
悔しさ、やるせなさ、苛立ち――負の感情が入り交じり、頭のなかをグチャグチャに掻き乱す。
俺はフラフラとした足取りでベッドに近寄り、体を投げ出すように横たわった。
ごろりと寝返りを打って仰向けになり、なにをするでもなく天井を眺める。
いまだに頭のなかは雑念だらけだ。これでは、現状を打破する方法なんて思いつくはずもない。
「一旦落ち着こう」
誰に向けるでもなく呟いて、俺はストレージを開き、収納されているアイテムを実体化させた。五十嵐くんから渡されたカードだ。
実体化させたカードの束を扇のように広げ、一枚一枚眺めていると、すさんだ心が癒やされていくのがわかった。
やっぱりカードはいいな。こんな状況でも心が躍るよ。
ゴミアイテムと呼ばれているカードだが、カードゲーマーの俺は好きだった。こうしてカードを眺めるのは趣味と言ってもいい。
「おっ! このカードは持ってないやつだ。……ふむ。これはあのカードと組み合わせたら面白そうだな」
そして、カードを眺めていると、つい使い道を模索してしまう。カードゲーマーの性というやつだ。
俺にとって、カードを眺めるのはいつものこと。使い道を模索するのもいつものこと。
ただ、今日の俺はいつもと違い、未来に不安を抱えていた。
だからだと思う。いつもと違う状況だからだと思う。
突如としてひらめきが降りてきたのは。
「……実際に組み合わせて使ったらどうなんだろう?」
『カードはゴミアイテム』――そんな先入観があったから、いままでは使おうなんて思わなかった。
たしかにカードは使いづらい。いくつもの制限があるし、効果も微妙だ。
「けど、組み合わせて使ったら結構強いんじゃないか?」
それぞれのカードはお世辞にも強いとは言えない。だが、カードゲームにおいては、使えないと思われていたカードを特定のカードと組み合わせると、爆発的な効果を生み出すことがざらにある。
このカードもそうだとしたら? 単体で使わず、組み合わせて使ってみたら――コンボで使ってみたら、どうだろう?
一度ひらめいたら、どんどん思考が加速していく。
カードゲームでは、カードの束ことデッキを組み、めくったカードを手札に加えながら進めていく。デッキ内のカードはランダムに並んでいるので、次にどんなカードを引くかはわからない。運が絡んでくる。
「けど、ストレージから取り出せるならカードの並びなんて関係ない。自分の好きなカードを好きなタイミングで使用できる。運は絡んでこない」
それぞれのカードには、特徴・長所・短所がある。一枚で全能なカードは存在しないため、異なった役割を持つカードを揃えなくてはならない。
「けど、ダンジョン探索のたびに五十嵐くんたちから渡されてきたから、カードのストックは充分あるし、ダンジョンを攻略していけば、カードはさらに手に入る」
だとしたら――
「実は、カードって使えるアイテムなんじゃないか?」
カードはゴミアイテム。誰もがそう思っている。使っているひとは誰もいない。
逆に言えば、カードの用法を真剣に考えたひとはひとりもいないということだ。
なら、可能性はある。誰も使わなかっただけで、誰も考えつかなかっただけで、カードが優秀な可能性はあるのだ。
それに、俺のステータスは最弱レベル。カードをコンボで使うというアイデア以外に、ダンジョンを攻略する方法は思いつかない。
もはや俺には、このひらめきに――カードに賭けるしかないのだ。
俺はむくりと起き上がる。
「やってみよう。やるしかない」
不安や焦りは、いつの間にか意気込みに変わっていた。