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第14話

「客人とは珍しい事もあるものだ。錦香の街はすぐそこだと言うのに、わざわざこんな襤褸宿に逗留しようなんて考える人間が、俺の他にもいるとは思いもよらなかったよ。見たところ、随分と綺麗なご婦人をお連れのようだが、孟家ばかりか王までも侮辱するような輩とあっては、到底見逃す訳にはいくまい?九陽楼の威容を目の当たりにしていながら、恐れ多くもそのような戯事をするなど・・・大胆不敵を通り越して、ただの命知らずと呼ばなければなるまいなぁ。」

 そう言って、入口から見知らぬ人影が入り込んできた。思わぬ客の登場に、張載風と潘蓮玉がそちらを振り返ると、旅塵に塗れた衣服を纏い、手には瓢箪を持った、旅行者風の男の姿があった。何よりも目を惹いたのは、男の容貌であり、例えようのない程に醜悪だった。

 男はそのまま三人のいる机に近づくと、穆陽過が持ってきた甕を手に取った。未だ封がされたその甕からは、芳しい酒の匂いが漏れていたが、未だ手つかずのままだった。

「酒に酔った上での粗相であれば、大目に見ようとも思ったが、見たところ酒甕は未開封のまま。それとも、名にし負う“栄邑の酒徒”張載風は、酒を飲まずとも酔っ払っておられるとでも言われるかな?」

 男はそう言うと、挑むようにして張載風の顔色を窺った。張載風は穆陽過の方を向き、この相手が誰なのかを尋ねようとしたのだが、穆陽過の方でもまるで男の顔に覚えがないとでも言いたそうな、困惑した表情を浮かべているのだった。 

「さてさて。貴殿の身柄を手土産にすれば、金翅は俺の事を厚遇してくれるだろうし、“張載風に反逆の意志有り”と告げれば、孟家は莫大な褒賞金をくれる事だろう。どちらに転んでも俺には損のない話。こんな幸運が偶然にも舞い込んできたとは、俺もよくよく運が良い。」

 誰に向かってというでもなく男が口にした言葉を聞いて、拙い事になってしまったと考えたのだろう。穆陽過が男の前に進み出ると、拱手して挨拶をするのだった。

「この宿の主人、穆陽過と申します。どうも何か考え違いをなさっておいでのようですね。これなるは私の友人で関才雲と申すもの。文盲のため物売りにて辛うじて生計を立てているような市井の者にて、政に口を挟む事が出来るほど学を修めた者ではありません。天下にその名を知られた“栄邑の酒徒”がこのような襤褸宿に泊まる事は万に一つもある筈もありませんが、ここにて起こりました出来事の全ては主人である私が責を負うべきもの。どうぞ御内密にお願いいたします。」

 穆陽過の言葉など聞く耳持たぬという風で、男は手にした瓢箪に口をつけると、今度は潘蓮玉の方に向き直った。

「潘連玉。金翅に命じられた仕事を果たさぬままに、このような場所にてお目にかかるとは思いませんでしたよ。折角の自慢の美貌も、長い年月を経てすっかり色褪せてしまったと見える。そうでなければ“栄邑の酒徒”お得意の口車に上手く載せられてしまったのでしょうか?まあ、恋は盲目と言いますから、惚れた男の為ならば死をも厭わない覚悟を決めたと言えなくもないのですが・・・」

 謎の男は潘蓮玉の事も知っているようだったが、問われた潘蓮玉の方ではこの男が一体何者なのか分からない様子だった。しかし、これだけ内部の事情に通じているのであれば、金翅の差し向けた追っ手かも知れぬと思い、一瞬身構えるのだった。

「人の顔を覚えるのは得意としているんだが、もう少しこちらに来てその顔を良く見せてくれないかい?こう暗くちゃ、どうにも思い出せそうにないんだよ。」

 潘蓮玉は右手を袖の中に隠したまま、左手で男を手招きするのだった。

「おっと、その手には乗らないよ、月蛾美人。お前さんの得意は毒薬だったな。俺は色香に惑わされて毒を盛られるような間抜けじゃない。

そんな事よりも、どうだ?口先だけのしがない薬売りなんかに与せずに、俺の方につかないか。もちろん取り分は山分けだ。何だったら俺からも金翅に口添えして、お前さんの毒を取り除いてもらうように頼んでみてもいい。お前さんにとっても良い話だとは思うんだが。」

 自らの手の内を見破られた潘蓮玉であったが、嫣然とした表情は崩さないままで男に向ってこう答えた。

「お生憎様。同じ丸でも月と鼈とでは随分と違うだろう、それと同じさ。月に靡く蛾はいても、鼈に靡く蛾なんてこの世にはいやしないよ。旦那がもう少し光を放つくらいの男前だったら、少しは悩むんだけどね。まったくもって残念だよ。」

 潘蓮玉の答えに、男は特に気分を害した風でもなく、相変わらず平然とした顔をしていた。それどころかむしろ、この成り行きを面白がっているようにも見えるのだった。

男は手にした酒甕の封を外すと、手近の杯に注いで張載風に勧めるのだった。

「貴殿が月で俺は鼈か。まあ、人の顔色ばかり窺っているような俺のような男には、相応しい喩えだと言えるかもしれんな。ところで張載風殿、月は太陽の存在があってこそ、その輝きを増すものだ。貴殿の太陽は、一体何処に隠れてしまったのだろうな?山に登ったか海に潜ったか、はたまた冥府に沈んだか。」

 張載風はその杯を受け取ると一息に飲み干してこう答えた。

「随分と可笑しな事を言われる方だ。太陽であれば雲に隠れるのが道理。雲は何もしなくても、いずれ風に載って何処かへと流れていくもの。俺が探しているのは一匹の龍。峨峨たる山の許に住むと伝え聞くが、生きて帰れる保障はない。貴殿であればどうなさるかな?」

 そう言うと、杯を満たして返杯した。張載風から杯を受け取った男は、こちらも一息に飲み干してこう答えた。

「さてさて、それは難儀な話だな。貴殿が自ら進んで死地に赴こうとしているのであれば、徒に司直の手を煩わす事もあるまい。先ほどの一件は全て水に流すとして、貴殿の生死については天の裁きに委ねる事にしよう。」

 男は席を立つと、懐から油紙に包まれた固まりを取り出して机の上に置いた。

「張載風殿。素晴らしき銘酒をご馳走になりながら、生憎と今は持ち合わせがない。代わりにこれを置いていくから、受け取っておいてくれ。お礼は後日、改めてさせて頂く。」

 そして、穆陽過の方を振り返ると拱手して告げた。

「亭主。夜分遅くにお騒がせして、大変申し訳ありません。今宵は別の場所にて宿を取ろうと思うので、これにて失礼します。」

 最後に潘蓮玉の方に向って会釈すると、男は何処かへと姿を消したのだった。

 男の後を追おうとする潘蓮玉を、張載風が片手を上げて制する。穆陽過の方でも、今では何事もなかったかのような顔で席に着いていた。一人合点がいかない潘蓮玉が二人に尋ねる。

「ありゃ、一体何者なんだい?それに二人とも、あいつの後を追わなくて大丈夫なのかい?」

 張載風は空いた杯に酒を満たすと、一つは穆陽過に、もう一つは潘蓮玉に差し出して席を勧めた。

「まあ、姐さん。ここに来て一緒に酒でも飲まないか?それにしても墨郎。お前、始めから気がついていたんだろう?まったく人が悪いな。うっかり姐さんが手を出したらどうする積もりだったんだよ?」

 穆陽過は張載風の手から杯を受け取ると、こう答えた。

「私も実際にお目にかかるのは今回が始めての事でしたけど、全ては尤施殿の手配。私に責任はありませんよ。天眼通の方でも、案外乗り気だったみたいですし・・・。」

「冗談じゃないぜ、まったく。尤施殿もとんでもない人を使いに遣したもんだ。俺が天眼通を見知っているから良いものを、とんだ茶番だな。」

「“天眼通”って・・・、じゃあさっきの醜男があの管東洛だっていうのかい?」

 一人驚く潘蓮玉に向って、仰々しく穆陽過が頭を下げる。

「左様でございます、月蛾美人。かの者こそ、その名を知られた天眼通。凄腕の占師としての名声を誇りながらも、先王の死を予言したとして都を追われた者でございます。彼が錦香の街に向っているという噂が広まったものですから、街の警備が通常よりも厳しくなっておりまして・・・お気づきになりませんでしたか?」

 そう言うと、張載風の方を振り向いた。張載風は頭を掻きながら、穆陽過の後を継いだ。

「まあ、そういう事だ。黒武門に到着したのは良いんだが、どうも緊迫した雰囲気が漂っていたんで、念のために様子を見たんだ。まあ、お陰で色々と助かったんだが。」

 張載風は管東洛の残していった固まりを手に取ると、中を改めた。それは白凰双龍佩だった。

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