僕はきっと、あなたのためなら何にでも
幼い頃の僕は、本が好きなだけのおとなしい普通の子供だったと思う。
僕は竜の国に生まれ、ヴィーカギースと名付けられた。
祖父は王族に直接仕えられるような高い立場にいると聞かされていたけど会ったことはなく、何人かいるらしい伯父たちにも会ったことはない。
父は下級騎士で同じ敷地に住んでいたけど、僕が暮らす離れに様子を見に来ることはほとんど無くて、兄弟もいない僕は一人でいることが多かった。
寂しいとは、あまり思わなかった。
本の世界に思いを馳せれば、僕は何処にでも行けるし誰とでも会えたから。
幼年期を過ぎて学校に入っても僕の生活は変わらなかった。
祖父や伯父とは会ったことがないままで、父もあまり見たことがない。
幼年期と同じように、贅沢品でなければ欲しいものを父が暮らす母屋に伝えに行けばそのうち離れに届けられたし、食料は日に三回そのまま食べられるものが届けられていた。
母親と会ったことがないのは僕たち竜にとっては普通のことで、何も疑問に思わなかった。
竜には女は生まれないから、竜の子は父の番の人の女から生まれるのだと聞いていた。
けれど人の女は弱いし寿命も短いから、番の相手に大切にしまわれているのだと。
大切にしまっていた番も十年ほどで死んでしまうから、その亡骸は竜の姿になって番が食うのだと習った。
どうしてお墓を作らず食うのか不思議に思って教師に質問すると、竜と人の寿命の違いを教えられ、成人後は百年ごとに新しい番が現れるから、全部の番のお墓を作れば国の土地が足りなくなってしまうと教えられた。
僕は、番は唯一で大切なものだと古い物語で読んでいたから、まるで邪魔なものを処理するような考え方にますます不思議に思ったけれど、もう質問はしなかった。
学校で教わることよりも、本から得られる知識や物語の方が僕には気持ちよく頭に入れることができたから。
かと言って、別に教師や周りの大人に反抗するようなこともなかった。
人型も取れない邪悪な野生の竜が念話で精神攻撃をしてくるから、子供は城壁の近くに行ってはいけないと言われて従っていた。
悪ガキと呼ばれる先輩や同級生たちが言うには、城壁の近くまで行くと都市の外から恐ろしい女の声が念話で聞こえるらしい。自分はお前たちの姉だ、叔母だなどと有り得ない嘘でこちらを動揺させて討伐を逃れ、都市を攻撃しようとしてくるらしい。
女が生まれず存在しない竜に、姉や叔母がいるわけがないだろと彼らは笑っていた。
僕にはこれも不思議だった。竜の国の古い物語には、竜のお姫様や女騎士の出てくる話もたくさんあったから。古い言葉で書かれているから、僕の他にそういう本を読んでいる子供はいなかったけど。
新しい物語には竜の女が登場することはなくて、邪悪な野生の竜を討伐する勇敢な竜の男の話が溢れていた。似たような話ばかりで飽きてしまい、古い言葉を独学で習得した後は昔話にばかり夢中になったけど。
二百年でようやく成人した僕は、憧れていた城壁の外の世界へ旅立った。
外は危険だから成人前は出てはならないというのが国の法律で、破った子供はしばらく牢屋に入れられることになっていた。
噂では、そのまま戻って来ない子供もいたらしい。
牢屋に入れられたままなのではなく、危険な城壁の外で負った怪我が元で死んでしまったのだと伝えられていた。
だけど出てみた外の世界に、子供だとしても頑丈な竜が死に至る怪我を負うような危険は見当たらなかった。
帰って来なかった子供たちは、よほど運が悪かったのだろうか。
そんなことを考えながら、僕は物語でしか知らない、竜にとって唯一である番を求めて旅をした。
引き寄せられるような感覚に逆らわずに進んで行くと、人の世界でも質素と言える小さな建物に若い女の人が住んでいた。
───彼女が僕の番だ。
すぐにわかった。
他の誰とも見え方が違う。彼女だけが周りの世界から浮き立って輝いて見えた。
様子をうかがっていると彼女は時計の修理を生業にしているようで、客から「ターニャ」と呼ばれていた。
最初の贈り物は花にした。
跪いて花を差出し、名を呼んで愛を乞うた。
目も合わせてもらえず、声も聞かせてもらえなかった。
何を間違ってしまったのか分からなかった僕は、もっと良い贈り物を手に入れるために頑張ろうと思った。
人の世界のお姫様が金色水晶を贈られて喜んでいるのを見かければ、鉱山でもっと大きなものを採掘して彼女の家を訪ねた。
人の寿命の短さを思い出して、慌てて万病に効く薬草を採りに行った。
身を護るお守りになると本で読んだから、幻獣の里に行って何種類か狩り、皮や角を剥いで装飾品を作った。
遺跡の迷宮にはどんな国の国王の権力でも手に入れられない宝が眠っていると聞けば、何度でも世界中の遺跡に入って探し尽くした。
彼女の喜ぶ顔が見たくて、何なら喜んでもらえるのか分からなくて、物語に出てきた怪物をたくさん斃しては、怪物が持っていたものや護っていたものを手に入れた。
気がつけば十年なんてあっという間だった。
竜の国で習った人の寿命は十年。
彼女が死んでしまうのかと怯えていたけど、彼女は変わらず元気そうだった。
もしかしたら竜の国の空気が人には合わなくてすぐに死んでしまうのかな。
だったら連れて帰る前に、絶対に彼女を守り切れるような強い守護の力を持つ宝物や妙薬を手に入れなくては。
古代の碑文を解き明かし、もっと強い護りを求め、神代の伝説に沿って、竜の僕が彼女と一生共に在るために必要な道具や材料を掻き集めた。
簡単なことではなかったけれど、彼女を想えば怪我も困難も何も辛くはなかった。
秘境や迷宮に棲まう化け物たちから「バケモノ!」と詰られても何も堪えなかった。
僕が気にするのは彼女からの評価だけだ。
彼女が僕とともに生きることを選んでくれるのなら、他の誰に何と呼ばれても構わない。
神の眷属たちも僕の姿を見ると逃げるようになったけれど、そっち側の情報が必要なら追いかけて捕まえれば聞き出せたし、彼女は僕の姿を見ても逃げないでくれているから気にもならなかった。
抵抗する神の眷属を殺して海底神殿の秘宝を手に入れた僕が彼女を訪ねると、初めてその冷静で理知的な瞳と目が合った。
舞い上がった僕の心は、すぐにドン底に突き落とされることになる。
「私には竜の女として生きた前世の記憶がある。竜の男の卑怯で汚い本心を知っているのに頷くわけがないだろう。だが、お前にはお前の事情もあるのだろう。合意を得ようとした努力は認める。私の寿命が尽きたら魂が肉体にあるうちに食えばいい。そうすればお前には力が増え、百年後には新しい番も発生する」
彼女の話す言葉の内容が、僕にはうまく飲み込めなかった。
理解ができなかった。
どういうことなのか、どうなっているのか。
彼女の言葉に疑いなど微塵も持たなかった。
彼女は僕の知らないことを知っていて、だから僕の愛は受け入れられなかった。
ぐるぐると考えなければならないことが頭の中を巡ったけれど、それよりも何よりも、彼女の寿命が尽きかけていることに、僕は情けなく怯え気持ちを沈ませることしかできなかった。
僕が集めた薬や道具や秘宝で尽きかけた寿命を延ばすことは可能だ。
だけど、今の彼女にそれをしても、僕の気持ちを受け入れられないのはわかっていた。
新しい番なんかいらない。
竜にとって番が唯一の存在だという昔話が本当だったら、ずっと先でもずっと遠くでも、待ち続ければ探し続ければ、きっとまた唯一の彼女に再会できる。
そのために、待てるだけの寿命を得なければ。探せるだけの強さを得なければ。
しばらく離れてしまうことになるから、今は片時も離れずに傍にいよう。
僕が欲しいのは彼女だけ。
僕の唯一は彼女。
追い払わずに傍にいることを許してくれた彼女を、僕は八日後に看取った。
彼女の亡骸に縋り、身も世もなく僕は慟哭し続けた。
命を削らなければ生み出されないと伝えられる『竜の涙』が彼女の亡骸の上にたくさんこぼれ落ちた。
きらきらとしたそれに彩られた彼女は、亡骸なのにやっぱり美しくて、僕はもっと『竜の涙』を生み出した。
二粒も生み出せば命を削り尽くして死んでしまうと言われる『竜の涙』を両手に余るほどこぼしても、僕が死ぬことはなかった。
たくさんのきらきらに飾られた彼女の亡骸を見つめながら、いつか再会できた時には、僕の『竜の涙』で作った装飾品を贈ろうと決めた。
何を作ろうかな。
最初は耳飾りを贈ろう。僕の声がいつでも届くように。
次は首飾り。息を吸うたびに僕を思い出せるように。
それから腕輪。僕とずっと手を繋いでいるみたいに。
足輪は二度と僕から離れて遠くへ行かないように。
心臓の上、胸に飾るブローチも作ろう。
指輪は止めておこう。末端すぎて簡単に切り落とせてしまう部分に着けるのは危ないから。
『竜の涙』は竜の国でも王族への献上が義務付けられる至高の稀少品だ。
───僕は献上なんかしないけど。
あぁ、彼女の魂も天に還ったみたいだ。
また会う日のために僕もここを出なければ。
愛しい番の魂が抜けた亡骸を埋葬して、僕は真実を知るために国へ戻った。
古い言葉で書かれた昔話と現在の竜の国の乖離を調べれば、彼女の最後の言葉を理解できる気がした。
五十年ぶりに戻った竜の国は旅立ちの前と何ら変わりはなく、男ばかりが外を闊歩している光景は国の外を見慣れてしまった僕には異様に映った。
学校では武術の授業に熱心ではなく、卒業しても成人して国を出るまで特に鍛えたこともなかった僕だけど、帰国して視界に入る竜の誰も彼もが今まで屠ってきた宝物の番人たちより弱そうに見えた。
国を出る前は強そうに見えていたような気もするけど、どうでもいいことは忘れてしまった。
重要なのは、僕の目的を邪魔するものを排除できるかどうかだけ。
誰でも閲覧できる蔵書しかない図書館では知りたい答えは見つけられない。
禁帯出の本や資料は都市の図書館ではなく城の書庫にあるらしい。
騎士が護っていたけど、彼らは僕が狩った大きい幻獣より弱かった。
許可の無い者が入れないように扉に施された術も、それを上回る力で扉ごと破壊したら関係なかった。
周りが騒がしかったけど、僕の力で作り出した壁を壊して侵入できる竜はいなかったみたいで、誰にも邪魔されずに禁書や古い資料を読むことができた。
古い資料からは竜にも女が存在していた事実を読み取れたし、竜の番とは昔話の通り唯一無二の存在であることが示されていた。
それに、昔話に度々出てきた僕の好きなフレーズを真実として裏付けるデータも見つかった。
──竜は番への想いを募らせるほど強くなる生き物なのだ。
僕が夢中になった昔々の物語では、格好いい大人の竜がそう言っては立ちはだかる敵たちを倒していた。
いつか僕も言ってみたい台詞だった。
古い資料には、番のためにどれだけどのようなことをしたか、その竜の国内における強さの順位などが統計として記されたものもあった。
番のために解決した問題の難易度、番のために戦った敵の強さ指数、番のために手に入れた物の入手難易度、それによる竜の強さの成長度合いが一覧表になっている。
正に、番への想いを募らせるほど強くなる結果がそこにはあった。
だけど僕が国を出る前に、「番のために」危険を冒す竜なんて見たことも聞いたこともなかった。
大人の竜の強さを表すのは両手両足の爪に現れる紋様で、数が多いほど年齢も高く強いのだと言われていた。
滅多に会うこともなかった父の爪にも幾つかあったように思う。
街を闊歩する男たちにも、僕に簡単に吹っ飛ばされた扉を守る騎士らの爪にも紋様はあった。
でも、みんな弱いよね?
僕が子供の頃聞かされていた強さの指標と実際の強くなさに関しては、禁書の中に答えがあった。
禁術『番食い』。
用意するもの。正式な婚姻前の番。
魂が抜け出る前の番の亡骸を魂ごと丸呑みにすることで力を得る呪術。
神の定めの隙を突いた邪法。
神の定めにより、竜は種族的に力の劣る人の番に無理強いや危害を加えることができない。同意を得なければ国へ連れ帰ることはできないし、思い通りにできないからと暴力を振るったり殺すことはできないのだ。
僕はそんなことをしようとも思わないけど、しようとしても意思に反して体が動かないらしい。
だから竜は番に贈り物をして愛を告げ、同意を取り付け国へ連れ帰る。
竜は番以外とは繁殖できない生き物だ。
正式に婚姻を結ばないくせに、『番食い』でも食う前に子を産ませることを推奨している。そこまでは番に優しく接して甘い言葉をかけるように指南している。
子を産む役割を果たす、または十年前後を区切りとして、連れ帰った番に『番食い』の準備を始めるようだ。『番食い』の準備とは番の心を傷つけること。体に危害を加えることは神の定めにより不可能だが、心を傷つけて自ら命を断つよう仕向ければ、最短で番の魂入りの亡骸が手に入るのだと書かれている。
神に背く邪法を行った者の証として、罪業の紋様が爪に浮かび上がるが、手ならば手袋、足ならば靴、または爪用化粧品を塗ることで隠せばいいとアドバイスが追記されていた。
禁術『番食い』の項は術の失敗者の経験を踏まえて何回か改編されていた。
自殺するための毒や刃物を与えたり、早く弱らせるために食事を与えなかったり、暑い寒い不潔など監禁する部屋の環境を悪化させると次の番が発生しなくなるそうだ。
竜が正式な婚姻前に死んだ番の魂を食うことで、その番の魂は転生することがなくなる。神に、この世界のどこにもその竜の番の魂が存在しないと誤認させることで、新しい番の発生条件を満たすのだそうだ。
けれど、間接的であれ竜が殺したから番がいなくなったと裁定されるような「ぬかり」があれば、神罰として二度と番を得られなくなるらしい。「ぬかり」を避けるためのマニュアルまであった。
禁術で浮かび上がる紋様は禁術一回に付き一つ。一つの爪に浮かび上がる紋様は一つと決まっている。
だから禁術が行えるのは両手両足の爪の数20回が限界だそうだ。
罪業の紋様は死後に神の許で裁かれる時に罪の重さを測る指針と言われているけれど、全ての爪に罪業の紋様が浮かぶと、生前でも神から大罪人であることが隠せなくなり、それまで「ぬかり」なくやっていても、二度と番を与えてもらえなくなるのだそうだ。
限度数なく禁術を繰り返すために神を欺こうと、紋様のある爪ごと指を一本切り落とした竜がいたらしいけど、禁術一回分で得た力も消えてしまったそうだ。そして新しい番も発生しなかったという。
彼女の最後の言葉を半ばは理解できた気がするけど、彼女との再会の日のために、僕はもっと知らなければならない。
書庫なんかじゃなくて、もっと城の奥の、国の重要機密が保管されているような場所なら、僕の知りたい知らないことがわかるかもしれない。
うるさく騒ぐ者たちに囲まれたけど、城の奥へ奥へと進んだ。
その度に囲む数と鬱陶しい手出しが増える。
──どうして邪魔をするのかなぁ。弱いくせに。
物理でも魔法でも僕に攻撃を当てられる竜はいない。見なくても避けられるくらい遅いけど、避けるまでもなく僕が纏う防御の力に阻まれる程度のもの。
人型では敵わないと考えたのか竜の姿になった彼らの爪は、随分と紋様で汚れたものが多かった。
爪は牙と同様に竜の誇りだというのに、その誇りに罪業の証を記されて「強者の証だ」と自慢していた年上の竜たち。
馬鹿だね。どうせ竜の姿になっても僕には敵わないのに。
秘境の空を翔ける神の眷属の鳥の方が、まだしも強かったよ。
こいつらのせいで、僕は今、愛しい番の彼女と離れ離れになっているんだなぁというのがじわじわと来て、ついバラバラにしてしまった。
機密文書を解説できる立場の竜を、誰か残しておかないといけないのに。
あ、国王なら解説できるかな。それとも、僕の祖父だと自称する宰相を名乗った奴で足りるかな。
どっちにしろ爪が汚いから後でバラバラにするんだけど。
城の奥で手に入れたのは、機密文書と古文書。
古文書には、脱力するほどくだらない理由で禁術を始めた王子の話もあったけど、僕にとって有益な本来の番の意味と正式な婚姻の結び方を知ることもできた。
機密文書には、禁術を始めた馬鹿王子を守るために改悪してきた竜の国の慣習や法律の変遷が記録されていた。
馬鹿王子を正当化するために、竜が力を得る一般的な正しい方法として「魂ごと番を食うこと」を広め、爪に浮かび上がる罪業の紋様は「強者である印」と発表した。
既に正式な婚姻によって唯一無二の番を得ている竜たちには、懐柔できなければ刺客を送って葬り、成人前の子供たちには国営の学校に入れて刷り込むような教育を施した。
禁術の妨げになる正式な婚姻のやり方を大人が子供に教えることも、法律によって禁じられた。
やがて番と正式な婚姻を結ぶ竜がいなくなると、竜には完全体で生まれる女もいなくなった。
正式な婚姻を結んだ番相手に禁術は使えない。禁術を使うために正式な婚姻を結ばなければ、完全体で生まれるのは竜である方の性別の子供だけだ。
最初に禁術を行ったのが姫ではなく王子だったために、法や慣習の改悪に守られた結果、完全体の竜は男しか生まれなくなった。
そして、卵で生まれて人型にもなれず竜珠も持たない竜の女は、卵のうちに城壁の外の山奥に捨てるという法律が新たに作られた。
この頃からは、竜として生きるならば『番食い』は当然のことであると納得しても、卵で生まれた自分の子供を捨てることには納得できない竜たちの罪悪感を消すために、男尊女卑教育に力が入れられるようになる。
男しかいない国で、男が如何に女より優れた存在であるかを刷り込む不毛な教育だ。
しばらくすると、卵で生まれた自分の娘を捨てることに抵抗感を持つ竜はほぼいなくなる。たまに現れると投獄されて、危険思想の持ち主として公にせず処刑されていた。
こうして、禁術の影響で完全体で生まれられず卵のうちに捨てられた竜の女は、「野生の竜」として大人の竜の男に討伐される現在に繋がる。
成人前に城壁の外に行くのが法律違反なのは、禁術の『共犯者』になる前に、念話で意思疎通が可能な竜の女から真実が暴かれるのを防ぐためで、城壁の外に出た子供が連行されるのは、真実を知ったかどうか取り調べるためだった。連行されて戻らなかった子供は、真実を知ったために口封じで殺されていた。
成人前の竜は真実を知らない者しか生き残っていない。
学校や親から十分に、「力を得る素晴らしさ」と「力を求めない竜は生きている意味がない」こと。それに、「野生の竜は邪悪な討伐対象」であることや「番は神が竜に与えた恩恵」であること。そして、「竜は神に選ばれた強い種族だから男しか生まれない」のだと教えられて成人までの二百年を城壁の中だけで育つ。
僕は親から放置されていたし、授業中も頭の中は本の内容を反芻していてよく話を聞いていなかったけど、親や親族との関係が濃密で真面目な竜なら、成人後に番を連れ帰って聞かされる話を抵抗なく受け入れられるのかもしれない。
僕には無理だけど。
もし今回彼女を連れ帰ることができていたとして、年長の竜たちから、「番は繁殖後に力を得るために食うだけのモノだから心を寄せてはいけない」とか、「番が産んだのが卵なら捨てるから回収する」とか、「立派な竜の国民ではなく邪悪な討伐対象しか産めない役立たずの番」なんて言われたら、結局怒り狂って今と同じように周りの竜をバラバラにしたり城をあちこち瓦解させたりしただろうな。
彼女の心を傷つけて自殺に追い込む効果的な言葉や態度のマニュアルなんか差し出されても、差し出した相手ごと跡形もなく燃やすだろうし。
ごちゃごちゃうるさいから20本の汚い爪を指ごと切り落としたら塵になって消えた自称僕の祖父は、僕の父が下級騎士の身分で留まっていたのは番に卵ばかり産ませていた甲斐性なしだったから、とか言ってたなぁ。
兄弟はいないと思っていた僕の姉や妹は、もう誰かに『討伐』されたんだろうか。
この国の中には、前世の彼女を「討伐」と言って殺した奴か、その関係者がまだ生きているのかなぁ。
あぁ、むかむかするなぁ。
この僕の腹の中のむかむかを、一度すっきり吐き出してしまおう。
叫び声が聞こえる。
愛しい彼女に呼んでほしい僕の名前を、勝手に口にする男の声。
ずっと殺して奪う立場だったくせに、奪われる立場になったら命乞いをする声。
いらない。
いらない。
彼女を傷つけたもの。
彼女を傷つけるかもしれないもの。
そんなものの存在を許していたら、彼女を迎えに行けないじゃないか。
竜の姿で咆哮し、力の塊を地上目掛けて吐き出して、僕は優しい未来へ思いを馳せる。
いつか彼女と暮らす日のために、彼女が住みやすい国であればいい。
彼女の全てを守りたい。
かつて傷つけられた彼女の全てを癒やしたい。
この国は、いらないものが多すぎる。
一度壊してしまおう。僕にはそれができるから。
禁術など名残も消し去った国なら、彼女は喜んでくれるだろうか。
竜の女が差別されない国なら、彼女は喜んでくれるだろうか。
僕が彼女のためにできることは何だろう。
僕は彼女のためなら何だってする。できるようになる。
───僕は彼女のためなら何にだってなれる。
地上からの悲鳴も聞こえなくなった。
人から見たら竜なんてどれでも化け物に違いないのに、僕は竜たちから「バケモノ」と叫ばれていたみたいだ。
別に構わない。その方がこれから、消さずに残しておいた年少の竜たちの『再教育』がやりやすい。
禁術に手を染めた竜は、もうこの世にはいない。
罪業の証を目印に、神の許で重い罰を受ければいい。
真っ白な爪の竜たちは、これから僕が導いていこう。
彼女が暮らしやすい竜の国を作るために。
───再会が待ち遠しい、愛しいあなた。
次にこの手に囚えたら、決して、はなさない。
愛している。僕の番。