試合の朝の空気
この回を書いてて思ったこと。そういえば、試合の日の朝の空気って、なんか冴えてたなぁ。
スニーカーを履いてウィンドブレーカーのファスナーを締める。外に出ると、早朝であることも相まってぴんと張り詰めるような寒さを肌で感じた。走り始めると数分で耳が痛くなってきた。一定の規則で呼吸をするように心がけていると気が付いたら少し汗がにじみ始めていた。
今日は、土曜日。山城と約束した、いつもと変わらない、だけど、俺の中では何かが絶対に変わる、あの土曜日。
昼頃まで走りこみ、家に帰るとシャワーを浴びた。家族は出かけている。
あと、数時間ですべてが終わる。
バスケをやめたら、俺はどうするんやろ。また何か、見つけるんやろうか。
いや。見つけても、多分――。
苦笑いしてシャワーの栓を捻って止めた。
リビングに移動して髪を拭いているとインターホンが鳴った。
誰やろう? 今日来客の予定はないし。新聞とかやろうか?
「はーいはいはい、はい…?」
「よっ、来たったで」
「飯食わしてー」
「翔太…健司…お前ら何しに来たんや…」
健司はともかく、翔太。お前な、飯食わせろってなんやねん。
「まぁええけど…」
ずかずかと翔太が中に入ってくる。
健司が苦笑いした。
「どうしたんや、突然」
「翔太が」
健司が一瞬泣きそうに笑った。思わず虚を突かれてうろたえる。
「健司?」
「…気をつけなあかんで、航。あいつが一番、揺れとる」
「…揺れとる?」
「ていうか、翔太、キレとる」
なんで翔太がキレとるんや?
「今日なんやろ」
はっと息を呑む。聞いてたんや。俺と、山城の会話を。
「…健司」
「俺は、まだ、ええけど。翔太は、本気で落ちこんどる」
酷く泣きそうな翔太を思い浮かべる。
なんでや。なんで翔太が、怒るねん。
「ま、心しとけ」
肩を叩いて中に入っていく。
俺も続いて中に入ると冷蔵庫に入っていたもので適当に食い物を作って出す。
「なんや、サンドイッチかい」
「黙って食え。なんで昼飯食ってから来ぇへんねん。いや、その前にせめて連絡してから来いや」
リビングのテーブルの上にサンドイッチを載せた皿を置いて胡坐を組む。
翔太が隣で早速手を伸ばしてハムとトマトのサンドイッチを頬張った。
「それどころやない」
その様子からは想像できないほど感情を押さえた声が耳朶をつく。 「しょ、翔太?」
翔太の向こうで健司が額を押さえている。アチャーという顔をしていた。
え、もしかして、地雷やったん?
「なんやねん。お前」
「なんやねんて、ななな何がですか」
思わず片頬が痙攣する。翔太の声がひんやりしとる!
一緒に出していた紅茶の入ったマグカップを音を鳴らしてテーブルに置いた。俺を睨みあげた目が据わっている。
「俺はな、航!」
「はい!」
「…ええんか、航…」
そのままの勢いで怒鳴ってくるかと思い身構えていたら急にしおらしくなって俺を見上げてきた。
うっ、やめろや。その、子犬みたいな目をこっちに向けるな。
そうなのだ。こいつは、俺達の中で一番見目がいい。というか、犬。主にポメラニアン。性格もポメラニアン。でも、時々ドーベルマン。その瞳の色は時と場合によって変わるが、いざという時のこいつのこの目は、結構危険だ。こいつは多分意識してないだろうが(てか意識してるなら怖すぎるっちゅーねん)、なんかこう、雨に濡れている泣きそうな子犬を思わせるのだ。
「しょ、翔太?」
「俺はな、航。未練を、残して何かを終えられる奴なんて、おらへんと思っとる。…やめといたほうがええ」
何を、と聞けなかった。あまりにも――あまりにも翔太の表情が、苦しそうで。声も僅かに震えている。何が、あったのか。
「お前、知らんほうがええ。怖いんやぞ。ちゃんと、割り切れんまま、何かを終えるんは、苦しいんや。俺は、知っとる。体から力が抜けていく感覚も、あの虚無感も。…あれは、悪夢や」
翔太が顔を歪める。震える声を絞り出すようにして再び言った。
「あれは、悪夢や、航。頼むから…」
翔太が乞うように瞳を下げる。
その時、狙ったかのように携帯が鳴った。
翔太がゆっくりと目を携帯に向ける。俺はそれから守るように素早く携帯を取り電話に出た。
「はい」
『あ、峰岸? 俺もう公園おるんやけど』
「早っ。まぁ、ええわ。なんや要らんもん付いてきそうやけど、別にええよな?」
『要らんもん? …もしかして、翔太と健司か』
「そうやけど、お前いつの間にこいつらと仲良くなったんや」
『そら俺とあいつら仲間やし?』
「仲間?」
『峰岸バスケ復帰推奨派のな』
「うわっ、うっとおしっ」
『酷っ。まぁええわ、早よ来い』
「うえーい」
電話を切って立ち上がる。
「時間か?」
健司が俺を見上げた。その隣で翔太が何か言いたそうに口を開きかける。
「そうや。どうせ来るんやろ?」
「あぁ」
「航」
翔太が俺を見上げた。唇を真横に結んでいる。
「…ほな行こか」




