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第8話

 飲み比べの方法は至って単純なものだった。まず張載風が杯の酒を空ける。続いて女が湯飲みの茶を干す。その繰り返しだ。どちらか先に飲めなくなった方の負けである。単純に考えれば茶を飲んでいる女の方が有利であるのは間違いない。

「兄さん、さっきから手元が震えているようだけど大丈夫かい?まだ勝負は始まったばかりだっていうのに、もう酔っ払ったんじゃないだろうね?しっかりおしよ。」

 女が言うとおり、張載風の手にした杯からは酒が滴り落ちていた。許龍峨が知る限り、こんなにも早く張載風が酔っ払う姿を見たことはない。

「なに、これくらいの酒で酔っ払った事なんて俺は今まで一度も無いさ。もしも酔っているとしたら、きっと姐さんの色気に酔っているんだろうよ。」

妖艶な流し目を送る女の横で、張載風は手にした杯を一気に空けた。続けて女も茶を干した。しばらくはその繰り返しだった。


「ところで姐さんの名前をまだ聞いてなかったんだが、教えてもらってもいいかい?」

「私の名前かい。そうだね、随分と薬が回ってきたようだから意識のあるうちに教えてあげようか。私の名前は潘蓮玉。」

「潘蓮玉?どこかで聞いた事がある名前・・・」

 突然、張載風が椅子から転げ落ちると、床に倒れてしまった。潘蓮玉は床に膝をつくと、張載風の頭を抱えながらこう言うのだった。

「“張載風は用心深い男だから注意しろ”って言われていたけど、話で聞いていたのとは随分と違うようだね。こんな単純な手に引っ掛かってくれるなんて。」

まるで我が子を愛しむ母親のように、張載風の髪を優しく撫でていた。

「今は体が痺れて思うように動けないだろう?やがて全身に毒が回ってあんたは死んでしまうんだよ。でもね、張載風。もしもあんたがこれから先、私だけに仕えてくれるっていうんなら助けてやっても良いよ。」

 潘蓮玉は懐から解毒薬を取り出すと、床に横たわっている張載風にもよく見えるように目の前に差し出した。

「もっとも、命乞いしようにも体が麻痺して口が利けないかもしれないね。いい女っていうのはたくさんの男に怨まれる運命にあるのさ、悪く思わないでくれよ。それに酒を飲みながら死ねるなんて、栄邑の酒徒にふさわしい最期だと思わないかい?しかもこんな美女に寄り添われて死ねるんだ、思い残すことはないだろ?」

 完全に張載風が自らの手の内に落ちた事に安心しきった様子の潘蓮玉。随分と上機嫌な様子で張載風に向かって話し続けるのだった。

「さっきの坊やも、饅頭に仕込んだ毒にあたって今頃父親共々死んでいるだろうよ。あの世でまた一緒に旅が出来るなんて、良かったね。ウフフフフフ・・・。」

「お楽しみ中のところ邪魔するようで悪いんだが、俺はまだこの世に未練があるから、あんたの思い通りに死ぬ訳にはいかないな。それに、俺の好みは化粧の濃い女でも男に毒を盛る女でもない。だから、あんたに一生仕える訳にもいかないんだよ。いい男っていうのもたくさんの女に怨まれる運命にあるのさ、悪く思わないでくれよ。」

 薬が効いている筈の張載風が突如口を利いたばかりか、自らの手をすり抜けて立ち上がった事に潘蓮玉は驚きを隠せなかった。

「俺はこれでも薬屋の端くれだ。多少は毒薬についての知識もある。『至心丹』って薬まで作って売っているのに、“毒薬で死にました”なんて事になったら信用問題だろ?」

「私の毒薬の成分は私しか知らない秘密の調合で作った完璧な物だ。他人に解毒薬など作れるはずがない。まして、どんな毒にでも効く解毒薬などこの世には存在しない。そうだろう、張載風!」

 潘蓮玉の表情は、先ほどまでの穏やかなものから一変して、張載風に対する憎しみで溢れていた。彼女の口から発せられる言葉の端々にも、その様子を窺い知ることが出来た。

 張載風は慌てる風でもなく、潘蓮玉に教え諭すように説明した。

「その通り。『至心丹』は解毒薬ではないし、まして万能な解毒薬なんてこの世には存在しない。その代わり、あらゆる毒物に精通している人物っていうのは一人心当たりがあるんだが・・・今回の件とは関係ないし、それは俺でもない。

 俺は酒を飲むのも得意なんだが“飲む振り”をするのも得意なんだ。尤も、わざわざ飲む振りなんかしなくても、飲み比べで負けた事は今まで一度もないけどな。」

 毒薬が効かなかった理由が分かった潘蓮玉は、突如袖を一振りさせた。次の瞬間、風切り音がしたかと思うと、何かが撥ね返る音が響いた。張載風の手には机の上に置いてあった皿があり、足元に何本かの針が落ちていた。潘蓮玉が放った暗器を張載風が皿で防いだのだろう。

自分の放った暗器までもが張載風に防がれた潘蓮玉。形成不利と判断して、ここは一旦退く覚悟を固めた。既に店の入口付近には張載風が立っており、こちらからは逃げる術はない。店の奥まで逃げるには距離がありすぎる。それならば、と店の窓を蹴破って逃げようとするが、思うように体が動かなくなっているのに気がついた。

「一つ言い忘れていたんだが、お茶の中にしびれ薬を入れておいた。毒の入った酒を飲ませるつもりが、反対にしびれ薬の入ったお茶を飲まされる事になるとは思ってもみなかっただろ?」

「そうか、それで飲み比べをやろうと言い出したのか。あんな戯言を信用するとは思っていなかったが、まんまと嵌められた訳だ。」

「今度会う時は、正々堂々と飲み比べをしようじゃないか。もしも俺に勝ったら約束どおり借金の肩代わりをしてやるよ。それなら文句無いだろう?」

「あんな戯言、まだ信用している訳ではないだろうな。ハッ、とんだお人好しめ!」

「女の嘘に騙されるのが男の優しさなら、俺は喜んで騙されるまでさ。

おい龍峨、もう出て来てもいいぞ。いつまで隠れているつもりだ!」

そう言うと張載風は、先ほど許龍峨が隠れた草むらに様子を見に行くのだった。

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