全知纏:2
11/14(木) 8:31 a.m.
それは唐突だった。
時間ぴったりにホームルームにやって来た我らが担任は、いつものように緊張の色を隠せない表情で教壇に立ち、ビタンと両手をついた。
恐らく今朝の屋上フェンス落下事件(命名:私)について話すつもりなのだろう。
何気なく、座席がおおよそ教室の中央部に位置している呼の背中に視線を送ってみたけれど、こちらの視線に気付きそうな気配は全くなく、特に特別な感情を持ち合わせずに前を見つめたままだった。
むぅ。アイコンタクトでも取ろうかと思ったのに……いや、眼鏡少女の呼にコンタクトを取れというのは無茶な話だね。
くっく。幾ら呼の目が悪いからって、まさかコンタクトと眼鏡どちらも付けているだなんてそんな……
「きょ、今日は皆にお話しないといけないことがあります!」
と、あらぬ方向へと転換してしまっていた私の思考を引き戻すように、震えた声で叫ぶような宣言が教室内に響く。
なんでも彼女は念願であった教師になる夢が叶い、この春この高校に配属されるやいなや、田舎であるが故の教師不足でいきなり担任を任されることになったそうだ。
しかしご覧の通り極度の上がり症らしく、教壇に立つようになって半年程たった今でもこうして変わりのないガチガチの笑顔を振り撒いてくれている。
そんな彼女を私たち生徒は親しみをこめて「楓ちゃん」と呼んでいる。
もっとも、そう呼んで欲しいと所望したのは彼女自身で、生徒の方からいきなり教師を馴れ馴れしく名前で呼び始めたわけではない。
聞くところによると、彼女なりに生徒達と仲良くなろうとしての策だそうだ。
でも、いくら教師の方から名前で呼んでと言われたからといって、すぐにそれを実行に移せる生徒は少なく、数ヶ月の期間を経てようやくクラスの全員からの呼び名として定着した。
今では彼女の初々しさはすっかり人気の種となっていて、クラス全員が彼女の新米っぷりを温かく見守り、サポートすることになっている。
ちなみにそれは9月の学級会で決まったことだったりする。
さて、話とはなんだろうか。屋上フェンス落下事件のことだと安直に推測していたけれど、少なくとも一応楓ちゃんが笑顔を見せてくれるということは、そんな暗いニュースではなく明るいニュースだということだろう。
「えっと、本当に急にき、決まったことなんだけどっ!わ、わ我がクラスに転校生がやってきまひた!」
ああなるほど。生まれて初めて自分のクラスに転校生を受け入れることに緊張しているのか。
あの様子だと、昨日の放課後か、あるいは今朝方にそのことを聞いたのだろう。
それ以前に決まっていたことなら、前日のホームルームの時にはもう挙動不審になっていたに違いないからね。
それにしても、あと一ヶ月で二学期も終わるというこの時期にこんな田舎へ転校して来るなんて……何か訳有りっぽい匂いがする。
でもまあ、その訳有りっぽいというのは所謂フィクションというもので、現実は親の転勤だとか離婚して母方に引き取られて引っ越して来ただとか、考え付く程度の理由なんだろうね。
おっと、教科書以外の本を読んだことがない私でもフィクションの意味はちゃんと理解しているぞ?
架空の世界。誰かが作り上げた存在し得ないその世界がフィクションである。
「男子諸君ひょ!っ……よろこびたまへ!美人な転校生ちゃんだぞう!」
そう無理にテンションを上げなくても大丈夫だよ楓ちゃん。男子はそんな貴方の姿だけでもうお腹いっぱいだろうからね。
主に後ろ姿と横顔しか見えないが、男子の反応を伺ってみる。
歓喜の声をあげる男子、そうはしないものの何処か表情が緩んでいる男子、急に近くの男子と会話を始める男子。皆、なんとなく表情の緩み方がだらしない。
……なるほど。やはり同級の美人と聞いては落ち着いていられないのが男子の性ということか。
思春期の男子というのは素直で可愛らしいね。
一方女子は女子で、この時期に増える新たな同性のクラスメイトに興味心身のようだ。
椅子の背もたれに体を預ける人がいなくなり、前に注目している。
おっと、新宿君だけはいつも通りに寝たままだけどね。
「……あっ!そそ、それじゃあ入ってー!」
男子のある程度予想通りの反応に安心してしまい、一瞬それの発生源である転校生の紹介を忘却していたみたいだ。
楓ちゃんの声から数秒遅れて、のろのろと重たそうに前方ドアが開かれる。
もしかすると、前置きが長すぎて眠ってしまっていたのではないだろうか? いや、それはないか。新宿君じゃあるまいし。
緩やかに教室に入ってきたその横姿は、都会からやってきたちょっと人見知りで黒髪ロングの眼鏡少女。
と、弱々しく開いたドアから勝手にそう想像したのだけれど、実際はかなり違った。
それまでの教室の空気が一変するほど、彼女の姿は予想外だった。
まずスラッと伸びた脚。目線を上へと辿らせて行くと、同性が嫉妬しそうな程バランスの取れた抜群のスタイルだ。
いくら食べても太らない体質を持ち合わせた私でもちょっと羨ましい。どこが、とは言わない。
腰まである長い髪は、外国人の様に綺麗な金髪。
でも、ボサボサ長い髪を、朝起きてそのまま後ろで適当に縛ったような髪型。
とても整った顔付きで、女の私から見ても申し分のない美人。
だけれど、不機嫌そうな顔と目付き、への字になった口元からはとても人当たりのいい人物は想像出来ない。近付き難い、という印象を持たれること間違いないだろう。
折角の美人が勿体無い。
そう思ったのも束の間。すぐに別のところに目線が行ってしまい、本来普遍的な状況ではあり得ないであろうそれの存在に思考を奪われてしまった。
いや、それというのはやめておこう。
だって、そこにいるのは生き物なのだ。
彼女の頭の上で、四つ足を揃えて乗っかっているのは、どこからどうみても猫なのだ。
しかもどう言うわけか、眼鏡をかけている。
テンプルの部分がゴムか何かになっているようで、顔に被るようにして装着しているようだけれど、仮に目が悪い猫だとしても、猫が眼鏡をかけている姿なんて初めて見た。
「……」
この沈黙は私一人のものじゃない。このクラスで生み出した一つの沈黙だ。
何故、どうして頭の上に黒猫が乗っているんだろう?
全員の疑問をわかっているのか、いないの…いやわかるだろう流石に。
でもそれに取り合う気はないようで、転校生はこちらに全くと言っていいほど興味を示さないまま、表情通り気だるそうな、宛ら寝起きの猫の様に歩みを進めて教卓の前で止まった。
ふらっと力の抜けた動作で教卓へ向かい、たった今から新しいクラスメイトになる私達に無機物を眺める様な瞳を向け、ふぁあと一つ欠伸を漏らした。
……終わり。
沈黙がそのまま数秒間続いた。
転校生の口が開かれ、自己紹介の類が始まる様子は全くない。
「えーっと、て、転校生の……」
楓ちゃんが元気な声を無理矢理に出して黒板に向かう。掴んだチョークを小刻みに震わせながら転校生の名前を書いていく。
皆が無意識に楓ちゃんの手に注目していることだろう。私もそうだ。
丸っこい字で書かれた、多少震えでぶれてしまっている美少女転校生の名前に注目する。
――椿姫小春。
文字の羅列がとても綺麗で、可愛らしい。
ただ、私は姓名判断の知識は持ち合わせていないので、画数がどうとかそういうのじゃなくて、単純に見たままの感想だ。
なんて女の子らしい名前なんだろう。
本人から春らしい雰囲気はこれっぽっちも感じられないけれど、名前を見て、改めて転校生を眺めると、その瞳が赤椿の様な色をしていること気が付く。
色は綺麗だけれど、とても澄んだ瞳をしているとはいい難い。
一言に、彼女の第一印象を動物で例えるなら孤高の野良猫。
そう感じた原因として、頭に猫が乗っていることがかなり影響しているとは思うけれど、他人に懐かなそうな感じと気怠そうな態度がそれをさらに助長させているのだと思う。
「椿姫小春さんです!みんな、仲良くしてあげてね!」
楓ちゃんが一言も言葉を発しない転校生のために頑張っている。
手を合わせて待っているようだし、ここは拍手するべき場面だ。呆気に取られている場合じゃない。
私の拍手に促され、一瞬の間の後にクラス内に拍手が広がる。
転校生は相変わらずの仏頂面でクラスを眺め、作業のように頭を下げる。
とても面倒臭そうだ。
「えっと、椿姫さん。あそこの席が空いてるから、今日からあそこがあなたの席でいいかな?」
転校生、椿姫小春は下げた頭をくらりと起こし、楓ちゃんの指差す先である、私の隣の席を見つめる。
その時私は彼女の片目が閉じられたまま開けられないことに気が付いた。
どうして右目を閉じているのだろう?
怪我や盲目なら眼帯くらいしてそうなものだし…少し突飛だと思うけれど、もしかして癖なんだろうか?
覗き穴を覗きすぎて片目だけで世界を見るようになったとか…うん。そうだとしたらかなり変な子だ。
こくんと一度だけ頷いた椿姫さんは、のそのそと歩みを進める。
この空間に存在するほぼ全員がその姿を目で追っていて、その様子はなんだか滑稽に見えた。
乱雑に椅子を引き、キッチリ着ていた学校指定のブレザーを脱いでシワができることなど微塵も考えていない適当な動作でに椅子にかけ、スカートに収まっていたシャツを鬱陶しそうに出し、そのままストンと座り、欠伸を一つ。
ボサボサと髪を掻き、ついには首元のリボンまで剥ぎ取り、ボタンを第二まで開けたところではぁーっと長いため息を吐き、机に突っ伏した。
猫は相変わらず頭に乗ったままクラスを眺めるように首を伸ばしている。
都会からやってきた不良少女。
これ以上に的確な彼女の説明は恐らくない。
最も、第一印象に過ぎないけれど、これで転校生への取っ付きにくさは格段に増した。
うーん。転校生の一日目、新しい学校での華々しいデビューがこれでは些かかわいそうだ。
私は顔が引きつったままの楓ちゃんが、改めてホームルームをはじめるタイミングを見計らい、転校生の肩を右手人差し指でつつく。
「……」
返事はない。けれど、屍では無いようだ。
むっくと緩慢な動作で顔を起こした彼女は少しだけ顔を此方に動かし、左目だけで私を捉える。
「やあ、はじめまして転校生。私は全知纏だ」
にっこりと笑って見せる。
人懐っこい笑顔を意識したので、高確立で彼女の瞳にもそう映っているはず。
はずだけれど、何のリアクションもなくぷいっと正面を向かれてしまった。
むむむ、なかなか手強い。
どうしようかと顎ち手を当てようと体勢を変えると、黒猫が此方を見ていたことに気が付いた。
改めて断言するが、私の大凡18年の人生の中で、眼鏡をかけた猫に出会うのははじめてだ。
というか、今この場にいる全員がそうだろう。
掛けさせた張本人であろう転校生本人を除いて。
その黒猫は視線を落として転校生の頭を眺めると、右足でべしべしと叩いた。
それに反応したのか、さっきの緩慢な動作に倦怠感を上乗せした彼女が此方を見る。今度はちゃんと顔を此方に向けて。
私を捉える瞳は一つのままだけれど。
「…椿姫小春。テキトーによろしく」
漸く声が聞けた。
イメージ通り気怠そうな声と口調で少し笑ってしまったけど、本人は全く意に介してなさそうなので、私も気にせず会話を繰り出す。
「うん。適切かつ妥当に、よろしくさせてもらうよ。登場のその瞬間から君は魅力たっぷりだからね」
「…はぁ?」
不満というより、理解不能という反応だ。
自覚が無いのなら仕方が無い。私が彼女の魅力を伝えてあげなければ。
「椿姫さん。まず貴女は同じ女子の私が見ても羨ましい部類に入る外見の持ち主だ。高校生らしく且つ理想のプロポーションだし、気怠さが抜ければ顔だって文句無しの美人。それも魅力なんだけれど、最大の魅力は、謎だらけの転校生って属性だね。ミステリアスっていうともっと聞こえがいいのかな」
こちらをじっと見ていた仏頂面が少し変化する。
右頬がぴくぴくと動き、今にも引きつった表情へと変化しそうだ。
絶対めんどくさいと思われているだろうが、そんなことは関係ない。
私は表情を伺いながら人差し指を立て、言葉を続ける。
「そうだね…気怠さもそうだけれど、手入れしてなさそうなその髪も頂けない。折角の綺麗な金髪が台無しになってしまっているからね。程良い肉付きの……くくく。まだまだ指摘し、褒めたい部分はあるのだけれど、一先ず貴女自身の魅力についてはここまでにしておこう」
私の饒舌な話ぶりに飽きたのか呆れたのか、褒め言葉の応酬に嫌気がさしたのか照れたのか、彼女が大きな大きなため息をついたので魅力について語るのは一時中断。
私個人としては本題として残しておいた質問を投げかける。
「質問だけれど、その黒猫は君の飼い猫かい?」
頭に乗っけて連れてきたのだからほぼそれで確定だろうけど、質問とは徐々に内容を絞って行くものだと私は思う。
実は見た目の雰囲気にはそぐわない無類の猫好きで、たまたま見つけた眼鏡をかけた風変わりな黒猫を見つけて、すごく仲良くなったから連れてきたという可能性がないとも限らないじゃないか。
椿姫さんは目を宙へと逃がした。
どう返事をしたらいいのか考えている様子だ。
「あー…飼い猫というか、同居猫というか…」
ふむ。飼い猫なのか同居猫なのか答えあぐねる、と。
つまりこの猫は、飼っているわけではないけれど、一緒に暮らしている猫ということになる。
「ずいぶんと面白い関係を育んだんだね。食事は君が用意しているのかい?」
「はあ? ……まあ、猫が料理できるわけないからねぇ。衣食住全般こっちの仕事」
「成る程。それでもペットじゃないんだ」
「……そう扱うと怒るからねぇ」
「へぇ。なら、せめて家賃くらいは割り勘なのかな?」
「はぁ……生憎、今は無職だそうだ」
実のところ、私はさっきから笑いを堪えるのに躍起になってしまっている。
私のことをあしらおうとしているのは伝わってくるのだけれど、それ以上に彼女がちっともふざける様子もなく戯言に付き合ってくれているのだから、これが笑わずにいられるか。
「ぷっ、くくくっ…くはははははっ!」
笑ってしまった。我慢できない。
とても沢山の視線を感じる。
恐らくクラス全員が私たちに注目しているのだろう。それがとても気持ちがいい。
捻くれた私の会話に、同じように捻くれた言葉を返してくれる同性なんて、会ったことがない。
見た目通りドライな性格なのかと思っていたけれど、この美少女は相当な捻くれ者だ。
断じてこれは悪口ではない。同胞を見つけた嬉しさだ。
気が付くと、私は座っていた椅子を倒すほどの勢いで立ち上がっていた。
本当に申し訳ないけれど、今は他のクラスメイトなんて森の中に生えているキノコ程度にしか映らないんだ。
ステージに一人立つ主役の気持ちがわかる気がする。
気持ちいい。何もかもが気持ちいい!
両手で握りこぶしをつくり、歓喜に震えながら持ち上げる。
くぅ~っ!
「君とはとてもいいお友達に慣れそうだよ。是非私と、友達になって欲しい!」
「断る」
間髪ない返事だった。
数秒の間の後、頭の上で私を見たまま固まっていた黒猫が、我を取り戻したように右前脚で足踏みをした。
こうして転校生と私の出会いは、私が面白くないほどあっさりとフラれる形で幕を閉じた。
勿論、この程度で諦める私ではないのだけれど、今にも泣き出しそうな楓ちゃんの視線には流石に勝てない。
ここは大人しく白旗を上げて、着席することにしよう。
だってもうすぐチャイムがなる。一時間目開始のそれだ。
放心状態の生徒たちが微動だにしない中、私は一人ルンルン気分で準備済みの現国セットを机の中から取り出し、カバンを漁ると、ようやくそこで筆箱を家に忘れたことに気がついたのだった。




