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第7話

「姐さん、この店の人かい?それにしては随分と色っぽいな。おまけに絶世の美女ときた。」

女は皿を机に置くと、張載風の隣に座って科を作り微笑むのだった。

「あら、兄さん。口が上手いわね。こんな陽の高いうちから私を口説いてどうしようっていうんだい。ほら、お連れさんが見ているよ。」

 突然自分に話を振られた許龍峨は、どういう風に対応すれば良いのか分らず戸惑っていた。栄邑の街にいる女性の大半は畑仕事や家事手伝いをしている。そのためこんな風に着飾ったりする事は、年に1度行われる祭りの時だけだった。それも皆が出歩くようになるのは日が暮れてからの事である。許龍峨にとって、こうして明るい時間に化粧を施した女性を見るのは初めての事であった。

「かわいい坊やね、照れちゃって。でも私の相手をしてもらうには、もう少し大人になってからじゃないと駄目ね。」

 女と顔を合わせないように視線を下げる許龍峨だったが、白い肌が露わになるくらいに深く開いた襟元と衣服の上からでも分る膨らみに、目のやり場に困るのだった。そんな様子を見て取った女が、意地悪くこう告げる。

「坊や、せっかくだから冷めないうちに食べてね。」

「えっと、何の事ですか?」

「いや〜ね。注文したお饅頭の事じゃない。他に何があるっていうの?」

机の上に置かれた皿の上には、二人前の饅頭が置いてあった。白くて柔らかそうな饅頭からは湯気が立ち上り、良い香りがしていた。

「何だか、お腹がいっぱいで食べられそうにないです。載風兄さん、お先にどうぞ。」

 先ほどからの許龍峨の様子に、好機到来とばかりに張載風が口を開く。

「俺も何だかお腹がいっぱいでな、饅頭は包んでもらって旅の途中で食べる事にして・・・それにしても龍峨、折角こんな美女が隣にいるっていうのに何か物足りない気がしないか?」

 許龍峨とて張載風の魂胆が分からぬ訳ではない。こう切り替えした。

「花を愛でるのに酒は無用。そうは思いませんか、張載風殿。」

 そんな二人のやりとりを聞いていた女だったが、さも驚いた表情で張載風の方を向く。

「お兄さん、もしかして“栄邑の酒徒”こと張載風かい。」

「嬉しいね。姐さんの様な美女に名前を知ってもらっているとは。」

 張載風の答えに、女の瞳が怪しく輝いた。

「子供だって知っているよ。“名馬ほしけりゃ金を積め。名薬欲しけりゃ酒を酌め”ってね。こんな所で会えるなんて嬉しいよ。それにしても何だって栄邑の酒徒がお茶なんか飲んでいるんだい?」

「これには深い事情があって、話せば長くなるんだが・・・。」

許龍峨の方を恨めしそうに向く張載風。つられて女も許龍峨の方に視線を移す。

「はいはい、分りましたよ。どうせ駄目って言っても聞かないんでしょ。“栄邑の酒徒”殿。」

「悪いな、何か催促したみたいで。姐さん、そういう訳だから酒を頼む。」

その言葉とは裏腹に、張載風の表情には申し訳なさそうな様子は微塵もなかった。


 注文を受けて女が席を外す。先ほどまで女が座っていた空間を見つめている許龍峨の鼻腔をくすぐるように、女が残していった残り香が微かに漂っていた。

「龍峨。いつまでそんな間抜け面しているつもりだ。そんなのじゃ将来、女で失敗するぞ。」

「そんな事・・・」

 心の奥を見透かされたような言葉に、我に戻る許龍峨であった。

そんな許龍峨をよそに、張載風の方は先ほどから湯飲みを手にして、匂いを嗅いだり口の中に含んだりしている。

「何をしているんですか?」

「お茶には異常はないか。しかし、この饅頭は怪しいな。処分しておくか。」

おもむろに饅頭を手に取ると、店の外に放り投げた。それを見た野良犬がその後を追う。

「龍峨、詳しく説明している暇はないから良く聞け。お前は今からそこの草むらに隠れて、これから何が起きても俺が良いというまでは絶対に出てくるなよ。理由は後で説明する。急いで隠れろ。」

そう言うと、店からさほど離れていない場所にある草むらを指差した。そして、自らは懐から薬を取り出すと、机の上に置いてあるお茶の中に入れ始める。

 張載風の突然の行動に驚きを隠せない許龍峨であったが、何か考えがあっての事と思い指示に従うことにした。


 程なく、先ほどの女が酒を持って戻って来た。隠れ場所からでも店の様子は手に取るように分り、二人の話し声も十分聞き取ることが出来る。

「あら?坊やの姿が見えないようだけど、一体どうしたんだい?」

「ああ、あいつは知り合いに頼まれて一緒に旅をしていたんだが、ガキの癖に“酒を飲むな”って口喧しい奴だったんだ。姐さんも薄々気が付いただろう?

幸い、知り合いの家はここからそう遠くない。一人でも大丈夫だろうっていうんでここで別れたよ。これでまた独りで旅を続けられるって訳だ。」

「そうなのかい。邪魔者は消えたって事だね。ところで兄さん、机の上に置いてあった饅頭が無くなっているようだけど、食べたのかい?」

「あの饅頭はさっきのガキが全部持って行きやがったよ。父親と二人暮らしなんだが、家に持ち帰って食べる気らしい。まあ、俺は姐さんと酒さえあれば構わないんだが。」

 張載風の言葉に内心の喜びを隠し切れない様子の女であったが、いそいそと酌を始める。

「どうした、随分嬉しそうな顔をしているじゃないか。」

「女は褒められれば嬉しいものよ。そんな事も知らない訳じゃないくせに、意地悪な兄さんだね。さあ、一息に空けておくれよ。」

 杯を手に持って口をつけようとする張載風の隣で、女は固唾を呑んで見守っていた。

「そんなに見つめられたら、緊張して飲めないじゃないか。まさか、酒の中に毒でも入っているんじゃないだろうな?」

「まだ飲んでいないそばから酔っているのかい。可笑しな兄さんだね。」

妖艶に笑う女の姿に、張載風も笑いながら杯を干した。更に女が酒を満たす。

「ところで、亭主の方は大丈夫なのか。随分と顔色が悪かったようだが。」

「亭主?・・・ああ、嫌だよ、兄さん。あんなのが私の亭主なもんか。あいつは、借金の方に無理やり私をこの店に連れてきて働かせている悪人なのさ。」

「随分と穏やかじゃない話だな。それならこの店から逃げればいいじゃないか。」

「それがそう簡単にはいかないのさ。最近じゃあこの辺りも物騒でね、盗賊団が出るって噂なんだ。それに、女の身一つで旅をするなんて無茶は出来ないよ。

まあ、あんな男の話はどうでもいいじゃないか。それよりもどんどん飲んでおくれ。」

 女がしきりに酒を勧めてくるので、張載風も構わず杯を空けていく。

「俺ばかり一人で飲んでいてもつまらないから、姐さんも一杯どうだい?」

「私を酔わそうって魂胆なら、その手は通じないよ。代わりにお茶でも頂こうかしら。」

机の上に置いてあった湯飲みに茶を満たしてそれを飲む。

「何だ、酒は嫌いなのか。それじゃあ一つ、賭けをやらないか。二人で飲み比べをするんだ。俺は酒で姐さんはお茶。姐さんが勝てば俺が借金を肩代わりしてやる。何だったら安全な場所まで連れて行ってやろう。」

「私が負けたら、どうなるんだい?」

「俺の言う事は何でも聞いてもらう。どうだ?」

「他に客もいない事だし、騙されたと思ってその話に乗ってあげるわ。」

 こうして、草むらに隠れている許龍峨をよそに、張載風と女の飲み比べが始まるのだった。

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