過去からの後押し
薫の研修が始まってから一週間が経った。初日以来、大きな騒動は起きていない。しかし、班内の雰囲気には翳りが差してしまっていた。
結局、美月に下された処分はほぼ薫が言った通りとなった。内容は「薫の研修期間終了まで戦闘行為の禁止」。その間、美月の専用導器である【断業】は管理部が厳重に預かることになった。
管理部とは、第一から第四までの戦闘班と後方支援班の上位に位置する部門のことだ。ここに所属する人々は機術師では無いが、実質機術師達を統制するトップである。
尽骸の駆除任務は基本的に戦闘班・支援班の判断で行われる。管理部の活動は、例えば班毎の担当区域の調整、尽骸出現前後の対応方針の決定、機術師の活動を潤滑にするための各機関との交渉などであり、言うなれば機術師の活動を方向付ける司令塔のような役割を担っている。
「管理」という言葉が悪印象を与えるという理由から「司令部」とも呼ばれており、仕事の性質も相まってこちらの名で呼ばれることの方が多い。
今回、美月の最終的な処遇を決定したのも司令部だ。修斗が思っていたよりも軽かったが、正直に言えば大事にならなくてほっとしていた。
これで一件落着となれば良かったが、実際はそうもいかず。この一週間、第四班の班員同士には心理的な距離があった。
正貴はいつもと変わらない穏やかさだが、美月と対面するとどこかぎこちない。負い目からか、露骨に避けることもあった。その時の美月の落ち込みようが、何とも言えなかった。
薫もいつもと同じように礼儀正しく、快活さを前面に出していたが、正貴と対面するとどこかぎこちない。負い目からか、露骨に避けることもあった。その時の正貴の落ち込みようが、何とも言えなかった。
美月も変わらず、表面上の不機嫌さが表情にあったが、薫と対面するとどこかぎこちない。負い目からか、露骨に避けることもあった。その時の薫の落ち込みようが、何とも言えなかった。
三者の見事な悪循環。そして、この三角地帯に囲まれた修斗と拓也も頭を悩ませていた。状況を打開しようと二人で話してみたのだが、一向にいい案が浮かばない。二人はこの一週間、非常に気まずい思いで過ごす羽目になった。
唯一の救いと言えば、あの初日以降、第四班の担当区域に尽骸が出現していないことだ。あのようなことがあった後では、どうしても戦いに行くのが怖くなってしまう。戦いが無ければ、前回のようなことも起こりえないし、蒸し返される可能性の低くなる。さらに、尽骸を駆除できないという美月のフラストレーションをある程度緩和することも可能だ。
だが、何より修斗を安心させているのは――自分の無力を見なくて済む、ということだった。
「だからって、三人がこのままってわけにもいかないよな」
修斗のぼやきを耳聡く拾った拓也。好物のポッキーを口で上下させながら、同意を示す。
「そうだねー。ホント、待機室でのあの雰囲気の悪さと言ったらないね。修斗にはぜひとも頑張って欲しいよ」
「……拓也さんも協力してくれるんじゃなかったんですか」
「ああ、言ったねー。あれの原因の一端は俺にあるし、申し訳ないとも思っている。でもさー、あの底無し沼みたいな溝に俺程度じゃ入っていけないよ」
「つまり、丸投げってことですか?」
「うん! 頑張って、しゅうと!」
「うん、むかつくやめろ気持ち悪りぃ」
両拳を胸の前でぐっと握る拓也の仕草に、修斗は思わず素の口調で返してしまった。どこから出したのかわからない高い声も、一段と鬱陶しさに拍車をかけている。
「ひどいなー。んじゃ、アドバイスしとくよ。正貴に関しては薫に協力を求めるといいと思う」
「いや、もう兄妹で話し合ったんじゃないか?」
疑問に首を捻る修斗。それが駄目だったから今の状況に陥っているのではないか、と。
「協力だよ、協力。最終的には薫が決め手になるだろうけど。ま、二人で話し合って何とかしてねー」
「すごいアバウトな」
「助言だから。そういうことで、よろしくー」
そう言って、今いる部屋の出口へと歩き出す拓也。
「いや、もうちょっと何か言ってくれても――」
慌てて引き止める修斗の声に、拓也は勿体つけたように振り返る。口のポッキーを、パキッ、と小気味良い音で折りながら、口の端を吊り上げて笑った。
「もちろん、美月は修斗が何とかするんだよ」
そんな、最後まで他力本願な台詞を口にして、今度こそ拓也は部屋を出て行った。
なんだか見捨てられたような気がする修斗だが、
「ふぅ……、言われるまでもない、な」
どうやら覚悟を決めないといけないらしかった。
「じゃあ、今日はここまでだね。お疲れ様」
と、正貴の号令がかかった。
ここは第四班専用のトレーニングルーム。そして、今まで行われていたのは、薫と美月の一対一の模擬戦だ。
前述した通り、初日以降は尽骸が担当区域に出現していない。このような場合、尽骸との戦闘に代わるもので研修の評価をつけることになる。正規の機術師との模擬戦も、その評価基準だ。
初めのうち、薫は尊敬する美月が相手となるだけあって張り切っていた。 逆に、美月の動きは普段より精彩に欠けていた。正貴の視線、薫への負い目がそうさせているのか、訓練に身が入っていないことが一目瞭然だった。
そしてそれを感じ取った薫も、最初の勢いはどこへやら、目に見えて消極的になってしまう。さらにそれを何とかしようと正貴が取り繕おうとするが、効果は芳しくなく彼にも沈んだ雰囲気が伝染する。悪循環はここでも健在だった。
研修はまだ一週間残っている。このままでは薫の合否以前に、班員の生死にも関わってくるかもしれない。だからこそ修斗と拓也は何とかしようしていたのだが、拓也がそれを放棄してしまった今、第四班の命運が握っていると言っても過言ではない。
各々が後片付けをしている中、修斗は気付かれないように美月へ視線を向ける。しかし、見る前から分かっていた通り、彼女の表情は冴えなかった。具体的には、つり上がっている目の端がいつもより〇.〇六ミリ下がっている。
焦燥感に駆られた修斗は、とにかく何とかしなくてはと、まだ頭の中を整理できていないまま声をかけてしまう。
「よう、美月。えー……あ、調子はどうだ?」
「……問題ない」
「正貴さんの妹との模擬戦はどうだった?」
「実力的には正規の機術師と遜色無い。合格は間違いないと思う」
「そ、そうか」
「そう」
「………………」
会話が途切れてしまう。その間を会話の終了と判断したのか、美月はそれ以上何も言わずに、部屋を出て行ってしまった。
(どうすればいいか分からん!)
糸口が全く見つからず、修斗は頭を抱えた。
やはり何もできない。この一週間、ずっと同じようなやり取りを繰り返してきた。なのに全く進歩していないことから、自分だけではどうにもならないのかもしれない。そう考えると拓也の適当な助言も、決して的を外しているわけではないのだろう。
ならば、と修斗が思った矢先。
「では、班長。お疲れ様でした」
よく通るが、抑揚の無い声が聞こえた。
それを発した人物――薫は早足で、逃げるかのように部屋を出て行ってしまった。そして正貴が、口を開きかけたまま固まっている。
修斗は、薫が消えたドアと棒立ちの正貴を見比べた。どちらを優先させるべきか悩んだが、結局は修斗も踵を返す。
そのまま正貴を一人残して、部屋を出て行った。
* * * * *
薫とは思ったより簡単に合流することができた。
既に自分の部屋に戻ってしまったと修斗は思っていたが、その予想は外れた。機術師の居住スペースに続く廊下を道なりに進んでいると、最近見慣れてきた後ろ姿を発見した。
長く続く廊下の壁、その一部が引っ込んでできている休憩スペース。丁度修斗が来た道と、男女のそれぞれの居住区画へ続く道によって形成されるT字路にそれはあった。自動販売機が三台設置され、ベンチが簡易テーブルを挟んで二つ置かれている。薫は修斗に背を向けるような形で、そのベンチの一つに座っていた。
修斗が近づくとその足音で気付いたのか、声を掛ける前に薫は立ち上がった。
「篠崎さん、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ。で、いきなりで悪いがちょっと話がある」
「何でしょう?」
とりあえず薫をベンチに座るよう促し、修斗は自販機の前に立った。
「妹、何が飲みたい?」
「いいんですか?」
「ああ。大したものじゃないが、話の駄賃だと思ってくれ」
「では、コーラをお願いします」
その注文を少々意外に思いつつも――イメージからお茶や珈琲だと思っていた――修斗は缶サイズのそれを買い、自身はブドウ味の炭酸飲料缶を買った。
薫の分を差し出すと、彼女は礼を言ってそれを受け取る。修斗が反対側のベンチに座ると、どちらかが言うこともなく、二人同時に缶のプルタブを開けた。
炭酸の抜ける音が重なる。一口飲むと清涼感が喉を潤し、炭酸の刺激が気分を少しだけ晴らす。薫の方をちらと見ると、缶を両手で包むように持ちながらこくこくとゆっくり飲んでいる。不覚にも(?)、正貴が彼女を可愛がる理由の一端が分かるような気がした。
薫は缶を簡易テーブルの上に置くと、修斗の目を真っ直ぐ見た。
「それで、何の話でしょうか。……いえ、失礼しました。研修初日の件ですね?」
薫の言葉は単刀直入だった。少し驚いた修斗だったが、どうやって本題に入ろうか考えていたので、薫の察しの良さはありがたかった。
「ああ、そうだ。よく分かったな」
「ただの雑談という雰囲気ではなさそうでしたから。篠崎さん、意味の無いことはしないタイプに見えますし」
「意味の無いことね……」
呟く修斗。
研修初日の出来事で自身の無力さを痛感していただけに、自嘲的な笑みが漏れる。
「どうしました?」
「何でもない。……でだ、班内の雰囲気の悪さを何とかしたいと思っている。このままじゃ色々と支障がでるだろうしな。妹にも協力して欲しいんだ」
「……もちろん、私も何とかしたいと思っています。原因は私にあるのですから。しかし、私で良いのですか?」
薫が言っているのは、まだ研修生であり騒動の原因の一端となっている自分が協力してもいいのだろうか、ということだ。
「もちろん。というよりも妹にしか頼めないな、今回は」
「あの、平井さんは……」
「元々お前を頼んだらどうだと言ったのは拓也さんなんだ。……まあ、それだけで言い逃げしたけどな」
「ああ……」
それだけで察せられてしまう。
たった一週間で研修生にそんな評価を下されてしまった拓也が心配になってしまう修斗だった。
「美月も正貴さんも手の出し辛い雰囲気でな。俺達であの二人をどうにかしろとのことだ」
「清々しいまで人任せですね……。しかし、どうすればいいのでしょうか……」
考える人数が一人から二人に変わっただけだ。元々考えに詰まっていたもの同士が一緒になったからといって、そう簡単に打開策が見つかるわけではない。
二人で色々意見を出し合ってみたが、これといった案は出なかった。残っていた炭酸飲料を飲んでみると、ほとんどの炭酸が抜けていた。薫の方も同じようで、缶の口を覗き込んで残念そうな顔をしていた。
「どうしたもんか。こう、狭い所にいると頭ん中も狭くなった感じがする」
休憩スペースはそれほど広いわけではない。せいぜい四、五畳くらいの空間にベンチとテーブル、自販機が置かれている。おまけに壁は白一色で変わり映えが無く、どこか隔離施設を思わせるような作りをしている。その所為で窮屈さを感じるのだろう。
「気分転換に、もうちょい広い場所に移るか」
「――それ」
「は?」
突然の薫の言葉に疑問符を浮かべる修斗。
「それです。気分転換にどこかに出掛けましょうか。ほら、初日に島原さんと話してませんでしたか? 何か埋め合わせをするとか……」
「聞いてたのかよ。……まあ、いいとは思うが、少し難しいんじゃないか?」
普通ならそんな単純な考え、初めの段階で思いつきそうなものだが、彼らには事情がある。
機術師の仕事は、いつどこに現れるか分からない尽骸を駆除することである。故に、常に現場に向かえる体制を整えておかなくてはならない。実質、彼らの仕事に休みはないのだ。
一応、休暇は取れるのだが、特別な事情が無い限りは司令部に面倒な手続きをしなければならない。しかも、それが通るかどうかは状況によって変わってくる。
そういうわけで“気分転換の外出”という案は無意識に除外されていたし、今もあまり現実的ではないと思っている修斗だった。
と、丁度その時、修斗の携帯電話が振動した。すぐに確認してみると、拓也からメールが着信していた。何の用だと訝みながらメールを開くと、たった一文だけ書かれてあった。
『休暇取れたよー』
思わず、修斗は周りを見た。しかし、どこを探しても自分達を見ている人物は見つからなかった。
突然の奇行に薫は首を傾げたが、修斗が無言で携帯の画面を見せると、顔を強張らせて素早く視線を周囲に走らせた。だが、彼女も何も見つけられなかったらしい。
「……仕事が速いのはいいことだ。先輩の好意だし、素直に受け取っておこうか」
気にしたら負けだ、と思い、修斗は強引に話を進めることにした。
すると、また携帯電話が振動する。
やはりと言うべきか、拓也からのメールだった。顔を見合わせ、恐る恐るメールを開いてみると、取れた休暇についての詳細だった。
曰く、『休暇は明日明後日の二日』、『一日に休暇を取れる人数は二人まで』、『休暇を取る者もすぐに臨戦態勢に入れるようにしておくこと』『休暇分、薫の研修期間を延長』とのことだった。
存外真面目な内容に、二人はほっと息を吐いた。
「では、篠崎さんが島原さん、私が兄さんと休暇を取ることにしましょう」
「そうなるか。いや、もし正貴さんと話すのが気まずいなら変わってもいいぞ?」
修斗の提案に、薫は首をブンブンと横に振る。
「何を言ってるんですか。篠崎さんは島原さんと元々約束していました。島原さんだって、篠崎さんと行きたい筈です」
「そう、か」
美月がどう思っているかはともかく、修斗としては自分が美月をどうにかしたいと思っていた。拒否する理由はない。
さらに、薫が勢い込んで言葉を続ける。
「そして! 私も兄さんと外出したいです!」
拳を握り締める薫。彼女の目が少女マンガのキャラクターよろしく、きらきらと輝いている。
なんとなく感じていたが、正貴がシスコンであるように、薫もまたブラコンなのだろう。問題はどの程度、ということなのだが、これもおそらく“ちょっと”では済まないと修斗は予想している。
「……もう年単位でそういうことしてませんし、これから機会があるか分かりませんし」
一転、少し悲しそうな雰囲気を見せる薫。
「ん?」
「兄さんが機術師になって以来、一緒に過ごす時間が極端に減りましたから。こういう状況とはいえ、嬉しいものは嬉しいんですよ」
「へぇ、もしかして機術師になったのも正貴さんと一緒に居たかったからだったりするのか?」
修斗は半ば冗談のつもりで言ったのたが、薫は神妙な顔で頷いた。
「似たようなものです。両親は放任主義というより、放置主義といった方が良いかもしれない人達でしたから。会話は事務的なものがほとんどでした。教育に必要なことはしてくれましたが、逆に言えばそれだけですね。ですから、私が本当に家族と言える人は兄さんだけです」
薫の説明は端的なものだったが、彼女が両親にプラスの感情を抱いていないことは明白だ。両親について無表情で淡々と語り、正貴について柔らかな笑みと華やいだ声で話す。その明らかな差が、両者に向ける感情の違いを浮き彫りにしていた。
「私は五年前、尽骸に誘拐されました」
感情が昂ぶったのか、薫の話は続く。
「私を誘拐した尽骸は幼い女の子を集めることに執心していました。私を含めた複数の少女達が同じ部屋に監禁され、尽骸の慰みものになりました」
それを聞いて浮かべた修斗の苦い顔を見て取った薫は、ゆっくりと首を横に振った。
「幸いにして、私はその前に助かりました。――兄さんが、私を、見つけてくれたんです。尽骸は人間体のままで感知できず、手掛かりらしい手掛かりも無かった筈なのに、機術師の方々を連れて駆けつけてくれたんです」
それは幼かった薫にとって、ヒーローのように見えたのだろう。実際に尽骸を排除したのは機術師達だろうが、自分をよく知ってくれている肉親の方が心に刻みつけられるのは必然だ。
「駆けつけてくれた兄さんは本当に格好良かったです。『薫、助けに来たぞ』って……えへへ。っと、それで私は助かったのですが、その後が良くなかったんです」
「つーと?」
「無事に戻ってきた兄さんと私に対して、両親は何もしなかったんです。心配するどころか、私達に関心すら向けませんでした。ただ外出から戻って来た、程度にしか思っていなかったのでしょう。幼かった私は、尽骸に攫われた時以上のショックを受けました。こんな状況になっても変わってくれないのか、と」
今の薫は十六歳と聞いていたから、当時は十一歳。大抵は親の庇護下で育つのが当たり前の年齢だ。そんな時期に実の親から全く興味を向けられていないと知ってしまったら、心に傷を負うのは当然だろう。
「そんな両親を見て、兄さんも我慢の限界を迎えたのでしょう。私を連れて両親の元から出て行きました。そして――おそらく私のために、兄さんは機術師になったんです」
妹を守るため。
それは至極単純な理由ではあるが、故に正貴の強い原動力となっているに違いない。
そして、修斗が機術師になったのも似たような理由だから、その気持ちは理解できた。
「でも、私はただ守られるのは嫌だったんです。私だって兄さんが危険な目に遭って欲しくないと思っています。だからせめて、兄さんの隣に立っていたい。だから私も機術師を目指しているんです」
そして妹も、兄を守るために機術師になろうとしている。それが正解なのかは分からないが、彼女の意志と実行力は素直に賞賛されることだと修斗は思う。
薫は話し終えて、ふぅ、と息を吐くが、すぐに「あ……」と声を漏らしてバツの悪そうな顔をした。
「す、すみません、余計なことを話してしまって! えと、今のは……その」
顔を真っ赤にして慌てふためきながら、薫は謝罪の言葉を口にした。修斗は「気にしていない」と答えたのだが、薫はそれでも慌てたままだ。
自分の過去と決意、そして兄に対する愛情が垣間見れる発言を夢中になって話したのだ。動揺するのも無理はない。
「あ、えと、その……あ! し、篠崎さんはどうして機術師になろうと思ったんですか!?」
「面白くないし、別に話すようなことじゃないんだが……」
「いいんです! 聞きたいんです!!」
薫は手を宙に右往左往させながら、修斗の言葉を遮った。どうやら強引な話題転換によってうやむやにするつもりらしい。あるいは、修斗にも同じような思いにあって貰おうとしているのか。もし後者なら、意外に図太いところもあるのだな、と修斗は思った。
しかし、修斗としては困った事態だ。薫の狙いに応えてあげるのも吝かではないが、修斗も自分の決意を他人に話すことは恥ずかしいと思う。それに、修斗以外の人物の過去も関わってくるため、簡単に話してしまっていいものか、という逡巡もあった。
改めて薫の顔を窺うが、睨むような視線を向けたままだ。修斗が話すまでは引き下がるつもりはないらしい。
「……俺と美月は幼馴染で、俺達が四、五歳頃からの付き合いだ。それも家族ぐるみの付き合いだ。毎日お互いの家を行き来しては、日が沈むまで、いや、時にはその後も遊んだもんだった。俺の両親も、美月の両親も、それを咎めるどころか、むしろ自分達が酒盛りをする口実にするくらいだったな。自分で言っておいてなんだけど、あの頃は本当に楽しかったよ」
「……羨ましい、です」
「すまん、すぐ本題に入る。で、そんな付き合いが続いて、俺達が十三歳の時のある日の事だ。その日は、島原家と一緒に俺ん家で夕食を取ろうということになっていた。俺は用事があって出掛けていたが、それをすぐに片付けて家に帰った」
ここで修斗は一度、言葉を切る。この先の話は薫も予想がついているだろうが、彼女に不快感を与えないよう、言葉を選んだ。
「だが玄関を開けてみたら、真っ先に聞こえてきたのは美月の泣き声だった。急いで家の奥に行ってみたら、……そこには血を流して倒れる俺の両親と島原夫妻、蹲って泣いている美月。そして、異形の怪物――尽骸だった」
あの時の光景と出来事を、修斗は今でも鮮明に覚えている。しかし、それは詳細に語るべきことではない。話したところで場の空気が悪くなるだけで、全く意味の無い事である。
「……ま、詳細は省くが、運良く俺達は生き残った。機術師がすぐに駆けつけてくれたからな。その尽骸は早急に片付けられて、俺達は事情聴取、その後は記憶の抹消って運びになった。おそらく、適当な殺人事件にされるとこだったんだろうな。それでも、目の前で家族が死んでしまった記憶よりは良かったのかもしれない。……だけど、記憶が消されることを聞いた瞬間、美月はそれを拒否した。そして言ったんだ、『大切な人の死をうやむやにされるなんて絶対に嫌』、『こんな理不尽、絶対に許せない。あの化け物を殺し尽くす力が欲しい』ってな」
「…………」
「一方の俺は、確かに両親達が死んで悲しかったし、理不尽だと思った。でもそれだけだ。両親の死を心に刻み付けること、尽骸を殺す力を欲すること。そんな気概を、俺は持っていなかった」
実際、修斗は記憶が消されることに抵抗を感じていなかった。修斗達の相手をした機術師は人が良かったのか、大まかな事情を説明した上で記憶を消すことを告げてきた。どちらにせよ忘れてしまうのだから意味は無いかもしれないが、それでも二人が納得するよう気を遣ってくれたのだ。
その機術師の説明を聞いた修斗は、それなら仕方無いと思っていた。事は暮園全体に関わる話であり、唯の子供である自分が我を通すべきところではない、と。あまりに突飛な出来事に色々とあきらめていた、現状を投げ出したかったという面もあったのかもしれない。
「だが、美月が『力が欲しい』と言った時に目が覚めた。別に使命感に目覚めたって意味じゃねぇよ。何というか、その時の美月を見て正直、『危ない』と思ったんだ」
その直前まで、世界の全てを拒否するかのように蹲って泣いていた少女。それが豹変、まるで別人のような雰囲気を纏ったのだ。背筋を真っ直ぐに伸ばし、拳をあらん限り握り締め、ここには居ない何かを射殺さんばかりに鋭くした目。
何もかもが、修斗が知る美月と違っていたのだ。殺気とも言うべき冷たく濃密な重さを持った気配に、修斗だけでなく対応していた機術師も気圧されていた。
「その時は漠然としか分からなかったが、あの変わり様は美月の心の危うさだと思うんだ。このままだと美月は俺の手の届かないところに行って、壊れてしまうんじゃないか……、そんな予感があった。だから俺は、美月が壊れないように、あいつを守る為に一生を掛けようと思って、機術師になったんだ」
それが、修斗が機術師になった理由だった。
先日の出来事を通して、修斗はその決意を守る自信を失いかけていた。だが、こうして他人に話すことで、またその決意を通すために意志を得た。
まずは足掛かりとして、是が非でも第四班の現状を打破しようと思い改めるのだった。
そんな修斗とは逆に、薫は俯いていた。先程とは打って変わって、一言も発していない。
やはり気分を悪くしてしまったのだろうか。修斗は話す内容を選んだつもりだが、気分の良い話では決して無い。それとも、他人の過去を不用意に聞いてしまったことに罪悪感を覚えてしまったのだろうか。
しかし、そんな心配は杞憂だった。上げられた薫の顔には柔和で、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「少し安心しました」
「は?」
「私は『兄さんを守る為に』、でも結局は『兄さんと一緒に居たいから』機術師になりました。それを私は後ろめたく感じていたのですが……、どうやら篠崎さんも同じようですね?」
「なっ……!」
にかっと笑う薫の言葉に、修斗は動揺する。
思い返してみれば、先程の薫に負けず劣らずの内容を口にしたような気がする。どうやら自分も過去のことを話しているうちに気分が高揚し、口の滑りが良くなっていたらしい。
「いやー、どうやら私達は似たもの同士のようですね。篠崎さんは少し口調が悪いから話しかけ難いと思っていたんですが、これからはもっと仲良くできそうです」
ここぞとばかりに、にやにやしながら追撃する薫。先程の恥ずかしさの鬱憤を晴らそうとしているのだろう。
「うるせえ! とにかく明日は俺と美月が休暇を取るから正貴さんに事情を説明しておけ!」
そう言って飲み終えた自分の缶と、薫の缶――少し残っていたので全部飲み干してやると、薫が抗議の声を上げた――を持つ。それを、恥ずかしさも一緒に捨てるようにゴミ箱へ叩き付けた。
「あ! 今俺が話したことは誰にも言わないでくれよ! てか、お願いします!! 特に美月には!」
上半身を折り畳まんばかりに頭を下げる修斗の姿に、薫は苦笑する。
「分かってますよ。私だって、今日言ったことは口外されたくありませんしね」
確かに、と納得した修斗は背を向け、男性の居住区画へ続く道へ早足で歩いていった。
休憩スペースに残された薫。修斗が廊下の突き当たりの曲がり角へ消える瞬間、ぽつりと呟いた。
「まあ、もう遅いんですけどね」
薫が横目を向けた先は、女性の居住区画へ続く道。
突き当たりの曲がり角に見えたのは、軽やかに揺れるポニーテールだった。