生きるのがつらいあなたへ
壁に掛けられた時計の動作音だけが響く室内
まだ5月だというのに気温が30℃を超える真夏日が続いている今日この頃
僕は暑さに耐えかねてエアコンのスイッチをオンにした
おもむろにエアコンの通風口が開いて
まるで溜息を吐いたかのように心地よく冷えた冷気が排出されてくる
「あっちーなぁ・・・」窓はあるが、開けたところでなんの解決にもならない
うんざりする熱気が入り込んでくるだけだ
「便利な世の中だ・・・」どうでもいい独り言をつぶやきながらアイスラテを求めて身支度を始めた時
入り口のドアを開けて1人の女が入ってきた
「こんにちは」真っ白な肌に薄っすらと血の色をたたえたピンク色の唇、肩で切りそろえられたつやのある黒髪
「女」ではない「女の子」といった方が的確だろう
こんにちはと言ったきり、その子はじっと突っ立っている
「あぁ、どうも。どうぞこちらへ」バタバタと手に持った荷物をテーブルに置きながら
女の子をソファーへうながす
「すみません。ちょうど出かけようと思っていたところで」若干あたふたしている僕自身を笑いながら
ゆっくりとソファーへ向かう女の子の後について僕もソファーへと向かう
「どうぞ、座ってください」僕がソファーへ到着するのを立って待っていたその子に声をかけると
「失礼します」と、いたって普通な音量で言葉を発した後、その子は静かに腰を下ろした
「ようこそ「0」へ」
言いなれたその言葉を、僕は、これまたいたって普通な音量で言い放つ。「0」は医療機関だ。だが、普通の医療機関とは少し毛色が違う
死にたい人が臓器提供をしにくる場所
それが「0」だ
表向きはごくごく普通の医療機関だが、その目的は真逆だ。生きるために来るのではなく死ぬために来る場所。生きたい人のために死にたい人が臓器を提供する場所。そこには、人間社会の営みとも言える需要と供給が成り立っている。現代社会の大多数を占めているであろう倫理観はここにはない。生きたい人には生きてもらい、死にたい人には死んでもらう・・・という、とてもシンプルなコンセプトの下に活動している
需要と供給か・・・・そんな事を考えていたらなぜか自然と笑いがこみあげてきた
僕の口角がすっと上がっていくのを感じる
「楽しそうですね」言いなれた言葉を発した後何も言葉にしていなかった僕に、その子はありふれた言葉を
投げかけて来た。それはそうだ。目の前の人間が訳も分からず笑みを浮かべている・・・・
楽しい事を考えているから笑みが出る。そうではない場合もあるが、たいていの人間が発するその現象をただただそのまま彼女は口にしただけだ。「楽しそうで何よりです」うっすらと皮肉をまじえながら彼女は
僕に精一杯の笑顔を作って見せた。少しだけ右に首をかしげながら穏やかな笑みを浮かべている
「あぁ、すみません。そんなに楽しくもないんですけどつい・・・」言葉につまりながら笑みを返すと
彼女も首を元に戻し、僕にそっと微笑んでくれた
「じゃあ、早速ですがこちらにご記入をお願いします」そう言いながら書類の入っているデスクへ向かう
彼女はきょろきょろと室内を見渡しながら、落ち着かないのか、もぞもぞと座りなおしている
「あ、何か飲みますか?」彼女の気配を感じていた僕がそっと彼女に声をかけると
「え!?あっ、えっと、オレンジジュースありますか?」もぞもぞと動いていた事にバツの悪さを感じたのか、僕が気配を感じたことに驚いたのか、少し上ずった声で答えを返した
「オレンジジュース・・・・あったかな・・・・?」書類を片手に持ちながら冷蔵庫へ向かう
ごくごくありふれた白い冷蔵庫の扉を開けて中をのぞきこんでいると
「あ、べつに何でもいいです。水でもお茶でも」とあわてた様子で彼女が僕に声をかけてくる
「あぁ、ありました。ありました。氷、入れますね」冷蔵庫の横に置いてあるステンレス製の棚からグラスを手に取り、製氷庫のドアを開けてガラガラと氷を入れていると「暑いですね」とため息交じりに彼女がつぶやいていた。「ほんとに・・・まだ5月なのに・・・」ありふれた合の手を入れながら片手に書類、片手にジュースの入ったグラスを持ちながらソファーへ向かう。書類より先にジュースを差し出すと彼女は白い腕をすっと伸ばしてグラスを手に取り、こくんと1口ジュースを飲みこんだ。多少落ち着いたのか、肩を下ろしてそっとソファーに体をあずけている。「すみません。ストローとか気の利いたものがないので・・・」この問いかけが意外だったのか彼女は「へ!?」とこちらに目を向けた。氷の入った冷たいオレンジジュースには、赤いストローなんかが絵になるのだがそんなものはここにはない
それ自体に特段の必要性を感じていないからだ。でも、彼女の風貌とオレンジジュースという取り合わせにはストローが必要かな・・・と
ふと思ってしまった僕の脳が突発的にそれを言葉にしてしまったのだ
「あははははっ!!」これまでの様子からは想像できないような音量で彼女が笑いだす。「大丈夫です。お気遣いなく。ちゃんと飲めますから」僕が思ってしまった事を感じ取ったのか彼女は事もなくそう言い放つ
「はははは・・・・そうですよね。」彼女の笑い声の音量に多少驚きつつ、僕のファンタジーな思考回路を
呪いながらバツが悪そうにしていると自然と笑いがこみあげてきて、それを察した彼女と共にそこそこの音量で笑い声を響かせあっていた。殺風景な室内に少しだけ色のある空気が流れた瞬間がそこにはあった気がした
「暁脳循環器センター」これがここの医療機関名だ。毎日、脳や循環器の病気で苦しむ患者さんがやって来る。それなりに規模の大きい施設でベット数も手術室数もそこそこの数を設置してある。もちろん通常の脳死に伴う臓器摘出や移植手術も行っている。その広い敷地内の少し奥まった場所に「0」はある。そのこじんまりとした空間だけ少し独立した形で建設されている。ごくごく普通のシンプルなワンルームといった様相の診察室。オフホワイトのソファーとカーテンとエアコン、トイレ、グラスを洗うだけのキッチン、冷蔵庫と書類の入ったデスク、パソコン、ステンレス製の棚・・・部屋全体がほとんど白で統一されている空間だ。時折窓から入る光がステンレス製の棚をキラキラと光らせている。僕はここで日々訪れる人と向き合っている。僕は世間で言うところの精神科医だ。もちろんちゃんと国家試験を受けて医師免許を持っている。医師になるのであれば色々な選択肢がある。医療は細分化され様々な分野で医師となることが出来る。なのに、なぜ精神科医になったのか・・・人は誰でも死ぬ。莫大な金や権力を持っていようが必ず死ぬ。この先医療が進歩して自分の細胞から臓器を作り出し、半永久的に生きる事も可能になる時代が来るかもしれないが、それにはもの凄い年月が必要なわけだ。その時代が来るまでに人はどんどん死んでいく。世の中に「絶対」というものは皆無に等しいのだが、現時点で唯一、絶対的に生き物には「死」がやって来る
生きる自由というのはどの国でも声高に叫ばれているが、死ぬ自由というのはそうはいかない。一部の国で
安楽死は認められているが、それは現在の医療ではどうにもできない手の施しようのない一部の患者に認められている制度なだけで、体に何の異常もない全くの健康体な人間には適用されない。どんなに本人が苦しんでいようが悩んでいようが適用されない。ただただ生きる事を強要されるだけだ。そもそも、生きるという事に自由があるのだろうか・・・人として生まれてきた瞬間から社会の歯車の一部になる事が確定される。労働して税金を納めそこに暮らす人々を養いあっていく。資本主義社会である以上、搾取する側とされる側という構図が成り立ち、必然的に貧富の差が生まれ、常に競争と利益の奪い合いが勃発し、ぐるぐると渦を巻きながら社会というものが形成されていく。人として生まれた瞬間から首輪をつけられて、きちんとした歯車になるべく育てられ成長させられていく。宗教の自由、言論の自由、などなど自由と名がついているものはそれなりにあるが、それが本当の自由として確立されているだろうか・・・もちろんすべての人間が好き放題な事をやりだしたら社会として成り立たないだろう。人類自体が絶滅してしまうかもしれない。かりそめの自由・・・それが一番しっくりくるのかもしれない。ならば、死ぬ自由というものがあってもいいんじゃないか・・・僕はふとそう思ったのだ。かりそめの自由に気が付き、社会の現実というものに気づき、現時点では絶対的に「死」が訪れるものだという事実に気づいた人々が来る場所・・・それが精神科ではないかと
そして、本当の自由は「死」なんじゃないかと・・・肉体の老いからも人として社会で生きる事の煩わしさも、そのすべてから解放されるのが「死」だと。その生き物人間としての永遠のテーマに向き合えるのが精神科医なのではないか・・・・と思ったからだ。そして、この理論は僕が精神科医として働く以前から徐々に形成されていたものだった
「ただいま」ごくごく普通のサラリーマンである父親が帰宅してくる。たまに残業で遅くなることもあるが、ほとんど定時で帰って来ている。「おかえりなさい」キッチンで夕食の準備をしている母親が声をかける。「零、学校どうだった?宿題やってるか?」リビングで宿題をしている僕の頭をクシャクシャとなでながら部屋着に着替えるべく父は寝室へと向かっていく。「優紀 零」これが僕の名前だ。「ユウキ レイ」人間社会における個人識別ツールの一部といったところだろう。同姓同名というバグがあるかもしれないが、ツールの一部であることに変わりはない。黙々と宿題をこなしていると、ドサッと父がソファーに腰かけて来た。ソファーを背もたれにして床に座り込んでいる僕にそこそこの衝撃が伝わってくる。怪訝そうに父を見上げると「うん?何だぁ、どしたぁ?」とまた頭をクシャクシャとなでながら僕の顔を覗き込んできた。ホームドラマを絵にかいたような光景。もちろん家はローンを組んでいるものだし、母親もパートに出ている。両親が必死に働いて稼いだお金をどうにかやりくりしながら優紀家の日常が成り立っていた。「今日は豚肉が安かったからお肉多めだよ!!」母親が嬉しそうに大皿をダイニングテーブルに並べている。いい匂いに誘われてテーブルに向かうとそこにはホカホカと湯気を立てた肉じゃがが鎮座していた。豆腐と油揚げのみそ汁と特売になっていたキャベツで作った母親特製の浅漬け。ノーブランドの白いご飯。付けっぱなしだったテレビからはその日1日のニュースが流れていた。「通勤時間帯の電車に人が飛び込み、大幅なダイヤの乱れが発生しました」「集団下校中の小学生を次々と刃物で切りつけた後、自身の首を切って自殺した容疑者の・・・」「交際していた女性を殺害して逃亡していた容疑者が山中で発見されました。車内には練炭が積まれており自殺を図ろうとしていたようです。警察署に連行して動機の取り調べが行われるとのことです」「23歳の長男が49歳の母親を殺害した事件で・・・・」モグモグと肉じゃがを頬張りながら皆、聞いてないようでニュースを聞いている。「まただね。同じような事件ばっかり」「そうだな・・・キリがないな」と両親がつぶやく。「海外での心臓移植を希望していた女児の移植手術が無事に終了し本日帰国となりました。両親が会見を開いて感謝の気持ちを述べています」母親がちらりと画面に目をやり、嬉しそうに父親の方を見て笑みを浮かべている。そんな日常が続いていたある夜、僕はトイレに行きたくなって目を覚ました。珍しい現象に戸惑いながらもトイレを目指す。その帰り、リビングのドアが少し開いていて明かりが漏れているのが見えた
そこから両親の会話が聞こえてくる。「今月も厳しいな・・・・」「もう少しパートの時間、増やした方がいいかしら・・・」その2人の会話の内容は小学生の僕にもすぐ分かった。優紀家の財政が厳しいという事だ。この国の大部分の世帯が日々直面している問題でもある。僕は物音をたてないようにそっとその場を後にした
「あの、ここは絶対記入しなくちゃいけないですか?」少しの間、今という現実から過去に戻っていた僕に
彼女が声をかける。「あぁ、はい?どこですか?」書類にはいくつか記入欄がある。彼女は家族構成欄を指さしながらこちらを見ていた。「あぁ、家族構成ですね。別に構いませんよ。家族がいらっしゃる方には後々の説明が必要になって来るので、その準備のために欲しい情報なだけなので」「そうですか・・・じゃあ、書かなくてもいいですね」と彼女はほっと一息つく。一通り記入が終わったのか書類を差し出した後
彼女はジュースに手を伸ばす。霧島 ゆみか、女性、15歳、AB型・・・・書かれている内容に目を通していると「あー、ほんと疲れた。苦手なんですよね。書類とかって」素直な感想を口にしながら、どっかりとソファーに体を預けた。「そうですよね。僕も苦手です。めんどくさいし。一応、形式的なものなので。すべてが終わったらきちんと廃棄しますのでご安心ください」「そうですよね!死んじゃえば何も必要ないですもんね!」彼女が嬉しそうにソファーから身を乗り出す。何も言わずに笑みを浮かべながら彼女に目をやると、彼女も満足そうに笑みをうかべていた。「じゃあ、一週間後にまたいらしてください。その時に必要な検査をしますので。都合が悪いようでしたらこちらにお電話を」と言いながら名刺を渡すと「分かりました」と名刺を手に取りちらりと目を通した後、持参していた小さなバックにそれをしまい込んだ。しばらく沈黙が続いた後、彼女は残っているジュースを飲み干し「では、よろしくお願いします」
そう言ってこの場を後にした
鬱陶しい雨が続いている。梅雨時だから仕方ないなと思いつつ、さすがにムシムシする湿気と暑さには耐えられない。体力の消耗が気になるところだ。僕自身、以前クリニックを開業していた。色んな患者さんがいたが、ほとんどの患者が「死にたい」というワードを口にしていた。日々増加して押し寄せる患者の話を聞く時間はどんどん短縮され、カウンセリングもままならない。今の医療機関の現状に精神科もご多分に漏れず3時間待ちの5分診療なんてのは当たり前だ。予約制をとっていてもこのありさまだからどうにもならない。押し寄せる患者を次から次へと捌いて薬をどんどん処方していかないと回らない。そんな医療の現状が見えて来るにつれてそれに嫌気がさしていた。現時点で精神科を受診する人は年々増加傾向にある。一昔前に比べると精神科というカテゴリーに偏見がなくなっているからだろう。生活保護受給目当てに精神科に通うヤツも多数存在しているが、今のこの国の現状と国民性が、精神に異常をきたす要因である事は言うまでもない。そして、移植希望患者と臓器提供をするドナーの不均衡は明確だ。圧倒的に移植希望者の数の方が多い。脳死や臓器提供に対する理解も高まってきているとはいえドナーとなる患者は少ない。そもそも脳死となってしまう患者さん自体も少ない。その一方で自殺者は増加傾向にあり、移植に最適な臓器が日々火葬され灰になっていく
僕はその現実を日々、ネット上でつぶやいていた。フォロワー数は数えるほどだったが、そんな日々を続けていたある日、海外からメールが届き「0」を設立したいという申し出があり、あれよあれよという間に
この施設が出来上がった。大元の循環器センターも海外資本があっさりと買収し、全面的にバックアップしている。さらに私欲にまみれた政治家どももその圧倒的な資金力で黙らせて、国内の医療関係者の賛同も多数あるという事実も重なり、まさに望まれるべくして生まれた施設となった。世の金持ちの大半は自分の快楽を満たすためにその財産を費やすものだと思っていた僕に、そのスカウトの話はとても意外なものだった