年下幼馴染みは真面目ちゃんがお好き
顔が良くて、頭が良くて、優しくて気が利く理想の彼氏なんて、贅沢なことは言わない。私の事を大切にしてくれるなら、それで充分。
「……の割に、彼氏ができたことはないの?」
「ないわね」
大学に程近いコーヒーショップの一角。私の向かいでストロベリーフラッペ(クリームとストロベリーソース増量)を飲んでいた加納有紗が眉をしかめた。
「とか言いつつ、面食いとか?」
「顔が整った男にろくな奴はいないと思ってる」
なるほどー、と空を睨んだアリサがふと思い出したように手を叩いた。
「籐子って北斗高校だっけ?もしかして特進?」
「うん」
「あー、北斗の特進はカリキュラムきついらしいもんね」
「そうね」
私の出身校は特進コースの厳しさと進学率の高さで有名だ。お陰様で県内最難関の大学へ、無事に合格できたというわけだが。
(まあ、彼氏ができなかった理由はカリキュラムじゃないけどね)
反論は口には出さず、そっと心中で呟いた。
それとは知らず、納得した表情を浮かべるアリサは、この春大学に進学して出来た友人だ。大学から電車で30分程離れた地域の女子高出身だと聞いたことがある。高校は制服で選んで大学受験で苦労したのだと笑っていたのを覚えている。可愛いと評判の制服は、確かにアリサによく似合っていただろうなと素直に思える、華やかな美人だ。
誰からも「真面目」「しっかり者」と言われてきた私とは全くタイプが違うと思うのだが、入学以来仲良く過ごしているから、人の縁とは不思議なものだ。
「受験終わって自由の身になったんだし、彼氏作って学生生活満喫したいわ~」
「アリサこそ入学式に来てた彼氏はどうしたのよ」
「んー、4月も終わりになると、浪人生と大学一年生じゃ色々とね」
「……成程」
カフェラテを口に運んで、気まずさを誤魔化す。しかし、アリサは気を悪くした風もなく、にっこり笑顔を浮かべた。
「ねー、籐子も合コン行こうよ~。彼氏作らないって訳じゃないんでしょ?」
アリサにしては珍しく彼氏やら好みのタイプやらしつこく聞いてきたのは、これが言いたかったかららしい。
「私、そういう場に行ったことないからやめておくわ」
「あたしも行くしー!」
ぷうっと頬を膨らませたアリサの顔が可愛くて、思わず苦笑してしまったが、もう一度首を横に振った。
「そういう場でノリが悪いって言われるの苦手なの。ごめんね」
自分のペースが飲み会や合コンのような賑やかな場にそぐわないのは分かっている。華やかな場に引っ張り出されて、身の置き場がないのは苦しい。どんなに平気な顔をして見せたとしたって、「何でこんなとこにいるの?」と影で囁かれるのはやっぱり傷つくのだ。
連鎖的に思い出した過去のいたたまれなさに、アリサに見えないようにぎゅっと手を握りしめる。
「じゃあ、北斗の子と合コンしよ!そしたら、籐子も参加しやすいんじゃない?」
「絶対イヤ」
アリサのとんでもない提案に、食いぎみに拒否してしまい、思わず私は口許を覆った。
「……私の知り合いなんて、特進のガリ勉ばっかりだよ。アリサのお眼鏡にかなうとは思えないからパス」
「性別男ってだけでもいいじゃん。あたしの同級生なんか女ばっかよ」
「女子高なんだから当然でしょ」
アリサはこういうところが優しい。我ながら取って付けたような言い訳だったのに、踏み込まれたくないところには決して触れないでいてくれる。その優しさにほっと息をついていると、背後で突然きゃあっと黄色い声が上がった。私たちの座る席は奥まった場所で、歓声の理由はわからない。けれど、何となく嫌な予感がした。
「何だか騒がしいね。芸能人でも来たのかな?」
「まさか」
けれど、きゃあきゃあと賑やかな声はこちらの席に向かって広がってくる。まさか。まさかね。しかし、現実は無情だった。
「トコちゃん!」
ぎくりと身を疎ませる暇もなく、聞き覚えのありすぎる男の声が降ってくる。真後ろに立った人影が、当然のように私の肩に手を置いた。振り向かなくても分かってる。『爽やかな』とか『魅力的な』笑顔を浮かべてるに違いない。
「えっ……?えっ?シューゴ!?籐子、知り合い?」
状況を飲み込めず狼狽えるアリサが、私の手を掴んでガクガクと揺さぶる。その質問に私が答える前に、背後の男が口を開いた。
「そうそう、シューゴでーす。トコちゃんのお友達?俺のトコちゃんがお世話になってまーす♡」
「あんたのものになった覚えはないわね。ただの近所の幼馴染みよ」
「あっは、トコちゃんてば相変わらずの塩対応~!」
肩に置かれた手を払いのけて後ろを睨みつけると、シューゴ……澤田修吾がやたら嬉しそうにこちらを見下ろした。
「あっ、シューゴいたあっ!」
「おっ前、俺らを置いてくなよなー」
わあわあと賑やかな声をあげて、数人のグループがシューゴの背中を追ってきた。皆、シューゴと同じ、そして私の母校でもある北斗高校の制服を身に纏っている。
「って、あーっ!トコちゃん先輩!」
「きゃー!トコちゃん先輩会いたかった~!!」
後輩たちは私を見つけるなり、話したいことを口々に言ってくる。
「ねー、トコちゃん先輩なんで卒業しちゃったんですかあ!先輩がいないとシューゴ全然ダメだよー」
「先輩先輩ー、三年になってからシューゴ、もう三人目の彼女出来てんよ。そろそろ刺されそうじゃね?」
「スギちゃんセンセが、シューゴに課題出すように先輩からも言ってくれって言ってたよー」
「と、籐子?」
「……ごめん、アリサ。とりあえず、周りに迷惑だからお店を出るわ。また明日」
混乱中のアリサには申し訳ないが、説明は後にさせてもらう。私が席を立つと、当然のようにシューゴと後輩たちがついてくる。親ガモにでもなった気持ちで、私は店を出たのだった。
§§
世の中には、天から二物も三物も与えられた人間は存在する。澤田修吾がまさにそうだ。整った顔立ち、すらりと均整の取れた体躯、卓越した運動神経と明晰な頭脳に、社長令息という出来すぎなスペック。スカウトを受け、高校一年の時にモデルとして度々雑誌に載るようになり、さらにそのスペックに磨きがかかった。けれど、この男はどんな高スペックも全て台無しにする短所も併せ持つ。
「シューゴ、あんたどんだけ課題ためこんでんの!?今すぐ出しなさい!」
シューゴの部屋に、私の怒声が響く。コーヒーショップからの帰り道、延々と泣きつく後輩たちに負けた私がオカンよろしく叱り飛ばすと、へらりと笑顔を返された。
「さあ?」
「あんたのことでしょうが!杉浦先生から課題表貰おうか!?」
「多分、こん中にあんじゃね?」
シューゴが指差すリュックを漁ると、課題プリントが山程出てきて、思わず頭を抱えたくなる。
シューゴの最大の短所。それがこのものぐさだ。能力は高いはずなのに、壊滅的にやる気がない。『お前ならもっとやれるだろう!?』という教師たちの悲鳴にも近い嘆きを何度聞いたことだろうか。そして、このものぐさの扱いに慣れているというのが、私の不幸の素だ。この面倒くさがりが、何をどうしたら動くかは、誰よりもよく分かっている。お陰で、『シューゴのお世話係』という嬉しくもない肩書きがいつも割り振られてしまうのだ。
もうこいつの世話を焼かない、と固く誓って高校を卒業したのに。ぎり、と歯ぎしりしながら苦渋の決断を下す。
「……これ全部やって、明日杉浦先生にちゃんと出すって約束するならご飯作ってあげる」
シューゴは、私の作るご飯が一番好きだと公言して憚らない。然して珍しくもない家庭料理ばかりなのだけれど、手間がかからないのでついつい手軽な『エサ』として使ってしまう。
「やる」
ご飯を条件に出した途端、予想通りさっさとプリントの束を持って机に向かったシューゴを見届けると、私は荷物を持って立ち上がった。
「ご飯出来たら持ってくるわ」
「やだ。一緒に食べたい」
「……分かった。課題終わったら家においで」
諦めのため息をついて、私は荷物を持ち直して玄関に向かう。シューゴの家の玄関を出てまっすぐ10歩。我が家に入り、私は大きな溜め息をついた。
私、木村籐子と澤田修吾は、同じマンションのお隣同士……いわゆる幼馴染みという関係だ。研究医の父と外科医としてフルに働く母はどちらも多忙で、私は今は亡き祖母に育てられたようなものだ。シューゴも、地元で名の知れた中堅企業の社長である父と美容サロン経営に忙しい母という、似たような家庭環境の持ち主だ。保育園から一緒で、幼い頃から我が家に入り浸っていたシューゴは、私にとって弟のようなもので、気がつけば世話を焼くことが当たり前になってしまっていた。
保育園の頃は面倒くさがりというよりは人見知りで、「トコちゃん、トコちゃん」と私の後をずっとついてきていた。どんな時でも私を見つけるとにこっと笑う顔が可愛くて、ついつい甘やかしてしまった自覚はある。
うちの祖母のご飯が好きだとよく食べに来ていたシューゴは、祖母に習って私が作ったご飯を、誰よりも喜んで食べてくれた。だから、私の作ったご飯を一緒に食べるのが当たり前になった。分からないと泣いて手をつけなかった宿題を、隣で丁寧に教えたら、「トコちゃんの説明は分かりやすい!」と喜んだ。それから、宿題を一緒にやるのが習慣になった。そんな風に可愛い弟分の面倒を見ていたはずが、気がつけば問題児のお世話係になっていたのは未だに腑に落ちない。
シューゴの方も、最初からやる気がなかったわけではない。小学生の頃は一緒に宿題をやっていたし、中学生の頃も、声をかければ宿題だってテスト勉強だってやっていたのだ。
(やっぱり、高校入ってからかな)
正確に言うと、受験勉強が面倒だと早々に北斗高校の普通科に推薦入学を決めた辺りから、シューゴのものぐささに拍車がかかってきたような気がする。
学校には通うものの、「面倒くさい」と言って課題をため込んだり、授業をさぼったり。教師に叱られたところで反省する殊勝さは持っていない奴だから、平気で「面倒だし」で片づけて何度も呼び出しを食らう毎日。それだけ無気力な癖をして特進コース並(もしくはそれ以上)の成績を収めるのだから、教師たちの悲鳴がどんどん悲壮さを帯びていったのだ。そんな中、シューゴが唯一自分から動くのが「トコちゃんに言われたから」というのが広まって、高校でも私がお世話係と認定されるようになったというわけだ。教師からシューゴのクラスメートから「木村(トコちゃん先輩)から言ってやってくれ」と頼まれることが当たり前になり、気が付けばシューゴは保育園の頃のように「トコちゃん、トコちゃん」と私の後をついてくるようになっていた。
ああ、そういえば中学生くらいから「断るのが面倒くさい」という理由で彼女をとっかえひっかえしていたんだっけ。そう考えると、やっぱり中学の頃からものぐさがひどくなったと言えるのかもしれない。シューゴときたら来るもの拒まず、去る者追わずの付き合いを続けていたから、こじれたことだって一度や二度ではない。その始末にさえ「トコちゃん先輩は私の味方ですよね!?」と巻き込まれた回数は数知れない。可愛い弟分は、成長するにつれて疫病神と化していったのだった。
ことことと煮える肉じゃがを眺めながら、私はそっとため息をついた。小4の時に亡くなった祖母直伝の肉じゃが、ほうれん草の胡麻和え、鳥の照り焼き。珍しくもない和食のメニューだが、気づけばシューゴの好物ばかり作ってしまった。
(ここまでくると、お世話係っていうより保護者役ね)
食事を作り、宿題をさせて、生活態度を窘める。幼馴染というより、口うるさい母親だ。歴代の彼女たちやシューゴのファンの女の子たちも私のことを「トコちゃん先輩」と呼んで、シューゴを叱って欲しいとキラキラした目でお願いしてくる。何なら、ファン同士のいざこざの仲裁まで持ちこまれるくらいだ。理由ははっきり分かっている。それは、シューゴが私を特別扱いするから。そして、その『特別』は『恋愛感情を伴わない』ことを彼女達はよく理解しているから。
(そんなの、言われなくたって分かってるわよ)
彼女やファンの子と一緒にいる時でも、シューゴは私に気づけばいつでも嬉しそうな笑顔をこちらに向ける。それはどんな時だろうと、私が誰といようとーー男といようとーー変わらない。私の言うことだけは聞くくせに、私のことを縛ろうとしない。まるで興味がないみたいに。だから嫌でもシューゴが私に向ける感情は『家族愛』なのだと突きつけられる。
「不毛だわ」
小さく呟いて、一つにまとめていた髪をほどく。はらりと広がった背中の半ばまで届く黒い髪は、生まれてこのかた一度も染めたことがない。校則で禁止されているからとかではなく、今後も髪を染める気はない。きっと少数派だろうその理由が、幼いシューゴが私の髪を好きだと言ってくれたからだと言ったら、アイツはどんな表情をするだろうか。
「……バカみたい」
ため息混じりの声は、静かな台所に消えていった。
§§
小学校低学年のうちは「かわいい」という評判だったのに、中学年になるとぐんぐんと背が伸び、常に体育でトップの成績を誇るシューゴはあっという間にアイドル扱いされていった。シューゴファンを自称する女子がシューゴの周りをウロウロし始めたのもその頃だ。私にとっては相変わらず手のかかる弟としか見えなかったので、周囲の熱狂ぶりに驚いたものだ。そして、小学校高学年になる頃には、私はシューゴのファンの中でもキツい性格の子達に敵視されるようになっていた。
「シューゴくんに近づかないでくれる?」
そんな子達に呼び出されたのは小6の頃だった。お約束のように放課後の体育館裏なんて場所で、4~5人の女子が私を囲むように立ちはだかった。
「どうして?」
私からシューゴに近づいてはいないし、私に言われても困る。そう思って聞いた途端、女子達は口々に私を責めだした。
「は!?シューゴくんが優しいからって調子乗ってんじゃねーよ!!」
「シューゴくんは皆のだし!!あんた一人が一緒にいようとするなんておかしいんだから!!」
「あんたがずっとくっついてるからシューゴくんが迷惑してんのも分かんないの!?」
彼女達は私がいかにシューゴと不釣合で、側にいることが皆の迷惑になっているかをヒステリックに詰りだした。あの年頃の女子特有の自分が正義と信じて疑わない力強さに、私はひどく動転した。そして。
「っていうか、あんたみたいな地味なブスがシューゴくんの側にいて恥ずかしくないの!?」
「皆、あんたがシューゴくんの彼女面すんの絶対許さないんだから!」
その言葉達は、深く私の心に突き刺さったのだった。
私を詰るだけ詰ったあと、彼女達はシューゴから離れるように念を押してその場から去っていった。
その背中が見えなくなったのを確認した瞬間、視界が涙で歪んだ。
「……っ、」
あの子達の前ではなけなしのプライドで涙を堪えていたが、怖かった。そして、理不尽さに腹が立っていた。
どうして、シューゴのことで私がこんなことを言われなきゃいけないの。どうして。幼馴染みで、ただ側にいるだけなのに。ぐるぐると熱い気持ちが渦巻くけれど、涙しか出てこない。
すぐに動くとまた彼女達に会いそうな気がして、しばらくその場から動けなかったけれど、最終下校時間を知らせるチャイムが鳴ったらそうも言っていられない。のろのろと人気のない校舎を通り抜けて薄暗い昇降口へ向かうと、私の下駄箱の前にうずくまっていた人影がゆらりと動いた。
「っ!?」
こんなところまで文句をつけにきたのかと息をのんだが、人影は聞きなれた声で話しかけてきた。
「トコちゃん、どこ行ってたの?」
「シューゴ……帰ってなかったの?」
立ち上がった人影が近寄り、それがシューゴだと分かると自然と肩の力が抜ける。
「うん。トコちゃんの靴、まだあったから待ってた」
帰ろ、といつもの様にシューゴが手を繋ごうとした瞬間、私を詰る声が耳に甦った。
『あんたみたいな地味なブスがシューゴくんの側にいて恥ずかしくないの!?』
「やだ……っ!」
反射的にシューゴの手を振り払ってしまい、私は唇を噛んだ。
「トコちゃん?どうしたの?」
驚いたように目を見張るシューゴの顔をなるべく見ないように、そっと俯く。
「……ちっちゃい子どもじゃないんだからさ、もう手を繋ぐのやめようよ」
違う。こんなこと言いたいんじゃないのに。でも、口からは勝手にシューゴから距離を取ろうとする言葉がこぼれ出た。こうやって手を繋いだり一緒にいることを周りに笑われているなら、シューゴのためにもやめなきゃいけない。半ば自分に言い聞かせるように言葉が続く。
「来年は私も中学生だし、なんでも自分一人でやれるようになんないとダメでしょ」
「……トコちゃんがそう言うなら、分かった」
私に伸ばしていた手を下ろして、シューゴは笑った。
「ねえ、一緒に帰ろ」
それすら拒むことはさすがに出来なくて、私は小さく頷いた。
ファンの子達に呼び出されたその日から、私はシューゴに対して冷たくあたるようにした。今までは頼られたら何でも助けてあげていたけれど、「自分でやりなさい」「知らない」と逃げ続けた。それでもシューゴは、変わらず私のあとをついて回る。そんな日々が続いたある日、とうとうしびれを切らしたファンの子が、私とシューゴの間に割って入ってきた。
「ねえシューゴくぅん、そんなの放っておいて一緒に遊ぼうよ」
シューゴにすり寄るように近寄ったその顔は見覚えがある。あの日、私を詰った女子達の中心にいた子だ。思わず目をそらすと、視界の隅で勝ち誇った笑みを浮かべているのが見えて、私は悔しさに唇を噛んだ。
ああ、やばい。目が潤みそう。涙目すら見られたくないから、黙ってその場を離れようとした、その瞬間。
「は?今トコちゃんと話してるから邪魔しないでくれる?」
シューゴの冷淡な声に、私もシューゴにすり寄っていた女子も目を瞬いた。
「え?」
「だから、今トコちゃんと話してンの。……もういいや、行こ」
固まってしまった女子に冷たく言い捨てると、シューゴは私の手を取ってその場を離れた。手を繋ぐことはここ最近避けていたけれど、驚きのあまり振り払えなかった。
「何なの、アイツ。すっごくうざいんだけど」
女子が見えないところまで移動して、うんざりしたように吐き捨てるシューゴに、思わず口を開く。
「人に対してその言い方は良くないよ。あの子はシューゴに用があったんでしょう?」
「知らないし。ていうか、トコちゃんがなんでアイツをかばうの?」
明らかにムッとした表情を浮かべたシューゴに、私も返す言葉を失う。
(もしかして、あの子達に何か言われたこと気づいてるのかも)
だとしても、何と言ったらいいのか。ぐるぐると考えていると、シューゴが繋いだ手をぎゅっと柔らかく握りしめた。
「トコちゃんの側ってさ、なんかふわーって柔らかくって一緒にいるだけで落ち着くから大好きなの。トコちゃんが自分のことは自分でやりなっていうならやるけど、誰が何て言ってもトコちゃんの隣は僕の場所だよ」
約束ね、と勝手に指切りをされた小指がほんのりと熱い。
「……うん……」
『トコちゃんの隣は僕の場所だよ』ーーその言葉は、不安に揺れていた私の心に優しく染みていった。私の隣は、シューゴのもの。シューゴの隣は、私のもの。他の誰でもないシューゴがそう言うのだ。それでいいじゃないか。
「でも、私が卒業するのはもうすぐなんだから、ちゃんとしなきゃダメだからね」
「……わかってる」
少し膨れた顔をしたシューゴに、私は思わず吹き出してしまう。
「何が面白いの、トコちゃん」
「シューゴは変わらないな、と思って」
訳がわからない、とばかりに憮然とするシューゴに、ますます笑いが止まらなくなる。何て簡単だったんだろう。周りになんて思われても、シューゴが望んでくれるなら、気にする必要なんてなかったんだ。ここしばらくの憂鬱な気分が吹き飛び、私はスッキリした気持ちで大きく息をついた。落ち着いたことを見計らったらしいシューゴが、ぎゅっと手を繋いで尋ねた。
「……トコちゃんが卒業しても、放課後トコちゃん家に行ってもいいんでしょ?」
「いいよ」
シューゴがそうしたいなら、いつでもいいよ。声にしなかったけれど、シューゴには伝わったようだ。嬉しそうに笑う顔に、私も同じように笑顔を返した。
周りがどう思おうと、私達が変わらなければいい。シューゴは可愛い私の弟で、幼馴染みなんだから。
けれど、そう思えたのはわずかな間だけだった。
「ねえねえ、トコちゃん聞いた?」
「何を?」
中学に入学して一月。小学校とは何もかも違っていて緊張ばかりの毎日に少し慣れ始めた頃、同じ小学校出身の友人がこっそり声をかけてきた。
「シューゴくん、彼女ができたんだって」
「は?」
思わず固まった私に構わず、友人が詳細を教えてくれる。
「トコちゃんと離れてチャンスと思ったらしくてさあ、ファンのなかでも一番うるさかった子が告白したら、あっさりOK貰ったらしいよ。トコちゃん、シューゴくんから聞いてないの?」
「聞いてないなあ。まあ、ただの幼馴染みだもん、私には関係ないよ」
「えー!シューゴくんが誰かと付き合うなんてイヤだー!」
友人の嘆きを聞いて、シューゴくん彼女できたの!?と教室が騒がしくなる。その騒がしさのなかで、私は何故か震えそうになる手をぎゅっと握りしめた。
(何かの間違いだ、きっと)
ファンのなかでも一番うるさい子と言えば、私にシューゴから離れるように強く詰め寄ってきた子だ。
(嘘だ。よりによってあの子とだなんて)
だって、シューゴはあの子のことウザいって言ってたのに。
なのに、現実は非情だった。
「付き合えって言うから、分かったって言ったよ。断るのもめんどくさいし」
帰宅した途端、我が物顔でリビングで寛ぐシューゴに彼女ができたって本当?と尋ねると、あっさりそう答えられた。
(嘘じゃ、なかった……)
私が目の前が真っ暗になるような気持ちになっているとは知らないシューゴは、さらに口を開いた。
「でも、さっき別れたよ」
「は!?」
「黒川や吉野と帰るって言ってるのに一緒に帰るってしつこくてさあ。うるさいって言ったら『もういい別れる!』だってよ」
「はあ……」
それは、付き合ったうちに入るの?
思わず彼女に同情してしまいそうになるほど、『彼女』への恋愛感情はないらしい。あまりにもあっけらかんとしたシューゴに、へなへなと体の力が抜けていく。
「トコちゃん、どうしたの?」
「……何でもない。それより、宿題はやったの?」
「トコちゃんと一緒にやろうと思って待ってた!」
にこにことノートを広げるシューゴの横で、私はそっとため息をついた。今日の事で、はっきりしたことがひとつある。
私は、シューゴのことが好きなんだ。
弟でもなく、幼馴染みでもなく、恋愛感情としての好き。
だけど、そう思ってるのは私だけ。でも、もしかしたらいつかーー。
「……と思ってたけど、それからも告白される度に『断るのが面倒』って理由で次から次へと彼女を作るし、私が誰といようと全く気にもしないのを見て望みはないなって痛感してる」
「はー、成程」
シューゴとコーヒーショップで出くわした翌日。顔を合わすなりアリサにカラオケに連行されて(彼女曰く密談に最適らしい)、抵抗空しく洗いざらい白状させられたのだった。
「そりゃ合コンも頑として断るわけだよね~」
「別にそういう訳じゃ……」
ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべるアリサに、そう返事はしたものの、本心はばっちり見抜かれているようだ。思わず頭を抱えていると、アリサの声にさらに追い打ちをくらった。
「でも、籐子が『北斗のトコちゃん』とは思わなかったな~。この辺りだと有名だったよ」
「何それ!?」
「北斗のシューゴは顔は良いけどいい加減、でもトコちゃん通してなら話聞くから、シューゴと仲良くなりたいならトコちゃんとも仲良くないと詰むって」
「初耳なんですけど!?」
「そうなの?市内では確実に有名だよ、あんた達」
「知らないわよ!」
「あたしだって、シューゴとトコちゃんがそんな面白い関係なんて知らなかったしー」
「面白くない!」
ケタケタと心底楽しそうに笑うアリサを睨み付けると、一応目元ににじんだ涙を拭いて(泣く程笑っていたことに驚いた!)、私に向き直った。
「ごめんごめん、からかってるわけじゃないよ。籐子の可愛いとこが見られて嬉しいの」
ポンポン、と軽く宥めるように頭を撫でるアリサの手は、とても優しい。その優しさに解かされるように、口を開いた。
「……私、シューゴのこと誰かに言ったの初めてなの。なんか、シューゴのこと知ってる人には言いづらいし、そもそも私の周りはシューゴとも友達な子ばっかだし」
「うん」
アリサの優しい声に背中を押されて、ずっと一人で抱えていた不安が溢れ出す。
「シューゴはトコちゃんがいないとダメって言うのは、お母さんに甘えてるみたいなものなんだ。皆もそれを分かってるの。だけど、」
ぐっ、と熱いなにかがこみ上げて喉が詰まる。ぶわりと視界が歪むのが止められない。
「シューゴが、私に家族以上の興味を持ってないって分かってるけど……っ、諦められないのが、苦しい」
面倒だからとその時彼女がいなければ告白を受け入れるシューゴ。その横に立つ『彼女』が羨ましかった。
私も、好きだよって言ったら、受け入れてくれる?
何回も口にしようとして飲み込んだ。だって、答えは分かってる。「断るのが」面倒だから受け入れるシューゴにとって、「想われるのが」面倒な相手を受け入れる訳がない。
「もうやだよ……諦めたいのにどうしたら良いかわかんないよ……!」
私が子供みたいにわあわあ泣いている間、アリサは黙って背中を撫でてくれた。
泣いて、泣いて、泣いて。泣きすぎて頭が痛くなる頃には、さすがに涙も止まる。
「……ごめん、アリサ。こんな愚痴につきあわせちゃって」
「気にしないでいいよ。ねえ、それよりさ、シューゴと二人で出掛けたりってしないの?」
アリサの唐突な質問に、思わず目を瞬いた。
「シューゴと、二人で?コンビニとかスーパーならよく行くよ」
私の父は去年から研究のため渡米しているので、我が家は母子家庭状態だ。その上、母は相変わらず不規則な勤務をしているので、木村家の荷物持ちはシューゴが担当してくれている。まあ、その分しっかり食べてはいるけれど。
「そうじゃなくて!例えば映画とかショッピングとか、デートのこと!」
「……ない、と思う」
シューゴは映画館が嫌いなわけではないけど、のんびり見るのが好きだから、レンタルで見る方が多い。デートみたいなお出掛けなんか、記憶のある限りしたことがない。
「ないの!?」
「ないよ。あ、家族旅行とかは一緒に行くことあるよ。クリスマスとか誕生日とかも家族一緒に祝ったりするし」
「普通逆でしょうよ……」
呆れたようにアリサは深いため息をついて俯いた。私にとっては当たり前なことだけれど、一般的ではなかったらしい。
「とにかく!籐子がそんなに思い詰めるのは恋人っぽいイベントに参加してないからじゃないの?いつもと違う籐子を意識してもらえるチャンスでしょ!」
「なるほど……!」
流石アリサ。うじうじ考え込む私には思いつかないアイディアだ。尊敬の眼差しを向けていると、畳み掛けられるように質問が飛んでくる。
「ほら、何か行きたいとことか見たい映画とかないの?」
「ええ!?」
急に言われても思いつかない。近くの映画館のHPを開くようにアリサに言われ、わたわたとスマホを手にとる。現在公開中の作品をタップすると、ずらりと並ぶタイトルの中に見覚えのある作品があった。
「あ、これもう公開してたんだ……」
前にレンタルでシューゴと一緒に見たハリウッド映画の続編。コメディあり、派手な戦闘シーンありと典型的な娯楽映画だけど、二人して結構ハマった作品だ。
「あ、それ評判良いよね」
「そうなの?前作も面白かったもんね。シューゴも珍しく何度か見てたよ」
「じゃあこれ見に行こうって誘いなよ」
「は!?」
さらっと言われて、私は思わずスマホを取り落としかけけた。
「無理無理無理!どうやって!?」
「普通に」
「普通って何!?」
「LIME開いて、シューゴのトーク開いたらあたしに頂戴」
動揺していた私は、アリサの言う通りにスマホを操作し、そのまま渡す。すると、受け取ったアリサが当然のようにメッセージを素早く入力して送信してしまった。
「!?なんで!?」
「だって籐子に任せてたらいつまでたっても送れなさそうだし」
ニヤリと楽しそうな笑みを浮かべるアリサの手の中で、メッセージの到着を知らせる通知音が鳴った。
「……早っ。えーと、じゃあいつがいいかな、っと」
「アリサぁぁぁっ!?」
「もー、籐子うるさい」
ものの数分で、日曜日にシューゴと映画を見に行くことが決まってしまった。
「ふふふ、映画館で待ち合わせにしたから、それだけでもデート感増すでしょ?」
「シューゴと待ち合わせなんかしたことないよ……」
買い出しにしろ、旅行にしろ家を出るところから一緒なのがいつもなのに、外で待ち合わせなんてそれだけで緊張する。そうこぼすと、得意そうにアリサが胸をそらした。
「だからいいのよ。いつもと違う籐子を見てもらうんだから」
「どうやって!?」
「あ、責任もってデート仕様にしてあげるから土曜日泊めてね」
「アリサー!」
はい、と返されたスマホを怖々と覗くと心配するような強引なメッセージではなくてほっとする。シューゴからの『いいよ』のメッセージに今更ながらドキドキしてくる。
「……アリサ、ありがとう。頑張ってみるね」
きっと、これが最初で最後のチャンスだ。シューゴの今までの『彼女』達に比べたらきっとささやかな努力なのだろうけど、私にとっては大きな一歩だ。友人のくれた勇気が消えないように、私は両手をぎゅっと強く握りしめた。
§§
そして、日曜日。ショッピングモールの中にある映画館の入口で、私は落ち着きなくスマホを眺めていた。約束の時間まであと15分。週末のショッピングモールはたくさんの人で賑わっている。
(早すぎたかな)
約束通り、土曜の夜に我が家に来たアリサは朝からしっかり私を「デート仕様」に仕上げてくれた。
緩く巻いた髪も、普段より丁寧だけどナチュラルな印象のメイクも、滅多に着ない可愛らしいミニスカートも、全部いつもの私なら選ばないものだ。
余りに気合いが入っているように見えるのが恥ずかしいと泣き言を言うと、「だからいいんでしょーが!」とアリサには喝を入れられた。最後まで背中を押してくれたアリサからは、「もし玉砕したら連絡しておいで!即合コン開くから!」と言われている。願わくば、そんな報告をしなくてすみますように。そわそわとスマホを出したりしまったりしていると、女の子達の密かな歓声が聞こえた。そちらの方へ目をやると、案の定シューゴがぽかんとした顔で立っていた。
「シューゴが来るとすぐ分かるね。ある意味便利だわ」
苦笑気味に近寄るが、シューゴは固まったままだ。
「シューゴ?」
「……トコちゃん?」
戸惑いがはっきり分かる視線で見つめられるのにつられて、自分も思わず自分の出で立ちに目を落とした。
「……たまには、と思って。変?」
自分でも気恥ずかしくて、取り繕うような言葉が出てしまう。しかし、シューゴは返事もせずまじまじとこちらを見てくる。
「……ね、そろそろ行こうよ」
あんまりにもじっくり見られて居心地が悪いので、そそくさとチケット売場へと足を向ける。
(これはどういう反応なの!?)
「似合ってる」とか「可愛い」とかは言われるとは思ってなかったけど、「たまにはいいんじゃない?」とか言ってくれたら嬉しいと思ってた。逆に「どうしたの?そんな格好して」とか言われたら脈はないんだって諦めようと思ってた。
しかし、無表情かつ無言でまじまじと見られるのは予想外だ。背後のシューゴに全意識が行ってしまいそうになるのを必死でそらしていると、聞き覚えのある声がした。
「あっいたいたー!」
「勝手に先行くなよー」
後ろから走ってきてシューゴの背中をどついたのは、見慣れた顔だった。
「黒川くんと吉野くん……?」
シューゴと小学校から仲の良い幼馴染みの急な登場に、頭がついていけない。
「ミサコとサキも……ああ、来た」
「ちょっとー、何で待ってくんないの!?ってトコちゃん先輩!?キャー!!すっごい可愛い!!」
「わー!可愛いー!どうしたんですか!?」
いつもシューゴと一緒にいる後輩達が揃い、きゃあきゃあ賑やかな声が飛び交う。頭の中は?だらけだったけど、気づかない内に当たり障りの無い言い訳が口からこぼれた。
「あり、がとう……。友達と、この後予定があって」
「えー、トコちゃん先輩映画終わったらそっち行っちゃうんですかあ?さみしいー!」
「俺ら映画の後カラオケ行くんスけど、一緒にどうですか?お友達も一緒に!」
後輩たちの無邪気な声に、すうっと血の気が引くのが分かった。
ああ、そうか。
デートだと思ってたのは、私だけだったんだ。
その後、何て答えたのかは覚えていない。ほとんど無意識のまま、いつものように私が後輩たちを取りまとめてチケットを買い、館内に入る。当然のようにシューゴの隣に座ることになったけれど、その顔を見ることができない。欲しくもないポップコーンを抱えて、手持ち無沙汰を誤魔化す。
(どうか、シューゴが私を見ていませんように)
表情だけは崩さないように、スクリーンだけを見つめていたはずなのに、どんな内容だったかはちっとも頭に入ってこなかった。
ただただ落ち着かない2時間をやり過ごし、別れを惜しむ後輩たちを振り切ってショッピングモールの外へ向かった。いつも使う駅へと通じる出入り口とは反対の、奥まったテラスの端っこのベンチに隠れるように座り、スマホを取り出す。
手が震えて何度か落としそうになりながら、ようやくアリサへ電話をかけるとたった2コールで繋がった。
『籐子!?どうしたの!?』
「アリサ……」
友人の声を聞くなり、堪えていた涙がぶわりと溢れた。
「ごめん、せっかく協力してくれたのに、駄目だった……」
シューゴが他の後輩たちを誘っていたことを伝えると、アリサも『はぁ!?』と言ったきり絶句していた。
アリサの反応に、我が事ながら脈無しなんだなあとしみじみ思い知らされる。
「も、はっきり恋愛対象外なんだなって分かったから、大丈夫」
『何が大丈夫なのよ!』
「ふふ、合コン開いてくれるんでしょ?」
泣き笑いしながらそう言うと、アリサの力強い声が響いた。
『当ったり前でしょ!イイ男揃えてやるわよ!』
「彼氏はできなくても、シューゴ離れしなきゃいけないもんね」
「ダメ」
突然、大きな手に後ろから口を塞がれてびくりと体が跳ねた。
「俺から離れないで。彼氏なんて作らないでよ」
耳元のシューゴの声が、少し掠れている。走って息が上がってるせいなのかな。そんなどうでも良いことが気になったのは、驚きすぎたせいかもしれない。
「何で……?」
「トコちゃんの隣はずっと俺だけのものでしょ?」
後ろからぎゅっと抱きすくめられた腕に力がこめられる。それが、嬉しいのに悲しい。
「私とシューゴじゃ、意味が違うよ」
家族としての隣じゃ、満足出来ない。私の『好き』は、恋愛感情としての『好き』だから。シューゴの手を振り払おうともがくけれど、ますます抱きすくめる力が強くなる。
「違わない。トコちゃんが好き。ずっと大好き」
言われて嬉しいはずの言葉が、胸を切り裂くように痛い。
「だから、それは」
私とは違うんだ、という言葉は声にならなかった。シューゴに顎を捕まれ、噛みつくようなキスをされたから。
突然の出来事に固まった私の目を覗きこんで、シューゴがもう一度囁いた。
「トコちゃんが大好きだよ。多分、トコちゃんが思うよりずっとね」
そして、今度はちゅっ、と軽いキスをすると、いつの間にか落としていた私のスマホを拾い上げた。
「あー、アリサさん?という訳で大丈夫だから、合コンとかしないでいいから。……うん。……それはまた後日。……うるさいな、分かってるよ。じゃあ」
通話を終えたスマホを私の鞄に押し込むと、隣に座ったシューゴはもう一度私を抱きしめた。
「あー、本当にびっくりした。もう俺から離れるなんて言ったらイヤだよ」
「シューゴは私のこと、その、恋愛対象として好きなの?」
あっ、混乱しすぎて身も蓋もない聞き方をしてしまった。けれど、シューゴはとろけそうな程甘い笑顔を浮かべて頷いた。
「もちろん。世界で一番大好きだよ」
「嘘」
思わず一言で否定してしまうと、シューゴは不満そうに口をとがらせた。
「えー、何で信じてくれないの?」
「だって、今まで彼女取っ替え引っ替えしてきたじゃない!私が誰といたって気にもしなかったじゃない!」
「だって、ああいう子達に冷たくするとトコちゃん怒るじゃん」
「は!?」
予想外の答えに目を見開くが、シューゴは気にもせずますます口をとがらせる。
「前にうっとうしいとか邪魔とか言ったらトコちゃん怒ったじゃん。シューゴに用があって話しかけてきたんだから、そんな態度はダメだって」
(そんな理由だったの!?)
体の力が抜けてへたりこみそうになるけれど、抱きしめるシューゴの腕がそれをさせない。
「それに、俺ちゃんと言ってたよ。トコちゃんが大好きだけどそれでもいいならいいよって」
「はあ!?」
「高校位からは俺が言わなくても分かってる子ばっかでさあ。なんか、友達に彼氏ができたって見栄張ったから付き合えとかそんなんばっかだよ」
「聞いてない……っ!」
「うん、言ってない」
「シューゴ!!」
思わず怒鳴ると、ちゅっ、ちゅっ、と頭に顔にキスが降ってくる。
「もうっ、バカシューゴ!!」
「うん、バカだよ。バカだから、デートに誘ってくれたのに気づかなくてごめんね」
急に謝られて、私も返す言葉をなくす。
「トコちゃんから誘ってもらった時、黒川たちもいてさ。ついてくるって言うから普通にOKしたけど、今日のトコちゃん見て本当後悔した」
「……っ!」
ぎゅうっと息が詰まりそうな程強く抱きしめられて、シューゴの香りに包まれる。その香りが、体温が今までになく近くてドキドキする。私だけじゃなく、シューゴの鼓動も早いことに気がついて、更に顔が熱くなった。
「こんな可愛いトコちゃん、誰にも見せたくなかった」
恐る恐る、シューゴの背中に回した手に力をこめると、おでこにキスが降ってくる。
「ね、大好きだよトコちゃん。俺から離れないでね」
「私も……その、シューゴのこと、大好き……だから、ね」
ようやく小さな声でそう伝えると、嬉しそうに笑ったシューゴが優しいキスをくれた。
§§
「で、結局収まるところに収まったわけね?」
大学近くのコーヒーショップで、ピーチミルクフラッペ片手のアリサに確認され、私は反論した。
「いや、収まるところってわけじゃ」
「え、トコちゃんは俺の隣にいてくれるんでしょ?」
しかし、私の反論の言葉は隣のシューゴの声に叩き落とされた。ちゃっかり私の隣に座ってカフェラテを飲むシューゴは、うるうると潤んだ目で私を覗き込んでくる。まるで大型犬が甘えるような風情に邪険にもできず、アリサへの反論は口の中でうやむやになっていく。
「それは……、まあ、そうだけど……」
「っかーーーッ!ほらそうやってすぐいちゃつくー!」
「いちゃついてないよ!」
「どこがよ!ていうか、さんざん拗れた両片想いが両想いになったんだからいちゃつきなさいよ!」
「アリサ!?」
アリサはやさぐれたようにフラッペをずずずずずっとお行儀悪く飲むと、どんっ、と机の上に叩きつけた。
「あのね、北斗のシューゴとトコちゃんは有名って言ったでしょ?あれね、『どう見ても付き合ってるのに付き合ってないって言い張るカップル』で有名だったんだからね」
「嘘!?」
「本当、本当。でも、シューゴはツラが良いからイベントとかに行く時の臨時彼氏として丁度良いって評判だったんだよね」
「知らない!!」
アリサの口から私の知らない情報がぽんぽん飛び出してきて、思わず頭を抱えてしまう。それじゃあ、私がずっとシューゴの彼女たちに嫉妬してたのは、とんだ的外れってこと!?
「そりゃ、お隣の番犬が……」
「アリサさん、季節限定のピーチパフェも奢りますよ」
私とアリサのやりとりを黙って聞いていたシューゴが、突然口を開いた。
「トコちゃんも、ここのスコーン好きでしょ?俺が奢るから買ってきて♡」
「え?今アリサに聞いてる事が……」
「あ、あと俺カフェラテのおかわりも欲しいなあ。ね、トコちゃんお願い!」
このおねだりモードになったシューゴは面倒くさい。思いどおりになるまで粘るし、却下すると延々根に持つ。大したワガママじゃなければ、聞いてしまった方が楽なのだ。
「~~っ、もう分かった分かった!ごめんアリサ、ちょっと待ってて」
シューゴに渡された財布を手に、カウンターへ向かう。しかし、この間にアリサはシューゴに丸め込まれたらしく、どんなに聞いても『私たちの噂』については教えてくれなくなったのだった。
コーヒーショップを出ると、外は既に薄暗くなり始めていた。アリサと別れて、シューゴと一緒に歩く。
「今日はご飯いる?」
「今日は母さんに外で一緒に食おうって言われてるから。あ、トコちゃんもおいでって言ってたわ」
「もー、そういうのは早く言ってよね」
おばさんとの待ち合わせにはまだ時間があるので、一度家に帰ってから出掛けることにする。
「ん」
私の右側を歩くシューゴが、不意に手を差し出した。
「何?持ってもらうものないよ?」
「そうじゃなくて」
苦笑したシューゴと差し出された左手を見て、ようやく手を繋ごうとしてくれていることに気がつき、顔から火が出そうになる。
「イヤ?」
真っ赤になってうつむいていると、心配そうな声をかけられた。シューゴと手を繋ぐなんて、前は当たり前だったのに、好きな相手だと思うと恥ずかしくて仕方ないわけで。でも。
「イヤなわけ、ないでしょ」
憎まれ口を叩きながら、差し出された左手に右手を重ねる。ちょっと震えているのには気づかないで欲しい。そう思っていると、ニヤリとシューゴが笑う。
「うーん、50点」
そう言って、ただ重ねただけだった手を、指を絡めるようにして繋ぎ直す。
「えっ」
「次からはこーやってね」
ちゅっ、とおでこにキスをされて、ますます顔面が熱くなる。
「シューゴ!」
「あはは、俺今すんごい浮かれてんの」
「もう!」
口では怒ってはみるものの、私だって本気で怒っているわけではない。同じ気持ちでいられることが嬉しくて、自然と頬が緩む。
「……私はこれからもずっと、シューゴの隣にいるからね」
「……俺も。俺も、ずっとずっと、トコちゃんの隣にいるからね」
二人で顔を見合わせると、どちらからともなく唇を重ねる。
変わらないこと。変わっていくこと。これからも、きっとたくさんあるだろうけど、隣にはきっといつもシューゴがいる。それだけで大丈夫だと思える。
いつかは拒否したこの手を二度と離さないように、私はそっと繋いだ手に力をこめたのだった。
いかがでしたでしょうか。
前作とは全くテイストの違うラブコメです。
両片想いが大好きなんです。
もう少し、シューゴから見たエピソードも書けたらなあと思ってます。