絡みつく愉悦
東域第四班が新たな尽骸の出現ポイントに到着したのは、拓也の連絡を受けてからものの数分後のことだった。
この場所まで二キロメートル近くの距離があったが、機術師にとっては大した距離ではない。美月の専用導器たる【断業】には身体能力を向上させる機能が備わっているが、そもそも機術は「人間の隠された能力を引き出す」ことが根底にあるため、機術師の導器にはある程度の身体能力向上機能は備わっている。【断業】の場合、単にそれに特化しているというだけである。
件の場所は街の中心部から少し離れたところにある緑地公園。住民の憩いの場として平日でもそれなりに人がいるのだが、今は静寂に満ちている。支援班の迅速な行動によって住民の避難が完了したのだろう。
修斗達が辺りを探索していると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。急いで声が聞こえてきた方向へ向かう。
向かった先にあったのは、野外コンサートなどに利用されるステージだった。辺りに比べて土地が低く、段々になっている放射状の客席の最下層に、高い屋根の付いた白い舞台が配置されている。
そこで繰り広げられていたのは、一体の尽骸と五人の支援班メンバーによる戦い。数の利を活かして、距離を取りながら尽骸を牽制している場面だった。だが、その包囲の一角が崩され、支援班メンバーの一人が倒れている。目に見える傷は負っていないが、起き上がることができないようだ。他のメンバーも、それにつられて浮き足立っている。
そんな状況を作り出した尽骸は追い討ちをかけるわけでもなく、幽鬼のようにひっそりと佇んで周りを眺めていた。
生気を感じさせない灰の体色をしており、手足は枯れ枝のように細くささくれ立っている。それとはアンバランスな艶やかな髪の毛が頭全体を覆って地面にまで伸びており、隙間から覗く右目だけが外界と繋がっている。
状況を素早く確認した修斗は声を張り上げる。
「後はこっちに任せて下がれ!」
支援班の面々は振り向き、一斉に安堵の表情を浮かべた。目の前の尽骸から目を離さず、徐々に後退していく。倒れていた者は他のメンバーに肩を借りて、半ば引き摺られる形で舞台から降りた。
支援班が退場したのを確認し、東域第四班の面々が舞台の前に立つ。
痩身の尽骸はその間でさえ何もせず、舞台の上から黙って修斗達を見下ろしている。髪に隠れて表情は窺えず、隙間から覗く濁った片目が一層不気味さを増長させていた。
正貴は尽骸に視線を向けたまま、薫に話す。
「さっきも言った通り、薫主体でいく。いざとなったら僕達が割って入るから、決して無理はしないで」
「分かりました」
薫は腰にある剣の柄に手を掛け、勢い良く鞘から引き抜いた。露になったのは、刃渡り五十センチほどの短剣。訓練生に支給される汎用導器の一種だ。それを逆手に持ち、一跳びで舞台へと躍り出る。
薫から目を離さずに、正貴は修斗と美月に念を押すように言う。
「いつでも助けに入れるよう準備しておいてくれ。いいね?」
「「はい」」
正貴は蒼の長槍、修斗は白の長剣、そして美月は赤を纏った大剣をそれぞれ手に取り、いつでも動けるよう構える。
本来であれば全員で協力して事に当たるのだが、今回は薫の実力を測ることを目的としている。一対一の状況でどのように立ち回るかも、研修中の審査基準となる。
「ただ……」
ここで正貴が薫から視線を外し、それを美月へ向ける。気になって、修斗も同じく視線を向けた。それと同時に正貴が口を開く。
「島原はさっきのような危険な攻撃は避けて欲しい。僕達はともかく、薫はこれが初めての戦いなのだから。感情に引き摺られてしまうかもしれないけど、どうにかこらえて欲しい」
正貴の真摯な口調に、美月は一度目を閉じて、ぎゅっと眉を寄せる。そして目を開き一言、「はい」と返事をした。
正貴はそれを見て頷くと、再び視線を薫へと戻した。
一方、修斗は未だ視線を美月に向けていた。
今の正貴から美月への忠告、それが自分にも向けられたような気がしたのだ。薫だけでなく、美月のことも気にかけろと言われたような。
それは修斗の思い込みに過ぎないが、正貴にとって薫が大事であるように、修斗にとっては美月が一番の大事なのだ。だから、その思い込みを消さずに心に留める。そうすることで漸く、修斗は舞台に視線を戻すことができた。
今、目の前で始まろうとしているのは、機術師と尽骸による、死闘という名の演目。
舞台の上で対する二人の役者。
舞台の外で見守る九人の観客。
辺りは静寂に包まれ、逆にそれが彼らの耳を打つ。この場を支配しているのは熱気や興奮でなく、冷たく鋭利な緊張感だった。
痩身の尽骸と向かい合う薫を見ながら、修斗は自分が初めて尽骸と相対した時の感覚を思い出していた。
目の前の存在から空気を通して伝わってくる異質な雰囲気。粘性のある液体に包まれたかのような気味の悪い感覚が全身を侵していった。それに加え、負けが死に繋がるという極限の状況。体から湧き上がる緊張と焦燥によって呼吸が阻害され、不必要な程に息が上がった。
そんな、過去に自分が経験した感覚を想起する。
舞台の上に立つ薫はどうなのだろうか。
鋭い目で前を見据え、背筋を真っ直ぐ伸ばしながら構える少女。少なくとも今の彼女からは、先程垣間見た恐怖や緊張感は感じられない。むしろ、獲物に今にも飛び掛ろうとする獅子を連想させる。
薫が深く息を吸う。
吸い込んだ息を、一瞬留める。
ふっ、という呼気と共に、薫は尽骸へと疾駆した。
爆発的な脚力によって、瞬時に尽骸との距離が詰まる。普通の人間であれば、薫がワープをしたように見えるだろう。
だが、相手は人の範疇を超えた存在。髪の隙間から覗く淀んだ目は、薫の動きを確かに捉えていた。今まで沈黙していた尽骸は、突然起動したカラクリ人形の如く、細長い腕で鋭い突きを繰り出した。その指先は刃物のように鋭利だ。
眼前に迫る凶爪を、薫は右への一跳びでかわす。体は尽骸の左へと舞う。
続けざまにニ撃目の凶爪が襲う。宙に浮いて動けない薫に、鋭利な切先が無情にも迫っていく。
だが、薫は右足で宙を蹴った。
勢いを得た薫の体は凶爪をかわし、すれ違いざまに短剣で腕を切り裂く。尽骸の懐へと着地し、続けて素早い突きを繰り出した。
痩身の尽骸は体を傾けてこれをかわすが、動きに遅れた髪が斬られ、宙に舞う。しかしそれに構わず、自らの横を抜けようとする薫に向かって蹴りを放った。
しかし、薫の体は瞬時に掻き消え、伸ばされた脚が空を切る。
後ろへと回り込んだ薫。袈裟懸けに尽骸の背中を切り裂く。尽骸はすぐさま振り向くが、その時には既に凶爪の届かないところにいた。
と、思った瞬間には距離を詰めて、一閃、二閃と刃を振るう。
鋭い突きを繰り出されると跳んで避け、尽骸の頭上を舞う。尽骸が視線を上に向けると、薫はまたも宙を蹴り、尽骸の懐に着地する。顔を上に向けていた尽骸はその動きについていけず、首元に鋭い横薙ぎを喰らってしまう。
舞台にいる二人の役者。
一方は重力の枷から解き放たれ、変幻自在に宙を舞う。
かたやもう一方は重力に囚われ、未だ地に縛られている。
両者の対比によって映える薫の空中舞踏に、観客達は感嘆の声を漏らした。
「あの、彼女は足場も無いところをなぜ動けるのですか?」
後方支援班の一人が疑問を口にする。
その問いに答えたのは正貴だった。
「薫の足を見てください」
その言葉に従うと、薫の履いている靴に目が止まる。
それは銀色の輝きを放つ金属製で、つま先部分が鋭角な流線型をしている。少し変わった形をしているが、ここで注目すべきは、空を舞うことで露になっている靴の裏だ。
足指の付け根部分と踵部分にそれぞれ一つずつ、青い光を放つ円がある。薫が宙を蹴ると、その発光部分が一際輝きを増し、小さな光が弾ける。すると、薫の体は重力に逆らった推進力を得て、宙を舞う。
「あれも導器で、【遊舞】という名称です。足の裏に特殊な力場を作り出すことで、数秒程度ですが空中に静止することができます。さらにその力場を一定の方向に集中させることで、瞬間的な推進力を得ることが可能です。専用導器ではないのですが、あれを使っているのは僕の知る限り彼女だけです。大抵の人間は三次元的な動きに慣れていませんから。……ふふ、ふ。でも、薫はあんなにも使いこなしている。流石だなぁ。素晴らしい。華麗に宙を舞い、相手に息もつかせない鮮やかな連続攻撃。可憐さの中に潜んでいた闘志をむき出しにしたその姿は……」
「え、えと……、あの?」
【遊舞】の説明をしていたはずの正貴の目に、爛々とした光が灯る。それと共に口から出てくるのは、薫本人を賛美する言葉。
話を聞いていた後方支援班のメンバー達は、一様に戸惑った表情を浮かべている。
「あー、何だ。その、彼の持病の発作ですから。気にしないでください」
「は、はぁ……」
曖昧な返事を聞いて修斗も溜息を吐きたくなったが、ふと気になったことを聞いてみた。
「ところで、怪我は大丈夫ですか」
修斗が声を掛けたのは、先刻倒れていた後方支援班の一人。腹部を手で押さえ、苦しげに表情を歪めている。客席のベンチに横になって仲間の一人に介抱されながら、修斗の方に首だけを動かして視線を向ける。
「くっ……、大丈夫、とは言い難いですが、心配には及びません。骨が折れているだけですから」
「結構重傷だと思うが……。それで、あの尽骸は最初からあんな感じだったんですか?」
「……? あんな感じと言うと?」
「なんというか、やる気がない? ような。動きに精彩が無さ過ぎるというか……」
確かに修斗の言う通り、痩身の尽骸からは闘志というものが感じられない。薫が向かっていけば攻撃を返してくるのだが、動きが単調・単発で読みやすい。それを避けられ、短剣によって切り裂かれようとも、尽骸は何事も無いかのように立ち続けている。
「ええ、自分達が囲んでも特に反撃をせずにただ見ているだけという感じでした」
「だが、その割にはあまり傷を負っていないのが気になるな……」
そう、尽骸は薫の攻撃に晒されながらも、致命的な傷を負っていない。所々から血が滴ってはいるが、どの傷も薄皮一枚といった感じだ。
修斗の呟きに、美月と正貴も同意する。
「確かに。反撃できないというより、わざとああしているように見える」
「だけど、支援班の彼は傷を負った……つまり、あの尽骸は反撃できないというわけではないようだね」
「ああ、そうだな。……あの尽骸はどのような攻撃をしてきましたか?」
修斗が訊くと、支援班の面々は困惑した表情を浮かべる。
「それが……、気が付いたら吹っ飛ばされていたといいますか……」
「私も全く分かりませんでした」
「あの尽骸は俺達に囲まれていて、一歩も動いていなかったのに……。突然、空気を裂くような音がしたと思ったら、とてつもない衝撃を受けて……このザマです」
いったい、尽骸はどのようにして支援班の一人に傷を負わせたのか。一歩も動いていないということだから、飛び道具でも使ったのだろうか。
尽骸の攻撃方法について考えを巡らせていた修斗だったが、突如耳を突いた悲鳴が意識を現実へと引き戻した。
「あ……?」
視線を戻した修斗が見たものは、宙に静止した薫。
今まで宙を舞っていたのだから不思議なことではないはずだ。後方支援班はそう思った。
しかし、修斗達の捉え方は違った。それはあり得ない、と。
【遊舞】によって空中に静止することは可能だ。だが、その効力はほんの二、三秒程度。【遊舞】はあくまで跳躍の延長のような能力しか有していない。つまり、空中に停滞することはできないはずだ。
何より、薫の顔に浮かんでいる明確な焦り。不自然に強張ったような体。どう見ても、薫自身の意思によるものではない。
華麗な空中舞踏を披露していた主役は、その座から引き摺り下ろされてしまったのだ。
「っの野郎! 薫に何したんだよ!!」
それを見て正貴が黙っていられるはずが無い。普段の穏やかな言葉遣いの欠片も無く、怒りに満ちた乱暴な咆哮を上げる。同時に、右手に握られた蒼い槍を振りかぶって、痩身の尽骸に渾身の投擲を放とうとする。
が、その寸前に正貴の動きはぴたりと止まる。
己の身体に起こったことに対して、正貴は怪訝な顔をしていた。腕を振りぬこうとしているようだが、まるで金縛りにあったかのように動けない。そう、まるで薫のように。
はっとして修斗も動こうとするが、やはりと言うべきか、指一本さえ動かすことができなかった。目線だけで辺りを見回してみると、美月と後方支援班の面々も同様のようで、不自然に固まったまま顔を歪ませていた。
「くそっ、どうなってんだよ!?」
「……動けない」
「おい、お前!薫に傷付けてみろ!! 楽には死なせねぇぞ!!」
不意を衝かれた出来事に、全員に焦りの色が見える。特に正貴は、それだけで人を殺せるのではないかという、強烈な殺意も目に宿していた。
押そうが引こうが、修斗の身体は一向に動いてくれなかった。唯一動かせるのは、視線や表情だ。だが、動けないこの感覚の正体が何となく分かってきた。
この感覚は……何かに縛り上げられている感覚……!
「ききっ、くくき、くきくくくくきききっくくきくきき」
突如響く笑い声。まるで金属同士が擦れ合うような、甲高くて不快な音。それはこの場にいる全員が初めて聞く、痩身の尽骸が発した声だった。そしてその声質から、この尽骸が女性だということも知る。
「くききっ、ああ、いいね、いいねっ! 自分が優位に立っていたと思っていた奴が突き落とされたかのような、その表情!! ききっ、どれもいい顔してるなー」
今まで一言も話さず、薫の為すがままになっていた尽骸。しかし今は、長過ぎる髪を振り乱し、細過ぎる腕で腹を抱えながら笑っている。腰が曲がる限り上半身を揺らし、足はまるでステップを踏んでいるかのよう。その姿はまさしく、「狂っている」という形容がふさわしい。
修斗は目の前の狂気に顔を顰めながらも、自分の体を冷静に検分する。
そして、気付いた。身体の至る所に巻きついている、目を凝らさなければ分からないほど細い線に。
「……髪の毛?」
その呟きの通り、修斗の身体に纏わり付いていたのは黒い髪の毛だった。その一本一本は毛糸よりも頼り無いほど細いというのに、どんなに力を入れても全く切れる気配が無かった。それどころかその異常な強度によって、ますます身体に食い込んでいく。
髪の毛、それによって導き出される結論は一つ。修斗達の視線は尽骸へ――その長く艶やかな黒髪へと向かう。
「ききっ、せぇいかぁい! それは私のか・み・の・け。ちょっとやそっとじゃ切れないよ?」
その言葉と共に、尽骸の髪がまるで生き物のように動く。その様は大量の虫がひしめき合っているかのようで、生理的な嫌悪感を喚起させる。
さらに――
「うわっ!!」
尽骸の髪の動きに呼応するかのように、周囲の至る所から同じ髪の毛が無数に這い出てきた。草むらの中や野外ステージの鉄骨の影、果ては修斗達自身の衣服の隙間から。吐き気がするくらい、辺り一面を黒に染める髪の毛が蠢いている。
目の前の光景を見て、修斗達は悟る。自分達は痩身の尽骸が仕掛けた罠に絡め取られてしまったのだと。
しかし、今更後悔したところで遅い。
『ごめん。俺がもっと早く気付いていれば……』
通信機越しから、拓也の申し訳なさそうな声が届く。彼は高い戦闘力を持たない代わりに、探知と情報処理の能力の高さを武器にしてきた。それを肝心なところで発揮できず、仲間達を危険な状況に追い込んでしまった。その責任を感じているのだろう。
「……いや、平井のせいじゃない。僕の見立てが甘かっただけのことだよ。それで、あの尽骸は自らの髪の毛を操る。そういうことだね?」
幾分か冷静さを取り戻した正貴が問う。目の前で妹が捕らえられ、自分も危機的状況に瀕している。
しかし、いや、だからこそ、落ち着いて現状に対処しなくてはならない。そのために、探知・分析担当である拓也へ情報を求めた。
『ああ、そのようだよ。さらに厄介なことに、本体から離れた髪の毛も念動力の類で操ることができるようだ。髪の毛一本一本に掛かっている力は小さいから、探知にも引っかかりにくい。おまけに強度も申し分ない』
「そうか。対策はあるかい?」
『対策……か。あるにはあるけど……』
「躊躇わなくていいよ」
『……そうか。いや、簡単だよ。それは――』
「ちょっと? さっきからそこの人はなぁにを話しているのかな?」
拓也が言い終える前に、再び耳障りな声が響く。言うまでも無く、痩身の尽骸が発したものだ。
話を中断され、そして大切な妹を捕らえている尽骸に馴れ馴れしく話しかけられた所為か、正貴は険のある鋭い視線を向けた。
「……あなたには関係無い」
「私が見たいのは、希望が絶望に変わったときの表情なの。そんな反抗心に満ちた目を向けられても萎えるだぁけ」
「つまり、あなたが今までやられっぱなしだったのは、そういうことですか」
「そうそう。さっき私を囲んでた奴らの一人がやられた時の表情とかぁ、今さっき、短剣持ったその子が反撃された時の表情とかぁ、あとあと、くきっ、それを見たあんた達の表情とか」
自らの嗜好を嬉々として語りだす尽骸。
「でぇもー、まだ足りないな。んー、例えば……この子を殺してみたらどうなるのかなぁ」
ギョロリ、と血走った目を動かす尽骸。その目線の先にいるのは、宙で囚われたままの薫。
「どうしよっかなぁー。骨を一本ずつ砕く? いや、大量の髪で一気に押しつぶす? 口と鼻を塞いで窒息死ってのも面白いかもなぁ。あ、あ、身体の中に髪を入れて内側から壊すっていいんじゃない!?」
聞くだけで怖気が走るようなことを、何をして遊ぶか悩む子どものように口に出す尽骸。薫の表情に明らかな怯えの色が宿る。
「おい、調子に乗るなよ! それ以上薫に手を出したら捻り潰すぞ!!」
再び声を荒げる正貴を見て、尽骸は唇を歪める。
「ふーん、やっぱりこの子はあなたにとって大事な人間なんだねぇ。家族?恋人? ま、どっちでもいいけどね。ますます殺したくなったなあ」
「くそが……」
「いい表情を見せてよね?」
尽骸の手の動きに合わせるように、無数の髪の毛が激しくうねる。
薫は抜け出そうともがくがそれは叶わず、無情にも髪の毛が迫っていく。
修斗は手に持つ剣で髪の毛を斬ろうとするが、腕のあちこちが絶妙に固定され、やはり動かすことができない。
「くそ、このままじゃ……」
「…………仕方無い。こうなれば――」
修斗の焦燥感に満ちた言葉。そして、正貴が顔を顰めながら何かを言いかける。
その時だった。
「させない」
静かだが、力に満ちた声。
その主は、今までほとんど言葉を発しなかった美月だった。決して大きくは無いがやけに耳に残る声に、修斗達だけでなく尽骸も動きを止める。
全員の注目を浴びた美月は尽骸だけを見ながら口を開き、言葉を紡ぐ。
「させない。絶対にさせない。お前達は殺した。奪った。また奪うの? 殺すの?」
単調な言葉だけを発する機械のような美月に、尽骸は顔を歪める。
「うわ、何こいつ。気持ち悪いなぁ」
一方、修斗は嫌な予感がした。今、美月は周りが見えていない。
――おそらく、あの日のことが重なっている。
「おい! 美月――」
「そんな理由で。わからない、なんで。殺さないで。やめて。させない。させない、させない――――ぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああっ!!」
突然叫びだした美月に呼応するかのように、【断業】から紅い光を溢れ出す。それは前の戦闘よりも一際眩しく、より輝きに満ちている。
光は次第に大きくなり、美月へ纏わりついていく。そして、光の持つエネルギーが美月を捕らえる髪の毛を滅していく。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
光は使い手自身も焼いていくが、美月は構わずさらに力を込める。肌に幾つも火傷を負い、その痛みすら力に変えるかのように叫び続ける。
先程拓也が言いかけた「対策」とは、【断業】の放つエネルギーで髪を焼くことだった。しかし、今の美月のようにこちらも傷を負ってしまうが故に、拓也は躊躇ったのだ。
自身に絡み付いていた髪の毛を全て消滅させた美月は、周囲の光を刀身に集めていく。光を纏った【断業】の刀身は本来の大きさを超えて、まるで烈火の如く煌く。
美月はそれを、大上段に構えた。
「ひっ……」
怯えた声を出す尽骸。その表情は彼女が望んだ、絶望と恐怖に満ちていた。
「待て、美月!!」
修斗の制止の声は届かず。
美月は【断業】を振り下ろした。
迸る紅の奔流は舞台を覆いつくし、痩身の尽骸を飲み込んでいく。
囚われた薫すらも巻き込んで。