第15話
「ところで載風。貴方が今回、この錦香にやって来たのには色々と事情がありそうですね。私は天眼通ではないので、何でもお見通しという訳にはいきません。詳しく説明してもらえませんか?その佩玉も何か関わりがあるのでしょう?」
穆陽過がそう尋ねるので、張載風は許龍峨が佩玉を拾ってきた事、許尤施に頼まれて許龍峨と一緒に旅して来た事、潘蓮玉と出会った事、許龍峨を攫われた事、そうしたこれまでの経緯について順を追って説明してやるのだった。その話を聞きながら、穆陽過は筆を取ると、何やら紙に書き付けていく。
張載風の説明が終わる頃には、既に幾つかの水墨画が完成していた。穆陽過はその中から黒馬と蛾の画を選ぶと、机に並べてこう言った。
「敵は孟家と金翅の双方。どちらか片方だけでも厄介な相手なのに、その両方から付け狙われている。そういう事ですか?」
「多分、そうなんだろうな。」
まるで他人事の様に答える張載風。それを一瞥しただけで、先を続ける穆陽過。
「これまでの経緯からすると、孟家の狙いはこの白凰双龍佩であると考えてまず間違いないでしょう。それ以外に孟家と貴方を結ぶ接点はありませんし、自分から災いを背負い込む程馬鹿ではないですよね?」
穆陽過は佩玉を手に取ると、黒馬の画に重ねる。
「もちろん、裏で何をやっているか分からん連中だが、こちらから喧嘩を仕掛けるつもりはない。そもそも相手が悪すぎる。」
「そうなんですよね。そもそも、佩玉を盗んだのは謎の少女。孟宗徳の愛馬“不影”と一緒に姿を晦ましてはいるが、佩玉を失くした事に気がつけば、取り戻しに来る可能性は高い。しかし、彼女が一体何者なのかは不明のまま。代わりに孟家の手の者と思われる人物からの手紙が届けられる。」
そう言って、佩玉の上に少女の姿画が重ねられる。
「結局、一緒に旅行していた尤施殿の御子息が人質に取られ、九陽楼に向う破目になった・・・と。要は、佩玉と引き換えに御子息が無事に取り戻せれば万事解決という訳ですね。」
子供の姿画と九陽楼の画が重ねられる。
「まあ、そんな所だな。もっとも、佩玉はくれてやっても良いが、俺の命までくれてやるつもりはない。」
「ところで、問題なのがもう一方の金翅の方ですが・・・。」
蛾の画が描かれた紙を手に取ると、穆陽過は思案顔で張載風の方を見た。
「金翅と言えば東西無敵の毒の名手として恐れられ、その気性は残忍にして冷酷。各地に大勢の部下を従え、自分の意に副わぬ者には死の制裁を下すという噂の毒婦。自分への絶対服従を実現するため、部下には特別な毒薬を与えており、解毒薬と引き換えに命令を実行させているとか。一説によると、齢八十は既に超えていると言われていますが、その容貌は一度目にした者を虜にする程の美しさだそうです。」
蛾の画の上に美人画が重ねられる。
「さて一方の張載風と言えば、名は広く知れ渡っていても所詮は市井の薬売り。しかし、至心丹は名薬と噂され、これが良く効くと大評判。毒と薬は似て非なる物ですから、お互い相容れないのは世の道理。例えるならば水と油と言ったところ。」
美人画の上に至心丹が重ねられる。
「ところで、この至心丹に金翅の毒を解毒する効果が秘められていると言うような秘密でもあれば、金翅の方でも“張載風憎し”と思うところでしょうが・・・。」
「そんな効果がないのは、俺が一番良く分かっているさ。何しろただの小麦粉だからな。」
張載風の言葉に、穆陽過は苦笑する。
「その通り。それならば、金翅の毒に敵う者などこの世にいない。どれ程の達人であれ、解毒剤の分からない毒には対抗しようがありませんからね。まして、張載風など恐れるに足りぬ存在。取り立てて執拗に命を狙う必要もないと思われるのですが・・・一体、どのような因縁があるんでしょうね?」
面白そうに張載風の方を見る穆陽過の言葉には、何やら含むところがあるらしい。
「墨郎、屋敷に籠もって水墨画ばかり描いているうちに、全身に墨が染み込んで性格まで真っ黒になったんじゃないのか?勿体ぶった言い回ししやがって。」
「ここからが面白い所なのですがね。そもそも、月蛾美人にも分かりやすいようにと思って、貴方と金翅の関係について順を追って説明しているんじゃないですか。」
「それが余計なんだよ。やっぱり早いところこんな襤褸宿なんて引き払って、外に出るんだな。清々しい外の空気に触れて、全身綺麗さっぱり清めて来い。」
穆陽過は再び筆を取ると、紙に何やら書き付けて至心丹の上に重ねた。そこには酒の画が描かれていた。
「そもそも、こんな事になったのも自ら招いた災いですからね。酒の席での事とはいえ、金翅を怒らせるような真似をするからですよ。」
「そのせいで俺は、一度死に掛けたんだ。いい加減に諦めて欲しいものだよ。」
やはり張載風と金翅の間には浅からぬ因縁があるらしい。しかし、潘蓮玉が幾ら尋ねても、穆陽過の方でも笑って誤魔化すばかりだし、張載風に至っては口を開きそうにない。それ以上に詳しい話までは、現時点では明らかにされないままだった。
しかたなく机の上に置かれた佩玉を手にする潘蓮玉。
「孟家が欲しがるくらいだから、さぞかし立派なお宝なんだろうけど、こんな物に一体何の価値があるって言うんだろうね。すっかり薄汚れている上に、あちこち欠けている箇所もあるじゃないか。天眼通もこんなもの運んでくる暇があるんだったら、もうちょっと役に立つ助言でもくれればいいものを、評判倒れも良いところだよ。」
危なっかしい手で弄ぶ潘蓮玉の手から、早々に佩玉を取り上げた張載風。
「天眼通を悪く言うなよ。この佩玉がないと九陽楼には入れてもらえないどころか、龍峨を取り返す事も出来ないからな。招待状にも書いてあっただろう?“古式に則りまして白い佩玉等お召しになり、お越し頂きますようお願いいたします”ってな。これはそのための通行許可書みたいなもんだ。」
張載風はそう言うと、穆陽過に手渡した。
「どうだ、墨郎。何かこいつに特別な秘密でも隠されてないか、調べてくれないか?」
穆陽過も色々と佩玉を眺め回していたが、やがて張載風の手に返すとこう言った。
「細工は素晴らしいのですが、やはり佩玉としての価値は無さそうですが・・・ややっ!」
「どうした、何か分かったのか。」
「この触感、この重量感。これなら、文鎮にはもってこいだなぁと思いまして。」
穆陽過の手から佩玉を奪い返した張載風は、それを丁寧に包み直すと、自らの懐の中にしまうのだった。