5 戦闘後、何故か謎の美少女に惚れられたようです
1
深夜の砂漠。街を出て30分くらい歩いたころだろうか。アイリスが唐突に歩みを止めた。
「これくらい街から離れれば、もう大丈夫ね」
言いながら、空中に何やら光で描かれた図形を展開したアイリス。
「――見つけた。標的は、ここから東におよそ152km地点を移動してる」
「152km!? 遠くねぇか!? 明日までに戻ってこなきゃならないんだぞ?」
予想外の距離に、意図せず声が大きくなってしまった。
「何を言ってるの? 152kmなんて目と鼻の先よ」
「はい!?」
意味が分からない。
「飛んで行くのよ。そのために夜まで待ってたんだから。昼間だと目立つでしょう?」
「飛ぶ!? 飛べるのか!? 俺!?」
あまりの衝撃に、自身から出た声は完全に裏返っていた。
「当たり前でしょう? 貴方の取り込んだのは、フロンティア女王直轄組織ナイツ・オブ・クイーンの第五位、『破壊の女神』とまで言われたこの私、アイリス・クラウンの専用機体よ。機体出力ではフロンティアでも最高出力を誇るこの世でたった一機の超級殲滅特化型。量産機のネメシスでさえ音速の4倍速で飛ぶってのに、この私の機体が飛べないはずないでしょう? 馬鹿にしないで」
何を言っているのか全く分からなかったが、唯一思った事がある。それは
――ここまで歩いて来たのはいったい……――
――あら、『旅がしたい』って言ってたから、てっきり歩きたいのだと思ってた――
心の中で呟いたつもりが、きっちり思考伝達で返され、自分の思考が漏れ出していた事に気付く。
思わず深い溜め息が出た。
自身の周りで僅かに空間が歪み、得体の知れない黒色のユニットが囲むように出現する。
――いったいこいつらは普段は何処にいるのだろうか?
という疑問が湧いてしまうが、それを訊くと果てし無く面倒な事になりそうなので、あえて訊かない事にする。
「行くわよ」
アイリスがそう言った瞬間だった。
まるで何かが爆発したような衝撃に襲われる。それに思わず目を瞑り、次に開いた時には既に地上は遥か下にあった。
とんでもない速度感。それに思わず悲鳴が出る刹那、今度はまるで見えない壁をぶち破ったかのような衝撃に襲われた。同時に爆発音のような凄まじい音が空間を伝っていく。
気が気ではない。
「何だ今のは!?」
「音速を超えたのよ」
最早、何が何だか分からない。更に雲海に突き刺さるかの如き勢いで突っ込み、目の前が真っ白になる。
全身を包む加速感は更に苛烈なものとなり、ついには自身を燃え上がるような光が包み込んだ。あまりの事に思考の全てが恐怖に飲み込まれ、絶叫となって溢れ出す。
「ひええええぇぇぇぇ――!!」
「なに情けない声出してるのよ? フィールド張られてるし、貴方に直接超音速の大気が当たってる訳じゃないでしょう? こうやって話せてるのが証拠よ。しっかりしてほらっ!」
アイリスが此方に手を差し出した。半ば縋りつくようにしてその手を掴む。
「なんか可愛い人ね」
そう言ってにこやかに笑ったアイリスの横顔が悪魔に見えた。
2
自立行動型・自動危険分子排除ユニット『デメニギス』
それは地上をただ只管に徘徊し、膨大なリストと一致する者を片っ端から処分するようにプログラムされた殺戮マシーンだという。
その死の宣告には微塵の容赦もなく躊躇もない。そしてエネルギーの尽きるか破壊される日まで、リストと一致する者を探し続けるのだと言う。10年でも100年でも、例えリストの相手が知らぬところで既に死んでいたとしてもだ。
そんな殺戮兵器と今、自分は対峙している。
黒光りする装甲。深海魚にも似た醜悪なフォルムの胴体の至る所で、赤い光を放つセンサー群が生物の眼球の如く獲物を追って動き回る。
下方に突き出た複数の脚部は昆虫のそれに似て鋭い先端を持ち、後方に長い触手を不気味にうねらせていた。
死霊共と戦う際のレジスタンス時代の常識は、相手に認識される前に一撃で仕留めるのが鉄則だった。認識されてしまえば、まず勝ち目はないのだ。
だが、今の状況は正面で向かい合っているような状況った。
足をやや広めに開く事で重心を低く取り、大剣化した右腕を構える。その戦闘意思に呼応するように大剣から得体の知れない光が吹き上がった。
何故、剣なのかと自分でも思ってしまうが、それはレジスタンス時代に唯一良くしてくれた指令殿に連日剣術の相手をさせられた事に起因するのかもしれない。
更に言えば、自分は使い慣れた武器を一切持っておらず、アイリスの言葉を信用するならば『自分は確かにこの剣で敵兵器を叩き切った事実』があるのだ。
そのせいか不思議と大剣化した腕が馴染んでいる気がする。
――来るっ!――
アイリスの声が頭に響き渡るのとほぼ同時だった。
敵の触手の先端が僅かに赤い光を宿す。
次の瞬間、強烈な閃光が薙ぎ払われるが如く放たれた。
あまりの高エネルギーの通過によって爆発的に膨張した大気が衝撃波を生み出し、雷鳴の如き轟音を響かせる。
それを、どうして躱せたのかは分からない。強いて言えば放たれる先が前もって分かっていたとしか言いようが無い。それは未来が見えたとでも言うべき不思議な感覚だった。
――流石は因子保持者ね。システムの未来演算予測を体感で自分のものにするなんて――
頭の中にアイリスの声が響く。
だが、言っている事の意味が分からない。
――それより、なんだこれ!?――
驚いたのは敵の攻撃ではなかった。無意識に行った跳躍で自分の身体が数十メートルも浮き上がった事実だ。自身が先までいた場所にはクレーターの如き衝撃痕が残されている。
眼下では閃光が炸裂した大地に赤々とした溶融面が広がり、僅かに遅れて巨大な火柱が立ち上った。
あの光で、装甲車が一瞬にして蒸発する様をレジスタンス時代に何度も見た。生きた心地がしない。
――高く飛びすぎ。2射目が来る――
――ここ、空中だぞ! どうやって避けるんだ!?――
――さっきまで飛んでたのに何を今更――
――そ、そうか――
妙に納得はしてしまったものの、空中で機敏に動き回る感覚そのものが自分にはない。
敵が此方に真っすぐに向けた触手の先端に灯った光が、見る間に光量を増して行く。
――それより、良く聞いて。下手に中途半端な攻撃であいつを行動不能にしてしまうと自爆してしまうわ。それに動力炉の入手が目的だからそれを破壊するのも論外――
――ちょ、そんな話してる余裕は!――
アイリスにそう抗議した瞬間だった。
敵がついに『それ』を放った。強烈な光が視界を飲み込む。あまりの眩しさに、目の奥が焼け上がるような感覚に襲われた。
空間そのものが振動するかの如きエネルギーの余波が駆け抜け、鼓膜が吹っ飛んだのではないかと思うほどの轟音が通過する。
――ねぇ、聞いてるの?――
――なぁ……今直撃したよな……?――
――したわよ。それが?――
――何も起きてないようだが……――
――あの程度の集積光で、私の機体のシールドが破れるはずないでしょ? 馬鹿にしてるの? あーもうっ! 何処まで話したか忘れたわ。なんか面倒臭くなってきた――
アイリスの最後の言葉に妙な不安を覚え、たまらず、
――ちょっ、アイリス?――
と彼女の名前を呼ぶ。だが、返って来たのは、
――システム権限を全部、貴方に譲るわ。後は好きにして――
と、あまりに素っ気ない声だった。
――はい!?――
――無制限情報リンク、開始――
視界上を意味不明な記号の羅列が高速で流れて行く。
そしてそれが途切れた次の瞬間、脳に雷でも直撃したのかと錯覚するほどの衝撃が走り抜けた。
3
――何故、こうなった……――
目の前には、触手どころか脚部の全てまでも千切れ飛び、胴体のみと化した敵が逆さまに転がっていた。まるで裏返された巨大な亀のような状況である。
行動不能となって尚、赤く光る大量のセンサー部だけが、此方を追って動き続ける様が、逆に哀れにすら見えた。
覚えていない訳ではない。この全ては自分がやったのだ。
まず最初に敵の自爆装置を貫き、その上で全ての触手と脚部を切り払った。
その行動に一切の無駄が無く、そして全てが一瞬だった。
だが、どうして自分にそれが可能だったのかがまるで分らない。
――正直、『因子保持者』の能力を舐めてたわ。システムへのリンク深度だけで言ったら、私よりも遥かに高い――
アイリスの掠れた声が頭に響き渡った。
――お手並み拝見ってぐらいの軽い気持ちだったのよ。直ぐに頭に雪崩れ込む情報量に耐えきれなくなって、リンクから弾かれると思ってた。けど……――
アイリスはそこで言葉を止め、瞳を沈黙した敵から此方へと静かに移した。
――貴方に大事な話があるの。心して聞いて。これはとても重要なことよ。そして貴方に逃れることは叶わない――
アイリスの何処か思い詰めたような真剣な眼差しに、ゾワりとした感覚が背筋を伝う。
これほどまでに人間として常識外となってしまった自分には、何か相応の対価のようなものがあるのかもしれない。だとすれば、それは相当に恐ろしいものだろう。
そこで逸らされてしまったアイリスの瞳。
生唾を飲み込みアイリスの言葉を待つ。その僅かな間が、ただただ重苦しく感じた。
やがて何かの決意を込めるかのように、一度は逸らされた瞳が再び此方へとゆっくりと向けられた。
――私、アイリス・クラウンは、貴方に惚れたわ――