3.別離とレティ/【保温石のナイフ】<ダストファイア>
セントラルの相談所には、昼夜はない。深夜になっても相談するお客が詰め寄せていた。
相談所は二十四時間営業なのだ。それも当然、様々な種族がいるこの世界では、夜行性の種族も存在したり、夜しか出歩けない種族が存在したりするからだ。
自分の業務を終わらせ、サービス残業をしていた片岡の前に誰かが立った。本日の業務は終わりました、と書かれているにも関わらず、そんなことをするの人物を片岡は一人しか知らない。書類から顔も上げずに声を出す。
「どうでしたか、彼は」
「ダメね。『スキル』の希少度はたいしたことないわ。【武器力解放】よ」
「ほう……」
どっかと片岡の前の席に腰を下ろしたのは、昼間トシキに優しい笑顔を見せていたサーシャだった。あの優しい笑顔など微塵もない。今はひどく冷たい表情をしていた。
「無駄足ふんじゃったわあ。【時空操作】とか、【能力吸収】とか、いい『スキル』だとよかったんだけどぉ?」
「そこまで私に操作する力はないですよ。私の『スキル』は転移・転生者を引き寄せるスキルでしかありませんから」
両肘をついて、けだるげにサーシャは言う。昼間の気品ある姿はそこにはない。
「戦闘能力もないし、あれじゃ魔法使いの方がマシよ。あー、服代損したわぁ」
「そうですか」
「じゃ、いつものようにお願いね」
「わかりました」
言うだけ言うとサーシャはだるそうに立ち上がる。そのまま後ろを振り返りもせずに、相談所を出て行った。残された片岡は、深くため息を吐いた。
◆
トシキは目覚めた。すっきりした目覚めだ。
昨日のサーシャの美しい姿が夢にまで出てきて、もっと夢を見ていたかったぐらいだ。
提供された朝ごはんを食べながら、昨日のことを思い出す。
(そういえば、サーシャさんは剣を使っていませんでした)
トシキが見たのは光の弓だった。撃つ瞬間を見ていなかったが、矢も同じ光で出来ていたはず。
(短い棒みたいなのを持っていて、そこから弓の両端が伸びていました。たぶん魔力とか何かそういった類の力でしょう。弓はかさばりますが、魔力で弓が造れて、弦が張れるのならばこれはすごいことです。やはり基本武装は弓なのでしょう!)
トシキはサーシャの弓の形状を脳裏に思い出す。武器の名前を聞いておけばよかったと後悔したが、今日会えるのだからと思い直す。
朝ごはんを食べきると、トシキは弾む気持ちを抑えながら宿を出た。とりあえずトシキは相談所でサーシャを待つことにした。
サーシャは来なかった。
おかしいと思いはじめたのは、相談所の待合室の顔ぶれが一通り入れかわったあたりだ。
(きっと、ちょっと遅れているだけなんです)
トシキはそう考えてさらに待つ。だが、サーシャは現れなかった。ここまで来ると、さすがのトシキでもおかしいと思い始めた。片岡に聞いてみようかと思ったが、なんだか忙しそうに仕事をしている。転移者らしい同い歳くらいの少年相手に書類を作成していた。
うつむいたトシキに、影がかかる。はっとして顔を上げると、そこには知らない女の人が立っていた。
「お前がトシキか?」
笹穂のようにとがった耳はサーシャと同じだが、肌の色が違う。褐色の肌、ダークエルフだ。目つきは悪くトシキをじろじろと値踏みするように眺めている。
暴力的な気配に、トシキの背すじが勝手に伸びた。
(不良だ……!)
トシキの脳内にはそれしかなかった。
ボリュームのあるくすんだ金色の髪は、頭頂部にいくほど黒くなっている。黒いメタリックなブレストプレート、ショートパンツからは生足が生えている。その上から裾の長い薄手のコートを着ているのだが、どう見ても特攻服にしか見えない。
そのダークエルフはトシキの胸倉を掴んですごい力で持ち上げた。
「お前がトシキかって聞いてんだよ!」
「ははははいっ! そうです!」
ダークエルフの腰に提げられた黒い手甲が揺れた。握りこむと手首までカバーできるタイプだ。防御にも攻撃にも使えるナックル手甲なのをトシキは見て取った。装飾なのか、右手側の手甲には、手甲の色に揃えた飾り紐が流れていた。傷や痛み具合を見るとだいぶ使い込まれているのがわかる。
「何見てんだよてめぇ!」
「いや、いいナックルだなあって!」
思わず叫んだトシキを、ダークエルフはきょとんとした顔で見た。微妙な顔をすると、トシキの胸倉を離す。サーシャとは違う理由でトシキはドキドキとしてきた。誰だろう、この人は。
「とりあえず、腹減ったしメシな。お前の奢りで」
「え、いや、僕、人を待っているんですけど……」
「サーシャの奴なら来ねえぞ」
その一言にトシキの身体が硬直した。聞きたくなかった一言だ。
ダークエルフは動きの止まったトシキの襟首を掴むと、すごい力でずるずると引きずって出口へと向かっていく。その勢いに抵抗できぬまま、せめてもとトシキは口を開いた。
「ええと、あなたは?」
「あたしはレティ。今日からお前のパートナーだよ」
「へ……?」
引きずられるトシキは、信じられない情景を見た。片岡が先ほどから相手していた同い年くらいの少年に、サーシャが紹介されている姿だ。
(どうして……!?)
サーシャと目が合った。サーシャはにっこりと笑うと、こちらに手を振った。さようなら。離別の挨拶。
わかったのはサーシャには見限られたということだ。愕然とするトシキの前で、相談所の扉が閉まった。
レストランのテーブルの一つで、トシキはぐったりと突っ伏していた。目の前には空になった皿が積み上げられている。トシキが食べたものではない。目の前のダークエルフがトシキのお金で食べたものだ。
「いつまでしょげてんだお前。メシがまずくなるだろ? いいかげん諦めろって」
レティの遠慮のない呆れた声が上から降ってくる。あふれそうになる涙をトシキはこっそりとぬぐった。
「サーシャって奴はそういう奴なんだよ。強力な『スキル』持ちに近付く性悪なんだよ。何もされなかっただけマシだろ」
「サーシャさんは優しい人ですよ……」
「好きに言ってろ」
レティの言っていることは信じられないが、この状況はどうしようもない。どうやら本当にこのガラの悪いレティがトシキの転生支援者らしい。まごつくトシキに突き付けられたのは、パートナー交代の正式な書面だった。相談所の片岡さんのサインも入っている。記憶の中の片岡さんの筆跡と同じだったので、偽造ということもない。
「それで、お前はどんな『スキル』だったんだよ。サーシャに見限られるなんて珍しいからさ」
トシキは仏頂面をしたまま顔を上げた。そう言うのなら実際に見せよう。テーブルの上に用意されていたナイフとフォークのうち、なんだか温く感じるナイフを手に取る。
「【解放】」
力ある詞に従って、ナイフは光となって弾けた。レティの顔が興味ありげな表情に変わる。
残された光文字は<ダストファイア>。光がぐるんと回ると、小さな火の玉になってへろへろとダークエルフに向かっていった。
「なんだそりゃ」
呆れた声でデコピン一発。レティはそれだけで火の玉をかき消した。トシキはがっくりと力なく肩を落とす。
「これじゃしょうがないだろうさ。ま、支援期間が終わるまで、適当にやんなよ」
その間メシは奢ってもらうけどね、と付け足したダークエルフは、意地の悪い顔をしていた。トシキを財布にする気満々なのがわかる。
「レティさんはどうしてサポーターになったんです?」
「……アぁ?」
じろりとレティが鋭い眼光を飛ばしてくる。コートのポケットに手を突っ込んで崩した姿勢で座る姿などは、不良そのものだ。人にいろいろ教えるような人物に見えない。
「な、なんでもないです……」
トシキは縮こまった。
やっていけるのだろうか。不安がトシキの中で膨らんでいくのを感じていた。