人情とは、苦悩を知る者が持ち得るもの。――10
一昨日、昨日と欠席したけれど、ドラゴンエンペラーに襲われてから三日経った今日、天原さんは登校してきた。
体のあちこちに巻かれていた包帯はとれ、傷跡も見当たらない。ステータスによるものか、それともスキルによるものかはわからないけど、目を見張るほどの回復力だ。
なにはともあれ、ケガが治って本当によかった。
自分の席で文庫本を読んでいる天原さんをちらりとうかがい、俺はホッと息をつく。
「さて。そろそろお昼にしようかな」
俺は机に吊した袋から、優衣が渡してくれた弁当箱を取り出した。
今日はどんなメニューかな? とワクワクしながら、俺は弁当箱の蓋を開ける。
その直前、ポンポン、と俺の肩が叩かれた。
「勝地くん。お話があるのですが、よろしいですか?」
「……はぇ?」
俺は素っ頓狂な声を漏らす。
先ほどまで自分の席で文庫本を読んでいた、桐山高校の高嶺の花こと天原さんが、俺の隣に立っていたからだ。
普段は誰ともつるまず、自分から声をかけることもない天原さんが俺に話しかけたことで、教室内が一瞬ざわつく。
ざわつきはすぐに収まった。いま教室を支配しているのは沈黙。俺と天原さんの会話に、誰もが耳をそばだてているのだ。
とてつもなく居心地が悪いけど、天原さんを無視するのはもっと気まずい。
俺はぎこちない笑みを浮かべ、天原さんに頷きを返す。
「う、うん。大丈夫。なんの話?」
「まずは改めてお礼を言わせてください。三日前は大変お世話になりました。あの日のことを、わたしは一生忘れません」
教室内が再びざわついた。
「天原さんと勝地は知り合いなのか?」
「いつの間にお近づきに……」
「一生忘れない? ふたりのあいだになにがあったのかしら?」
「少なくとも、街で偶然会ったとかじゃないだろ。一生忘れないってくらいだから、相当なことがあったはずだ」
みんなが思い思いに予想するなか、ひとりの生徒がぽつりと呟く。
「もしかして……デートとか?」
シン……
訪れる沈黙。
あ。これ、マズい流れ。
俺が頬をひくつかせたとき、クラスメイトたちの視線が一斉に俺に注がれた。
男子の視線には嫉妬や憎悪が、女子の視線には好奇や敵意が込められている。
溢れ出す冷や汗。背筋を走る悪寒。
教室内は一瞬でアウェーと化した。針のむしろとはこのことだ。
ここで天原さんと話してはダメだ! 俺へのヘイトが余計に増える!
「と、とりあえず、場所を変えようか、天原さん」
「なぜでしょう? ここで話すのははばかられるのでしょうか?」
「ま、まあ、そういうところ」
「ふむ……それもいいかもしれません。わたしがしたいのは、わたしたちの今後にかかわる重要なお話ですから」
「天原さん、わざとやってる!?」
『重要なお話』だけでいいんだよぉ! 『わたしたちの今後』とか付けなくていいんだよぉ! 絶対に誤解されるやつじゃないか! 親密な関係だって勘違いされるやつじゃないか!
クラスメイトの負のオーラが膨れ上がるのを感じつつ、俺は泣きたい気持ちで教室をあとにした。




