―その1―
僕はまた目を覚ました。朝はいつも憂鬱だ。さわやかな朝日、愉快な囀り、カーテンを靡かせる心地よい風……。それら全てが、朝を象徴するもの全てが不愉快だ。朝なんてこなければいいのに、いつもそう思わずにはいられない。それでも僕は朝になると目を覚まし、仕事へ出かける。体がどんなに嫌だと言っても僕の体は勝手に家を出る。それが決まりだから。それがルーティーンだから。もう僕の所有物であるはずの体でさえ言うことを聞いてくれない。でも、理不尽だとは思わない。だって僕はその体のおかげで「今日も生きていられる」のだから。
そしてたまに、ごく稀に生きていて良かったと感じる。それは朝仕事に行くとき、夕方帰路につくとき、休日の散歩に見られるカワセミの漁。あんなに小さな命がさらに小さな命を襲っている。弱肉強食。まるで社会と僕の関係みたいだ。ここで僕は思い知る。魚は被食する。カワセミは補食する。けれど、社会は僕から一方的に搾取している訳ではない。仮に僕がその対価に納得できなかったとしても社会が相応と判断した対価を僕に与える。だから僕はもう少しこの社会で足掻いてみようと思う。悪足掻きしてみようと思う。
今日、明日……と、続く限りない僕の人生を限りなく豊かにするため。社会から与えられる対価がどんなにがんばっても負にしかならないとき、それでも胸を張って御天道様の元を歩くために。