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エピローグ・中

 一晩も無視した挙げ句にメッセージで返しては火に油を注ぎかねない。

 そう思って電話をかけたが、出る前にコールが切れた。

 そこまで怒っているのかと思わずスマホの画面に目をやり、充電が切れたことを知る。

 まぁ、いいか。

 メッセージより電話なら、電話より対面だ。

 面と向かって、連絡が遅れたことを詫びればいい。アヤの時と同じだ。

 喫茶店から我が家までは、急げば五分とかからない。

 足早に向かうと、途中で向かいの家のおばさんとすれ違った。手には大きな袋。会釈しつつ、そうか今日はゴミの日だったか、と思い出す。もう少し急いだ方がいいかもしれない。

 足早程度だったのが競歩みたいになって、やがて小走りになる。

 大した距離ではないはずなのに、随分と長いこと歩いていたように感じられた。

 家が見えてくる。

 二十年以上を過ごして、内装も何も全て脳裏に思い描ける我が家だ。

 玄関のドアを開けてすぐそこに仁王立ちしている姉貴の姿すら、想像しようと思えばできた。

 それだけで足が遠のくが、自分で撒いた種だ。腹を括ろう。

 と、覚悟を決めた次の瞬間だった。

 どうやって開けるのが一番心証が良いかと、そんなことを考えながら睨んでいたドアが独りでに開いたのだ。

 いや違う。

 自動ドアじゃないんだから、勝手に開くことなんてない。

 誰かが内側から開けたんだと気付いた直後、その『誰か』が姿を現す。

 姉貴だった。

 髪には寝癖が付いたままで、眼差しは落ち着きなくあちこちに向けられている。

 何かを探しているのは明白だった。けど、何を? 脳裏に最悪の可能性がよぎるが、違ったようだ。

 俺が姉貴を見つけたように、姉貴も俺を見つける。

 一瞬、その眼差しに怒気が孕んだように見えたのは、果たして気のせいだろうか?

「トウヤ……ッ!」

 早朝、と言える時間ではないが、だとしても些か近所迷惑じゃないかと不安になる大声。

 曖昧に笑ってみるも、そんな誤魔化しが通用するはずもなかった。

「あぁ、姉貴。おは――」

「バカ! あんた……、あんた、どこ行ってたのッ! バカ、バカ、バカ――ッ!」

 本当に一児の母なのかと問いかけたくなる言葉だった。

 だが、俺に何かを言う資格はないだろう。

 詰め寄り、ほとんど縋り付く格好で叫ぶ姉貴の姿を見て、それでもまだ怒られているなどと思えるほど、俺も幸せな頭はしていないつもりだ。

「心配、したじゃない……!」

 俺はどんな顔をすればいい?

 怒られる方がまだマシだった。どんなに強く汚い言葉よりも、それは胸に突き刺さる。

「……ごめん」

「ごめんじゃないわよ、バカ! 嫌なら嫌でいいけど、返信くらいしなさいよ……!」

 この姉にして、この弟あり、か。

 昨日と今日で何回の馬鹿を口にし、何回バカと言われただろう。

「ごめん。返信できる状況じゃなかったんだ」

「だからってワン切りすることある!?」

「ごめん。充電が切れちゃって……」

「だから悪かったって言ってるじゃない! そんな嘘つくくらい嫌なわけっ!?」

「嘘じゃないんだけど……」

 あと、さっきから謝っているのは俺だけだ。

 いつ謝罪の言葉があった? ……いや、やめよう。もう懲り懲りだ。

「姉貴、ごめん。ちょっと話を――」

「分かってるわよ、私だって……。怒らせちゃったって。八つ当たりみたいなことして、怒らせたって。けど……でも、心配したんだから。そりゃ心配するわよ。なのに、なのに……!」

 どうしたらいいんだろう。

 泣くのはずるい。卑怯だ。弟だろうと、男には何もできなくなる。

 だが、そうでもないのだろうか。

 一度は自然に閉じたはずのドアが、また開いた。

「舞」

 そして、姉貴の名を優しく呼ぶ声。義兄さんだ。

「だから心配はいらないと言ったろう? それにほら、トウヤ君が困ってるよ。一旦中に入って落ち着こう。お義母さんがお茶を淹れてくれてるし、君がいないとリクも不安そうなんだ」

 俺には絶対に出せない声と、雰囲気だった。

 落ち着き払った調子で言われ、姉貴の言葉の弾丸も止む。涙を引っ込ませて恨めしそうに……違うな、どこか恥ずかしそうに睨んできた。旦那の前では恨み言も言えず、ぷいとそっぽを向く。

 伊達に結婚しちゃいない、というわけか。この手の扱いには慣れているようだ。

 そそくさと玄関に引っ込んでいく姉貴を一瞥し、その背を追おうとはしない義兄さんに目を戻す。

「どうも。助かりました」

 軽く頭を下げながら言うと、義兄さんも小さく笑う。

「ごめんね。心配することはないって言ったんだけど、聞かなくて」

「ご迷惑をおかけしたようで」

「僕だって朝帰りを咎められるほど立派な人間じゃないよ」

「そういうわけじゃないんですが……」

 いや実際問題、朝帰りは朝帰りなんだけど。

 頭をかく。少し面倒臭い。義兄さんも嫌いではないんだけど、ちょっと苦手だ。

 まぁ、今更か。

 ずっと分かっていたことだ。我慢していたところもある。

 だがやはり、いい加減、面倒ではあった。

「義兄さん」

「ん? 何かな」

 言いながら、ちらりと玄関を見やる。

 待たせてるよ、と言外に言っているのは明らかだった。

「まぁ、なんです。義理とはいえ兄弟なんて、腹割って話そうかと」

「今かい?」

「後の方がよければ、後でいいんですけど」

「……そうだね。ごめん。先に話そう」

 何が『そう』で、何を『ごめん』と言ったのだろう。

 答えなんて、問うまでもない。

「今だから言うんすけど、理由もなく謝られるのって嫌いなんすよね、俺」

 義兄さんは首を傾げた。

「えっと、どういうことかな。意味は分かるんだけど、理由もなく謝ってるつもりは――」

「あぁ、すみません。言葉足らずでしたね」

 嫌だなぁ。面倒だ。

 まだしも最初から話を聞こうとしない姉貴の方が楽ですらある。

 アヤには遠く及ばない。そりゃ、そうだ。俺と義兄さんは結局のところ他人で、姉貴を介して各々の好みとは関係なく家族になっただけの関係に過ぎない。

「正当な理由なく謝られるのも嫌いなんですよ」

「まるで僕が正当な理由なく謝ってるみたいな言い方だね」

 あっけらかんと言われると、それはそれで笑ってしまう。

「そうじゃないですか。そんな当てつけみたいに謝られても、気分良いわけないですよ」

「…………」

 言いたくはなかった。

 なにせ、姉貴の旦那だ。姉貴が好きになって、結婚までした相手だ。

 悪く言いたくはない。気分を害したくはない。義兄さんのためではなく、姉貴のために。

 だが、限界だ。

 そっちがその気なら、こっちもその気になってやるしかない。

「俺は姉貴と二十一年も一緒に過ごしてんすよ? たかだか数年で追い越される気はないっていうか、そもそも何年か恋人と夫婦やった程度で全て知れるほど底の浅い人じゃないですよ、うちの姉貴は」

 義兄さんは嫉妬に似た感情を俺に向けている。

 当然、姉貴のことで、だ。

 俺にとって姉貴は、言ってしまえば、アヤ以上に長く接していた相手である。会話が噛み合っていないように見えても、事実噛み合っていなくても、通じるところがないわけがない。

 昨日、姉貴は相当に取り乱したのだろう。

 どうにか寝かしつけたが、朝になっても帰っていないことを知って飛び出したに違いない。

 義兄さんからすれば、あまり気分が良くないはずだ。

 大の大人がそんなことで妬くかよ、と笑ってやりたいが、我が義兄はそういう男である。

「はは……」

 ほら、この通り、他にできることもなくて笑っている。

「底の浅い人じゃない、なんて言われたら返す言葉がないな。二十一年云々までは想像が付いたんだけど……、そうだね、舞の底はそんなに浅くない。君に言われると立つ瀬ないな……」

「フォローするわけじゃないですけど、義兄さんも中々だと思いますよ。少なくとも俺とか親父には、あの状態になった姉貴を止めることなんてできません」

 差し詰め、火中の栗だ。

「悪かったよ。素直に謝らせてほしい」

「ちゃんと理由のある謝罪なら喜んで受け入れますよ。……こっちもすみませんね、色々」

「手打ちにしてくれると助かるよ」

「そりゃ有り難い話で」

 いっそ握手でもしようか。

 手持ち無沙汰を誤魔化そうと手を伸ばしかけたところで、玄関のドアが開け放たれた。

「遅いっ!」

 我が家の若妻がお怒りである。

「行きましょうか」

 言うだけ言ってさっさと引っ込んでしまった姉貴を待たせまいと、止めていた歩を再開する。

「あぁ、そうだ、トウヤ君」

 その背に、義兄さんの声が降りかかる。

「お詫びの印ってわけじゃないから……まぁ、餞別とでも思ってほしい」

 言われ、振り返る。

 小さな箱が飛んできた。反射的に受け取ってから、それが見慣れたものだと気付く。

 煙草だ。

 勿論、俺が吸っている銘柄。

「昨日、残りが少なくなってたからね。どうしても探しに行くっていうなら、舞に持たせるつもりだったんだ」

「嫌な視力してますね」

 昨日というのは、俺がハルと会う前、リクが泣いた時のことだろう。

 俺ですら残りの本数なんて気にかけちゃいなかったんだが、それ以上に――。

「ところで、餞別ってなんのことですか?」

「勘違いだったら謝るよ。でも、どうも少し前の僕みたいな目をしてたからね」

 少し前の義兄さん?

 なるほど、そりゃ気付くか。

 義兄さんが結婚の挨拶に来たのは、捉えようによっては『少し前』だ。

「じゃあ援護してくれると助かりますよ。俺が家を出るって言ったら、いの一番に反対するのが義兄さんだったはずですから」

「勿論、惜しみなく援護させてもらうよ。僕たちに遠慮してってことなら話は違ったけど、そうじゃないなら、まぁ……」

「喫煙者のいる家で子育てはしづらいでしょうね」

「僕ならもっと優しい言い方をするね。けど、その通りだ。ニコチンは良くない」

 義兄さんは乾いた笑みを浮かべた。

「でも、よくパッと見で本数と銘柄が分かりましたね。ずっとポケットに入れてて、じっくり見るタイミングなんてなかったはずですけど」

 笑ってやると、同類の笑みで返された。

「想像にお任せするよ」

 姉貴は煙草が嫌いだ。

 理由なんて、それだけで十分なのかもしれない。

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