集いし者達
周囲の環境が不変ということは無い。望む望まずに関わらず、環境は常に変化する。そして変化は、環境の構成要素に対して適応することを強制する。
この世界における“変化”も例外ではなかった。
突如起こった自然災害。地震、噴火、津波、異常気象、干ばつ、急激な温暖化・寒冷化……。それらがまるで、何者かの気まぐれであるかのように世界各地で頻発した。
その原因は定かではない。あえて言うとすれば偶然であろうか。
人間の進んだ科学技術の影響と言うのもあるだろう。人為的な行いによって発生する災害というのは確かにある。だが、地震などはどうだろう。これはどちらかと言えば、世界のシステムによって発生するものだ。不幸にも必然と偶然、これら二つが重なり合い、未曾有の大惨事を引き起こしてしまった。
この異常現象は約五十年にも渡り、世界の環境を一変させた。多くの動植物は姿を消し、川は汚れ、大地は荒れ果てた。もはや生命の輝きは見受けられず、色彩に欠ける景色が広がるばかりとなってしまった。
そして人間も例外なく、その脅威にさらされた。急激な環境の変化の中、人類の大半は耐え切ることが出来ず死んだ。老若男女問わず、自然の猛威によって人間達は無慈悲に淘汰された。
しかし、そんな地獄のような年月を乗り切った者達もいた。彼らは新たな環境に適応し、その中で生きる権利を獲得したのだった。
そして幸運にも、彼らと同じように世界に適応できた地があった。僅かではあるが、澄んだ水や豊かな緑が残っている場所が世界各地に点在していたのだ。
人間達はそこに新たな街を作った。各街はそれぞれ独自の文化を築き、時に街同士協力、あるいは争いながら発展をしていった。そしてそれは一つの街というよりも、一つの国として機能していた。
災害の収束から約百年余り。限定的ではあるが、人々は以前と同じ、いや、それ以上に豊かな生活を送っていた。街の外は未だ荒涼とした大地が広がっているが、中はそれを感じさせない充実した環境が整っていた。
そんな街の一つ、“暮園”。
ここは一つの島がそのまま一つの街を形成している。暮園では科学技術が抜きん出て発達しており、他の街よりも高い生活水準を誇っている。荒廃した環境の中、この島はまさに楽園と言ってよかった。
だが、それはあくまで表の話。
暮園の平和の裏側では、自然のものとは決定的に違う、“意思を持った”災いが蠢いていた。
* * *
カーテンから僅かに漏れる光が、篠崎修斗の意識を覚醒させた。
目を開けると、まず部屋の天井が映った。明かりはついていないが、微かな日光でその白さが際立っている。
枕元の時計に視線を移すと、いつもの起床時間よりも四十分ほど早い。四十分でも十分な睡眠時間であり、このまま二度寝をしようかと考える。だが、今ここで寝てしまったら時間通りに起きる自信が無い。
――どうしようか。
別に寝過ごしたからといってペナルティがある訳でもない。
昨日の就寝時間は零時を回っていた。故に、貴重な睡眠時間を無駄にしたくない。
だが、寝ている間に急な“仕事”が入れば、心身の準備が整わないまま現場に向かうことになる。修斗の仕事は命の危険と隣り合わせだ。何より、仲間に迷惑を掛けることになる。
それでもベッドの中で五分くらい悩んだ挙句、自分を叱咤しながら体を起こした。
カーテンを開けて明かりを取り込む。明るくなった部屋の白い壁が、日光を反射して軽く目を刺した。
指で目をほぐし、改めて部屋を見る。部屋の中にはベッド、パソコンが備え付けられたデスク、自らの背丈と同じくらいの高さの本棚。簡易的なキッチンも備え付けられているが、特に使っていない無用の長物だ。クローゼットは、着る物にこだわりはないためスペースが余っている。あとは出口、風呂、トイレへと続くそれぞれのドア。
自分で言うのもなんだが、あまり味気の無い部屋だ。だが、必要なものは揃っているので特に不満も不便もない。
眠気を引き摺りながら着替えていると、部屋に備え付けられたチャイムが鳴った。
こんな朝早くから、と思いながら、修斗は出口ドア付近の液晶パネルを覗く。そこにはドアの向こう側の景色が映し出されている。
赤みがかった茶髪の女性。長い髪を一本のポニーテールにまとめている。整った顔立ちをしているが、つり目気味の鋭い眼光が近寄り難い雰囲気を発していた。その目をこちらに――正確にはドアの向こうを映すカメラに向けながら、彼女は口を開いた。
「修斗。早く」
不機嫌そうな見た目と口調だが、これが彼女、島原美月のデフォルトだ。修斗は美月の幼馴染であるため、その辺のことは良く分かっている。
ただ、なぜ美月が朝早くから自分の部屋を訪れたのか、ということまではさすがに思い至らなかった。
「どうした? こんな早い時間に」
それを聞いて、美月の眉に軽く皺が寄った。おそらく呆れている表情だ。
「今日は私達の班の新人を迎える。顔合わせがあるから今日は少し早めに集合、って昨日言ったはずだけど」
思わず修斗の口から、えっ、と漏れる。そういえば、そう聞いたような気がする。
昨日は仕事で保護した少女のケア、その他の事後処理に追われ、久しぶりに日付をまたぐこととなった。全てが片付いて部屋に帰るころには、疲れと眠気のせいで頭があまり働いていなかった。帰り際に誰かから何かを言われた……気がするが、その内容は記憶に残っていなかった。
改めてカメラ越しの美月を見ると、すでに仕事着である紺色のコートを着ていた。対して自分はTシャツにパンツ姿と着替えの途中。
「まだ準備出来てないの?」
「ま、待て。すぐ終わるから」
焦った声で答える修斗。
クローゼット内に掛けてある制服を引っ掴み、乱暴に袖を通す。長い襟足を手早くゴムで一本にまとめ、所々はねている寝癖を強引に撫で付ける。最後に、裾が地面に届きそうな紺色のコートを羽織る。これで準備完了だ。
「悪い、待たせた」
部屋のドアを開けると、修斗の頭一つ分くらい低い位置から栗色の瞳が見上げてくる。
「次から気をつけて」
今度は見た目通り、多少不機嫌さが窺える表情で答えた。
「すまん、連絡事項はしっかり聞いとかないとな」
申し訳なさそうに答える修斗。
「それもだけど」
修斗に一歩詰め寄る美月。分かりやすく唇を尖らせている。
「昨日、この時間に迎えにいくと伝えたのに」
「……すみません」
もはや謝るしかない。全面的に修斗が悪かった。
とりあえずそれで納得したのか溜息を一つ吐いて、美月は先へ歩き始めた。遅れて修斗もついていく。
隣に並ぶと、美月が今日の予定について話し始める。
「さっきも言ったとおり、今日は私たちの班に新人を迎える。二週間の研修の後、合格すれば正式に私達の班に配属される」
「へぇ。で、その新人って誰だ?」
「須藤薫。正貴さんの妹」
「ああ、それなら前にも聞いたな……。今日だったのか」
「……本当に何も聞いてなかったの」
またも溜息。
自分でも何をやっているんだか、と思いながら修斗は話を進める。
「悪かったって。……で、その妹って年はいくつなんだ?」
美月は少し思い出すような素振りをしてから答えた。
「確か十六」
「十六……ってことは、訓練課程を一年で終えたのか?」
「そう。とても優秀だと聞いている」
「普通の半分かよ……。さすが正貴さんの妹と言うべきなのか……」
感心する修斗。
修斗がしている“仕事”に就くには、最低二年の訓練過程を受けなければならない。修斗がそれを受けたのは、適性年齢の最低ラインである十五歳の時だった。
自分の過去を思い出せば、厳しい訓練の日々。あまりの過酷さに何度も音を上げそうになった。実際に同期で脱落した者は少なくない。それでもあきらめず二年を過ごし、ようやく今の“仕事”に就くことが出来た。それでもあの時の過酷さは、今でも鮮明に覚えている。
しかし、件の新人はその関門を僅か一年で突破したという。その技量はおそらく凄まじいものだろう。
「研修期間だが、もう即戦力といっていいかもな」
「うん」
「期待の新人さんは、どんなやつなんだろうな」
「気になる?」
「そりゃあ、未来の後輩だからな」
「……そう」
最後の美月の返答は、なんとなく間があった。ほんの少しだが、不機嫌さを帯びたように感じる。しかし、その理由が思い至らない。いくら幼馴染と言えど、全て分かり合っている訳ではないのだ。
美月の微妙な変化はとりあえず棚上げし、修斗は足を止める。目の前には、廊下の壁よりも若干へこんだ長方形の窪み。高さは修斗の背――だいたい一七五センチよりも少し大きいくらいで、幅は人間四人が並べるほど。
同じく足を止めていた美月が、窪みの右側にある黒いパネルに右手を添える。
「コードES027。オープン」
平坦な美月の声。
カシュッ、と空気が漏れ出たような音が聞こえた。同時に、窪みの中心に縦線が走る。それを認識した瞬間には、すでに窪みは奥へと続く穴に変化していた。つまり、窪みの正体は開閉扉だったのだ。
二人はその中へと迷いなく進んでいく。先の方は短い通路になっており、突き当りには先程と同じ窪みとパネルが存在していた。
美月が同じ行動を繰り返し、扉を開けた。
扉の先にあった一室。
広さは十六畳ほど。イスの背もたれをこちらに向けた机が二つ。その向かいに逆向きの机が同じく二つあり、右側の机には何も置かれていない。さらに部屋の左側には、部屋の中央を向いた机が一つだけある。それ以外に主だった調度は無いが、各机の上が使用者の生活感が表れており、殺風景な印象はない。
そんな部屋の中にいたのは、三人の人物。
一人目は男性で、左の孤島に座っていた。髪はボサボサであらゆる方向にはねている。彼はイスの背もたれに深く身を預け、天井を眺めていた。その横顔から整った顔立ちだが、まるでやる気の感じられない目と、口に咥えたポッキーをぴこぴこと上下に動かしている仕草がそれを台無しにしていた。
二人目も男性。対面した二つずつの島の間辺りに立っている。一人目とは逆に、清潔感のある切り揃えられた髪型。彼の高い背は見るものに威圧感を与えそうだが、穏やかな眼差しと柔らかな微笑がむしろ安心感を与えていた。
三人目。こちらは女性。背は小さめで、隣で一緒に話している二人目の男性の胸の位置よりもさらに低い。それでもその体からは、溢れるばかりの活力が伝わってくる。猫を思わせるパッチリとした目で隣の男性を見上げ、肩辺りで切り揃えた髪を手で軽くなでている。
そして三人全員が修斗や美月と同じ、裾が地面に届きそうな紺色のコートを羽織っていた。
二人が部屋に入ってくると、あとの三人の視線が一斉に入り口のほうへ向いた。
「お、来たね」
その穏やかな声は、背の高い男性のもの。
「おはようございます、正貴さん」
「おはようございます」
それに対して挨拶を返す修斗と美月。
正貴と呼ばれた男性は人当たりの良い笑みを浮かべた。
「おはよう。早速だけど始めようか。……じゃあ、薫。簡単でいいから皆に自己紹介して」
「はい」
促された隣の女性は良く通る声で返事をした。部屋にいる四人から最も見えやすい位置に移動し、背筋を伸ばして真っ直ぐ立つ。
「須藤薫です。これから二週間、皆さんのもとで研修をさせて頂くことになりました。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる薫。
正貴は満足そうに頷き、再び口を開いた。
「うん、次は僕達が自己紹介をしよう。まずは平井から」
正貴の視線の先には、髪が爆発したような男性。彼は天井に向けていた視線を薫へ向けて、一言。
「よろしくー」
右手をひらひらさせながら、いかにもやる気のなさそうな声で答えた爆発頭。
それを見た正貴は穏やかな笑みを浮かべたまま、いつから持っていたのだろうか、一本のペンを素早く投擲。放たれたそれは寸分違わずダメ人間の額の中央に直撃した。
「……! …!! …!」
かなり痛かったのか、額を押さえて声にならない声を上げる。続けて向けられる、穏やかながらも有無を言わせぬ圧力に観念したのか、居住まいを若干直してから再び自己紹介をする。
「……コードES021、平井拓也ー。バックアップ担当でっす。よろしくー」
言いながら、ちらちらと正貴様を窺う拓也。
お世辞にも改善されたとは言い難いが、とりあえず及第点は貰えたのだろう、刑が執行されることは無かった。
「はい、よろしくお願いします」
拓也のぞんざいな紹介にも笑顔で返す薫。角度四十五度の丁寧な礼をする。
続いては修斗。一歩前に出て挨拶をする。
「コードES028の篠崎修斗だ。これから二週間、よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
修斗の簡潔な挨拶にも、笑顔と敬礼を返す薫。
そして、美月。
「コードES027、島原美月。よろしく」
修斗以上に簡素な挨拶。それにも薫は同じように返す――と思いきや。
「あなたが島原さんですか!“赤き狂刃”の!! あなたのご活躍は訓練期間の時から伺っています! 特に研修期間中に一人で十人斬りをされた時の話とか! あと……」
堰を切ったように話し始める薫。美月の方へと詰め寄り、次々とまくし立てる。
その勢いに気圧されて、美月は若干体を仰け反らせた。
「……落ち着いて、薫。島原が困っているじゃないか」
見かねたのか、やんわりと注意する正貴。
はっとして、薫はすぐに頭を下げた。
「すみません! 尊敬する島原さんに会えたと思ったらつい…その…」
ばつが悪そうに謝る薫。恥ずかしかったのか、その顔はわずかに赤い。
そんな薫を見て、美月は溜息を吐く。
「私、“赤き狂刃”とか呼ばれるの好きじゃないの。というか嫌い」
「す、すみません……」
美月の言葉にうつむく薫。顔色も少し青くなっているように見える。初対面で先輩の、しかも尊敬している相手の機嫌を損ねてしまったことに対して、やってしまった、と思っているのだろう。美月の不機嫌そうな顔を見れば普通はそう思う。
だが、修斗達は彼女が見た目ほど怒っているわけではないことは分かっている。彼女にしてみればただ注意を促しているに過ぎない。
それでも、そこまで落ち込まれると悪い気がしたのか、美月は目線を横にずらしながら口を開いた。
「その、だから、名前とかで呼んでもらえれば……。それと、聞きたいこととかあれば後で聞く、から……」
美月の顔は殊更不機嫌そうだ。だが、それは恥ずかしさの裏返しであり、そのことを分かっている修斗は吹き出しそうになってしまう。久しぶりに見た美月の隙のある姿に、つい嬉しくなってしまった。
美月がそんな修斗に鋭い視線を送ったが、顔が赤くなっているため格好がつかない。
それを見て、ついに修斗は声を出して笑い始めてしまった。
「くくく、くは、あはははははははっ!」
「……修斗」
美月は手を挙げかけるが、そこで正貴から仲裁が入る。
「喧嘩だったら後で。それじゃあ、最後に僕。コードES019、須藤正貴。東域第四班のリーダーです。これから二週間、よろしくお願いします」
「はい!」
一段と気合の入った返事をする薫。
これからの研修期間は重要だ。ここでの評価次第で訓練課程を修了できるかどうかが決まる。
表情に力を漲らせている薫を見て、正貴は言った。
「大丈夫だよ、薫。落ち着いてやれば、君にとって研修なんて簡単だよ。いつも通りでいいから」
正貴の表情に浮かんでいるのは微笑み、それも大切な妹への親愛がこもっている。
「……はい。ありがとうございます、兄さん」
はにかみながら答える薫。その表情も恐らく、家族にしか見せないものだろう。
正貴は頷くと、部屋にいる全員に向かって言った。
「よし、東域第四班!今日も頑張っていこう!」
「おう!」
「了解」
「はいよー」
「はい!」
正貴の号令に、四人は各々らしい返事をしたのだった。