貧困都市 『リグラスラム』
たっぷりとリグラスホールデムを楽しんだ次の日の午後。
ウェイル達は目的の都市へと到着した。
「う、うわぁ……、こんな都市もあるんだ……」
フレスの目に入ったのは汚臭に満ち、ボロボロになった人間がたむろする貧民街、通称スラム。
道端の至る所でゴミが散乱し、乞食が物乞いをしている。
建物はヒビだらけで、まるで廃墟であった。
「ここは貧困都市リグラスラム。大陸の中で最も貧しいといわれている都市だ」
「へぇ、そうなんだ!」
慣れない匂いに鼻を押さえているフレスだったが、その瞳はこの都市や住まう人々を見下すようなものではなかった。
むしろその逆で、人間にも色々な姿、状況や環境があるということを真剣に学んでいるようである。
……簡単に言えば初めて見る光景に目を輝かせていただけなのだが。好奇心旺盛なだけである。
「実は俺の師匠はこの都市で暮らしている」
「……そうなの!? じゃあボクにも鑑定士になるための勉強、教えてくれるかなぁ……?」
「教えてくれるさ。実は今回の目的の一つにそれもあるんだ。まあここで話すのもなんだ。歩きながら話そうか」
そしてウェイルは、この都市のことについてフレスに教えて聞かせた。
――貧困都市リグラスラム――
この都市がそう呼ばれるのは、単に金銭的に貧しいものばかりが住んでいるから、というわけではない。
無論それも理由の一つではあるが、最も大きい理由として難民問題がある。
リグラスラムに住まう、およそ八割以上の者は難民なのだ。
アレクアテナ大陸では、一部の都市(王都ヴェクトルビアなど)を除き、国という概念が薄い傾向にある。
国と呼称する代わりに都市として表現される場合が多く、それら都市の行き来には入国許可証など不必要だ。
しかし、例え国ではないにしても、都市同士のいざこざ、衝突は多々あり、また宗教観の差異から争い事が起こることは少なくない。
宗教都市サスデルセルでも、過去に大きな宗教戦争が勃発し、多くの犠牲者と難民を輩出した。
戦争が起こる度に、難民は発生する。
このリグラスラムは、そういった難民を無尽蔵に受け入れた都市なのである。
生活レベルはかなりの低水準で、貧しい暮らしをしている者が大多数であるが、貧しさゆえの共生意識、一種のヒエラルキーの元、その秩序は強く守られている。
何処からともなく流れてきた難民達にも、非常に寛容なのである。
――ただし、難民ではない余所者に対しての風当たりは相当強い。
「……ウェイル……ボク達、駅を出てからずっと睨まれてない?」
「気のせいだろ?」
「……うん、よく見たらウェイルの方に視線は向いていないよ。何故かボクだけ……」
すれ違う人々の視線を一身に浴びるフレス。
確かに青い髪をするフレスは目立つ存在に違いないし、他の都市でも奇異な目で見られることはあった。
しかし、ここで感じた視線はそういうものではない。
もっと、ねっとりとした、さらに言えば明確な敵意を持った視線を感じるのだ。
「……ボク、何か悪いことしたのかなぁ……?」
「そうじゃないさ。リグラスラムの住民は金持ちや難民でない部外者に対しては厳しいんだ。喜べ。この都市の連中には、お前は清潔なお金持ちのお嬢様に見えるみたいだぞ? そんな奴は、ここの連中にとっては格好の批判の対象なんだろうよ」
「喜べないよ!! じゃあどうしてウェイルは大丈夫なの!?」
「そうさなぁ。大方俺はお前の従者にでも見えるのかな? それに俺は昔、ここで暮らしてたことがあるからな。無意識に同族だと思われているのかも」
「え!? ウェイル、こんな汚い所で暮らしてたの!? …………あ」
「そりゃあ師匠がここにいるのだからここに暮らすのは当たり前…………って、バカフレス!! お前、何言ってんだ!!」
フレスの叫びに、周囲にいた者全員が振り向く。
騒々しい喧噪もピタリと止まり、皆無言でこちらを睨んできた。
その形相たるや、今にも人を殺しそうな雰囲気だ。
「おうおう、お嬢さん! なかなか言ってくれますねぇ……?」
「こんな汚い所に住んでいて、悪うございますわぁ……」
「何せあっしらお金なんて全然持ってないもんで……」
「少しばかり寄付していただくと嬉しいのですがねぇ……ウヒヒ……!!」
因縁をつけてくる数人の男達。
「……ウェイル、これ、かなりまずいよね……?」
「……バカフレス……!!」
取り巻く人間も、声にこそ出さないものの、表情から察するに好意的なものではない。
よく見ると、遠巻きではあるが二人は囲まれ始めている。
このまま黙って突っ立っていては、おそらく着の身着のままひん剥かれてしまうことだろう。
「……フレス、逃げるぞ……!!」
「……うん……!!」
逃げるなら今しかない。
ウェイルは比較的人の少ない方へ指を差した。
「フレス! あっちだ!! 水を放出しろ!!」
「判ったよ!! うりゃああぁぁぁああ!!」
裏路地へと続く道へ、大量の水を放出させた。
二人を取り囲もうとして、その道へ先回りしていた者が、突然の大量放水に驚いて逃げた。
「今だ!! 走れ!!」
「うわあぁぁぁあああああ!!!!」
因縁をつけてきた男達を振り切り、二人は走り出した。
「逃がすな! 追え!!」
「出口へ先回りしろ!!」
「嫌味な金持ちなど許さん!!」
こうして二人と貧民数十人との、圧倒的不利な鬼ごっこが幕を開けたのだった。
――●○●○●○――
汚臭漂う薄暗い裏路地を全力疾走する二人。
「いたぞ! こっちだ!」
「回りこめ!!」
「くっ、こっちもだめか……!!」
追手の声の数が、さらに数を増す。
おそらく追手の数は当初の数より大幅に増えていることだろう。
「うわああぁぁぁあ!! どんどん数が増えてるよ―――!?」
「クソ……!! あっちも駄目だ……!! こっちだ、フレス!!」
人の気配の薄い道。
なんだか嫌な予感はするが、どうにもこちらしか逃げる方法はなさそうだ。
「この道の先はどこへ出るの!?」
「知るか!! 適当に逃げてるんだよ!!」
「えええええ!? どうすんのさ!!」
「とにかく走る!!」
「どうしてボクがこんな目に!?」
「全部お前のせいだろうに!!」
追手の足音がどんどん近くなってくる。
このままでは間もなく見つかってしまうだろう。
「いたぞ!!」
「ち、見つかったか……!!」
敵の行動は思った以上に早かった。
いや、数に違いがありすぎる。どの道近い内に見つかっていただろう。
「ウェイル! ここ、行き止まりになってる!!」
目の前にはうっそうと立ち塞がる壁。
いつの間にか袋小路に迷い込んだようだ。
「道を間違えちゃった!?」
「……いや、違うな……。おそらく俺達はここに誘導されたんだ……!!」
彼らは足音を使ってウェイル達を出口から遠ざけるように行動させたわけだ。
ウェイル達はついに貧民連中に追い込まれてしまった。
「ウェイル! 後ろに追手が!!」
じりじりと滲みよる最初に因縁をつけてきた男ら四人。
「……ついに追いつめたぜ……!!」
「持っているもの全部置いて行ってもらおうか……!!」
リーダーであろうスキンヘッドの男が、棍棒を振りかざしながら近づいてきた。
「俺らリグラスラムの住民を馬鹿にしたんだ。慰謝料を請求するのは当然だろう?」
「さぁ、持ってるものを全て出せ……!!」
ヒッヒッヒと下品な笑みを浮かべながら、さらに追い込んできた。
「ウェイル……。どうしよう?」
「……出来るだけ穏便に済ませたい」
フレスの力を使って、相手を押さえつけるのは至極簡単なことだ。
だが、この度のことはどちらかと言えばフレスが悪いのだ。手荒な真似をするのは気が引ける。
「でも、あの人達、謝っても許してくれそうにないよ……」
「まあそうだろうな……」
ウェイルが思うに、今追いかけてきた連中は、普段からもこのような行為を行っているのだろう。
観光や仕事で来た客から、ちょっとしたことで因縁をつけて金や物品を脅し取る。
大勢で追っかけてきたところから、明らかに組織ぐるみの犯行だ。
(……だからこそ下手な逃亡は出来ないか)
カモを逃がすほど、奴らは甘くない。
脅し役に四人、残りの人員は全てこの周辺の逃走経路になりそうな場所を抑えているはずだ。
「……フレス……」
「……うん……!!」
力を使わざるを得ないか……!!
フレスが手を掲げ、力を集中させた――その時だった。
「――――ええい♪」
――プシューーーーー。
何やら軽快な声が響いたかと思うと、この周辺は煙に包まれた。
「け、煙だと!?」
「奴らの仕業か!?」
「催涙煙だ!! 奴ら逃げる気だ!!」
突如発生した煙に、この場にいた皆が困惑する。
「何がどうなって……? フレス、何かしたか!?」
「ボクはまだ何もしてないよ!!」
「だったらこれは……?」
状況を把握しようとしたその時。
「――ウェイル兄ぃ、こっちだよ!」
誰かがウェイルの手を掴む。
「だ、誰だ!?」
視界は煙で遮られ、相手が誰だか判らない。
「いいから! そっちの女の子も! 早く私の手に掴まって!!」
「ウェイル、一体誰なの……?」
「いいから早くしてよ! 奴らから逃げないと!!」
「それもそうだ……」
その口振りから、敵である可能性は低そうだ。
ウェイル達は素直にその声に従った。
ウェイルが掴んだその手は、予想以上に小さい手であった。
(……あれ……? この感覚は……)
「さぁ、急ぐよ!! しっかりとついてきて!!」
その声の主の案内により、ウェイル達は無事裏路地からの脱出に成功した。




