無力という枷
「島原! 自分が何したか分かっているのか!?」
身の竦むような怒声を響かせるのは、須藤正貴。普段は温厚な性格の彼だが、今は敵意をむき出しにして、目の前にいる人物を睨んでいる。修斗が後ろから羽交い絞めにしなければ、その手に握る長槍でその人物を串刺しにしてしまいかねない。
そして、正貴の目の前に居る件の人物――島原美月は唇を噛み締め、正貴の叫びを黙って受け止めていた。
「あんな、下手をすれば僕達すら巻き込まれかねない大出力! そんなものを放てば、薫が巻き込まれるのも当然だろう!!」
「正貴さん、落ち着いて下さい!あれは美月も錯乱していて――」
「そんなことが通用すると思っているのか!」
無論、修斗とて分かっている。美月がしたことは「錯乱していた」などで済ましていいことではない。
しかし、今はどんなことを言おうと正貴を止めなくてはならない。このままでは確実に、美月が危ない。正貴から放たれる殺気が、それを否応なく理解させる。故に修斗は力と言葉の両方で、全力を尽くして正貴を止めにかかっている。
意識の大半を正貴を抑えることに集中させながらも、修斗は自分が今持つ感情について考えていた。それは一言で表せば、「困惑」だった。
須藤正貴という人物は、穏やかで人当たりが良い。厳しいところもあるが、それは班長としてのけじめ、そして自分達に対する優しさの表れであると考えている。修斗にとって、正貴は理想的なリーダーであり、信頼という点においては班の中で一番だと思っている。
だが、今の正貴は怒りに身を任せ、あまつさえ仲間を傷付けようとしている。普段からは考えられない行動だ。
薫で自分の欲望を満たそうとする尽骸を見て、正貴は平時のものとはかけ離れた乱暴な言葉遣いをしていた。初めて聞くものだったために驚きはしたが、行き過ぎなくらい薫を大切にしている正貴のことだ、それくらいはあるだろう。また正貴の新たな一面を知ってしまった程度にしか思っていなかった。
しかし今の正貴を見て、同じように思うことはできなかった。仲間に武器を向けることを、そんな簡単に見過ごすことはできない。
感情の制御ができず、怒りのままに行動を起こそうとする正貴を、本当に須藤正貴なのかと疑ってしまう。
――そんな、一瞬の戸惑いが仇になった。
体全体を強引に捻り、正貴は修斗の拘束から脱した。
「しまった――」
修斗が呟くが、既に手遅れだった。
鋭く、命を抉る刺突が、美月の心臓へ繰り出され――――
「いい加減にしてください!」
あらゆる騒音をかき消すような、凛とした声が響く。
「とにかく落ち着いて」
抑えきれない感情に身を任せ、取り返しのつかない凶事を起こす寸前だった正貴を止めたのは、
「冷静な判断を下してください。あなたは班長なのですから」
――彼の妹、須藤薫だった。
「薫……」
薫は美月を庇うかのように、美月の前に立つ。
怒りに身を焦がしていた正貴も、妹が目の前に立ち塞がったとなれば、突き出しかけていた槍を下ろさざるを得なかった。
薫は小さく息を吐く。その表情から、安堵していることが窺えた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに険しい表情を作り出す。
「班長。今あなたがしようとしていた行為、これ以上は見過ごせません」
短剣を構える薫。その姿に迷いはない。
正貴はますます感情を昂ぶらせる。
「薫、そこをどいてくれ! 島原は危険だ!」
「しかし……島原さんには失礼ですが、今までにも周りを巻き込むような攻撃をしてきたことがあるのでしょう? 【断業】の特性から考えても、それは仕方の無いことだと思います」
「今回のは度が過ぎている! 薫が無事だったから良かったものを……」
正貴の言葉を聞いて、修斗は拳を握る。確かに今回の一件は、運が良かったとしか言いようが無い。
【断業】の強大なエネルギーが痩身の尽骸に放たれた、あの後。
膨大な光がステージを覆い、目を開けていられない程の眩い光が辺りを照らした。轟音が鳴り響き、エネルギーの余波が烈風となって周囲を凪ぐ。それらの勢いは衰えることなく――修斗の体感としては――三十秒近くは続いた。
そして、ようやく訪れた静寂に修斗は目を開ける。同時に、体を縛っていた髪の毛が緩むのを感じた。辺りを見回すと、一面で蠢いていた黒髪はその勢いを失い、灰となって崩れていくところだった。
尽骸の活動が完全停止すると、その体は灰となって散る。もちろん髪の毛とて例外ではなく、つまり痩身の尽骸は本体を含めて完全消滅した、ということだ。
次に、すぐさま修斗が確認したのは、美月の安否だった。先程まで美月が居たところに視線を向けると、案の定、美月はそこに居た。
【断業】を地面に突き立て、寄りかかるようにして膝をついている。強力なエネルギー波を放った影響か、肩で息をしている。が、特に怪我はしていないらしい。
支援班のメンバーも似たようなもので、特に深刻な被害は受けていないようだ。
そこまで確認して、漸く修斗は野外ステージへ目を向けた。
「…………………………………」
言葉を失ってしまった。
目の前の惨状を見て、何かを言える筈もなかった。
柱は尽く折れ、支えられていた屋根は落ちてひしゃげている。滑らかな床面だった舞台も、あちこちが大きく抉れ、ひどいところは元の地面さえ見えるほどだ。極めつけに、“断業”のエネルギー波の所為か、所々が溶解している。熱を帯びた箇所は橙色に光り、ここからでも熱気が伝わってきた。
「――! 正貴さんの妹……」
そう、ステージの上には薫が居た。尽骸の髪の毛に拘束されていた彼女が、あの激しい破壊に巻き込まれていない筈がない。
すぐにステージへ駆け出す。
駆け出そうと――した。
踏み出そうとした足は、目の前の光景によって止まってしまう。
目の前の光景が、考え得る結果を物語っていた。
訪れた静寂に、修斗は拳を強く握り締めてしまう。時が止まったかのように錯覚を覚えた。
しかし、力強い足音がそれを打ち消す。
音のした方を見ると、正貴が勢いよく駆け出していた。
目に入った正貴の横顔から、不安と恐怖が見て取れる。しかし、彼は決して諦めていない。それ以上に、信じて自分の為すべきことをしようとする強い意志がそこにはあった。
正貴に後押しされ、修斗は止まってしまった足を再び踏み出す。目の前にある瓦礫の山。その中で、薫は生きて助けを待っている筈だと信じて。
二人が瓦礫の山へ足を踏み入れようする。
「うわっ!?」
「なっ……」
突如、瓦礫の山が吹き飛び、轟音が響き渡る。
修斗と正貴は足を止めた。
飛び散る破片と共に飛び出してくる影。それは放物線を描き、驚き固まる二人の目の前に着地した。
「ふう、強引に突き破れたけど……やっぱり訓練生用じゃ出力不足かな」
片手に短剣を持ち、片手で体についた汚れを払っている人物は、紛れも無く二人が求めていた人物。ぼやきながらも無事に生還を果たした、須藤薫だった。
「か、薫……」
正貴が呟く。
「ん、にい……班長! 心配をお掛けしてすみません。ですが、任務に支障が出るような負傷はありません」
薫は姿勢を正し、自分の無事を報告する。所々に傷を負っているが、彼女の言うようにどれも深刻なものにはなっていないようだった。
「本当に無事で「薫!!!!」
修斗が労いの言葉を掛けようとしたが、彼女の名前を叫ぶ声がそれを遮る。
修斗の耳がそれを受け取ったときにはもう、声の主である正貴が薫に飛びついていた。
「薫、薫! 良かった、本当に無事で良かった!!」
「え、待っ……にい、班ちょ、本当に待って! 皆さんも見てるし――」
正貴は薫を抱きしめ、押し倒し、彼女の頬に頬擦りをする。自分の気持ちをこれでもかというくらい表現する。
対する薫も、口では止めようとしながらも満更ではなさそうだ。
修斗は開いた口が塞がらないまま固まってしまった。正貴に対してはスキンシップが最高級に行き過ぎていまいかと思い、薫に対しては「皆さんが見て」いなければいいのかと思ってしまう。
しかし、二人の嬉しそうな笑顔を見ていると、薫が無事で良かったと思うし、彼らに水を差すのは無粋なのだろう。
「まあ……いいか、こっちでもやることがあるし」
戦闘が終われば、その後始末が必要だ。まずは、兄妹のやり取りを見て固まっている後方支援班の面々に指示を出さなければならない。
そして、修斗にも正貴と同じように、気に掛けなければならない人がいるのだ。
「本当に……無事で良かったよ」
「兄さん、大げさだよ。確かに島原さんの攻撃は危なかったけど、私のことはきちんと避けていたし――」
そう。修斗は美月のことを心配していた。あれほど大出力の攻撃をした後の消耗は並大抵のものではなく、加えて“心も”消耗している筈だ。
美月を見ると、相変わらず疲労が堪えているようだが、薫が無事だったことを知ってか幾分表情が和らいだように見える。
修斗は彼女のもとへ行こうとした。
「――――ああ、島原。そうだったな……」
突如、底冷えするような声が聞こえて、修斗は足を止める。
振り返ると、ゆらり、と正貴が立ち上がっていた。その手には群青色の槍。
「兄さん……?」
しかし、正貴の耳に妹の声は届いておらず、ゆっくりと視線を美月へ向ける。
美月の肩が、びくっ、と震えた。
彼女を見る正貴の目は、修斗が今まで見たことの無い、暗く底の無い穴を見ているかのようなものだった。
そして今現在の、一瞬即発の状況へと繋がるのである。
「僕は班長として、島原が危険だと判断した! だからそこをどいてくれ!」
「それはあまりに短絡的です。篠崎さんが言うには、島原さんは錯乱していたそうじゃないですか。私を巻き込む意図があった訳ではありません」
「なおさらだ! そんな爆弾が、いつまた薫を傷つけないとも限らない!」
美月の肩が震える。
それを見て、そして美月を「爆弾」と言ったことで、修斗は正貴に掴みかかりたい衝動に駆られる。しかし、言い方や実行しようとする解決法はともかくとして、彼の言っていることは正しい。
薫もまた、正貴の言いように眉を顰めるが、内容は理解しているのだろう。別の観点で話し始めた。
「……今回の突発的な過剰攻撃は、島原さんの【断業】故と言えるでしょう。この導器は感情によって力が左右されるのですから。……まだ訓練生である私が言えることではありませんが、今回の処分は【断業】の取り上げ、加えて謹慎が妥当ではないかと思われます」
確かに、と修斗も思う。【断業】の取り上げは暴走の再発を未然に防ぎ、謹慎は昂ぶった美月の感情の冷却期間となる。
ちなみに、機術師は滅多なことで除籍されたりはしない。それが適用されるのは、「死亡」、「反逆行為」、そして「戦闘行為継続の不可」に限る。
理由は単純。機術師の絶対数が少ないからだ。特に、修斗達の班は戦闘要員が他班に比べて劣る。他班なら、少なくとも五人はいる。戦力面から見ても、正貴の行動は容認できないものとなる。
しかし、正貴は取り付く島も無かった。
「その処分では甘過ぎる! 何かあってからでは遅いんだ!」
「……失礼ながら、今の班長こそ錯乱しているのでは。私に大事が無かったのですから――」
「良くない!!」
薫の言葉の途中、正貴は一際大きく叫ぶ。
槍を持つ手に一層力を入れ、周りが見えていないかのように呟き始める。
「……あいつは、島原は、薫を殺そうとした。許せない、僕は許さない。あいつは殺そうとしたんだ。だったら、こっちも『殺す』しか――」
パンッ!
乾いた音が響く。
薫が正貴の頬を叩いた音だ。結構強めに叩いたのか、正貴の体がよろけた。
「――どうしてそんなことを言うの……? やめてよ。こんなの、嫌だよ……」
搾り出すような薫の声が、空気に溶けていく。肩を震わせ、何かを必死に耐えているようだった。
美月、修斗が声を掛けようとするが、二人とも何と言っていいか分からず、開きかけた口を閉じるしかなかった。
一方、正貴は叩かれた左頬を左手で押さえて呆然としていた。目の前の状況が信じられないといった風に、目を見開いて固まっている。
「――そうだ、何で……? いや、また僕は…………ぐっ……」
槍を取り落として空いた右手で頭を押さえる。周りには聞き取れない何かを呟き、何かに耐えるような呻き声を上げた。
そして漸く顔を上げた正貴からは、先程までの殺気が嘘のように消え去っていた。いつも通りの穏やかな、しかしどこか弱り切った、須藤正貴がいた。
「僕はどうかしていたようだ。島原には本当に悪いことをした、すまない」
「……いえ。自分自身を制御できないなどという醜態を晒してしまい、薫を殺してしまうところでした。正貴さん、薫。本当に、すみません」
「うん。でも、処分はきちんと受けてもらうよ。……もちろん、正当なものを」
「はい」
「じゃあ、この件はここで終わりにしよう。……皆さんにも迷惑を掛けました。本当にすみません。そして申し訳ありませんが、撤収作業をお願いします」
それを合図に張り詰めていた空気は四散した。事の成り行きを緊張して見守っていた支援班が、正貴の指示に従ってそれぞれの仕事へ向かっていく。
正貴は未だ震えている薫を気遣いながら、修斗達から離れていった。おそらく薫を安全なところへ連れて行き、改めて話し合うのだろう。ここからは兄妹の問題だ。
美月は兄妹の背中を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……どうして」
その言葉こそ疑問に思った修斗は、美月に視線を向けて続きを促す。
美月は修斗の方を向いていなかったが、意図を感じ取って続きを口にした。
「どう言い繕ったって、私は薫を殺そうとした。とても許されることじゃない」
「だが、あの日のことを思い出しちまったんだろ? …………両親が尽骸に殺されてしまった、あの日のことを」
修斗の頭に、過去の記憶が断片的に甦る。
床を覆いつくす血溜まり。
原型すら保っていない肉片。
嗤いながらそれらを弄ぶ異形。
そして、蹲って泣いている、一人の女の子。
「関係ない。むしろ、私が未熟ということ。正貴さんの言うとおり私は危険で、殺そうとしたのも頷ける」
「そんな――」
修斗は美月の言葉を否定しようとするが、口にすべき言葉が見つからない。代わりにできたのは、ただ唇を噛み締めることだけだった。
「それなのに薫は、自分を殺そうとした私を庇ってくれた。正貴さんだって結局、軽い処分で済ませてくれた。彼らは優しい。こんな私を見逃してくれた。でも、私は――」
美月は一旦言葉を切る。しかし、修斗にはその続きが分かった。
「尽骸を殺すことしか考えていない……か?」
美月が頷く。
「そう。私が機術師になったのは、尽骸達を殺す為。そうしないと自分を保っていられない。だから【断業】――殺す手段を奪われるのも、謹慎で殺す機会を奪われるのも、私には耐えられない」
淡々と自分の心情を語る美月を見て、修斗は自分の無力を感じずにはいられなかった。
美月が見せる、この危うさ。修斗が機術師になった目的は、彼女がその危うさに溺れないようにするために支え、守ることだ。それをあの日に決意した筈だった。
しかし今日、修斗は何もできなかった。美月を尽骸の攻撃から守ることも、彼女の錯乱を止めることも、正貴の凶行から守ることもできなかった。
そればかりか、美月の口から今の言葉を言わせてしまった。自分の決意の薄っぺらさが突きつけられ、修斗は叫びだしたい衝動に駆られた。
「私は結局、自分のことだけ。あの兄妹を裏切っている」
だが、叫ぶこともできず。
「それでも私は、変わらない」
歩き去っていく美月に声をかけることもできず。
「……本当に、どうしようもない」
――そしてやはり、修斗には何もできなかった。