引き際
愛依視点です。
「僕の父さんは、桜野家の料理長だ!」
詩苑君はそう言った。
つまり詩苑君はただの使用人の子供で、金持ちでも何でもないと?
「も、もしかして……あの大きくて立派なお屋敷は、桜野家なの?」
「ん? あぁ、そうだけど?」
「じゃあここは?」
「ここは使用人達が暮らす場所だよ」
あのお屋敷が桜野奏海様が住んでいる所で、ここが使用人の住む所?
じゃあさっきからすれ違うメイドさん達の態度が軽かったのは、詩苑君が同僚の子供に過ぎないからって事?
でもだったら、紅茶を出してくれようとしていた執事さんや、毎日学校に送り迎えをしている日下部さんはなんなの?
詩苑君のために動いてたじゃん……
「さっきの執事さんや、日下部さんは何?」
「何って、神園さんはこの桜野家の使用人のトップだよ。全使用人を管理してる人。日下部さんは僕の運転手もしてくれているけど、基本的にはこの桜野家の庭師だ」
「じゃ、じゃあ……詩苑君は……」
「僕? 僕はまだ小学生だけど、お嬢様にはコック見習いとして認めてもらってるんだ。だからこうして1人部屋も貰ってる」
私が言おうとしたのは、そういうことではないけど……
っていうか、コック見習い? なにそれ?
そういえばさっき、今度お嬢様にお出しするデザートを考えてるとか言ってたな……
「詩苑君がお嬢様のデザートを作ってるって事?」
「本当に高坂達から何も聞いていないのか?」
「え、うん……」
高坂さん……
何度も私に詩苑君の話をしようとしていた……
てっきり関わらない方がいいって話だと思ってたけど、今思えば何かを教えてくれようとしてたような気がする……
それに今更気がついたけど、高坂さんは詩苑君の事を"詩苑"という名前の方で呼んでいた。
早く詩苑君と仲良くなりたくて、自分が詩苑君って呼んでたからあまり違和感がなかったけど、もし高坂さんが詩苑君と関わらないように避けたりしていたのなら、名前で"詩苑君"じゃなくて、名字で"柾谷君"って呼ぶんじゃないか?
それにさっきから詩苑君は、"高坂達から聞いてないのか"って言ってて、高坂さんに頼ってるみたいだし、もしかして詩苑君と高坂さんは仲がいいんじゃ……
「まぁ、聞いてないなら説明するけど……お嬢様は、いつもはシェフである、僕の父さんの作った料理しか召し上がらない。でも僕達コックの成長のためにって、週に1回シェフ以外の人が作った料理を召し上がって下さるんだ」
「成長のため?」
「お嬢様に食べて頂けるなんて、そんな光栄な事はない。だから凄く緊張するし、どんな物を出したらいいか凄く悩む……それが僕達の成長に繋がるんだよ」
詩苑君がお嬢様にお出しするデザートを考えてたって事は……
「その、お嬢様に食べてもらうチャンスが、詩苑君に回ってきたって事?」
「そう。まぁ、初めてじゃないけどな。今回で20回目だ」
「そんなに……」
「でもデザートを任されたのは、今回が初めてなんだ。だからいつもより集中したいし、皆にも話しかけないでくれって頼んであったのに、お前は来るし……」
「え?」
話しかけないでくれって頼んでた?
どういう事?
「まぁ、僕の事を聞いてなかったんなら仕方ないか。でもこれで分かっただろ? 僕はデザートを落ち着いて考えたいんだ。だからもう帰ってくれないか?」
「……分かった」
「ん? あんなにしつこかったわりに、ひきがいいな。どうした?」
「何でもないよ……」
これ以上この部屋にいる意味なんてない……
私は、詩苑君の部屋から廊下に出た。
「じゃあ、また明日……」
「おう。その辺の誰かに、日下部さんを呼んでもらって、送っていってもらえ。僕は忙しいから」
「うん……」
詩苑君はドアを閉めてしまった。
見送ってもくれないのか……
当然だよね……散々迷惑かけて、詩苑君のデザートを考える時間を奪っちゃったんだから……
私はただただ、詩苑君の邪魔をしていただけに過ぎなかった。
クラスの皆は詩苑君を嫌って避けていた訳じゃなくて、詩苑君を集中させてあげるために、関わらないようにしていたんだ……
本当に、何やってたんだろうな、私は……
朝早起きして、バカみたいに走ったりして、急いで帰って、次の日の計画もたてて……
常に金持ちに気に入られるために何を言うか、どう行動するか、ずっとずっと考えてた……
詩苑君がお金持ちだと思ったから、こんなに一生懸命媚売ってたのに、全部……全部無駄だったんだ……
何か、気が抜けたな……
あんなに気張ってたのに……
あれ? 何か……頭がもやもやしてる……?
なんだろう? 真っ直ぐに、歩けない……
体がふらつく……
ガシャンッ!
「えっ?」
ふらついて、思わず手をついた……
ここは高そうな置物が置いてあった台だ……
そして、私の足元に散らばっている、大量のガラスの破片……
え、待って……これって……
私が……割った……?
わ、私が……あの桜野家の、高価な置物を……割った?
こんな凄いもの、弁償出来る訳がない……
どうしよう、どうしよう……どうしたらいいんだ?
「みゃー」
混乱する私の前に、さっきの猫が現れた。
そして、
「今の何の音だ!?」
と、慌てて廊下に出てきた詩苑君。
私はとっさに猫を指さして、
「ね、猫がっ! 猫が台に飛んで、置物を落としたのっ!」
と、詩苑君に叫んでいた……
読んでいただきありがとうございます(*^^*)