全知纏
11/18(月) 7:57 a.m.
「おはよう!」
今日も今日とて私が一番乗り。教室には誰もいない。
ふんふんと鼻歌を鳴らしながら、いつも通り自分の席を目指す。
小春が転校してきて以来、もともと楽しかった学校生活が、さらに楽しくなった気がする。
入学当初は真っ白だったキャンパスに、年月という色々な色の絵具が塗られていたはずなのに、小春が来てからまた白く塗り替えられてしまったような、そんな楽しさ。
白は何にだってなれる。そのことが嬉しい。
人生というキャンパスは、どんなにきれいに塗られていても、どんなに粗雑に塗られていても、それを終えるときにはみーんな元通り、真っ白になるものだと私は考えている。元に戻って、また始まる。
ところが、私のキャンパスは、まだページが終わってもいないのに真っ白になってしまった。私は生まれ変わったのかもしれない。
椿姫小春という天使に出会って、新しい人生が始まったんだ。きっと。
席に座り、いつも通り一限目から時間割と教科書類、宿題のやり忘れがないかを確認し、んーっと伸びをする。そして、思い出す。
「そういえば、あの屋上フェンス落下事件はその後どうなったんだろう」
小春に夢中ですっかり忘れていた。
土日を挟んだから、もう屋上には新しいフェンスが取り付けられているのだろうか。
あそこで昼食を摂る習慣のある小春が、万が一落下してしまわないか心配だ。
よし、今日は月曜日だし、呼を捕まえてそこのところをしっかり話ししてみよう。彼女ならすでに解決しているか、何か糸口を掴んでいるだろう。
きっと私が何も言わず屋上に現れなくても小春は気にしないだろうけど、登校してきたら今日のお昼休みは一緒に食べられないと言っておこう。
今日のお昼は、呼と一緒に教室でだ。
なんて思っていると、ちょうど教室前方の扉が開く。呼だ。
「おはよう呼。有意義な休日を過ごせたかい?」
「……おはよう。まずまずよ」
もこもこ雪だるま姿の呼が返事を返してくれる。今日は機嫌がいいみたいだ。
手袋を外しながら自分の席に向かう呼にお昼のお誘いをする為、私も呼の席に向かう。機嫌がいいうちに約束を取り付けておかないと、新宿君がくるとそれだけでヘソを曲げてしまうからね。
「呼。今日は月曜日だから生徒会は休みだろう?一緒にお昼を食べようじゃないか」
ニット帽を取り、マフラーを外して綺麗に畳んでいる彼女に話しかけながら、机を挟んで向かいに座る。
少しずれた眼鏡を人差し指でくいっと押し上げ、呼はジッと私を見る。
「この間のことについて聞きたいの?」
「流石だね。話が早くて助かるよ」
「転校生とお昼を食べなくていいの?友達なんでしょ?」
私は呼とも友達になりたいんだけどね。
でもそれは口にしない。許してもらえないだろうから。
「友達だからって常に一緒にいるわけじゃないだろう?それに、まだ私の片想いだ」
やれやれと肩を竦めてみせる。両想いまでもう直ぐだと思うんだけどね。私が強引に言い寄った成果もあってか、小春もなんだかんだ私のことは気にしてくれているみたいだし。
そ。と、素っ気なく言葉を返した呼は頬杖をついて私ではなく、その後ろにある黒板を眺めている。何も書いていない黒板を。
「……考えてみれば、話を振ったのは私ね。いいわよ。調べてわかったことは教えてあげる」
そう返事を返してくれたけれど、やっぱり私のことは見てくれない。彼女の瞳に映ったと睨めっこしながら、少し頬を膨らませてみる。
こんなにも呼のことを見つめているというのに。
「ありがとう。先に一つだけ聞きたいんだけど、代わりのフェンスはもう取り付けられたのかい?」
それによって小春を引き止めるか、そうじゃないかが決まるからね。たとえ小春が落ちなくても、フォルテが落ちちゃう可能性だってあるわけだし。
「フェンスの取り付けは明日」
「あれ。土日を有効には使えなかったんだね」
「発注に手間がかかったみたい。なんせ、屋上用のフェンスなんて、この学校始まって以来だもの」
しっかりとした対応をできる教師がいなかったというわけか。
まあこんなど田舎の学校じゃ仕方ないか。先生もお年を召した人が多いし、一番若手の楓ちゃんはあの調子だしね。
小春は嫌がるかもしれないけれど、今日のお昼は屋上に行かないように言っておこう。
君のためでもあるけど、何よりフォルテのためだといえば、少しはわかってくれるだろう。
「結論から言うと、私達生徒会は犯人探しをしなければいけなくなったわ」
犯人探し?
つまりそれは、フェンスの落下は老朽化ではなく、意図的に起こったということだ。
いったい誰が、なんのために?
「きっと生徒会で調べてわかったことなんだろうけれど、どうしてあれが事故ではなく、故意で起こされたものだとわかったんだい?」
「残された方のフェンスを調べたのよ。老朽化でネジが外れたというよりは、力任せに外されたって感じだったわ。その証拠に、ネジ穴が歪んでいたの」
ネジ穴が歪んでいた。なるほど。誰かが過度な力を与えたため、フェンスは落ちたのではなく、落とされたということか。
「でも、もしかしたらだよ? 意図的か故意的かは置いておいて、普段から誰かによってもたれかかられていた。だからネジ穴が広がっていたために落ちたってことはないのかい?」
「ないとは言い切れないけれど、限りなく低いわ。そもそも、屋上で昼食を摂っていて、見つかる度に注意を受けていた生徒なんて、私は1人しか知らないもの」
そう。実は、屋上に登ること自体校則違反だ。といっても、それが危険だという理由以外に違反理由がないので、基本的にそれを注意しているのはおそらく呼だけだろう。
どんな小さな校則違反も注意する。それが彼女だ。
「それなら何故、生徒会は犯人探しをするんだい? 今の話を聞くと、その生徒が犯人って可能性が一番高いと思うのだけれど」
「それはないわ。本人に確認するまでもない。だってーー」
がたーん!
と、そう。彼が登校してきたのだ。途端に呼は深いため息を吐き、一限目の数学のノートを机の中から取り出し、読み返し始めてしまった。
やれやれもう少しだったのに。きになるところで終わってしまった。
呼に耳元で、じゃあまたお昼にね。と、囁き、新宿くんを迎え入れに向かう。
「おはよう新宿くん! 今日も今日とて、眠そうだね」
「……おはよう。今日はいつも程じゃない」
ふわぁと欠伸をし、新宿くんが強く開けすぎたドアを気にしている。
癖で何も考えずに力任せに開けてしまったのだろう。私の声を聞いて思い出してくれたのなら少し嬉しい。
「今日はよく眠れたのかい?」
「いつもよりはな。アルバイトにも有給があるらしくてな。それが溜まってるから使えって店長に言われたんだ。それで、昨日は何もない1日になったから、妹達と隣町まで行ってきただけなんだ」
「へぇー。新宿くんには妹さん達がいたんだね。楽しかったかい?」
「言ってなかったか? 嬉しそうにしてたよ」
そりゃあ、君は学校に来た瞬間から放課後まで眠っているんだからね。まともな会話なんてしたことがないよ。
「……邪魔」
教室の入り口で話し込んでいると、新宿くんと同じように、ふぁあと欠伸をする小春が立っていた。新宿くんに隠れていて気が付かなかった。
「おはよう小春!」
「ん? ああ、悪かっ……」
小春にも元気な挨拶をプレゼントしていると、間に挟まれた新宿くんの時間が止まっていた。小春を見つめたその瞬間から、ピクリとも動かなくなってしまった。
口をパクパクさせ、何か言いたそうにしているみたいだけれど、次の言葉は出てこない。
「……なんだよ」
「君は、こ……つ、椿姫?」
「そうだよ。昨日名乗っただろ?」
新宿くんが、あからさまに動揺している。
それにしても昨日だって? 学校以外で小春と会うなんて……ぐぬぬ、ずるい。
そんな私の対抗心がわかるわけがない新宿くんは、唾を飲み込み、冷静になった風に息をついて言葉を返した。
「……どうして君がここに?」
返事の代わりに、深いため息を吐く小春。
仕方がない。私が説明してあげよう。恋敵だけれど、小春がクラスの他の人と仲良くなれるいい機会だ。
「新宿くん。君はずっと寝ていたから知らなかったのかもしれないけれど、彼女は先週このクラスにやってきた転校生だよ」
「転校生……? そうか。だから今までこの街で暮らしてきたのに、君みたいな綺麗な子を見たことがなかったのか」
おお。堂々と女子対して綺麗だって言えるなんて、今時の男子にしては珍しい。
まるで日常動作のような自然さで女の子を口説いているんだけれど、本人に自覚はあるのかな? ないだろうね。
「……頼むから、そういうことを言わないでくれ。寒気がする」
そして真正面から真面目に口説かれたというのに、君は一つも照れた顔せずに、いつも通り、普通に、ドライに言葉を返すんだね小春。
らしすぎて、ちょっとカッコよくも見えるよ。クールビューティってやつだね。
「それにしても、ここで知り合ったわけじゃないなら、君たちはどこで知り合ったんだい?」
「商店街だよ。駄菓子屋の前を通りかかったら、婆さんが困った顔してたからわけを聞いたら、こ……椿姫が不良に絡まれていたんだ」
駄菓子屋だって? 夕食の時には何も言ってなかったから……お婆ちゃん、私に心配させまいと何も言わなかったのかな。
というか、二人が来るなら私も図書館なんて行かずにうちにいればよかったなー。
「そこへ颯爽と現れた新宿くんが、得意の剣道で美少女に言い寄る悪の手下をバッサリ! って感じかな?」
「いや。一人はこ……椿姫が倒してしまったみたいなものだから、俺が助けたというより、手伝ったという方が正しいかもな」
え? 小春が不良を倒した?
小春はどちらかというと細身で、スタイル抜群。男子を力で負かしてしまうような力があるようには、とてもじゃないけれど思えない。
となると、何か特殊な設定があるに違いない。私に黙っている裏設定が……!
「……小春。もしかして、私に黙って何か拳法でも学んでいたのかい?」
ため息を一つ。
「一度の質問でツッコミどころを一つ以上作るんじゃねーよ。まず、お前に一々言う必要もないし、今までの人生の中で、そんなものを学んだこともない。それに、お前みたいにーー」
「おや? 名前で呼んでくれる約束は?」
「……それに……纏みたいに身体が小さい女子でも、隙を突けば逃げる時間くらいは作れるんだよ」
身体が小さいと言われた。むむむ、膨れちゃうもーん。
明らかに不満が伝わるように、頬を膨らませてみせる。
「……なんだよ。ちゃんと名前で呼んだだろ?」
不満は伝わったようだ。内容までは伝わらなかったみたいだけれど。
でも名前で呼んでくれたし、仕方ない。見逃してあげようじゃないか。
「まあ、相手の隙を突いたにしてもだ。こ……椿姫の行動には驚かされたよ。女の子があんな目に遭ったからと言って、中々できることじゃない」
意に介さず会話をしていた小春だったけれど、新宿くんが余りにも真面目に、真っ直ぐに褒め言葉を羅列するせいか、徐々に新宿くんから視線を外し始めた。流石に褒められ過ぎて、照れくさくなったのかな?
外した視線を私に向けてきたのは、きっとそういうことなんだろう。彼女はきっとこう思っているに違いない。
こいつをなんとかしてくれ、と。
「二人の出会いについてもっと聞きたいけれど、他のクラスメイトたちも投稿してき始めた。ドアの前で立ち話もなんだし、二人共そろそろ席に着こうか」
「賛成」
「……そうだな」
小春の即答は初めて聞いた気がする。思ってたより困っていたみたいだ。
くっ! もっと困らせてみたかった!
顔には出さないように悔し涙を飲み込み、ほんのりとした違和感を抱えながら、二人を先導する。
うーん、だけどなんだろう。おかしなところなんてないんだけど、なにか変な感じがする。
「ところでこ……椿姫の席はどこなんだ?」
「オレの席は全知の前だよ」
「えっと、全知の席はどこだ?」
「……お前、マジか」
なんだろう……そうだ。なにかが欠けているんだ。小春に足りない何かがある……?
「あそこだよ。窓側の後ろの席だ」
「そうか。ん? あそこがこ……椿姫の席なら、全知の席はどこだ? なくなっているぞ?」
「はあ? バカかお前。アレが全知の席だっつーの」
「ああ、そういうことか」
いやいや。小春の足りないところなんて、愛想とか言葉使いとか、そういうところ意外にないね。
今日もいつも通り私好みの美少女だし……ん? いつも通り?
「あと、さっきからなんなんだよ鶏みてぇにコッココッコ言いやがって。そんなに名前で呼びてぇなら勝手に呼べ」
「……すまない。妹が多いせいか、女子のことは名前で呼ぶ方がしっくり来るんだ。そうさせてもらう」
「その理屈だと、全知のことを名前で呼んでないのはおかしいんだが?」
「ああ、知らーー」
「わかった!!!」
違和感の正体がわかったぞ! と、振り返って小春を指差す。そこには両耳を抑えて顔をしかめている小春と、不思議そうな顔で私を見ている新宿くん。
……うん。騒ぎすぎた。
聞こえてくる会話がどことなく微笑ましくて、羨ましかったせいかもしれない! 私のせいじゃない!
差した指を小春の頭上までズラすと、同じような小春も上を向く。新宿くんも上を向く。
「小春。フォルテはどうしたんだい? 喧嘩でもしたのかい?」
小春は嗚呼と呟き、私の方へ向き直る。新宿くんは相変わらず不思議そうにしているところをみると、フォルテのことは知らないのかな?
「今日は別行動……というか、家に置いてきた。まだ、寝てたからな」
転校初日から学校に連れてきていたから、てっきりいつもどんな時でも一緒にいるのかと思っていた。小春って猫好きっぽいし。
小春から野良猫オーラが出ているせいかもしれないけどね。ほら、誰にも懐かそうな雰囲気で、そんな感じがするだろう。
「そうなんだ。あれからフォルテちゃんの機嫌は治ったかい? 拗ねて寝ちゃったきり姿を見ていないから、ちゃんと仲直りできたか心配だったんだけれど」
「相手は猫だぞ? 仲直りもなにもねぇよ。まるで覚えていないみたいに晩飯食ってたよ」
流石は猫。気まぐれというか、マイペースというか。
「なんだ? 小春にも妹か弟がいるのか?」
話が飲み込めない新宿くんが割って入ってくる。知らないなら仕方がない。説明してあげてもいいんだけれど……。
「なんでそうなるんだよちげーよ。フォルテはーー」
「待った小春。私が教えてあげるよ新宿くん。条件付きでね」
「条件? 一体なんだ?」
ちょっと意地悪かもしれないけれど、仕方ない。私はヤキモチを焼いてしまったんだから。
「私のことも名前で呼ぶこと。ノーヒントで!」
去年から同じクラスなのに、私の名前を知らないなんて傷付くじゃないか! ぷんぷん!




