椿姫小春
11/18(月) 12:05 p.m.
面倒なことになった。
朝のホームルームも面倒ごとになりそうだったが、新宿が解決してくれたおかげで、無事問題なく避けられたというのに。
まあ、新宿はさっき生徒指導室に連れられてったから、あいつにとっちゃ災難だろうけどな。頼んでもないのに首を突っ込んできたのが悪い。
……あとでジュースくらい奢ってやろう。
三時間目の途中で抜けて買ってきたメロンパンを頬張りながら、オレは眼の前で繰り広げられる現実を、大きく振りかぶって丸投げしようとする。
「つまり、呼の推理が正しければ、フェンス落下事件の犯人は、この学校の生徒ではないということなんだね?」
「ええ。私が知る中では、彼以外に屋上へ出る生徒はいないもの」
どうやら生徒会は、あのフェンスを落とした犯人探しをするつもりらしい。
そんな内容を、その事件の犯人の前で、しかも容疑者から外して話している。
転校生ですあるオレはそのことを知らないはずであり、だが実際は関係あるというか当事者なんだが、まるで興味がないというスタンスを貫くことにする。やったのは小春じゃなくて、心だ。
「ってわけで小春。明日フェンスが設置されるから、今日は屋上に上がれないんだ。明後日まで我慢だね」
「待ちなさい。たとえフェンスがあっても、そもそも屋上は立ち入り禁止よ」
「あ、そうだった」
そうなんだろうが、オレは羽海野に止められた記憶を探ってみても、どうも思い出せない。
校則第一の堅物のこいつのことだから、何度注意されていてもおかしくないんだが、まあオレとこいつとの仲だ。黙認されていたのかもしれない。
こうやって会話に紛れるのは一年振りとかそんな感じだが、オレと羽海野は割と親しい部類の仲だった。別に友達ってわけでもねぇけど。
オレは部員で、こいつはマネージャー。そんな関係だっただけだ。
「でも、ここの生徒じゃないとなると、犯人探しはかなり難航しそうだね。目撃情報でもない限り、尻尾さえつかめそうにない」
お前たちの前に犯人はいるんだけどな。
「そうね。だから生徒会でもこの話は迷宮入りで終わりそうになったわ。でも、予想されている犯行時刻の少し前に、不審人物目撃情報があったのよ。他でもない生徒会の中からね」
……目撃情報?
パジャマ姿の不良でも見つかったのかと思ったが、それなら犯人は心で確定だ。しかしそうだとするなら、さっきの羽海野の発言と矛盾する。
オレ以外にも、あのタイミングでここに忍び込んだ奴がいるっていうのか?
「その時間は私もまだ残っていたんだけれど、見た覚えはないね……どんな人物だったんだい?」
「青いマントのチビっ子」
「は?」
しまった。この話題が終わるまで黙っているつもりだったのに、声が出てしまった。
どうしてここであいつの話が出てくる。
「あらなに椿姫さん。心当たりでも?」
「……いや。チビっ子っていうからだよ。まさか子供がここに忍び込んで、わざわざ屋上まで上がってフェンスを落下させたってのか?」
「ああ、その点に関しては私も疑問よ。でも、現時点での不審な目撃情報がそれだけなのよね。だから、何か知っているかもしれないという考えに至るのも、仕方のないことだと思うわ」
なんというか、自分はそいつが犯人だとは思っていなさそうな言い回しだ。
同様に纏もそう考えたらしく、うんうんと頷いてから、指をパチンと鳴らして加わってくる。
「納得はいってないけれど、それ以上に手がかりがないのも確か、ということだね。青いマントっていうはっきりとした特徴があるわけだし。髪の長さで性別までわかるといいのだけれど、そこのところはどうなんだい?」
はぁ。と、羽海野がため息をつく。それだけで、わからないんだなと察しがついた。
普段は口数が多い奴ではないが、こいつは話せば話すほど、分かりやすいやつだ。相変わらず。
「曰く、フードを被っていてそこまではわからなかったらしいわ。それで階段を上っていったって」
「学校の中で青いマントを着て、しかもフードまで被っていた……怪しさしかないね」
「そうね。怪しすぎて、怪しくないんじゃないかって疑ってしまうくらいに」
確かにあいつはオレにとっちゃ危険人物だが、この件には無関係だ。
というか、そんな簡単に見つかるくらい隠れるのが下手な奴だったのか? 足は速いくせに。
真犯人であるオレは、あまりここにいない方がいいだろう。いつかボロが出そうだ。
メロンパンを食べ終えて席を立つ。新宿に贈呈するパックジュースを今のうちに買ってこよう。
「おや。もうお腹いっぱいなのかい? それとも追加購入かな?」
纏が焼きそばパンを開封しながら尋ねてきた。
「もう満腹。トイレ行ってくる」
「ほっふぁ。ひっへふぁっふぇい」
食べながらしゃべるんじゃありません。
にしてもオレが少食とはいえ、こいつはちっこいのにどんなけ食べんだ。その焼きそばパンで五つめの袋だぞ。
もしゃもしゃと口の中に消えていく焼きそばパンに、なんとなく憐れだという感想が浮かんでくる。苦笑いでそれを見届け、二人の前を後にする。
「椿姫さん」
そうしようとしたオレを、羽海野が止めた。
「あん? なんだ?」
「屋上には行かないように」
なんだ急に。さすがに注意を受けてすぐに行こうとは思わねぇよ。
そう言ってやろうと口を開くが、なんとなく羽海野の視線に違和感を感じでやめる。
「なんーー」
「似てるからよ」
……は?
背中に冷や汗でもかいたのか、つつーっと何かが通った感覚を覚える。悪寒とまではいかないものの、瞬間的にそういえばと記憶が蘇る。
羽海野呼というマネージャーは、恐ろしく勘のいい奴だった。
「……いいえ。 バカな知人に似てると思ったのよ。ただそれだけ」
「……そうかい。フェンスが取り付けられるまでは遠慮させてもらうよ」
「取り付けられてもダメって話はしたはずよ?」
「へーへー」
とはいえ、さすがに男が女になったなんて、いくら優れた第六感を持っていても辿り着かない、絶対に。
それができるのは、現実よりも非現実に生きている脳内ハッピー野郎だけだろう。
こいつは超が付くほどの現実主義者だ。大会に試合出た時だって、こいつだけはこれっぽっちの勝利の幻想も抱かなかった。中学から、去年の夏、野球部が背部になるまでの間、ずっとな。
オレに不満と既視感が入り混ざったような微妙な顔を作った羽海野は、もういいと吐き捨てると、そのまま全知との食事に戻った。
全知は教室から出ようとするオレに、にっこりと笑いかけながら手を振っていた。
嫌な気はしないので、軽く手を上げて答えてやる。
さて、購買に行くには中央階段から行った方が早いな。さっさと行って、さっさと帰ってこねぇと、屋上に行ってたでしょ……なんて疑われかねん。とっとと済ましてしまおう。
「安喰心って、知っていますか?」
その問いは突然だった。
左の鼓膜に直接殴りかかられた様な衝撃に、反射的に体が跳ね上がりそうになる。
が、なんとか体が強張る程度に収めることができた。心臓は止まるかと思ったけどな……。
「……いきなり誰だ」
声の方へ恐る恐る顔を向ける。オレを見ただけで、オレが安喰心だとわかる化け物は一体誰なのかと。
そこには以外な顔が立っていた。懐かしい顔と言ってもいい。
「そんなに驚かせてしまうつもりではなかったのですが……すみません。先輩のクラスから出てきたものですから、もしかしたらご存知ではないかという一縷の希望に賭けてみたのですが」
「だ……だからって初対面の相手にいきなり至近距離から話しかける奴があるか。心臓が止まるかと思ったぞ……」
バクバクと破裂しそうな心臓をどうにか抑えたくて左胸に手を当てる。が、そこにある慣れない感覚に、言った自分が何をしているのかを自覚させられ、謎の罪悪感と、嫌悪にも似た気持ち悪さに心が折れそうになる。
落ち着け。人から見れば、おかしなことじゃ、ない。
「その点に関しては私の配慮が足りませんでした。申し訳ございません。謝罪程度に、一緒に購買部で立ち飲みでも如何です?」
堅っ苦しい言葉を自然体で紡ぎながらそいつは言った。
キツネのような細い目に、鉛のように黒い髪。態度の割にそこまで背の高くない小生意気なオレの後輩、一年 硝だ。
先輩先輩とオレの後ろを回っていたあのチビが、オレの身長を抜かしたようだ。
いや違う、オレが縮んだのだ。
そんな心の内を知ってか知らずか、薄っすらと笑みを浮かべた硝は、くるりと踵を返すと、オレの返事も待たずに、迷いもなく階段を下り始めた。
「沈黙は了承と捉えますよ、先輩。ただでさえその金髪で目立つというのに、美人な転校生が来たって噂になっているんですから。貴女があんなリアクションをとったせいで、平凡な僕は少しばかり目立ってしまったんです。つい勢いで貴女を誘ってしまった愚かな僕に、これ以上恥をかかせないでくださいよ」
ああ、可愛い後輩が面倒臭い奴に成長してしまった。誰のせいだ誰の。
一年に連れられ、昼の購買部にやってきたが、昼休みも半分は
終わったというのに、未だそれなりの賑わいを見せている。
ちょっとまっててください。と、一年は人混みをかいくぐって消えていく。生返事でそれを見送ったオレは、何やら多少の視線を浴びていることに気付く。
登校を再会してから、やたらに生徒からの視線を感じてはいたが、それはフォルテをつれているからだと思っていた。だが、どうもそれだけではないらしい。
一年の言葉がリピートされ、ゾッとする。やめろやめろ。“オレ”をそういう目で見るんじゃない。
「改めまして、いきなりお声かけをしてしみませんでした。どちらか好きな方をどうぞ」
涼しい顔で生徒の壁をすり抜けてきた一年は、買ってきたイチゴ牛乳と、コーヒーを差し出してくる。
オレはイチゴ牛乳を受け取りながら、少し警戒しつつ話をふる。バレるわけがないだろうが、ボロが出るとしたら、オレから出る以外に有り得ないからだ。
こいつとの記憶は、全て安喰心のもの。椿姫小春とこいつは全くの初対面、全くの他人だ。気をつけないとな……めんどくせぇ。
「あー……それでお前、名前は?」
「ああ、これは失礼しました。僕は一年硝と言います。季節を四つ数えて一年に、硝子のハートで硝です」
お前のどこが硝子のハートだ。
……という言葉を飲み込む。
「オレは椿姫小春だ。昨日転校して来たばかりだから、なにもしらねーぞ」
「まあ、そうですよね」
「あ?」
「転校生が安喰先輩のことを知っているわけがない。だけど、あえて声をかけたんですよ」
一年はコーヒーにストローを通しながら言う。
だったらどういうことだ? 安喰心を探すわけではなく、オレに話があったってことか?
「だって突然現れた転校生の特徴が、その金髪に紅い瞳ですよ? それは、僕の知る安喰先輩と全く同じものです。しかも貴女、黒猫を連れていたそうじゃないですか。それも安喰先輩と同じ」
確かに。言われてみれば全くその通りだ。こんな片田舎にオレみたいな地毛の金髪は少ない。
見た目の特徴が一致していて、しかも飼っているペットのことを知っているこいつなら、感づいてもおかしくない。
それに一年は知らない。安喰心が飼っていた黒猫が、すでにこの世にいないことを。
「だから僕は考えたんです。貴女もしかしてーー」
オレはいいわけを考える。あるいは、一年になら、唯一オレを慕ってくれていた後輩の一年になら、白状してしまってもいいのではないか、と。
白状したところで何も変わりはしないのだが、気は少し楽になる。楽になれるかもしれない。
どうする……どうーー。
「貴女は安喰先輩の親戚の方ですか?」
「……」
「あれ? どうです? 当たってますか?」
……やはりここは現実だ。男が女になったなんて考え、ゼロから出てくること自体があり得ない。全く、呼といいこいつといい、今日はビビらされる日だ。
こいつらが正常で、オレが異常。結局オレと一年は初対面で、オレの昔を知る奴とそれを共有できるわけじゃない。
まあ、もうそれでもいい。オレはもう、安喰心じゃないのだから。
「……お前、探偵とか向いてんじゃねーか? その通りだよ。猫好きがかぶったのは、ホント偶然だけど」
「あーやっぱりそうでしたか。では貴女に声をかけて正解でした」
「なんだ? あいつに用事でもあったのか?」
「いえ、ただお元気かどうかお聞きしたかったもので」
「ああ……元気だと思うぜ。今は、あれだ……母親のところにいってる」
「お母さんの? たしか、先輩はその、あまりお母さんとは仲がよろしくなかったのでは?」
「さあな。その辺はしらねー」
別に仲が悪いわけではない。良くも悪くもなく、ただ、コミューニケーションを取っていないだけだ。姿も見ないし。
毎月毎月金が振り込まれるだけの、そんな関係だ。
「そうですか……正直なところ、僕はまた先輩に学校に来て欲しい。それで貴女に声をかけました。もし連絡が取れるなら、伝えて欲しいことがあります」
「伝えて欲しいこと?」
「ええ。先輩に会う機会があったら伝えてください。もう、何も心配いりません。先輩を邪魔するやつはだれも。野球部は廃部になりましたが、アナタのその目を奪った奴らも、いなくなりましたから」
右目が痛む。痛むなんてことはないはずなんだが、ズキッという痛みが走る。
「だからまた……そうですね。キャッチボールくらいやりたいんです。だから、学校に顔を出してください、と」
「……わかった。望みは薄いだろうが、伝えておくよ」
「お願いします」
では、と一年は軽く会釈をして去っていった。
あの日オレが失ったのは右目だが、それよりも大切だったものだ。オレの右目でどうにかなるなら、どうにかしたかった。
ふぅ、と息を吐き、両目を閉じて、右瞼を開く。
そこはなにもない真っ暗闇。だが、辛くはない。こうしていれば、あいつがここにいる気がする。
金の瞳は見えないけれど、闇に溶けて消えてしまいそうなほど、儚くて、小さなあいつの姿が見える気がする。それだけだ。
パックジュースを飲み干し、ゴミ箱に放り投げて購買へ向かう。本来の目的を忘れるところだった。
不意に気になって振り返ってみると、綺麗に弧を描いていたはずのパックは、そこには入らず、廊下に転がっていた。
やれやれ。落ちたもんだな、色々と。




