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Out of Range  作者: gokou
白雷の騎士
9/10

群青に沈む

 ――コロス。





 やめろ! うるさい!





 ――ジャマナモノハスベテハイジョスル。





 そんなことできない!





 ――アイツハキケンスギル、イマスグコロスベキダ。




 それは間違っている!





「何だこいつ、一人で(うずくま)って」



 誰だ?



「まあ、いいじゃんか。ねぇ、リーダー? ()りやすくて手間が省ける」


「そうだな。楽して殺せるに越したことは無い」



 ――コイツラハ……



「くくっ、そういうわけだから死んでくれよ。心配するな、リーダーなら楽に殺してくれるさ」


「ああ。俺の毒はよく効くぜ? 十分くらいしたら呼吸ができなくなって、目とか耳とか色んなとこから血が溢れ出して…… あー、やべ。興奮してきたわ」



 ああ、知ってるよ。



「リーダーほんと変態だな」


「しかも毒が完全に回るまでの様子をカメラで撮影とか、俺達でも引くわ」


「お前らだってその間色々お楽しみだろ? ま、この前は毒が回り切る前に逃げられちまったからな。そこのやつ、期待してるぜ」



 ――ソウダッタナ。



「お、どうした? 死ぬ覚悟ができたかよ」



 丁度良い。あの時の借りを返さないと。



 ――ノコノコトオレノマエニアラワレヤガッテ。



「……!? お前、確か……!!」


「どういうことだ!? 確かに毒を流し込んだ! 生きているわけがない!」



 こいつらなら別にいいか。


 ――コイツラモキケンダナ。ハイジョシネェト。



「何なんだよ、お前………… なっ!? まさか――」



 そうだ。守らないといけないんだ。

 ――ソノタメナラダレダロウトコロス。



「ひっ――」







『――捻れ死ネ』






 *    *    *    *    *






 修斗と美月が一通り街を散策し終える頃。夕方と夜の境界を迎えた空は群青色に染まっていた。それに伴い、主に仕事を終えて帰宅する人々によって街は一層活気づく。

 しかし二人は、人々でにぎわう街の中心地から離れ、心地良い潮風が吹く海浜公園へとやって来ていた。

 海の彼方で夕日が小さな宝石のように煌めき、闇に溶けようとしている空と海に光の境界線を作り出している。二人は並んで遊歩道を歩きながら、その景色を何ともなしに眺めていた。


「今日はありがとう」


 唐突に美月が言う。


「何だよ、礼なら買ってもらったろ」


 修斗が言っているのは、街のアクセサリー店で買った髪留めのことだ。美月の手には今もそれが入った袋が大事そうに握られている。


「ああ、まだ渡してなかった。丁度いいから、あそこで」


 美月が指差したのは、遊歩道に等間隔で設置されたベンチ。両側にある街灯に照らされ、まるでスポットライトが当てられた舞台のようだ。

 二人ともそこに座ると、美月は持っていた袋から白の装飾がついた髪留めを取り出す。


「後ろ向いて。つけてあげる」


「自分でつけられるって」


「駄目。修斗は不器用だから。いいから後ろ向いて」


 しぶしぶ、言われるままに修斗は美月に背を向ける。修斗自身も不器用という自覚があり、適当に髪を結んでいるのは確かだ。

 今つけている髪留めを美月が外すと、束ねられていた襟足が解かれてゆるやかに広がった。男性にしては長いその髪は、既に腰辺りに届こうとしている。

 両親が死んだ日以来、ずっと髪を伸ばしている。それは、美月の傍にいて守ろうという決意を形にしたかったからだ。伸ばしているうちに、この決意に終着点がなく、髪が伸びる一方であることには気付いていた。しかし、切ってしまうと己の決意に傷が付いてしまう気がして、結局は伸ばし続けてきた。

 美月の手がその髪を梳く。まるで労るようなその仕草に、自然と修斗の気持ちは安らいでいく。そして、聞き慣れた幼馴染の声が耳を撫でる。


「さっきお礼のことだけど」


「ん?」


「やっぱり、改めて言葉にしておきたかったから。修斗のおかげで、正貴さんと向き合える」


 美月の表情は見えないが、きっと翳りの無い強い意志を宿しているだろう。彼女の声に迷いは感じられなかった。


「俺一人じゃねぇ。拓也さんと妹が手を貸してくれなければ今日のことは実現できなかっただろうな」


「……二人にもちゃんとお礼をしなきゃ」


「ああ。だからちゃんと正貴さんと和解してくれよ」


「うん。――必ず」


 まだ、明日の休暇に薫が正貴を説得するという問題が残っている。しかし、薫なら大丈夫だろうと修斗は信じている。彼女の物事に対する真面目さと兄を思う気持ちの強さは、知り合って間がなくても十分に分かることだ。

 あとは美月と正貴の問題だ。二人が今回の出来事にきちんと折り合いをつけること。それが実現して初めて、美月は薫と拓也に感謝を言うことができる。

 こうして会話を交わしている間にも美月の手は動き、修斗の長い襟足を綺麗に結んでくれた。新しい髪留めが揺れ動く自分の髪をしっかりと括っているのが分かる。


「サンキュ。じゃあ、次は美月の番だな。後ろ向け」


 言って、修斗は美月の新たな髪留めを手に取る。


「自分でする。修斗、不器用だし」


「最初の一回だけでもやらせてくれ。俺の手で贈りたいんだ」


 修斗の言葉に後ろを向く美月。その動きに沿って揺れ動くポニーテール。修斗が髪留めを外すと重力に従ってふわりと舞い、流れに沿って赤く煌めいた。

 修斗は惹きつけられる様に、美月の(つや)やかな髪に触れた。指に伝わる柔らかな感触。普段触れている自分の髪とは全く違う触り心地に、つい夢中になってしまう。修斗の指が、美月の髪を上から下へと流れに沿って滑っていく。ぴくり、と美月の肩が動くが、何も言わない。修斗もその手を止めない。

 美月の髪を梳く度に溢れる香りが修斗の鼻をくすぐり、心に清涼な風をもたらす。それは爽やかな甘さを感じさせ、例えるなら()れた果実の芳香である。

 日はいつの間にか完全に沈み、空は漆黒に覆われていた。明るく照らされる街の中心から離れた空には、散りばめられた星々が燦然と輝いている。流れる潮風が心地良く肌を撫で、耳に届く波の音が優しく体の内側に染み渡っていく。周りには誰も居らず、二人だけの穏やかな時間が流れている。

 修斗の五感で捉える全てが、美月の存在を証明してくれる。手が届き、触れられる場所に大切な存在がいる。

そのことが修斗の決意をより強くし、美月を守るためなら何でもできる気さえしてくる。否、それは修斗にとって予感ではなく、確信だった。

 そんな思いを込め、修斗が美月の髪を留めようとした。


「――ねぇ」


 美月の声に、修斗は手を止める。


「修斗は、これからも私の傍に居てくれるって言ってくれた。……本当に?」


 その言葉には期待と、それ以上の不安が含まれているように感じた。やはり正貴や薫と対面することに怖気ついてしまったのだろうか。

しかし、決意の固い修斗は何度でも同じ言葉を返すだろう。


「もちろんだ。そんで、美月の重荷は俺が全部背負ってやるよ。だから安心してくれ」


 修斗は力強い肯定を返す。それでも美月は俯けた視線を上げることはない。

 やはり、言葉だけでは納得ができないのだろうか。どうすれば美月を安心させることができるだろうかと、修斗は頭を捻る。


「何か確証があればいいのか? そうだな……、契約書でも書こうか?」


 半ば冗談のように言ったのだが、その言葉に美月は振り向く。

 対面した彼女の顔を見て、修斗ははっとした。その瞳は月影を映す澄んだ湖面のように煌めき、修斗の視線をとらえて離さない。頬は暗がりの下でもはっきりと分かるほど朱に染まっている。

 どこか(あで)やかさを感じさせる表情で、美月は体ごと修斗との距離を詰めた。彼女の口から漏れる吐息が近くで感じられ、詰められた距離を空けようとした修斗の体が固まる。


「……何だ?」


「修斗に言いたかったことがある」


 さらに二人の距離が縮まる。


「お、おう」


「別に契約書なんていらない。……でも、約束して欲しいというか、同意してほしいというか……」


 即断即決タイプである美月にしては歯切れが悪い。

 その間にも修斗と美月の距離は近づき、差はミリ単位にまで縮まっていた。もはや睫毛一本一本を正確に把握できるほどだ。距離が近づいたせいなのか、または別の理由か、美月の頬の朱がより深まったような気がする。

 美月の突然の行動に修斗の頭は疑問符に埋め尽くされていたが、何故かそれを解消しようとは思わなかった。状況を脱却することよりも、流れに身を任せて早く先を確かめたいという衝動が勝っていた。


「こんな時に言うことでは無いけど……ううん、だからこそ。修斗の言った通り、確証が欲しい」


「…………」


「……あの、私は、修斗が――――」







 その言葉の続きは口にされることはなく。

 二人を包んでいた静寂は、不吉な足音によって破られた。異様な気配を感じ取り、修斗と美月は同時にその方向へ視線を向ける。

 程なくして、街灯の当たらない夜の闇から人影が浮かび上がった。修斗はベンチから立ち上がり、美月を背に隠す。戦闘訓練を受け、危機察知能力にも優れた美月が危険に晒される状況はそうそう無いだろう。しかし、今の美月は謹慎中。“もしもの事態”に陥った場合に備えなければならない。油断無く人影に目を凝らす。

 やがて街灯によって暴かれのは、二十歳前後の男性。体型は中肉中背。服装はタンクトップにジーンズと、街を歩く若者のそれと大差なく、たまたま公園を通りかかった一般人だろう――――

 そう思ったのは、ほんの一瞬。修斗の視線は、全身が露になった男性の右腕へと釘付けになる。いや、正確には“右腕があったと思われる”空間。

そう、現れた男性には右腕が無かった。その肩口からは鮮血が滴り落ち、地面に点々と暗い赤を残している。


「――っ! 大丈夫ですか!?」


 その尋常ではない姿を見て、美月は男性へ駆け寄ろうとする。

 しかし、修斗は美月の手を掴み、彼女の動きを止める。


「修斗……?」


「待て、美月。様子が変だ」


 美月が改めて男性を見ると、彼もこちらに気付いたようだった。痛みによって彷徨っていた視線の焦点が定まり、二人を捉える。

 その目に浮かんだのは、恐怖と敵意。血の滴る肩を左手で庇いながら、修斗達に噛み付かんばかりの勢いで叫ぶ。


「だ、誰だ、お前ら!!」


「落ち着いて下さい。俺達は――」


「まさか……、“あいつ”の仲間か!?」


 男性の表情が引き攣る。一歩、二歩と、後ずさりをして修斗達から距離を取ろうとする。


「くそったれ!! こんなところで死んでたまるかよ!!」


「どういうことです? その怪我はどうしたのですか?」


 そう言いながら、修斗が一歩踏み出した途端、


「ぁぁぁぁあああああああぁぁあああああああああ!!!!」


 壊れた咆哮。

 男性の身体が波打ち、徐々にその形を変えていく。

 赤色の複眼と鋭い牙を持つ横開きの口は昆虫のよう。体表は硬質な殻で覆われており、その色は鈍い光沢を持つ暗緑色。体型は元よりも一回り大きくなっており、筋肉質な格闘家を連想させる。

 ギチギチと牙を擦り合わせる音と口から漏れる獰猛な息遣いが、二人の目の前の存在が人間ではないことを否応無く理解させる。


「尽骸……!!」


 美月の表情が一転、瞳の奥に冷たい業火を宿す。湧き上がる感情に身を任せて、昆虫型の尽骸に向かっていこうと構えた。

 が、それを修斗が許す筈もなく、美月の肩を掴んで強引に自分の方へと向かせた。


「駄目だ」


「でも――」


「俺だってお前の望みは叶えてやりてぇよ。だが、お前は謹慎中だろ。悪いがそれを今すぐどうこうはできねぇ。それに、碌な導器を持っていない今の美月を戦わせられるか」


 美月は謹慎中で、尽骸との戦闘行為を禁じられている。彼女の専用導器である【断業(だんごう)】はもちろん、戦闘兵器たり得る導器の携行を一つとして認められていない。機術師の資格を持っていようと、今の彼女は一般人と変わりないのだ。

 彼女が望みを果たせるように尽くすことは全く構わないが、それ以上に美月が傷付いて欲しくないという思いが修斗にあった。


「すまねぇ。今は我慢してくれ」


 美月を後方に下がらせると、修斗は懐から小さなタブレット型の導器を取り出す。そのディスプレイに映し出される項目を確認し、目的のボタンに触れた。

 修斗の全身が眩い光に包まれる。一瞬の閃光の中から再び姿を現した修斗は、その装いを大きく変えていた。

 その身に纏うは、風に翻る紺色のロングコート。その裾から覗くのは黒色のスラックスと、それと同色の重厚なブーツ。そして、腰のベルトには純白の鞘に収められた細身の剣が吊られている。その姿は、人間を超えた異形である尽骸を討ち滅ぼす者――機術師の証明であった。

 修斗は目の前の標的を視界に捉えたまま、(おの)が愛剣を抜き放つ。


「コードES028――【瞬鳴(しゅんめい)】、アクティヴェイト!!」


 個人の専用導器は所持者の識別コード、その名称、そして起動命令(アクティヴェイト)によって力を解放する。修斗が持つ純白の剣こそが彼の専用導器、名を【瞬鳴】と云う。

 力が解放された【瞬鳴】は自身よりもなお白く眩い光を放ち、その光は刀身の形に収束している。

 美月の【断業】が放つ荒々しき力の奔流とは対照的に、【瞬鳴】のそれは凝縮されたエネルギーが形を成したものだ。言い換えれば、前者が暴力的な破壊に特化しているのに対し、後者は絶対的な切れ味に特化しているのである。その性能は、対象が鋼鉄であろうとも容易く切断してしまうほどだ。

 修斗はそんな、命すら紙同然に切り捨てる剣の切先を昆虫型の尽骸に突きつけた。それが意味するところは一つしかない。


「きっさまらああああああああぁぁぁぁ!!」


 尽骸が再び咆哮し、修斗目掛けて殺到する。

 対する修斗も迎え撃つべく地を蹴った。迫り来る尽骸の左拳を低い姿勢で避け、掬い上げるような刺突を繰り出す。

 しかし、尽骸はそれを予測していたのだろう。左拳を突き出した勢いのまま半身になり、修斗と身体の位置を入れ替える。

 すぐに後ろを振り返るが、尽骸は修斗を見向きもせずに走り抜ける。――その先には、美月。


(くそったれ!!)


 毒づき、尽骸の後を追う。

 片腕を失っているせいか、尽骸の動きは思ったよりも鈍い。そのまま後ろから仕留めようと【瞬鳴】を振りかぶる。

 が、それすら尽骸の想定内だった。

 尽骸がいきなり後ろを振り向くと同時、修斗の眼前に高速の“何か”が迫る。修斗は咄嗟に身体を傾けて避けるが、バランスを大きく崩してしまった。その隙を突かれて尽骸の左手に右腕を取られ、凄まじい膂力で地面に叩きつけられてしまう。


「ハァ、ハァ……。クソ機術師が、楽には死なせねぇ」


 ずるり、という不快な音と共に、尽骸の口から触手のような長い舌が這い出る。先端が鋭く尖り、明らかに獲物を突き刺すようなつくりだ。そして、全体が粘性を持つ緑色の液体に濡れていた。特に考えるまでもなく、それが毒であることが理解できた。

 尽骸は一度舌を戻すと、ぎちり、と牙を鳴らす。


「てめぇの次は連れの女だ。苦しみながら女が(なぶ)られるのを見てろ」


 その言葉に、修斗の頭の中が怒りに染まる。

 再び開かれた尽骸の口。そこからすぐにでも猛毒に濡れた鋭利な舌が修斗を襲うだろう。

 だが、死ぬわけにはいかない。自分が死んでしまえば誰が美月を守るというのか。自分の決意はこんなところで終わってしまうような安いものではない筈だ。

 修斗は懐から、手の平に収まる球形の物体を取り出した。それを尽骸の口に目掛けて投げる。

 導器【縛牢(ばくろう)】。その能力は、それ自体を中心として強い引力フィールドを発生させるもの。修斗はそれを、引力の強さをそのままに、しかし自身を巻き込まないよう小規模に発動させた。


「!!」


 虚を突かれた尽骸の口元で発生する引力場。今まさに射出されようとしていた毒の舌ごと、尽骸の顔を圧縮する。尽骸は叫び声さえ上げることができず、苦悶によって修斗の右腕の拘束を解いてしまう。

 好機。

 修斗は起き上がりざまに尽骸を蹴り飛ばす。【縛牢】が解除され、尽骸が顔を上げたときにはもう遅い。【瞬鳴】の白光が閃いた。


 斬――――


 尽骸の首に一筋の線。それがじわりと赤く染まり、頭と胴体が音も無く分かたれる。そして頭が地に落ちたと同時、二つは塵となって潮風に吹かれていった。

 尽骸が完全に消失したことを確認し、修斗は【瞬鳴】を鞘へと収めた。

 しかし、戦いが終わっても表情は厳しいままだった。視線は消失したばかりの尽骸が残した、海浜公園の奥へと続く血痕を辿っている。

 今の尽骸は決して弱いわけではなかった。短期決着ができたのは、右腕を失っていたハンデ故だろう。その尽骸をあそこまで恐慌状態にした存在が、この先にいる。それも、おそらくすぐ近くに。美月に危険が及ぶ前に、こちらから向かえ撃たなければならない――


「修斗……!」


 自分を呼ぶ声に意識を現実に戻した。目に映る美月の無事な姿に安堵し、それでも念を入れて訊ねる。


「美月、奴の毒とか受けてないか? 怪我とかもないか?」


「大丈夫。修斗こそ無事?」


「問題ない。それより、俺は今の尽骸が来た方へ行ってみる。もうすぐ支援班が来るだろうから、美月は状況を説明して先に戻ってろ」


「私も一緒に――」


「駄目だ」


 美月の同行を即座に拒否する。さっきは修斗を誘う罠であったが、尽骸が美月に害を及ぼさない保証はどこにもないのだ。

 しかし修斗の思いとは裏腹に、美月は大きく首を横に振る。


「だって! 何もせずに見ているだけがこんなに辛いと思わなかった!」


「頼むから堪えてくれ。そりゃ目の前に尽骸がいて戦えないなんて、美月にとっちゃ耐え難いだろうが――」


「違う!!」


 今度は美月が修斗の言葉を遮る。

 驚き、改めて美月の顔を見た。彼女の目には涙が溜まり、それを溢れさせまいときつく唇を噛んでいる。

 予想もしなかった反応に呆然とする修斗に、美月は追い討ちをかけるように叫ぶ。


「そうじゃない! 私は修斗が尽骸に殺されてしまうんじゃないかって……、お父さんやお母さんみたいになるんじゃないかって、不安だったの! 修斗の実力を疑ったわけじゃないけど、それでもあいつに腕を取られた時は心臓が止まりそうだった! すぐに助けたかった! でも、私の手に【断業】は無くて……」


「…………」


「お願いだから、私が何もできないときに一人で戦わないで。お願いだから、私のいないところで一人で戦わないで」


「美月……」


「――お願いだから、死なないで。私を一人に、しないで」


 美月の頬を流れる一筋の透明な雫が、修斗の心を決めた。


「……分かった。支援班が来るまで待とう。正貴さん達もすぐに来るだろうしな」


 その言葉でようやく安堵したのか、美月は黙ってこくりと頷いた。濡れた目元を拭って顔を上げ、ぎこちなくも笑みを見せる。

 美月の頭に軽く手を置きながら、修斗は自身が冷静さを欠いていたことを自覚していた。美月と正貴の不和の原因となった日のことが、決意を強迫観念にしていたのだろうか。自分の焦りが、美月を悲しませる結果となった。これでは本末転倒ではないか。

 自分の役目を他人に譲るつもりはない。だが、頼るくらいはいいだろう。

落ち着きを取り戻した修斗は通信機を取り出し、拓也に連絡をつけることにした。彼は的確な指示で東域第四班を支えてくれる頼れる仲間だ。そして、強い人望で自分達を率いる班長の正貴、必ず四班の要となってくれるだろう後輩の薫もいる。彼らがいれば、夜闇の先にいる脅威にも問題なく対処できるだろう――

 修斗はそう思ったのだが、通信機から帰ってきたのは無機質なノイズだった。再び通信を繰り返そうと、美月の通信機で試してみようと結果は同じだった。


「通信が、繋がらない?」


 美月の疑問の声に修斗が思い返してみれば、疑問が浮ぶ。

 先の尽骸が異形体になった時点で、拓也はそれを感知していた筈だ。それなのに何故、その時点で二人のどちらかに連絡一つ入らなかったのか。

 そして、今こうしている間にも街中に配備されている支援班の一人もやって来ない。通信機の全てが同時に故障したとは考えづらい。

 これはつまり、拓也が尽骸を感知できていない、または通信が妨害されているのではないか。

 言い知れぬ違和感が、二人の背中を這う。


「……何かおかしい」


「ああ、一度基地に戻って状況を―――― !?」





 *   *   *   *   *





 その存在は、群青の鎧を纏っていた。

 しかし、鎧とは表現しつつも無機質な金属にはない、纏う者との有機的な一体感が感じられる。全体的に鋭角なフォルムであり、肩や手甲、具足の先端が刃物のように尖っていた。

 鎧の隙間から僅かに見える肌は鱗で覆われており、その色は鎧よりも一層暗い青だった。顔の上部は双角の獣を思わせる外殻の仮面で覆われており、晒されている口元の肌もやはり同様に暗く青い。

 背が高い、だけでは説明のつかない、その身から放たれる圧倒的な威圧感(プレッシャー)。この場の空気が(ひず)み、(ゆが)み、捻れたかのような息苦しさ。仮面から覗く爬虫類を思わせる(まなこ)が喚起させる、逃れ得ない本能的な恐怖。

 確認し合うまでもない。修斗と美月の元に現れたそれは、尽骸だ。

 さらに悪いことに、その異形体の姿がかなり人間に近い。先程修斗が倒した尽骸は人型ながらも、昆虫のような特徴が強かった。しかし、新手の尽骸は鱗や外殻の鎧に覆われているために分かりづらいが、基本的な形状は人間と大差無い。尽骸は異形体が人間に近いほど、強い力を持つ。すなわち、この群青鎧の尽骸は相当高い能力を有していることになる。

 おそらく、昆虫型の尽骸を追い詰めたのはこの尽骸だろう。昆虫型の尽骸の血痕の先から現れたことからも明らかだ。そんなものを相手に、丸腰の美月を守りながら戦うのは至難だ。

 修斗はそう判断して、再び【瞬鳴】を構える。そして、この場を離脱するために美月を抱えようと、彼女の腰に左手を伸ばす。

 が、それよりも早く。

 群青鎧の尽骸の視線が、美月を捉えた。その目に浮かぶのは、強烈な殺意。


 考える前に、修斗の体は動いていた。

 伸ばしかけた左手に力を込める。

 力の限り、美月をその場から押し退ける。


 尽骸の視線の先には、修斗。


 瞬間、ぐわん、と景色がぶれる。修斗の左腕の辺りを中心に、“渦”ができた。決して、空気の流れによって生じたものではない。それは修斗の左腕ごと、()()()()()()を歪めている。


 ――渦が、弾けた。


 血が舞う。

 肉が散る。


 伸ばされていた左腕が、無い。代わりに在るのは、鮮やかな赤の飛沫(しぶき)

 体が軽い。左半身を吹き抜ける風に解放感を感じ、しかし灼熱の痛みが肉を締め付ける。

 視界が狭い。どうしてか、左側が夜よりも暗い黒に覆われている。


 刹那の時間。

 ぼやけた視界の中ではっきりと浮かぶ、大切な幼馴染の表情。

 そこに浮かんでいる怯えと恐れを取り除きたくて、修斗は口の端を吊り上げ、いつものように笑ってみせる――








――――そして、修斗の意識は深淵に沈んだ。


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