フラレタリア文化大革命
西暦2XXX年、東洋のとある国の国家主席がその国の無情人階級を利用して革命運動を主導した。ロマンティック・ラブ・イデオロギーに支配されたその国の大衆は仕事よりデートを優先し、労働時間がどんどん短くなり、生産性が著しく低下していた。共産主義において男女は完璧に平等であり、人は一人の個人として扱われるべきであると国家主席は考えていた。しかし、前国家主席はあえて男女性を強調し、恋愛感情を人間の美しい本能であると定義し、カップルを称賛して結婚を促した。
それまでその国は共産主義国家としての建国とともに少子化が進んでいたが、前国家主席の就任とともに一時的にその問題が解決していた。それまで形式的に行われていた集団婚姻・集団出産は当人同士の相性が悪ければ2人目以降の出産人数が多くならないという事実も有り(規定出産数は2人である。3人目以降は当人同士で産むか産まないか決定することができる)、つまり恋愛によって相性の良いカップルは3人以上生む可能性が高くなるという考え方だった。
しかし無情人階級としては自身の恋愛が成就しないことに不平等感を感じ、真の平等社会の建設のために立ち上がろうとしていた。
それを聞きつけたのが現在の国家主席であった。彼は無情人階級の人民を利用し、自身の権力を高めようと考えたのである。通称”紅冊”と呼ばれる無情人語録を全国に配布し、通称”紅守兵”と呼ばれる賛同者が、全国で反革命分子であるカップルを迫害した。彼らは共産主義国家としての国体を守るためには恋愛によって腑抜けになってはならないと行進し、全国の恋愛と関係する場所(ラブホテル、縁結びスポット、結婚相談所など)を破壊して回ったのである。
もちろん、前国家主席も吊し上げに会った。しかし前国家主席も馬鹿ではなかった。反抗するためにレジスタンス運動をはじめた。
ある日、全国無情人階級集会が行われていた。10万の群衆と数十台の全世界のテレビカメラが舞台上の国家主席を見守った。床も舞台も壁も、そして紅冊を掲げる群衆もすべてが赤の世界。異様な光景である。狂喜乱舞し涙を流す無情人階級者。革命は成功したかに思えた。
しかし、そこで登場したのが前国家主席だった。彼は登壇するとマイクを奪い、全人民に対して訴えた。
「紅は恋愛を象徴する色である! したがって、この色を肯定する者は恋愛至上主義者であり、この色を否定するということは自身の否定である! ここにいるすべての無情人階級者は、階級によって恋愛が否定されているのではなく、自身の努力が不足しているから恋愛ができないだけである! よって、このフラレタリア文化大革命というものはそれ自体が幻想であり、何の論拠もない政治運動なのである! 無情人階級者よ、目覚めよ! 恋愛は少子化を防ぎ、人民の幸福感を増幅させる! 恋愛は共産主義の発展を促すのである!」
その演説は説得力を感じるものだった。革命はその後収束し、人民は元の生活を取り戻した。生産性が落ちていたことも有り、労働時間が厳格に守られるようになった。これによって労働時間は労働、終業後はデートとメリハリのある生活を送れるようになり、少子化も生産性低下も同時に解決した。
しかし、こうなると困ってくるのはやはり恋愛を不得意とする人民であった。”恋愛できなければ人間ではない”という世界になってしまった今、彼らは自分の存在を世に知らしめることができず、存在価値がないものとされている。そのため彼らはあえて風呂に入らずシャワーもせず、悪臭によって自分自身の存在をアピールし、社会に抗議する形で救済を受けようとしている。
彼らは風呂引退者と呼ばれている。