―その3―
十六歳のある日僕は事故に遭った。それは冬の冷え込んだ朝に起こった。相手は走り慣れている峠だったためか、もともと通る車が少ないためか路面が凍結しているにもかかわらずかなりのスピードを出していた。その挙げ句スリップして運悪く通りかかった僕の乗っていた車に衝突したのだ。正直に言うと僕はその日出かけたくなかった。だから内心何かが起きて行かなくてもよくならないかな、なんて考えてもいた。そして、運がいいのか悪いのか僕は鞭打ち以外に重い怪我はなかった。けれど車はスクラップ行き、両親は共に骨折以上の大怪我だった。それでも警察に死亡事故でもおかしくなかったと言わせた事故でこれだけの怪我だったのは不幸中の幸いというやつだ。あと秒単位で衝突の時間がズレていたら相手の車の運動エネルギーを全て受け止め確実に誰かが死んでいた。また、うちの車が軽自動車だったら、多くのワンボックスカーのようにエンジンが前に大きく出ていなかったら……と仮定ならいくらでも出せる。
けれど僕は考えずにはいられなかった。僕があんなことを考えさせしなければ、朝家を出るとき忘れ物をして一度取りに帰って着なければ……と。そう、秒単位でズレていた場合運が悪かったら死んでいたかもしれないがもし、分単位でズレていれば完全に他人事だったのだ。
だから僕はそれ以来過去のことを、すでに過ぎ去ったことを「もし」「あのとき」と考えることを辞めた。そして人間いつ死ぬかわからないということを身にしみて思い知った。だから僕は今日最も楽しいと思うことをする。いつ死んでも悔いが残らないように。