全知纏:02
11/18(月) 8:25 a.m.
その時、事件は起こった。
と言うと、なんだかとてつもない大事件が起こったように聞こえるだろうから、あえて私は言おう。
その時、事件は起こった。
「たのもおおおおおおお!」
けたたましい声が教室で木霊する。
その声は、間も無くやってくるホームルームのため、疎らではあるけれども、着々と自分の席に着席しつつあった生徒全員の視線を釘付けにする。
私と話すために後ろを向いていた小春に、机に突っ伏そうとしていた貫、一限の予習をしていた呼。そして、至福の時間を楽しんでいた私を含めた全員が、教室前方のドアの方に視線を奪われた。
半強制的に、この教室内の生徒全員の視線を掌握した主は、そのドアを勢いよく開けた様子だったけれど、誰一人としてその悲鳴を聞いた生徒はいなかった。その大きさよりも、私の朝の挨拶よりも、彼女の声はけたたましいものだった。
そう彼女。事件の発端である彼女は、彼女だった。
小柄でやけに目立つオレンジ色のカーディガン。ズンズンと教卓に向かうその姿は、宛ら癇癪を起こし、不機嫌真っ最中の子供の様。
髪は燃え盛るような赤色で、毛先に向かうと急速にその色はオレンジ色に変化している。見ようによっては綺麗なグラデーションだなーという感想を持てるだろう。その前髪を後ろに引っ張って、旋毛辺りで緑のゴムで束ねてあり、蛍光灯が可愛らしいおでこを照らしている。
そうして教卓にたどり着いた彼女はまるで小さな怪獣の様に、バン! と、音を立てて両手をそこについた。
「私は今日! 都会からここに転校してきた当千真珠というものです! 都会から引っ越してきたので慣れないことは多いでしょうがよろしくお願いします!」
と、彼女はいうだのだ。左はエメラルド、右はピンク。そんな両目で。
先週このクラスに転校生がやってきたばかりというのに、また転校生だって? そんなラッキーなことがあっていいんだろうか!
私が歓喜に震えながら小春の肩を揺らすと、小春は何故か項垂れていた。どうしてだろう?
まさか、小春が前いた学校の生徒なんていうミラクルが……?
「どうしたんだい小春? もしかして、あの転校生に見覚えがあるのかい?」
私が小声で訪ねると、小春は項垂れたまま首を振る。
「知り合いなわけねぇだろ? もしかしたら知り合いたくねぇ相手ではあるがな」
同じように小さな声で小春が返事を返す。
うーん。じゃあ小春の苦手なタイプなのかな? 確かに変わった子だなと思うし、その通りだと思うけれど、元気があって良い子に見えるけどなぁ。
なんてことを思っていると、私と小春が話している間、黒板に向かって自分の名前をダイナミックに書きなぐっていた転校生ちゃんが振り返った。
「そこの金髪! 私はまずはあなたを倒します!」
そこの金髪といわれ、すっかりクラスの視線を釘付けにしていた彼女の一言に、皆が一斉にこちらを向いた。正確には、皆が一斉にクラスで唯一金髪の女子高生、小春を見た。
深いため息をついた小春はのっそりと顔を起こし、じっと転校生の方を睨み付けた、と思う。ここからじゃ、小春の抱きつきたくなるような背中しか見えないから正確なことはわからないけれど、小春に見られた転校生が、まるで蛇ににらまれたネズミのようにビクッと体を震わせたから、そう思った。
「オレになんかようか?」
いつも通り不機嫌口調の小春。一瞬怖気づいたように見えた転校生ちゃんだったけれど、すぐにキリッと表情を引き締め、拳を前に突き出した。
「とぼけたって無駄です! 金髪でだらしない制服の着こなしをしている生徒は悪者に決まっているのです! 四の五の言わずにお縄につきなさい! あなたのせいでクラスのみんなが迷惑しているはずです!」
すごい! たった一度見ただけで小春がどんな人か完璧に把握できている……わけがない!
とにかく、彼女の意見が偏見極まりなく、しかも初対面の相手にぶつけるわけでもなく、転校初日からこれほどまでに存在感をアピールする理由もいまいちわからなかった。
彼女なりに、新しいクラスに溶け込もうとしてのことなのだろうか? それにしては強気の行動すぎる。あれでは完全に襲撃者だ。
とにかく、私の友達が悪いように言われているのを何のフォローもしないというのは、到底できない。ここは立派な反対意見を返そうじゃないか。当の小春は何も言い返す気がないみたいだし。
「まあまあ、待ちたまえよ当千さん。人を見た目で判断してはいけないという言葉を知っているかい? こう見えて小春は可愛い女の子なんだよ?」
「それはない」
かばった相手から即否定されてしまった。
「彼女は一見だらしなく見えるけど、そもそも彼女はつい先日この町に引っ越してきたんだ。クラスの誰も迷惑なんてしていないよ」
「なら今からこのクラスに迷惑をかけるに違いありません! いざ尋常に……正義の名の下に!」
あ、ダメだ全然全く私の話を聞いてくれない。ぐぬぬ、話し合えれば分かり合えるのに! 一晩かけて小春の良さを伝えてあげるのに!
そうして転校生、当千真珠ちゃんは教卓から飛び出してこちらに向かってきた。誰がどう見ても、彼女が悪と認定した小春に鉄拳制裁を加えようとしているのは明らかだった。
小春を守らないと!
と、咄嗟に立ち上がった私は見事に椅子に引っかかって躓き、小春を守るどころか地面と頭をごっつんしてしまうことになりそうだった。
そうして小春のことが守れず、きっと今も避けようとすらしていない小春が、謎の転校生に綺麗な顔を殴られてしまう……そんな事件が起こるはずだった。
パシィ!
そう、彼がいなければ。
「そこまでだ」
「なっ……!」
「ぐえ」
ハッキリとした声で彼は言う。いつもなら、この時間から下校まで、ただひたすら眠っているだけの彼か動いたということに教室内が騒めく。
そして、恐らく彼が転校生の拳を受け止めたであろう音とほぼ同時に、制服の襟元を後ろから掴まれて、潰れた小動物の様な声を漏らす女子生徒もいた。
私だ。
自分のことを小動物なんて比喩してしまったことに憤りを感じながらも、なんとか机の脚をひっつかんで態勢を起こすと、私を受け止めて(?)いたのは小春だった。
自分に敵意を剥き出して向かってきた転校生の方には一切目を向けず、小春は見事にすっ転ぶ私だけを見ていたらしい。
ちょっと嬉しい。
「な、なんですかあなたは! あなたも悪の肩を持つのですか!」
転校生は驚いた様子のまま、うーうーと唸りながら自分の身体を押したり、引いたりしている。私には彼女のほどよく筋肉のついた健康で健全な美脚しか見えないので、どうなっているのかがよくわからない。
おそらく、彼が受け止めた彼女の拳を掴んで離さないのだろう。
私を挟むようにして、転校生と彼、貫はやり取りを続ける。
「俺には小春が悪い奴には見えない。それに、お前が正義の味方にも見えない」
「なっ……私はーー」
「俺のクラスメイトに殴りかかったお前は、俺にとっては悪だ」
力のこもった貫の言葉に、教室内はシンと静まり返る。
この静寂はなんだろう、と考えてみる。考えてみると、その前に何故こうなってしまったのだろう、という疑問が湧いてきた。
全ての始まりは転校生ちゃんだ。彼女が突然、暴動を起こしたからこうなったわけで……。
「……私は正義の味方です。彼女がまだ悪でないなら、悪に染まる前に倒す。それだけです。貴方も悪に肩入れをするなら、私にとっては悪です!」
転校生は素早い動きで後退すると、ふぅ……と、息を吐く。自分を落ち着かせているようだ。
はてさて、いつの間に正義がどうのなんていう話になったのだろうか。これはクラスに一人生徒が増えるっていう、簡単な話じゃなかったのだろうか。うーん、もしかして都会じゃこんなことは日常なのかな?
と、こける途中の体制の間の私の身体が誰かの力によって持ち上げられ、視界がぐるりと回転する。
「持ってろ」
「は? っ、おまっ」
私を軽々と持ち上げた貫は、この身体をそのまま小春に預けて転校生と対面する姿勢をとった。攻撃されるとわかっていて、動く気はないらしい。むしろ、また同じように受け止める気なのかもしれない。
私は不格好に小春に抱えられると、なんと嬉しい偶然か必然か、お姫様だっこされる形になってしまった。どさくさに紛れてその細っこい首に腕を絡めることにしよう。
「怪我をしたくなければ、周りの皆様は離れてください。あなた達の未来は、私が守ります……!」
むしろ、生徒達の今が他でもない自分によって脅かされているとは思いもしないようで、転校生は力の籠った瞳を貫に向ける。
周りの生徒は離れろと言われても、そこが窓際であるためピッタリ窓に張り付くしかできず、対面側の生徒達だけが、バラバラと隣の席の方へと避難しただけだった。
「……いきます!」
転校生が一歩踏み込む。それを見た貫が、生徒達が離れて少し開いた空間の方へすり足で横移動する。攻撃を安全に受けるためというよりは、転校生が攻撃を行いやすい位置に移動したように私には見えた。
すかさずもう一歩と踏み込んだ転校生が、その勢いを保ったまま重心を軸足に移し、ぐいと腰を捻った。と、次の行動に私の思考が追いつくより早く、その右脚がバチィ!という、激しい音と共に貫の顔面を強打していた。
「回し蹴り……」
ボソッと小春が呟く。回し蹴りというと、空手の技だっただろうか……なんて、どこかで聞いたか、読んだりした薄い記憶を呼び起こす。
でも、私は転校生の程よい筋肉がついた美脚と、翻ったスカートの中にチラリと見えてしまったことに気が向いてしまう。
あの派手な外見からチラリと見える白のパンチラ……ふむ。
「えっ……」
転校生が驚いている。おそらく、彼女の渾身の一撃だったのだろう。全然わからないけれど、綺麗なフォームとパンチラだった。
転校生は、おそるおそるという風に脚を下ろし、一歩後退して貫を睨みつける。
私はそこで漸く貫の方を見た。そして、貫があの蹴りを受けて、微動だにしていないことに気が付いた。それほど威力に足りない蹴りだったのだろうか……とても、そうは見えなかったけれど。
「……あなたは何者ですか」
貫は今更すぎるその問いに、今何事も無かったようにまっすぐに返事をする。
「俺は新宿貫だ」
「そんななこと聞いてません! あなたは、何者ですかと聞いているんです!」
「……」
信じられない、といった顔だ。彼女にもう戦意はない。ただただ、信じられないものを見たように、両拳にいっぱいの力を込めて、やや涙目になりながら貫を睨みつけている。
そんな彼女に、貫は少し困ったような表情を見せると、何か言おうと口を開けた。
「……え?」
ナイスタイミングか、バットタイミングか。丁度その時、ガラガラと音を立てて開いた教室前方のドアから、楓ちゃんがやってきたのだ。
ポカンである。見事なポカンである。もしかして、前回の小春に引き続き、突然の転校生で、今度は話すら聞かされていなかったのだろうか。
「先生。彼女が新しくやってきた転校生だそうですが、本当ですか」
凛と透き通った声で呼がそう言うと、楓ちゃんに転校生、当千さんを指し示す。
少し涙目の当千さんと、そしていつも眠っているはずの貫がそこに立っていて、どう見ても当千さんを泣かせた犯人にしか見えない状況だ。
「え、えっと、あの、あなた……お名前は?」
「わっ、私は当千真珠です! 今日からこの一年生クラスに転入になったと聞いています!」
……一年生?
はぁーっと、深い深いため息が頭上から聞こえた。見上げると、心底疲れたという表情の小春が頭を垂れていた。近くで見るとますますなんて綺麗な顔だろうか。
「えっと、当千さん? ここは二年生のクラスです。あなたの新しいクラスは、一つ下の教室ですよ?」
「……はへ?」
つまり、当千さんは教室を間違えて入ってきた挙げ句、先輩達に向かって、いきなりあの大立ち回りをしたということになる。
当千さんも徐々に状況を飲み込んだみたいで、あぅとか、うぇえとか、言葉になない言葉を漏らし、顔色を青くしたり赤くしたり、涙目になったりと大忙しだ。
やれやれ。すでに暴力が行使されたとはいえ、被害がなかったからよかったものの、彼女は転入早々、生徒指導室行きだろう。うちのクラスにはどんな小さな違反も許さない鬼生徒会長、呼がいるからね。
でもあれだけ派手にやって仕舞えば、それも仕方がない。フォローしてあげたいけれど、目撃者が多すぎて助けられない。私自身も小春にお姫様だっこしてもらっているという状態だし。
その点に関しては感謝しかない。
「……先生。彼女を教室まで連れて行ってあげてください」
と、言ったのは貫だった。
「俺が突然やってきた彼女に強く出すぎたせいで、泣かせてしまいました。少し落ち着かせてから、教室に案内してあげてください」
「え、ええ。わかりました!」
なんて嘘を彼は平然と言ってのけた。それだけ言うとズレた机や椅子を直し始める貫に、私は心の中で拍手する。
それは私にはできないフォローだった。貫は素っ気無さそうな態度をとる上、表情豊かな方ではないから分かりにくいけれど、とってもいい奴じゃないか。
私も小春に下ろしてもらって整頓を手伝うとしよう。
「じゃあ、羽海野さん。ホームルームお願いします」
「わかりました」
ある程度教室が元の通りになると、呼は少し不機嫌そうにホームルームを始めた。
だけど、そのホームルームは、いつもより遅く始まったというのに、楓ちゃんがいつもやっているよりも早く終わった。




