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HEΓP  作者: 天夢
-Chapter03-
18/22

椿姫小春

11/17(日) 13:10 p.m.


 新宿(ニイヤド)が帰っていくのを見守る。初めましてという風にオレに接してきた辺り、どうやらオレが安喰心だとは気付いていないらしい。そもそも、あいつは授業中ずっと寝ていたから、オレの存在を認知していたのかさえ怪しい。

 オレはというと、あいつが誰であるかを知っていた。もっとも、あいつが起きて動いている姿を見たのは、中学時代の夏休み、剣道の大会に向かうあいつとすれ違った時以来だったが。

 ま、中ニの時に一度同じクラスだった程度の男子の顔なんて、覚えてねぇか。

 にしても、一昨日から再出発となった高校生活。その時から思っていたことだが、男のオレを知ってる奴に出会っても案外バレねぇもんだな。オレも初めて鏡で女になった自分を見た時は、誰だこいつと思ったが、毎日見ているうちになんとなく自分の面影が見えるようになってきている。

 フォルテ曰く、あいつが助けたかった彼女の顔つきとも少し違うらしい。彼女は"安喰心"の様に心が廃れていなかったというわけだ。

 だからオレが感じる面影というのは、フォルテがいう少し違う部分なのだろう。女のオレはあいつや仲間に愛され、幸せに暮らしていたそうだ。

 だから、あっちのオレは死んだ。


「おまたせ。もう選んだかい?」


 ボーッとしていた。いつの間にかガキ共は帰っていて、小さな店に客はオレだけになっていた。

 オレは選別中で手の中に数個ある棒付きキャンディをそのまま渡す。まだストックはあるし、これくらいでいいか。


「悪い。これで頼む」

「これだけでいいのかい?」

「ああ。これ以上邪魔してると、婆さん休めねぇだろ」

「ふふっ、子供が気を使わなくていいんだよ」


 そういうわけにもいかない。駄菓子屋のおばちゃんってのは、ずっと椅子に座ってて、子供がお菓子を選ぶのを待っているだけでいい存在だ。ここの婆さんはいちいち動き回る。

 昔っから働きすぎだ。


「また来る」

「ええ。またおいで」


 ここはオレの行きつけの駄菓子屋だった。小学校時代からずっと通っていたし、学校に行かなくなり、家に引きこもってからも度々来ていた。

 馴染みであるが故の安心感なのか、この駄菓子屋だけがオレの憩いの場所だった。婆さんには、よく話し相手になってもらったもんだ。

 だが、それはもう終わりだ。オレはオレじゃなくなり、一ヶ月後には死ぬ。まさか婆さんよりもオレが先に逝くことになるなんてな。


「いつもありがとうね」


 ……え?

 オレは振り返る。変わらないくしゃくしゃの笑顔がそこにあり、何か言おうとして開いた口が何も出さない。

 言葉も、ため息も。


「……また来るよ、婆さん」


 声に出せたのは、いつも通りの言葉だけだった。






 オレの家。今はオレとフォルテの家だが、商店街からあそこまでは道を三回曲がっただけで着く。

 まず商店街を出たら右に曲がり、次に左に曲がる道が見えたら左に回る。

 そして次に右に曲がる道が見えたら曲がる。後はひたすらまっすぐ進むだけ手間到着だ。家から一直線に進んだ場所に商店街がある、と言ってもほとんど正解だろう。

 商店街を出たオレは左に曲がり、右に曲がり、後はただ道なりにまっすぐ歩くだけになった。

 フォルテの要望で夕飯は焼き鳥だが、材料はまだ買っていない。そもそも焼き鳥なら作るより食べに行った方が楽でいいんだけどな。あいつの耳と尻尾がなけりゃ。

 いつもと変わらないなんの変哲もない道。通学路にも使っている道だ。なんの疑いもない。

 変わったのは、家にオレを待っている奴がいるということだけ。別に待たなくてもいいんだが。

 なのに何故だ。オレは感じてしまう。そもそもオレはこんなに敏感な人間だったか? 引き篭もっていた間、一人の時間が長すぎてそうでないことに対して過敏になっているのかもしれない。

 つまりそういうことだ。違和感とはそういうことだ。


 この人っ子一人いない道のどこに、誰がいる?


 間違いなく感じる気配。動物なんかの気配を感じ取れるほどオレは人間離れしていない。フォルテならそれがわかるのかもしれないが、オレはただの人間だ。だから、この気配はオレ以外の誰かの気配だろう。

 何の前触れもなく振り返ってみる。振り返ろうとしたから振り返った。それくらいなんの前振りもなく。

 だが、そこには誰もいない。簡素な一本道があるだけ。

 何もいないならそれでいい。気配を感じたのは気のせいかもしれないし、間違いないというのがそもそもオレの勘違いかもしれない。

 だったら気にせずとっとと帰ろう。もし誰かいるにしても、オレに用があるなら出てくるだろう。今のオレに用がある奴がいるとは思いたくないが。

 そうやって前を向き直ったオレの耳に、風を切る音が入ってきた。

 ピッとか、シッとか、そういう単音系の効果音が入る鋭利な音。オレにとっては野球ボールを投げた時のような、親近感のある音だった。

 だからなのだろうか。オレは反射的に全身を使って振り返っていた。

 捕る。

 そんな、意識が呼び起こされたのかもしれない。気持ちいい音だと、そんな勘違いさえ起こしかけた。いや、実際起こしていた最中だった。その余韻に浸れなかっただけで。


「っ……!」


 何が飛んできたのかまではわからなかった。

 微かに左腕がその何かを捕ろうと動いていたおかげで命中を逃れた。わかるのはそのことと、二の腕をそれが掠めて行った痛みと、その何かがオレの後ろで地面に不時着したということ。

 そして、さっきまで誰も居なかったはずの道の上に、青いマントのような被り物を頭から被った誰かがそこにいるということだ。

 マントの中から伸びる棒のような脚と、薄っぺらいスニーカーのような靴。それはどう見ても子供だ。

 その手には凶器……ではなく、食器が握られている。指の間に挟んで、両手全部で八本。フォークにスプーンにナイフ……ナイフは凶器か。


「殺す」


 子供らしい甲高い声がそう言った。オレに向かってそれを投げた理由が酷くわかりやすくて助かる。オレの周りには回りくどい喋り方をする奴しかいねぇからな。


「オレ、お前になんかしたか?」


 白昼堂々命を狙ってくる知り合いなんていない。ずっと引きこもっていたオレの命を狙う理由を持ってる奴もいねぇと思うけどな。

 青マントの子供は右手を振り上げる。


「オマエはアタシから大事な物を奪った。なのにまた現れた。でも、こうなることはわかってた。だから、今度は誰かに奪われる前に、アタシの手でオマエを殺す。アタシがオマエを奪う!」


 あ、ダメだ。こいつもやっぱり回りくどいタイプだ。理由が全然伝わってこない。

 まあ恐らく、言葉の内容的にオレを狙った訳ではなく、ウララ=レジネスを狙ったんだろう。

 つまり、こいつはフォルテと同じでこっちの人間じゃないってわけだ。

 それにしてもウララって奴はどういう人生を送ってきたんだ? 死んでも蘇らせたい奴もいれば、わざわざやってきて生き返ったそいつを殺そうとやってくる奴までいやがる。

 オレと違って、随分と楽しそうな人生だこと。


「はぁ……悪いが、オレはお前のしってる奴じゃねーぞ。人違いだ」

「知ってる」


 知ってて殺そうとしてるのね。


「さいで。なら殺せばいい。どうせオレには未練とか、生への執着なんてないんだ」

「……なんだって?」

「好きにしろ。そう言ってんだよ」


 と、言うが早いか、青マントが右手の食器を振り下ろすが早いか、とにかくそれらが飛んできた。オレは目を閉じる。

 死ぬのは構わないが、痛いのは勘弁だ。出来れば一思いに殺してほしい。


 『いつもありがとうね』


「……ねえ」


 痛みはなかった。上手く殺ってくれたのか? そう思ったが、そう思っている時点で違うのだろう。オレは生きている。

 目を開けると、青マントは左腕を振り上げていた。


「死にたいなら、避けないで!!!」


 オレが避けた?

 そんなはずはない。死んでも後悔なんてないんだ。死ぬことは怖くない。

 オレが死んだって誰も悲しまない。

 オレが死んだって誰も喜ばない。

 オレが死んだって誰も損をしない。

 青マントが左腕を勢いよく振り下ろす。オレが避けたっていうなら、今度は避けない。

 もしかして、目を閉じたから避けちまったのか……?

 今度は飛んでくる食器を睨みつける。アレに当たって、オレは死ぬ。

 考えてみれば、これで色々解放されるんだ。

 あと一ヶ月生きたところで、この世に未練なんかが生まれるわけがない。

 一ヶ月後の死が、たった今に前倒しになるだけだ。


 『是非私と、友達になって欲しい!』


「っ……!?」


 全身が反応する。頭を過ぎったのは、あの能天気の懐っこい笑顔だ。だが今からじゃ遅い。反応しても避けられねぇ。

 その時、突然オレの目の前に腕が現れた。なんの前触れもなく、初めからそこにいたかのようにそれは現れた。


「ふっざけんな!!!」


 食器がガシャガシャと音を立ててコンクリートの地面に落下する。

 見覚えのある黒いセーター。どういう原理かは全くわからないが、向かいくる食器を払い落とし、フォルテが突然現れた。

 そして、オレの前で両手を広げて立ちはだかる。


「……小春。僕と約束したよね?」


 その声は少し震えていた。自分の中に湧いた感情を押し殺すように。

 視線は一切オレに向けない。まっすぐに青マントを見たままだ。


「約束……?」

「忘れちゃったの? 一ヶ月だけ、僕に付き合ってくれるって君は言ったんだよ?」


 ……ああ、そう言えばそうだった。オレは確かにそう言ったんだ。こいつの涙を止めたくて、ただそれだけの理由で。

 あの時の自分は、なんて面倒な約束をしたのだろう。生に執着なんてなかったのに、あの時こんな約束をしたせいで、ほんの少しの執着が湧いてしまっている。

 死んでもいい。そう思っている自分と、死んだらダメかもしれない。そう思っている自分。数日前までいなかった自分が、確実にそこにいる。お前はオレの中の誰なんだ。今の今までいなかったくせに、なんで急に湧いてきやがったんだ。

 途端に体が震えた。ズキズキと痛む左腕から、自分の生と、自分の死が聞こえる。

 オレは、どうしたい?

 どうするべきだ?


「……オレが約束を守るなんて言ったか? 今死んでも、一ヶ月後死んでも同じだろ」

「君は約束を破らない。君は一ヶ月後に死なない。僕が守るから。僕が君と生きるから。僕には君が必要だから!」


 結局、フォルテは一度も振り返らなかった。コンクリートの地面を裸足で駆け出し、青マントに向かっていく。

 対する青マントは両手をクロスさせてマントの中に突っ込み、次の食器を八本装備する。


「アタシはそいつを殺す。アタシにそいつは不要だから!」


 右腕を振り上げるが、その時既に食器は握られていない。振り上げの動作の途中で、もうフォルテに放たれていたからだ。

 その勢いに任せて青マントは片手でバク転し、地面に手をついた時にその力で5mほど宙へと飛び上がり、左腕を横薙ぎに振り払って残りの食器を放つ。

 どんな運動神経だよ……。

 対するフォルテも十分に人間離れしていた。

 先に放たれた縦一線の四本を、一番低い位置に来たそれを足の甲で蹴り上げて、勢いを殺すことによって文字通り四散させる。そのまま両手で数本掴み取り、第二波の横一線に向かって、狙うというよりは当たればいいくらいの大雑把なモーションで投げつけ、三本に対して命中させる。

 そして、残った一本がオレの方に向かってくる。不味いと思い咄嗟にしゃがむが、風邪を切る音は頭上を通過しなかった。

 代わりにパシッという小さな音が聞こえ、勢い余って尻餅をついたまま見上げると、そこにはフォルテの腕があった。

 なんと説明すれば正しいのかわからないが、フォルテは遠くにいて、腕はここにある。

 何もないはずの空間がさっくりと開けていて、その中は全くの暗闇。その暗闇の中からフォルテの腕が伸びていて、遠く離れた位置のフォルテの右腕は同じく、裂かれた空間に一部飲まれて消えていた。


「な、なんだこれ……」


 オレはいつの間にか、とんでもファンタジーの登場人物になっちまったらしい。

 いや、フォルテと出会ったその瞬間から、これくらい予想出来て当たり前だったのか……? 考えるまでもなく、あいつは平行世界なんていう、あるのか、ないのかわからないものがあるとオレに証明した上で、それを移動してこっち側にまた戻ってくる、なんていう離れ業をやってのけていたじゃないか。

 今だってあいつは突然現れてオレを助けに来た。原理はわからねぇが、ああやって体をワープさせてるのか……?


「で、どうするの? 君も僕とじゃ、君に勝ち目はないもん。だから僕がいない時を狙ったんでしょ?」


 着地した青マントが、慌てて次の食器を用意しようと両手をマントの中に入れ込むと、フォルテの右腕が頭上から消え、一気に距離を詰めたフォルテの右手、フォークを握ったその手が両手の塞がった青マントの首に突きつけられていた。


「っ……次の作戦を考える。アタシはもう繰り返したくないの!」

「一人でどうする気? 大人しく僕と一緒に彼女を……」

「一人じゃない!!」

「えっ?」


 フォルテが気を抜いた。いや、驚いたから気が抜けた。

 一人じゃないという青マントの叫びに、明らかにフォルテは驚いて手を引っ込めてしまった。

 その隙をついて、青マントは軽やかなバックステップでフォルテから距離を取り、物凄い速さで走り去ってしまった。

 今更ながら、あっちの世界の存在だとしたら、もしかしたらと思っていたが、やはりあの二人は知り合いらしい。

 お互いの目的は違えど、あの二人が殺し合う理由はないのだろう。

 フォルテは青マントから距離を取られた時点で追うのを諦め、小さなため息をついた。


「小春。来るのが遅くなってごめんね? もう大丈夫だよっ!」


 何もなかったようにこちらを振り向き、笑いかけるあいつに、オレはなんと言葉を返せばいいのだろう。

 礼を言うべきなのか?

 謝るべきなのか?

 あいつは誰だと問いただすべきなのか?

 お前のアレはなんなんだと聞くべきなのか?

 ただ事実として、返す言葉はわからなくても自分のことについてわかることが一つ。

 オレは震えていて、すぐに立つことができなかった。

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