偏愛
ここで、修斗達の仕事について説明しなければならない。
彼らは“機術師”。それは暮園における科学技術の発展形、“機術”を操る者を指す。
「進んだ科学技術は魔法と区別がつかない」と言われるが、機術はその言葉をまさに体現している。“機術”という言葉も「機械によって行使される魔術」に由来する。だが、本質的には魔術というより超能力に近い。
その本質とは、「人間の隠された能力を引き出す」ことにある。
機術で用いられる特殊な機械――“導器”は、人間の隠された能力を増幅し、外界へ出力することができる。導器こそが機術の行使の根幹を成しており、これ無くして人間が機術を行使することは不可能だ。
逆に言えば導器さえあれば誰にでも機術を行使することができるということだが、それは機術師であることとイコールではない。暮園では住人のほとんどが一つ以上の導器を持ち、日常生活の助けとしているが、機術師の資格を持っているわけではない。
住人達が生活を豊かにするために機術を行使するのに対し、機術師は戦うために機術を行使する。要するに、機術師は戦闘集団である。彼らにとって機術とは幸福の技術ではなく、殲滅の手段。
では、その手段が行使される対象とは?
その対象こそが暮園に蠢く、意思を持った災い。
――その災いの名は、“尽骸”といった。
* * *
「じゃあ次に、尽骸の特徴を挙げてみよう」
薫と東域第四班の顔合わせが終わった後。彼らの待機室では、薫に対して研修期間における諸々の説明がされていた。そしてその過程で、機術師としての仕事の確認と共に、尽骸の知識の確認も行っていた。
正貴に問われた薫はよく通る声で返事をすると、それに対して淀みなく答え始める。
「第一に、普段は人間とほとんど変わらないことです。見た目だけに限らず、体の組織も人間に酷似しています。特殊な導器を用いれば判別は可能ですが、その導器は数が少ない為に暮園に住む全員を逐一調べることはできません。ゆえに普段の状態では尽骸と人間を区別するのは難しいと言えます。第二に挙げられるのは高い身体能力です。普段の人間の姿でも十分過ぎる能力を持ちますが、それでも人間の範疇は逸脱していません」
ここで一旦言葉を切る薫。
部屋の中では、東域第四班の面々が薫の言葉に耳を傾けていた。
拓也だけは、先程と同様にやる気のなさそうな目で天井を見上げている。口では四本のポッキーが揺れていた。修斗と美月はいつものことだと気にしていないし、正貴も薫の言葉に耳を傾けているため、特に咎められたりしなかった。
薫の言葉が続く。
「ですが、尽骸の本当の力は――これは三番目の特徴になりますが、“異形体”になった時に発揮されます。異形体はその呼び方の通り、人間とはかけ離れた怪物の姿のことです。異形体の尽骸は人間を遥かに凌駕する身体能力を誇り、通常兵器では太刀打ちできません。さらに個体によっては超能力を使える場合もあります。異形体には様々な姿がありますが、形が人間に近ければ近いほど強い力を持つと言われています」
そしてまた言葉を切る。呼吸を整えるためか、短く息を吐いた。
それは息継ぎの意味もあったのだろうが、これから言う言葉に対して心の準備をしているようにも見える、と修斗は思った。隣の美月が、ほんの僅かに眉を顰めたのを視界の端に捉える。
「第四の特徴として、異常な精神性が挙げられます。尽骸となる過程でそうなるのかは分かりませんが、私達人間の一般的な価値観とはかけ離れた情動を持っています。これも異形体と同様に様々なものが見られ、異常な殺人衝動、良識の欠如、利己的な独占欲――挙げればキリがありません。尽骸は自分を満たすためなら、どんな手段も取ると言われています。ゆえに私達人間を脅かす敵となるのです。……以上が尽骸の大きな特徴です」
漸く肩の力を抜いた薫。その顔には達成感と安堵の表情が浮かんでいる。
正貴は満足そうに頷いた。
「よく言えたね。さすが薫だ」
その言葉に、薫は軽く咳払いをした後に答えた。
「いえ、これは訓練課程の始めで習う基礎中の基礎ですから」
「教わった内容を整理して、自分の言葉で話せている。充分だよ。この調子なら研修期間の合格も問題無いと思ってる」
あくまで穏やかな笑みを浮かべる正貴。
機術師になるためには訓練課程を終えた後、実際に機術師の班で二週間の研修期間を行う必要がある。ここでの働きによって合否の判断が下され、機術師になれるかどうかが決まるのだ。
「これだけで合格の確信を持ってもなぁ……」
修斗がぼそりと呟く。
薫の受け答えや態度を見れば確かに優秀であることが分かるのだが、いくらなんでも一日目の数時間でそこまで言うのは早計で無いだろうか。
修斗の頭の中に、とある四文字の単語が浮かんだ。隣に目をやると、美月も同じことを思ったのだろう、呆れたような表情が見て取れた。
修斗は拓也にも視線を向けた。咥えていた四本のポッキーを手を使わず器用に口の中に収めて、頬をもぐもぐと動かしている。そしてしっかり咀嚼した後、喉仏を一度上下させる。空になったその口から、間延びした声が発せられた。
「正貴ってシスコンだったんだねー」
その一言は室内の時間を一瞬停止させた。
恐る恐る正貴のほうへ視線を戻す修斗。頭の中では高速のペンが頭の外も中も爆発している拓也へと吸い込まれていく景色が鮮明に浮かんでいた。
しかし、そのリアルなイメージが実現することは無く、修斗の目に映ったのは、いつもの様に笑みを浮かべている正貴だった。
正貴の反応は予想外で、自分で言っておきながら額の辺りを腕で守っていた拓也も不審そうな顔をしていた。
そんな班員の反応に頓着せず、正貴はにこやかに答えた。
「言い方が悪いなあ。薫は聡明で強くて可愛いのだから当然じゃないか。合格は決まったも同然だよ」
まじか……。
それが修斗、美月、拓也の総意だった。まさか更なるシスコンっぷりを発揮されるとは思ってもみなかった。
三人はこれまで正貴と共に少なくない時間を過ごしてきたが、彼がシスコンだということは今初めて知った。しかも台詞を聞く限り、重症であることが窺える。
三人の正貴に対するイメージは、いつも穏やかな微笑を浮かべた、落ち着きのある男性だった。しかし今の正貴は、満面の笑みを浮かべた、偏愛の兄だった。
可愛いことも合否基準だっただろうか、という意味の無い思考をしていた修斗の耳に、大きな咳払いが届いた。
「兄さん、恥ずかしいからやめてください……」
顔を赤くしながら搾り出すような声を出す薫。言葉通り羞恥を感じているのだろう、体を震わせながら兄を睨む。
「恥ずかしがることは無いよ、事実なのだから」
「兄妹だからといって贔屓目は良くないと思います!」
「僕は薫の実力を純粋に評価している。そんな失礼なことはしないよ」
「~~っ、でも皆さんの前で華美に言うのはやめてください!」
目の前で兄妹喧嘩(?)を始める二人。見た感じ、どうやら短期決着は望めないらしい。
残された三人はとりあえず、兄妹のじゃれ合う声をBGMにしながら世間話をすることにした。
拓也がお茶請けにと出してくれたポッキーは最近発売された新商品で、爽やかな甘さが口に広がるヨーグルト味。そして、美月が淹れてくれたコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
「そういえば最近、東域でも機術師を集団で襲う尽骸がいるらしいねー」
「そう。しかも、一人や二人でいるところを狙う」
「だいたい今は仕事中なんですから上下関係ははっきりしてもらわないと困ります!」
「薫だって兄さんって呼んでいるじゃないか」
「先週、正貴さんも一人のところを襲われたって言ってたしな」
「えー、俺は聞いてないよー?」
「……この班は人の話を聞かない人が多い」
「それは……! その、兄さんが薫って呼ぶから、つい……」
「いや、責めてるんじゃないよ。むしろ嬉しい」
「さっきのこと、まだ怒ってるのか?」
「ちゃんと言ったのに。念を押して言ったのに」
「いや、だからその、悪かったって」
「兄さんはリーダーなんですから、もっと威厳を持ってください! 」
「薫が僕と同じ班になるかもしれないんだ、つい緩んでしまったのは大目に見てくれないか」
「だったら、今度埋め合わせ」
「なんでだ!? ……あー、分かったから睨まないでくれ……」
「ねー、こっちでも痴話喧嘩しないで欲しんだけどー」
何だかんだで三十分後。
一人を置き去りにした二つの戦いは、一応の決着が着いたようだった。そして、研修期間の説明が再開される。
「私達機術師の仕事は、街に出現した尽骸を駆逐すること。被害が広がる前に速やかに対処する」
美月は険のある目つきを薫に向けながら、淡々と説明する。――何度も言うが、決して美月は不機嫌という訳ではない。
ところで、なぜ美月が説明役をしているのかと言えば、薫の強い要望によるものだった。曰く、「話が進みませんから、兄さんは少し静かにしていて下さい」、らしい。あと、尊敬する先輩から話を聞きたいというのもあったのかもしれない。
先程「聞きたいことを聞け」と言ったばかり、さらに薫の言葉にも同意だったらしく、美月は異論無くその役を引き受けた。
ちなみに正貴は自分の役をとられたことがショックだったのか、分かりやすいくらいに落ち込んでいた。重い溜息が口から漏れている。
「尽骸の位置の特定はどうするのですか?」
よく通る声で質問をする薫。美月の手前、若干張り切っているようだ。
「拓也さん」
「はいよー」
それに対して美月は直接答えず、代わりに拓也の名前を呼ぶ。
拓也は気だるげな返事と共に、自分の机の裏側にあったスイッチを入れた。
すると、彼の手元にホログラムのキーボードが浮かび上がった。それは立体映像と言えどその用途をきちんと果たせるらしく、拓也が打鍵をすると空中に一枚のウィンドウが浮かび上がった。もちろんこれもホログラムだ。拓也はそれを手で掴み、自分の向かい側へと投げた。
ウィンドウは回転しながら真っ直ぐ飛んで行く。そして部屋の壁に到達した瞬間、そこ一面を覆いつくす大きさに拡大した。
白い壁に映し出されたのは地図だった。その中央を占めているのは建築物や舗装された道路の灰色。それが南北にかけて長細く続いている。その西には広い砂漠の枯色、東から南にかけては広い海の群青色。そして北の山と森の萌葱色が、水平な直線を描くように西の方へ続いている。
「東域の地図……ですか?」
首を傾げながら疑問を口にする薫。
暮園は、島一つが街を形成している。そして、その街は島の中央にある砂漠によって、東域と西域に分かたれる。薫の言葉通り、壁に映し出されたのは東域全体が描かれた地図だ。
「そう。異形体の尽骸が発生させる力場を捕捉してこの地図に表示する。私達はそこに急行する」
「えと、捕捉ってどうやって……」
「拓也さんの能力」
美月が拓也へ視線を向ける。それを薫が追う。
だが、注目された本人は面倒臭そうに手をひらひらと振るだけだった。説明するのが面倒、ということだろう。
「拓也さんは異形体の尽骸の捕捉できるんだ。能力の範囲は暮園全体。拓也さんの導器が感知した情報がコンピュータに送られて、位置情報を表示してくれるようになっている」
すかさず修斗がフォローする。またぞろ拓也が正貴からお仕置きを喰らうのではないかと思ったが、心配無用、そんなことは気にならないほど正貴は落ち込んでいた。
「暮園全体……、では東域の他の班はもちろん、西域の機術師達も平井さんの能力を元に尽骸を捕捉するということですか?」
「まあ、そういうことだな」
拓也を見る薫の驚きの表情を見て、苦笑を浮かべる修斗。
修斗も初めてこの事を知ったときはかなり驚いたものだ。拓也に対して申し訳ないのだが、こんな覇気もやる気も無いだらしなさの塊のような人が、暮園の機術師全員を支えているとは思えなかったのだ。今となっては考えを改めているが、それでもだらしないというところは否定できないのが拓也の残念なところだと修斗は思っている。顔の造作が良い分、それを余計感じてしまう。
疑問が解消されたことで美月の説明が再開される。
「現場に到着したら、速やかに目標を排除。そして現場の後処理。住民に情報が漏れないように最新の注意を払って。後方支援班と上手く連携を取ること。最後に速やかに撤収。……これで現場の説明は以上。質問は?」
特に無いらしく、「いえ、ありがとうございます」と答える薫。
補足しておくが、後方支援班とは修斗達第四班のような番号付きとは別の働きをする。後方支援班は文字通り、戦闘が専門である番号付きの班を支援することが仕事である。捕捉した尽骸を足止めしたり、住民を避難させたり、逆に住民を近づかせないようにしたりする。
さらに番号付きが尽骸を排除した後も、尽骸の情報が漏れないよう情報規制を行わなければならない。 暮園は孤島にある街、閉じられた環境である。そんな中で、身近な人間が実は化け物かもしれないなどと広まれば、大きなパニックが起こるのも十分に考えられる。ゆえに、時には特殊な導器による記憶消去も行われたりもする。
裏方に徹する黒子。それが後方支援班の在り方である。
「研修期間は二週間。その間、今まで言った仕事をこなす。研修後は班のリーダーが評価を上に提出。それを元に合否が決まることになっている」
後方支援班と対して、番号付きの班は戦闘専門。それゆえに後方支援班以上に戦闘や導器との親和性など、あらゆる面で高い適性が必要となる。先程述べたように、この研修期間の働きが機術師になれるかを決めるのだ。
故に、薫の表情が自然に引き締まる。
「って言っても、尽骸が出ないと基本やる事無いんだよな。だから、とりあえずはリラックスしておけ」
「だよねー、今からそんなに気合入れても疲れると思うよー」
修斗の言葉、それを肯定する拓也。
それでも薫は言う。
「ありがとうございます。ですが、私は新人です。皆さんの足手まといにならないよう、常に最善を心掛けます」
それを聞いて修斗は、へぇ、と声を漏らした。
通常二年の訓練課程を一年で終えたからには、かなりの技術を持っているのだろう。だがそれ以前に、彼女の真面目さがあってこその一年だと言えるのかもしれない、と修斗は思った。
「さすが薫。やはり素晴らしいよ。僕は兄として嬉しい限りだ」
復活する正貴。無限の偏愛を持つ男は、妹の言葉一つで活力を取り戻す。
「抱きしめていいかい?」
「いや、ちょ、それは……待って、待っ――」
ここから先は自主規制。修斗達の目には兄妹を覆い隠す謎の白い光が見えた、ような気がした。
規制解除には時間がかかりそうだったので、二回目のお茶会が開かれることになった。美月が持ってきたカップからコーヒーの香ばしい匂いが漂ってくる。
目の前の兄妹の攻防を見る限り、薫もこの班に早く馴染めそうだ。部屋の中は和やかな雰囲気に包まれる。
が、それもほんの一時に過ぎなかった。修斗がカップを受け取ろうとした瞬間に事は起こった。
「――きたよ」
囁くような拓也の声。それと同時に部屋に鳴り響く、けたたましい警報の音。
「……よし、行こう」
打って変わって真面目な表情で、どこか厳かに告げる正貴。
その時、カップから立つ湯気が僅かにその流れを乱したのを、修斗は見逃さなかった。