第5話
翌日、旅立ちの準備を整えた許龍峨と張載風は、許尤施に見送られて出立するところであった。
「父上、それでは行ってまいります。どうかくれぐれもお体にはお気をつけ下さい。」
「なに、私の事は心配いらないよ。それよりも、載風の言いつけをしっかり守って行動するんだよ。旅の途中ではどんな事が起きるか分らないからね。」
「はい、分りました。」
「それでは、出発するか。では尤施殿、行って参ります。」
こうして許龍峨と張載風の二人旅が始まった。街外れまで到着したとき、許龍峨が後ろを振り返ってみると、はるか遠くに自分が今まで暮らしてきた栄邑の街が広がっていた。
「おい、龍峨。早くも里心がついて栄邑の街が懐かしくなったんじゃないだろうな?まだ少ししか来てないんだぜ。そんな事じゃあ、先が思いやられるぜ。」
「そんなのじゃありませんよ。ただ、しばらく栄邑の街ともお別れだから、この光景を記憶に焼き付けておこうと思っただけですよ。」
「お前もいつかは官吏になるために栄邑の街を離れるつもりだったんだろ?遅いか早いかの違いだけじゃないか。何をそんな感傷に浸る必要があるんだ。」
「載風兄さんは、どうして私が官吏になりたいと思うのです?」
「そりゃ決まっているだろう。天下の許尤施の息子だぜ。官吏以外に何になるっていうんだ。親父さんもそのつもりで日頃からお前に勉強を教えていたんじゃないのか?まあ俺みたいに薬屋になるっていうのも悪くはないと思うが。」
「もし、そうなったら『災封四神丹』ではなくて『龍臥四神丹』として売り出しますね。より高名になるように。」
「売上げが上昇しそうな名前だな。せいぜいお前に職を奪われないように、頑張るとするよ。しかし何だな、その名前だと風邪を招きそうだな。」
そんな軽口をたたく張載風に調子を併せていた許龍峨であったが、突如立ち止まるのだった。
「どうした龍峨。お腹の調子でも悪いのか。」
「載風兄さん、この際だから一つ教えてもらっても良いですか?」
「何だ、改まって。『至心丹』の作り方なら前にも教えてやったはずだが。」
「そうじゃないんです。父上の事なんですが、どうして都を追われたのでしょうか?何か知っているんでしょう?私にも教えてください。」
前を歩いていた張載風が立ち止まり、許龍峨の方を振り向く。
「尤施殿からは何も聞いていないんだな。」
「はい。父上は栄邑に来る以前の事はあまり話したがらないのです。母上が栄邑で私を生んで亡くなった事だけは教えてくれましたが・・・。」
「そうか。それなら、お前の父上がどうして都を追われたのかは、俺の口からは言えない。ただし、お前の父上がこの国で最も優れた忠臣であった事だけは間違いない。お前はそれを誇りに思って良いんだぞ。」
「・・・そうですか。」
「代わりに、別の男の話をしてやろう。昔の話だが、朝廷に関才雲という官吏がいた。優秀な男だったんだが、愛想が悪い上に口下手で酒を一滴も飲まなかったんだ。」
「酒を一滴も飲まないなんて、載風兄さんとはまったく正反対な人物ですね。」
「そうだろう?関才雲が酒を飲まなかったのには、ある理由があったからなんだ。父親も官吏だったんだが、ある酒宴の席での失態からその職を追われたんだ。酒を飲みすぎて饒舌になり、余計な事を喋ってしまったんだな。それ以来、関才雲は同じ失態を繰り返さないように、酒を一滴も飲まなかったんだ。」
「でも、酒宴の席でお酒を一滴も飲まないのは、失礼に当たるのではないでしょうか。」
「だから、普段は酒を飲んでいる振りをしていたんだ。ところが、日頃から関才雲の事を快く思っていない者がそれに気がついてな、こう言ったんだ。“関才雲殿におかれては、どんな時でも泥酔された姿を拝見した事が御座いませんな。是非とも貴君にあやかりたいと常日頃より思っておりました。つきましては、我々全員と杯を交わして頂きたいのですが、いかがですかな。”とな。その男は関才雲よりも位が高かったのだが、無能な男でな。いつか自分の地位を脅かす存在になるであろう関才雲をこの機会に失脚させようと画策した訳だ。たとえ相手が無能な輩でも、自分よりも偉い事には代わりはない。関才雲はやむを得ず、その言葉通りその場にいた全員と杯を交わす事になったんだ。」
「関才雲はどうなったんでしょうか。今まで酒を一滴も飲んでいなかったのですよね。」
「ああ。しかし見事、飲み干したそうだ。元々酒が飲めない訳じゃなかったらしい。」
「それは良かったですね。」
「だがな、それを見た先ほどの男が更にこう言ったんだ。“さすがに酒宴で失態は犯せないと見える。随分と鍛錬を積まれたのでしょうな。”とな。」
「それは暗に、父親の失態を指している訳ですね。なんて嫌なヤツだ。」
「そうだ。当然、関才雲は激怒した。やはり自らも父親同様、これで職を辞する事になるのかと。そう覚悟して席を立とうとした時、傍らに座っていた人物が立ち上がってこう言ったそうだ。“古代の英雄の多くは同時に酒豪でもあったと聞きます。私のような凡人が鍛錬したところで、果たして彼らの才能に及ぶ事が出来るものでしょうか。”そしてこう続けた。“おっと失礼、どうやら今宵は少々酔ってしまったようです。どうやら私のような凡人が鍛錬を重ねても英雄には及ばないようです。しかしながら、関殿。ここから先は拙宅にご足労いただき、この凡人にもご指導を賜りたくお願いいたします。それでは皆様、お先に失礼いたします。”そう言って、二人で宴席を辞したそうだ。」
「つまりは関才雲を古代の英雄に喩えて、天性の才能を称えたという事でしょうか。でも、それって褒めすぎなんじゃないですか?」
「どうしてだ?」
「だって、関才雲って載風兄さんの事でしょ。違いますか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「この世の中に、“栄邑の酒徒”を措いてほかにそんな酒豪、私は知りませんからね。」
「まあ、いいだろう。そういう事にしておけ。ともかく、この一件があってからというもの関才雲は朝廷内でも一目置かれる存在となった。今までの働きもようやく認められて、見事に昇進が叶ったそうだ。また、その人物に聞くところによると、関才雲の父親が職を追われたのは酒宴での失態によるものではなかったらしい。」
「一体なんだったのですか?」
「王が酒宴を催した際に、遅れてきた彼の父親が杯の酒を捨ててしまったそうだ。その行為を非難した王に対し、彼の父親は“この国が置かれている現状をご存知であるならば、何故このような酒宴を催してい祝う事が御座いましょうか?”と諫言をしたそうだ。それが王の逆鱗に触れて、彼の父親は職を解かれたというのが真相らしい。」
「そうだったんですね。ところで、その人物って誰なんです?」
「お前の良く知っている人物だ。」
「・・・もしかして、父上ですか?」
「そう言う事だ。こんな話は尤施殿にとっては他愛の無い出来事だろうがな。それでも関才雲は大いに恩義を感じたそうだ。話はこれでおしまいだ。」
「まだ、関才雲が官吏を辞めた話が残っていますよ。どうして官吏を辞めたんですか?」
「関才雲のその後の消息は俺にも分らん。もしも誰かから聞いたら教えてやる。」
「それじゃあ、いつか話してくださいね。別に今じゃなくてもいいので。」
「そんな約束は出来んぞ!俺は関才雲じゃない、張載風だからな。」
「いいですよ。いつでも。じゃあ、先を急ぎますか、才雲・・・じゃなかった、載風兄さん!」
二人の旅はまだ始まったばかりなのだった。