引き金のコイン
相変わらず質素であるが、ギルパーニャの作った夕食はとても美味だった。
夕食後、ウェイルはシュラディンと二人で酒を酌み交わしていた。
「なるほど。不完全が絡んでいたわけか」
「手段は相変わらず巧妙で苦労したけどな。サスデルセルでの事件はかなり大胆なことをやっていたよ」
「違法品はいつの時代でも権力者の心を掴むのだな……」
シュラディンに、これまで起きた事件のことを語る。
クルパーカー戦争のことはシュラディンの耳にも伝わっていた。
あれほどの事件だったのだ。当然と言えば当然ではある。
「イレイズさんってったか? 若いのに随分苦労したようだな」
「あいつは凄い奴だよ。あの歳で国を背負って戦えたんだからな。おまけに腹も黒い」
「腹黒でないとやってられなかったのさ。なるほど、クルパーカーは当分安定しそうだな。カラドナでも買っておくか?」
「さすが師匠。儲け話には手を出すのが早い」
「おいおい、プロ鑑定士なんだ、当たり前だろ?」
豪快に酒を煽り大笑いするシュラディン。
そんなシュラディンだったが、突如笑いを止め、こちらを見据えてきた。
「なぁ、ウェイルよ。お前さんの弟子のことなんだが……」
「フレスのことか? あいつがどうかしたのか?」
「んん……。いや、なんでもないさ」
急にフレスの話題を引き出してきたシュラディン。
フレスについて何か知っているのだろうか。
「師匠、フレスのこと、知ってるのか?」
「……どうだろうな……。正直俺にもよく判らん。だがな、何か引っかかるんだよ」
師匠にしては珍しく歯切りが悪い。
「……何でもないさ。忘れてくれ」
と話を打ち切られる。
そう言われても忘れられる訳がないのだが、師匠がこう告げた後は、どうあがいても次の返答を引き出すことは出来ない。
「まったく、変に頑固だから困るよ」
「そりゃお互い様だ」
二人は今のやり取りなどなかったかのように、再び酒を酌み交わしたのだった。
「ウェイル、今のお前の話の中でヴェクトルビアのことがあったな」
「『セルク・オリジン』の事件のことか?」
「そうだ。そのことは新聞で読んだから多少の知識はある。だが詳細なことまでは情報規制なのか載ってはいなかった」
「……そうだろうな」
この事件自体は、大々的に大陸中に伝えられたが、それはあくまでもヴェクトルビア王家の信用を回復させる類いの情報ばかりであった。
そこに英雄としてウェイルが登場したのは、プロ鑑定士協会の影響力を出汁にして、人々の興味を持たせることが目的としてあったのだ。
広まった情報は真実ではあるが、都合の良い真実のみを世間に出したのである。
「ヴェクルビアでの事件は、正直歴史書に載ってもおかしくないほどの大事件だった。何せ王宮にいた大半の人間が殺されたのだからな。犯行を行ったのはハルマーチと言う、貴族だった」
「……貴族だっただと!? 新聞では『不完全』がやったのだと……」
「へぇ、新聞ではそうなっていたのか……」
貴族が起こした事件などと、世間に発表できるわけがない。
「事件全体を通して死者は五百人以上、都市で発生した火事、毒を撒かれた井戸の修繕など、全ての被害総額は何と五億ハクロアだ」
「五億、か……。金はまあよいとして被害者も五百人。惨いな……」
「……正直、事件の後不甲斐なさを感じたよ……」
井戸や火事についてはどうしようもなかったとして、ウェイルが最も悔いているのはルミエール美術館のこと。
自分がもっと早くフロリアのことに気づいていれば、もしかすれば美術館は破壊されずに済んでいたのかもしれない。
「『セルク・ラグナロク』も紛失したままだしな……」
「『セルク・ラグナロク』を紛失しただと!? あれはヴェクトルビアの国宝指定絵画だぞ!?」
「それも『不完全』が持っていったよ」
「……それは……。……そうか。『セルク・ラグナロク』も紛失し、犯人は貴族だった、か……。通りでな……」
シュラディンが深く嘆息する。
その様子に、ウェイルは少し違和感を覚えた。
「なぁ、シュラディン。何故そんなにヴェクトルビアのことが気になった?」
ウェイルは敢えて師匠の名で呼んだ。
プロ鑑定士として師匠に接するときのみ、ウェイルはこう呼ぶのだ。
「事件としてはクルパーカーの方が規模が大きかった。被害総額も、そしてこの大陸に与えた影響も」
するとシュラディンは首を横に振りながら、ウェイルにこう言った。
「それは違うぞ。ヴェクトルビアの事件は、クルパーカーの事件以上に大陸を揺るがしているよ」
「……なんだと……?」
シュラディンは懐から一枚の硬貨を取り出すと、親指で弾いてウェイルに渡した。
「最近、市場の情勢が少しおかしいんだ。原因を探ったら、どうもヴェクトルビアの影響らしい。今、お前の話を聞いて確信したよ」
手渡された硬貨をしげしげと見つめる。
「ウェイルよ。確かに今お前が話してくれたクルパーカーの事件は大事件だ。人も大勢死んだ。だがこの大陸を震撼させたかと問われれば、それほどでもない。だがな。これから起きようとしていることは、間違いなくアレクアテナ全体を包む。間違いなく、だ」
「クルパーカー以上の……事件だと……!?」
「そうだ。今、お前さんが持っているその硬貨が、その大事件の引き金になるはずだ」
「これが……?」
たった一枚の硬貨から、一体何が始まるというのだろうか。
「ウェイル。お前に師匠として一つだけ忠告しておく。常に市場を見つめておけ」
シュラディンの言うそれは、修行自体に毎日言われていたこと。
鑑定士として当たり前のその教訓を、今更になって告げてくる。
確実に何かが起きる。だが、それが何か、敵は誰かなんて、この硬貨一枚から見えるはずがないのだ。
シュラディンさえ、まだ状況を把握できていない。
でも、シュラディンは肌で感じている。
「嫌な予感しかしないのだよ……。だからウェイル。今言ったこと、忘れるな」
「…………判った」
手に持ったコインを月明かりに照らす。
それは何の変哲もない――普通のハクロア硬貨であった――