椿姫小春
11/16(土) 13:00 p.m.
結局、あれから全知は服選びに30分ほど時間をかけた。埒があかないので、その際はさっきみたく着せ替え人形にされるのではなく、あらかじめ全知が服を見繕うのに付き合い、纏めて試着室で試着する形式をとることにした。
だがその時、着替えを全知に覗かれたのは誤算だった。
今となっては女同士であるため、着替えを見られることに問題はないように思われる問題はあるのだが。
真に問題があったのはそこではなく、終わったか? などと声をかけながら、試着室のカーテンに顔だけ侵入させてきた全知に、着替えの真っ最中だったオレの下着姿を見られてしまったからだ。
高校生の色気がない。
せっかくのスタイルが台無しだ。
まっててくれ、今君にあった下着を探してくる。
などと意味不明なことを宣言すると、さっさ顔を引っ込ませて消えて行き、結果的に今オレが着ている服は下着を含めて全て新品に交換される羽目になってしまったのだ。
それまではスポーツタイプとボクサータイプの下着で誤魔化していたため、女性物下着を着用することに対しての抵抗はかなりあった。
男のオレが女性物の下着を身につけるなんて、ただの変態以外にない。ないのだが、今のオレは女だ。ややこしいことに見た目は女、中身は男なのだ。抵抗はかなりあった。
となると、世間的に女であるオレが、ここで女性下着の着用に抵抗がある様子を見せてしまうと、全知に不信感を持たせてしまう。そうなると不味い。抵抗はかなりあった。
いや、むしろ実は男なんだとバレてしまっても問題はないし、オレが今後の余生を楽に過ごせるように思える。オレは本当は安喰心という名前で、あの学校の男子生徒だった。というか、今も一応籍が残っているから生徒だ。などと説明してしまえば、もしかしたら信じてくれるかもしれないし、今まで通りの生活が送れるのかもしれない。
だが、実際問題そうはいかないから隠している。何故なら、オレが男に戻ることはもうないという、なんとも悲しい宣告を受けたからだ。戻らないなら、証拠がない。男に戻らないなら、男であろうとする意味もない。
フォルテいわく、安喰心は"夢"と呼ばれるこの世界から離脱し、"現"の世界への世界間移動を成功したその時点で、もうこの世界ではもう既に死んだ存在として処理されてしまったらしい。
つまり、安喰心の存在は、ウララ=レジネスとして上書きされたというわけだ。
しかしそれならば、"現"から"夢"にやってきたウララ=レジネスが、安喰心に上書きされることもあると考えられるが、どうやらそれはないらしい。
原因はハッキリとわからないらしいが、フォルテの経験から語られたことを纏めると、世界間移動は並行世界の同一個体が既に死んでいる時のみ可能で、移動による肉体の変化。
つまり魂の再定着の際、肉体は移動先の同一個体の肉体に依存し、前の肉体は捨てることになるようだ。
というわけで、めでたく安喰心という肉体は死亡し、ウララ=レジネスの体を借りた椿姫小春という人間が、この世界に改めて誕生したのだ。
だからオレは安喰心として余生を過ごすのではなく、どうせなら新しい人生を歩んでみなよというフォルテの口車に敢えて乗せられて、椿姫小春として生きることを選んだ。
あいつの提案に乗ったのは、もう考えるのが面倒だったし、いちいち男だと説明するのも考えてみれば相当面倒臭い。
下手に抵抗するより、流れに身をまかせる方が楽に残りの人生を過ごせるだろう。
オレが実は安喰心であるということは、フォルテとオレだけしか知らない。これから誰かに説明するつもりもない。種明かししてしまったら、オレが別人として元からいた学校に転入した意味がない。
……そもそも、学校なんて行きたかねーんだけど、な。
ちなみに、椿姫小春というこの名前は、オレが考えた名前にフォルテの要望を無理やり練りこんだ、"夢"で新たに暮らすための偽名だ。
我ながら、いい名前をつけたと思う。椿姫の姫以外は。
「さて椿姫さん。着替えは済んだかい?」
「ちょっと待て。入ってくるなよ」
「怒られちゃったしね。流石に入ること、は、しないようにするよ」
なんだその入る以外をやろうとしているような言い回しは。
というわけで、今オレは更衣室で絶賛着替え中だ。店で買った服を、家以外の場所で下着から何から全て一式着替えるなんて行為は、当然ながら人生初の試みだ。
下着を着用していた時の心境は、どうしてオレは試着室で全裸になっていて、しかも女性物の下着まで履くという完璧な女装しようとしているんだろうオレは、だ。
わかっている。周りから見れば何もおかしくないことはわかっている。わかっていても、一日二日で適応できるものか。
それにしても、女子はよくこんな短いズボンが履けるな。寒くないのだろうか。
全知が選んできた、ホットパンツとかいうかなり丈の短いデニム生地のズボンを履き、ハンガーに引っ掛けた黒いシャツを掴む。
首元が狭っ苦しいのが苦手なオレは、いつもボタンを二つか、最低でも一つは外してシャツを着る。
今は冬だし、どうせ外に出るし一つだけにしとくか……ちょっとキツイが。何がかは言わせるな。
最後に……えーっと、何色だこれ? 赤より深い赤……紅色だろうか。そんな色で、分厚い生地のパーカーに袖を通す。
パーカーの裏地は毛布みたいになっており、全知曰くこれだけでもかなり暖かいそうだ。内側にカイロを入れるポケットもあるらしい。
やれやれ、これで全部か。カーテンを開ける前に鏡で確認する。
……まあ、悪くないだろう。
こういうセンスで服を集められるのに、あいつはどうして自分の服装がアレなのだろう。
いや、合うように集めているからそうなるのかもしれない。直感的に、自分に合う子供っぽい服を選んでいるんじゃないだろうか。
「出来たぞ。文句ねーよな?」
カーテンを引っ張ると、待っていた全知は少し離れた位置でブレスレットの類を見ていた。
オレの声でこちらに気がつき、にこにこと微笑みながら近付いてくる。
が、手を後ろに隠している。明らかに何かの袋をもっていて、それを隠している。
今度は何を企んでいるんだろうか。
「悪いね椿姫さん。今は冬だから、きっとそれだけじゃあ君の美脚が冷え切ってしまう。だから、これを買ってきたよ」
全知がオレに突き出したのは青い袋。強引に胸に押し付けられたそれを受け取り、中身を確認する。
靴下か何かだと予想していたのだが、少し違った。
中から出てきたのは、今全知が履いているような黒いタイツ。
……当然こんなものは履いたことがない。オレは今日だけでどれだけの初めてを経験すればいいんだ。
「これを履けば寒くねーのか?」
「少なくとも、生脚で外に出るよりはね」
パチンと綺麗なウインクを決めて見せ、ペロリと舌を出す。この状況で、その動作の必要性や重要性は全く感じられない。
しかしまあ、タイツの防寒性能がどれ程のものかは知らないが、寒さが軽減されるというなら着用しない手はない。
ただでさえこんな短い、慣れないモノを履いているのだ。少しでも肌が隠れてくれた方が精神的に安らぎが持てるというものだ。
「わかった。もう買ってきたのか?」
「もちろん嫌だと言わせないために。まあもし拒否されていたとしても、力尽くで履かせるつもりだったからね」
いや、いくらなんでも全知に力で負けることはないだろう。女の体になったオレから見てもこいつは小柄で華奢だ。
とても一回り背の高い女子を力でどうにかできるようには見えないね。
力ではおそらく勝てる。それでも、こいつの口車に乗せられるか、対応するのが面倒臭くなって結局履いてしまう未来は見える。残念ながらこいつの押しと口の強さはオレのレベルよりも遥かに上だ。
「んじゃ、金は後で払う。ありがとよ」
受け取ろうと手を出すと、全知が突き出していた両手を引いてそれを拒んだ。
靴を履いておらず、試着室の中にいたオレはそれが原因で少しバランスを崩したが、反射的に出してない方の手で試着室の入り口、その縁を掴んだお陰で床への素足での着地を防げた。
なんのつもりだ。
「お金はいい。私が君に履いてもらいたくて買ってきただけだからね」
そう言って今度は袋を押し付けられる。想定より強い力で押されたので、慌てて踏ん張って耐える。
それに、そういうわけにはいかない。女子の力に負けて転けるわけにはいかないという意味ではなく、自分が着用するものだ。
選んでもらっておいて、お金まで払わせるわけにはいかない。
「ダメだ。払わせるわけにはいかねーよ」
「どうしてもかい?」
「どうしてもだ。だから値段を教えろ」
うーんと、全知は腕を組んで考え込む。いやいや、そう考えることでもないだろう。お前はオレに値段を教えて、その金を受け取る。それでいいんだよ。
何と無く手持ち無沙汰になったオレは、悩んでいる全知から視線をタイツとやらが入った袋に移す。
タイツを履くなんて、男だったら確実に一生涯経験しないことだったろうな。現状既にそうなのだが。
金を受け取らないならと、この袋を今この場で突き返してやろうとも思ったが、やめた。
それはあまりに罰が悪い。少なくとも、友達とやらがやることじゃないだろう。
ため息をつき、視線を友達(仮)の方へ戻す。どうやら既に考え込む時間は終わっていたようだ。
ニコニコと微笑み此方を見つめている、というよりは、眺めている全知。どうやら観察されていたらしい。
「履いてみたくなったかい?」
「あのため息がそう見えるなら、お前は相当幸せな奴だよ」
「よく気が付いたね。私は幸せな人間さ」
「さいで」
本当に、こいつはそうなんだろう。出会ってまだ間もないが、一瞬たりともこいつの表情が曇ったところを見たことがない。
誰がいつ見ても、こいつは楽しそうに笑っているだろう。変なやつだ。
「それで、値段を教える気になったか?」
脱いで適当に床に散らかしていたジャージのポケットを探り、財布を取り出して少し圧力をかけながら聞く。
オレは絶対に払うぞ、という意思を全知に見せるためだ。
男として、女子に何かを買ってもらうという事象はできるだけ避けたい。と、いうのが本音だ。
しかもそれがタイツというのは、もうどういう気持ちになっていいのかもわからないからな。
が、嫌な予感というか、ダメな予感がした。
きっとオレはタイツの料金を払えない。全知に押し切られてしまうのだ。
ニヤッと悪戯っ子の笑みを浮かべた全知は、右手を突き出し、チッチッチと発音しながらテンポ良く、メトロノームの様に左右に振る。
「記憶力のない私は、今さっき買ってきたそのタイツの値段をたった今忘れてしまったからね。どうしてもタイツの料金を払いたいなら、別のもので返して貰うことにするよ」
いやもう、こいつは何を言っているんだ本当に。
土、金の二日間、全知の隣で授業を受けていたが、教師に当てられた質問には全て即答で答え、突発的な小テストを100点満点で切り抜けたこいつが記憶力がない筈がない。
たった今忘れたなんていう意味不明な言い回しを使っている時点で、もう忘れたというのは嘘なんだろう。
その嘘に重ねる形で、打開策を提案してきたわけだ。どうしてもオレがタイツの値段を払いたいのなら何か別のものが欲しいと。これは脅しに近い。
全知はオレが男だと知らないわけだから、そんなつもりは毛頭ないだろう。
だが、オレは男としてのプライドを守るためにはその条件を飲むしかない。
何言ってんだ。タイツ代を払えばいいだろと言おうにも、追求してものらりくらりと躱してしまいそうな全知にそれをするのはかなり面倒くさい。
「はぁ……わかったよ。何が欲しいんだ?」
とっとと欲しいものを聞いて、このデパートで買ってしまおう。どういう気なのかしらないが、それで満足すると言っているわけだ。
なんなら、向こうが言い出したとはいえ、服を選んでくれたお礼にちょっとばかり豪華なものを買ってもいい。
友達とは、多分そういうものだろう。
「そうだね……では問題。私は何が欲しいと思う?」
「知ら…」
「ストップ!まだカウントダウンもしていないのにお手上げなんて、いくらなんでもフライング過ぎないかい?」
そんなことを言われても知らんものは知らん。
そうやって思いっきり頬を膨らませて拗ねられても、オレは困る。
あー、こいつに対してはどうやっても簡単にはいかねぇな。こちらの調子が狂うという意味では、面倒な奴だ。
嫌な奴、というわけではないんだが……ええい。もうなるようになれい。
「あー……わからん。キーホルダーとかか?」
「悪くないね。半分正解だ」
「じゃあ、ストラップ」
「それも半分正解」
「人形」
「半分正解だね」
なんだ半分って。
全知の首が傾くーーあ、違う。いつの間にかオレが首を傾げていて、それに合わせてあいつが首を傾けたのか。オレは出来るだけ何気なく首を起こす。
全知はそんなオレの様子を見てクスッと笑い、姿勢戻して咳払いを一つ。
「それじゃあヒントだ。私達は友達だね?」
両手の人差し指を立て、オレと自分の顔を右手でオレ、左手で全知。左手でオレ、右手で全知という風に交互に指差してウインクを一つ。
だから、それにはなんの意図がある。
「だからなんだ?」
異議はない。友達という関係なのかどうかはともかく、知り合ってしまった上、こうやって休みの日に遊んでいるわけだし。
全知は両手の人差し指をと親指を使い、それぞれの手で円を作る。それを自分の両目に近付けて、残りの指をパッと開いた。
それでわかるかよ。ヒントかどうかも怪しいな。
「まあまあ。ほら、どちらも同じ形だろう?」
両目から二つの丸を外した全治はそれを額の辺りに掲げ、にぃっと口角を上げる。
まあ、そんなことは見ればわかる。だが、その行動をとっている本人の考えていることがわかる気がしないので、考えることは諦めて次の言葉を待つ。答えなければ、勝手に喋り出すだろう。
案の定、3秒後くらいで全知は上がった口角を戻すようにすぼめる。
「つまり、私が欲しい物はなんでも良いんだ。だから何かを答えればなんでも半分正解」
求めているのは物じゃなく、別にあるということが余計わからん……いや、まてよ。ようやくこいつが言いたいことが、本人の口から言われなくてもわかるかもしれない。まあ、それだけの布石はあったが。
先程からの全知の行動をまとめる。
どの答えも半分正解と言った。
オレと全知を交互に指差した。
両手で同じ形を作ってみせた。
何が欲しいという訳ではない。
なるほど。そこにさっきの友達というキーワードを繋げるわけか。正直、友達だからといってそれを持っているとは限らないと思う。
だが、それが全知の思うところの友達なのだろう。実際間違っちゃいない。オレにはそんな経験、なかったと思うがな。
全知が欲しい物の答え。それは、お揃いの物だ。
「わかったよ。それなら持ち運べるタイプの方がお前好みか?」
全知はパチ、パチパチと瞬き。一寸の間の後に口角でにんまりと顔を作り、続いて息を吐くような自然さではにかんだ。
オレが理解したことがそんなに嬉しいのだろうか。大袈裟だ。
「そうだね。家に置いておける物も魅力的だけど、持ち運びが出来ると家でも外でも一緒にいられる。その方が私好みだ」
「一緒にいられるって……まだ見てもいない物にどれだけの愛着を注ぐつもりでいるんだお前は」
「……椿姫さん。愛とは、測量で図りきれないものなのさ」
「何の話だ」
というか、今の流れでなんとなくハードルを上げられた気がする。そこまで大切にするつもりでいるなら、全知の気に入るような物を買わなければならない。まあ、オレにとっても気に入る物を買う必要はないだろう。プレゼントなのだから。
さて、タイツの返金方法は決まったわけだし、さっさと着替えて外に出よう。逐一オレの行動に対して口煩い黒猫が待ってるからな。口というより、手か。手煩い。なんだそりゃ。
「じゃあこれ履いてくるから。お前は店の外で待ってろ」
「え? 店の中じゃダメなのかい?」
はてなマークが見える。そんなことはあり得ないのだが、可愛らしく小首を傾げ、口を少しだけ開けてポカンとしている全知。
こいつのこういった表情を使った感情表現が適切過ぎるせいで、見えたように錯覚してしまう。
まあだからといって、正直現役女子高生が見せる表情ではないと思うがな。
「ダメなことはないが、どうせ服は全部買ってある。この店にはもう用はないだろ?」
だから外で待ってろ。まあ確かに、そうしなければならないこともないのだが。
「ふむ……わかった。私は外で待っているよ。その代わり、外に出たら手を繋いで歩こうか」
「ここにいろ」
「くっく。冗談だよ」
今日会って早々に、手を繋ごうの下りをやられてる身には、もう冗談に聞こえねーよ。
全知にしっしと向こう行けサインを送ると、両手を挙げて降参ポーズで背中を向けた。それを適当に確認し、カーテンを引いて袋の中から新品のタイツを引っ張り出す。
……どんどん戻れなくなりそうだ。ショートパンツを脱ぐためにベルトに手をかけた時、カーテンが揺れる。
また全知か。追い払ってやる。
「ねえ、椿姫さん」
「なんだ」
「楽しいかい?」
そんなことを聞かれた。カーテンの向こうの全知がどんな表情でそれを聞いて来てのかはわからない。こちらを向いているのか、背中を向いているのか、立っているのか座っているのか、何もわからない。
わからねーなそんなことは。そう言ってやる。
「ああ」
オレはバックルをしっかりと掴み、ベルトを外した。




