第3話
「栄邑の酒徒」と呼ばれる張載風という男。その呼び名のとおり無類の酒好きで知られた男であった。元々は薬売りを生業としており、各地を巡り歩いては自ら開発した薬を販売していた。その名を『至心丹』と言う。これが恐ろしくよく効くと評判の薬らしい。噂が噂を呼んで、“災いを防ぎ、四神の恵が宿る薬”として『災封四神丹』と称されるようになっていた。
ある時、そんな噂を聞いた許龍峨が張載風に『至心丹』の成分について聞いてみた事があった。
「載風兄さん。『至心丹』があれ程よく効くのは、何か秘伝の調合があるんでしょうね。」
許龍峨の問いに対して、張載風から戻ってきたのは意外な答えだった。
「『至心丹』なんて、単に小麦粉を丸めただけの代物さ。龍峨、お前でも作れるぞ。」
それでは詐欺ではないかと許龍峨が尋ねると、張載風はこう答えるのだった。
「薬なんかに頼らなくても、人間には本来“自然治癒力”ってものが備わっているんだ。俺は薬を与える時に、それを引き出す手助けをしてやっている。ただ、人間ってものは目に見えないものには代金を払いたがらない。そこでだ、薬という目に見える形を与えてやっている訳さ。」
実際のところ、『至心丹』の成分が張載風の言うとおり小麦粉を丸めた物かどうかは不明であった。何しろこの張載風、先ほどから酒家で熱弁を振るっていたのでも分かるとおり、やたらと口が立つ男なのである。おまけに無類の酒好きで、昼でも夜でも酔っ払っている姿がよく目撃される。こんな男の言うことなので、どこまでが本当でどこまでが冗談なのか、許龍峨でなくても分かったものではない。一つだけ確かに言えることは、張載風は今まで人に慕われる事はあっても、恨まれた事は無かったので、薬の真贋はともかくとして、その存在が大いに役に立っている可能性は否定出来ない。そんな彼の周りには自然に人が集まるようになり、『至心丹』は益々名薬としての評判を高めていくのであった。
「載風兄さん、少しお尋ねしたいことがあるのですが。」
「何だ、改まって。俺に判ることなら何でも聞いてくれ!」
「兄さんは、不影という名の黒毛の馬をご存知ですか。有名な駿馬のようなのですが。」
「不影だと!龍峨、まさか孟家と何かあったのか?悪いことは言わん、あそことは係わり合いにならない方が身のためだぞ。」
「私はただ、不影と呼ばれている馬を見かけただけで、孟家とは何の係わりもありませんよ。それに孟家がどうかしましたか?」
「そうか、それなら良いんだ。不影というのは、孟家の当主である孟宗徳の愛馬で、お前が言うように駿足で知られた名馬だ。ところで、さっき不影を見かけたって言っていたな。こんな場所に孟宗徳が現れるはずは無いんだが、一体どこで見かけたんだ?」
「実のところ、その馬が果たして不影なのかどうかも分かりません。」
「何だそりゃ?ますますもって訳が分からん。」
「実は、不影と呼ばれている黒毛の馬を山の中で見たのです。もっとも、見たといっても一瞬の出来事だったのですが・・・。それに、馬を操っていたのは私と同じくらいの年頃の白い服を着た少女で、男性ではありませんでしたよ。きっと、孟家にゆかりの方なのでしょうね。」
「お前と同じくらいの年頃の少女が不影に乗っていた?はて、孟宗徳には娘などいないはずだが・・・。そもそも、不影に乗れるのは当主である孟宗徳ただ一人だけだ。他の者は馬に近づくことすら許されておらん。例え家族であってもな。唯一の例外は、不影を生まれた時から育ててきた孫丘楊という男だけだ。そいつに不影の世話は全て任されているという話だ。」
「そうですか・・・。それで彼女は追われていたんだな。」
「追われていた?その不影に乗っていた少女の事か?」
「ええ。私が不影の名前を知ったのも、彼女を追っていた連中が話しているのを聞いたからなのです。」
そう言って、張載風に皮の鎧に身を包んだ騎馬の一団について説明をした。
「それはきっと、孟家の私兵だな。龍峨、奴等にお前の姿を見られたか?」
「いえ、余計な面倒に巻き込まれないようにと木の陰に隠れていました。」
「そうか、それなら問題ないだろう。ともかく、この件にはこれ以上深く係わらないほうがいい。何と言っても相手は孟家だからな。」
そう言うと、張載風はそれ以上何も答えてくれなかった。
孟家は元々北国の出身であり、戦禍を逃れて暁にやってきた一族であった。彼らが住んでいた国は寒冷な土地柄のため農作物は収穫できなかったが、代わりに良馬の産地として有名な所だった。暁に移り住んでからもその時の人脈と経験を生かして馬商となった孟家は見事に成功を収め、この国でも屈指の豪商となっていた。また、孟家は金さえ用意すればどんな相手とでも取引をするというので、巷では「名馬欲しけりゃ金を積め。名薬欲しけりゃ酒を酌め。」と歌われるようになっていた。もちろんここで言う“酒を酌め”は張載風の事を指しているのは言うまでもない。
こうして築いた基盤を元に現当主の孟宗徳が海上交易を始めると、孟家の地位は益々確固たるものとなっていった。その一方で、海上交易と称して孟家の船団が私掠行為を行っているという噂もあったのだが、持ち前の財力を使い王の側近や官吏の者と通じていたため、証拠不十分のまま司直の手を逃れていた。今では朝廷に対しても絶大なる影響力を有するまでに成長を遂げた孟家は、この国の四大名家の一つに数えられるほどだった。
また、孟家には私設軍団が組織されており、歯向かう者には手段を選ばず報復をするという一面も併せ持っていた。日頃から怪しげな者達が多く出入りしており、張載風が許龍峨に係わり合いになるなと忠告したのも、そういった事情があっての事だった。
張載風と分かれて家へと戻った許龍峨は、今日あった出来事を自分なりに整理してみた。
(彼女を追いかけていたあの集団は、孟家の手の者と考えてまず間違いない。そうすると、山道で出会った少女は孟家から白凰双龍佩を盗み出し、不影に乗って逃走を図ったのであろう。少女が誰なのか、何の目的で佩玉を盗み出したのかは不明だけれど、この白凰双龍佩には何か秘密が隠されているに違いない。)
そう想い、白凰双龍佩をどこか安全な場所に隠すことにするのだった。
許龍峨の家は川に張り出すように建っていた。木の杭の上に板を載せた作りの床板は、1枚はぐるとその下には川が流れているのが確認できた。そこで白凰双龍佩を油紙で何重にも包み、その上を更に半端布で覆い、杭の一つに縛り付けておいた。
(ここなら誰にも分からないだろう。)
ちょうど隠し終わった時に、許尤施が帰ってきたようだった。
「龍峨、載風とは出会えたかい?」
「はい、父上。酒家で熱弁をふるっていました。相変わらず元気そうでしたよ。」
「そうかい。『至心丹』はすごい効能らしいからね。私も今度一つ貰っておこうかな。」
「ところで、先王が暗殺されたというのは本当なのでしょうか。」
「載風が話しているのを聞いたんだね。載風と天眼通の二人を知っているお前としては、この噂をどう思う?」
「分かりません。載風兄さんは、口は上手いですが嘘を吐くような人じゃないし、管東洛殿も一度お会いしただけですが、そんなに悪い方には思えませんでした。」
「それじゃあ、噂は本当なのかもしれないね。現に微王は亡くなられ、瑞王が国を治めている事だし。」
「しかし、人間の力で将来の事を見通す事など、本当に出来るのでしょうか。それが可能であれば管東洛殿は、みすみす自らを窮地に追いやった事にもなります。本当に将来の事を見通す事が出来るのならば、そんな行動を取る必要はないと思います。」
「それじゃあ、やっぱり単なる噂なのかもしれないね。微王が若くして亡くなられたのは偶然の出来事で、そこには何も不自然な点はなかったという事になる。」
「父上、意地悪していないで教えてくださいよ。」
「いいかい、龍峨。先ほどお前は“管東洛は自らを窮地に追いやった”と言ったね。どうしてそう思ったんだい?」
「自らが口にした予言のせいで都を追われたからです。そんな事をしなければ彼は都を追われることはなかったはずですから。」
「そうだね。ところで、都を追われたことが管東洛にとって不幸な出来事だったとお前は考えているようだけど、私はそうは思わない。何しろ私自身、今ではこうして都を離れて畑仕事をしているからね。」
「父上、・・・すみませんそう言うつもりではなかったのです。」
「龍峨、私が“微王は暗殺された”と言ったからといって、それをそのまま信じてはいけない。逆もまたしかりだ。物事の本質は自分自身で見定め、考え、判断するんだ。管東洛は評判通りの人物かもしれない。しかし、だからと言って、彼の言葉がいつも正しいとは限らない。それだけはしっかり覚えておきなさい。」
何となく許尤施に上手く言いくるめられた気もする許龍峨。父親と張載風のどちらが口が立つのだろうか、是非とも一度、両者が競い合う場面を見てみたい気もするのだった。
「ん?どうかしたかい、龍峨。」
「いいえ、何でもありません。」
「そうか、じゃあ夕飯にしようかね。」
先ほどの真剣な表情とは一変して、そう告げる許尤施であった。




